第65話 複雑な想い
朝、差し込んで来た光で目を覚ます。
普段ならそんなことはないのに、そもそも寝室の窓は南向きだったような、と考えているうちに意識が覚醒してみればそこはリビングのソファーの上だった。
「ああ、そう言えば昨日の夜はここで寝たんだっけ。」
"Innocent Vision"の面々はここ最近学校に行っていないしジェムの動きが基本的に夜のため遅くまで起きていなければならない。
そんな生活を続けているのだから当然、生活習慣は夜型にシフトしてしまうわけでこの家の朝はのんびりしている。
あいにくというか予想通りというか進んで自炊をするような人はおらず、必然的に食事はパンかシリアル、もしくはコンビニでの既製品に限られてくる。
今朝も誰も起きてこないので棚からシリアルを、冷蔵庫から牛乳を取り出して深めの皿に混ぜて食べる。
一応糖質と炭水化物と食物繊維は確保できるらしいが物凄く味気ない。
「贅沢は言えないんだけど、はぁ。」
漏れ出るため息を抑えることができなかった。
家を出て、それでも衣食住が揃っているだけ恵まれているのだがやるせなさは消えてくれない。
「温かい炊きたてのご飯が恋しいよ。ふぅ。」
実はこの家、料理道具がほとんどない。
電子レンジや電気コンロ、電気ケトルといった高級マンションに備え付けのシステムキッチンに付属してある調理器具はある。
しかし、包丁もまな板もフライパンさえ存在しない。
茹で玉子は作れるが目玉焼きは難しいのだ。
シャリシャリとふやけだしたフレークを咀嚼しながら打開策を講じるが僕に取れる選択肢は少ない。
「僕は基本的に出掛けられないし出前も危険だし。」
だって夢で見てしまったから。
八重花が普通ではない手段で僕を探している姿を。
思わぬ捜索の手に本来なら明夜たちと共に戦うつもりでいた僕はこの家に隠ることになり、食料事情も質素になってしまった。
予想外の痛手だった。
「八重花…どうして…」
もう僕のことなんて忘れてほしいのに。
理由はたぶんすごく簡単なこと。
だけどもう応えてあげることができない。
"人"を捨てた僕に、八重花に思われる資格なんてないのだから。
「…ごちそうさま。」
思考を断ち切るように立ち上がる。シリアルはいつもよりも味気なく感じた。
八重花は苛立っていた。
(どういうこと?まるで私が探していることを陸たちが知っていて避けているみたい。)
『エクセス』をかけてから検索能力は格段に上がり、ようやく尻尾を掴んだのだ。
陸ではなく羽佐間由良の目撃情報だった。
その件数は4件、半月以上を費やして収穫ゼロだった頃に比べれば格段な成果だ。
それは都内のコンビニでの預金の引き出しと買い物の様子。
だが発見された情報を総合して得られた結果は
『都内に生活している可能性が高い』
それだけ。
場所や時間に法則性はなく待ち伏せできるようなものではなかった。
八重花は当然知らないが由良は特に警戒して遠くで買い物をしているわけではなく、ジェムの対処に出たときに日用品を買っているだけなので法則があるわけもなかった。
まだ『エクセス』でのサーチを始めて数日とはいえ芳しい結果が得られないことに八重花は落胆していた。
(4人の住所に当たっても収穫なし。どこに隠れたの?)
学校に問い合わせた由良の住所にも行っているがそこは六畳一間のおよそ女の子が暮らすような部屋ではなく、そこに人が住んでいる様子はなかった。
「…」
八重花はぶつぶつと呟きながら自分の考えに耽っている。
クラスメイトは怖がり、裕子たちもどうしたものかと対応に困っていた。
「よう、東條。陸は見つかったか?」
ただ1人、芳賀雅人だけは特に気負った様子もなく声をかけていた。
八重花は不機嫌そうに芳賀を睨み付けたまま首を横に振る。
芳賀はそっかとつぶやき自分の髪を撫で付ける。
ツンツンだった芳賀の頭は学園祭を機に卒業したらしく黒髪を無造作に下ろしている。
女子からの評価も概ね好評だった。
「あんま無理するなよ。」
芳賀の気遣う言葉にも八重花は苛立ちを隠さず声を荒らげる。
「無理しなければ見つからないのよ!」
誰もが芳賀に当たるのは理不尽だと思いクラスメイトが悪感情を募らせたが芳賀は怒ることもなく小さくため息を漏らすだけだった。
「わかった。止めねえよ。だけどな、東條が無理して倒れたりして、それを陸が知ったら悲しむんじゃないか?」
芳賀は返事を聞かずに席に戻る。
芳賀自身を含めてクラスメイトが大人な対応にカッコいいと思っていたが
(陸が私の行動を知ってるなら病気で倒れたらお見舞いに来てくれるかも。)
八重花には欠片も心遣いが伝わっていなかった。
席に戻った芳賀の所に裕子と久美がやって来た。
「ご苦労様、芳賀くん。」
「にゃはは、男気。」
「結局失敗だったけどな。」
本来の目的は無理しすぎているのが見え見えの八重花の息抜きに遊びにでも誘うつもりだったのだが予想以上に余裕がなかったため誘えなかったのだ。
「八重花も問題だけど…あっちもね。」
裕子はらしくないほど気落ちした様子で振り返る。
5人組の癒し担当だった叶は他の女子と楽しげに談笑していた。
それはまるで陸や真奈美がいた楽しかった日々を忘れてしまったかのようで裕子は悲しげに目を伏せる。
「にゃはぁ、寂しいよ。」
久美の笑いもすぐに沈んでしまう。
重くなりかけた空気を払拭するように芳賀が明るく笑った。
「また芦屋が目を覚ませばみんな戻ってくるって。まだ意識は戻らないのか?」
「うん。外傷はもう平気で命にも別状はないらしいんだけど目を覚まさないらしいの。この前お見舞いに行ったときはスヤスヤ眠ってたからきっとすぐに目を覚ますよね。」
「うん。」
空元気で笑い合う3人の願いは同じだった。
真奈美が目覚めて、叶と八重花が元に戻って、そして陸が帰ってくることを。
等々力良子は食堂に出向いていた。
普段ならヴァルハラに向かっているところだが
「たまにはガッツリ食べないと元気出ないからね。」
という実に体育会系の理論でお嬢様の昼食会を辞退していた。
カツ丼&ラーメンの重コンボでいくつもりだったが懐事情で断念しカツ丼にした。
どこの学校でも基本的にそうであるように昼時の購買と学食は混雑しているため目当てのものの購入と座席の確保は最優先事項である。
普段なら部の後輩と来ることが多いので座席確保を任せていたがその感覚でいたため席がなかった。
「どこか空いてないか?」
トレイを持ったまま徘徊していると奥に4人掛けのテーブルに1人だけ座っている席があった。
先に歩いていた生徒が気付いて向かっていったが直前になってどういうわけか去っていってしまった。
「ん?」
疑問には思ったが温かいカツ丼が冷めていく事実を前にはそんなことはどうでもよくなった。
「相席いいかな?」
良子がそう声をかけたとき周囲が一瞬
「あっ」
と声をハモらせた気がした。
そこには物凄く不機嫌そうなオーラを滲み出す女子生徒が座っていた。
(…そういうこと。)
納得したが良子は去らず返答を待つ。
「…どうぞ。別に誰も待っていませんから。」
口調は冷たく素っ気なく、しかし許可が得られた。
良子は席に着くと嬉々とした表情で箸を手に取り
「いただきます!」
本当に嬉しそうに食事を始めた。
女の子としては少々品のない、ヴァルキリーのメンバーが見たら間違いなくお説教をしてくるようなどんぶりを傾けながら流し込むように食べる。
良子はカツ丼を味わいながらも視線は斜め前に座る少女に向けられていた。
(インヴィと一緒にいるのを見たことがあるな。名前は…なんだっけ?)
「東條、俺たち先に戻ってるぞ?」
「…わかった。」
(あ、思い出した。東條八重花だ。)
八重花は声をかけてきた芳賀に小さく返事をするとすぐ興味を失ったように前を向いてしまった。
八重花は食事ではなく手帳を睨み付けていた。
昼食と思われるトレイは脇に置いてある。
(昼飯の時は席を開けるように、とは言えないか。)
鬼気迫る様子の八重花に声をかける勇気は誰にもないのだろう。
だからこそのさっきの周囲の反応だ。
(でも、何やってるんだ?)
何かのクイズを解いているにしては真剣すぎる。
かと言って浮気が発覚した彼氏の手帳を見て怒っているのとも違う。
どこか焦れた様子である。
「…陸、どこに…」
思考の一部が呟きとなって漏れていた。
良子が得心がいったとき、いつの間にかどんぶりは空になっていた。
(ガーン!ちゃんと味わえなかった。)
自業自得だがやるせなさ過ぎる。
良子は意味もなく八つ当たり気味に八重花を睨み付けた。
「何かご用ですか?」
ばっちりと目が合ってしまい怪訝な顔をした八重花がわずかに首をかしげた。
その瞳を見た良子は一瞬見惚れてしまったのだ。
「?」
「君、名前は?」
「東條八重花です。」
良子はしっかりと対応してくれたことに微笑みを浮かべ、右手を差し伸べた。
「?何ですか?」
良子の行動を誰もが理解できず疑問符を浮かべていた。
「あたしは等々力良子。東條さん、あたしは君と友達になりたいんだ。」
脈絡なく告げられた情熱的なお友達になりましょう宣言に食堂は唖然とし、俄に騒がしくなった。
乙女会の等々力良子を知らぬ者は学内にはおらず、凛々しいその姿は女子を中心にファンクラブを設立させるほどだ。
良子が起こした騒動は徐々に大きくなっていく。
その中で当の八重花だけが冷静なまま
「…失礼します。」
手を取ることなくトレイと手帳を持って席から立ち去った。
一瞬の沈黙の後再び騒然となる食堂で良子は八重花の去り行く背中を微笑みをもって見送る。
「東條八重花ね。覚えたよ。」
良子が舌なめずりをしたとき、八重花は身震いをしていた。
「それじゃあ、叶ちゃん、バイバイ。」
「また明日。」
放課後、裕子たちとは違う友達と途中まで帰っていた叶は分岐点でその背中を見送って手を振っていた。
「…ふぅ。」
1人になると叶はため息をついて肩を落とした。
(みんな、私のこと嫌いになっちゃったよね。私、嫌な子だもの。)
叶は別に裕子や久美、八重花が嫌いになったわけではない。
むしろ今だって一番の親友はと訊かれれば迷うことなく真奈美を含めた4人の名前をあげるだろう。
だというのに皆から遠ざかっているのはそこに陸の面影が強く残ってしまっているからだった。
あのメンバーは全員が興味であれ好意であれ陸に理解を示している。
だからふとした会話に陸の話題が上ることが多い。
叶にはそれが耐えられなかった。
陸のことを思い出す度に抱いていた想いとあの夜の光景が思い起こされて胸が張り裂けそうになる。
その痛みから逃れるためには陸を忘れるのが一番早いと考えて叶は皆から自分を遠ざけた。
「はぁ。」
もう一度ため息。
足は家ではなく真奈美の入院している病院に向いていた。
すでに顔見知りになった看護師さんに挨拶をして真奈美の病室に向かう。
コンコン
「真奈美ちゃん、入るね。」
返事のない部屋のドアを開ける。
部屋は静まり返っていて主はベッドの上で安らかな寝息を立てていた。
花の水を変えてあげようと思ったが花が変わっていたので真奈美の両親が変えたのだろう。
なんとなく手持ち無沙汰になって叶は真奈美の髪を撫でる。
左目の部分は包帯を巻いていて痛々しい。
(半場君はどうして真奈美ちゃんを?)
忘れようとした陸のことを思い出そうとする思考を頭を振って無理矢理追い払う。
「真奈美ちゃんは半場君のことどう思ってるのかな?やっぱり怒ってる?それとも真奈美ちゃん大人だから許してあげるのかな?」
不意に視界がぼやけて膝の上に乗せていた手に涙の雫が零れ落ちた。
「私は、許せないよ。許せないのに…寂しいよ。半場君、半場君!」
一度溢れ出した想いは止められず叶は真奈美のベッドに顔を埋めて泣いた。
許せないと、もう二度と会いたくないと思っていたはずなのに、心の奥底の本当の気持ちはずっと変わっていなかったことに叶は気付いてしまった。
(私は…半場君を信じたい。だって…)
ふたたび込み上げてきた涙を今度は我慢する。
涙を拭って立ち上がり真奈美に笑いかける。
「また来るからね、真奈美ちゃん。」
気のせいだが、一瞬真奈美が微笑んだように見えた。
その笑みに力をもらって叶は帰っていった。
陸のいない"日常"へと。