第63話 変わったもの
Innocent Vision 第2部の始まりです。
稀に見る大盛況だった学園祭が終わって一月が経過した。
季節は冬、12月を迎えて肌寒い日々が増えていた。
「にゃはは、はよー!」
そんな寒々しい空気の中でも中山久美は元気に声をあげて教室に駆け込んだ。
「久美ちゃん、おはよう。ギリギリだよ?」
息を切らせた久美を作倉叶が労う。
「最近たるんでるわね。」
「にゃはぁ、布団が恋しいんだよ。」
裕子の指摘に久美が机に突っ伏して情けない声をあげる。
冬の時期の布団の抗いがたい誘惑は誰もが経験があるため反論はなく、一部では強く賛同して頭を振る生徒もいた。
「遅刻しないようにね、久美ちゃん。」
会話が途切れ、叶たちは何とはなしに視線を揺らす。
教室の左後ろにはここ一月空席が続いている。
半場陸は学園祭の前日を最後に消息を絶っていた。
皆それなりに気にしてはいるが探し出そうとは考えていない。
友人である芳賀雅人も寂しそうではあるものの
「陸にもいろいろあるんだろ?」
と深く追求する様子はなかった。
それには1つの噂が関係していた。
『半場陸が療養中だった芦屋真奈美を病院外へと連れ出して暴行を加えた』
真奈美が目を潰す大怪我をしたことは学園祭が終わった翌日には知れ渡った。
叶は陸のことは言わなかったが足を切断した真奈美が外で倒れていたこと、
真奈美が怪我をした翌日から陸が行方不明になっていること、
それら状況証拠から学内ではそんな噂が真しやかに囁かれていた。
だから誰も探そうとはしない。
叶たちが向けたもう1つの空席の主以外には。
「八重花ちゃん、今日も遅刻かな?」
この一月、八重花の行動は不定期だった。
遅刻したかと思えば何も言わず欠席したり、かと思えば早退や誰よりも早く学校にいたりもした。
いつも疲れた顔をしていて授業なんてろくに聞いておらず、人を近づけない雰囲気を放っていた。
理由は明白、八重花はずっと陸の足取りを探し続けているのだ。
昼夜を問わず町を歩き回り、方々の伝を使って連絡を待つ。
それでも陸の痕跡は何一つ見つかっていないようだった。
「やっぱり止めた方がいいよ。八重花ちゃん、辛そうだよ。」
本来は八重花側にいるはずの叶の発言に裕子と久美はいまだに理解できずにいたが八重花の心情を慮り首を横に振った。
八重花が本気だったことをよく分かっているから。
「八重花の気が済むまでやらせてあげよう。私たちは見守ってあげて挫けたときに支えてあげればいいよ。」
「りくりく、どこに行っちゃったんだろ?」
久美の疑問に答える者はなく、チャイムの音で解散となった。
(りくが姿を消した日から柚木明夜と羽佐間由良、江戸川蘭の3名も消息不明。りくと接点があった3人だから間違いなく一緒に行動しているはず。)
陸がいなくなったと知った時、八重花は驚きよりも納得が大きかった。
『…ごめん。』
あの言葉の意味が理解できた分、むしろ嬉しくもあった。
だが疑問は残った。
なぜ姿を消したのか?
真奈美を傷つけた噂は本当なのか?
(りくの事を知りたい。)
会えなくなって気付く恋もあるように、陸がいなくなって八重花は自分がいかに陸が好きだったのかに気が付いたのだ。
その思いに気付いた瞬間から八重花は陸を探すことだけしか考えなくなった。
学業も交友もすべてを捨てて陸を探すことに注力した。
八重花の隠された特技の1つに高い情報収集能力がある。
隠されたと言っても魔術的な手法ではなく公表すると面倒という意味だ。
以前誰も知らないような由良の電話番号を調べあげて連絡したり、妙な知識に精通していたりするのはその特技ゆえである。
陸が登校してきた時のためにのみ通学を続けている学校が終わると飛ぶように家に帰ってパソコンを起動、さらに暗証番号付きの金庫にしまってあるゴールデンカラーのストレージドライブをUSBに挿入し
「Ex-Searcher、起動。」
掛け声と共にエンターキーを叩いた。
瞬間、殺風景なデスクトップ画面が一転、サイバネティックな線と色の集合体へと変化した。
多目的検索ツールEx-Searcherは八重花が父親から受け継いだ必勝ツールだった。
詳しい理屈は怖くて聞かなかったがこのシステムを使って探し出せないものはないと豪語していた。
「今日こそは尻尾を掴む。」
これを解禁してから八重花は嬉々として寝る間も惜しんで探し続けていた。
陸と3人の顔写真をアップして目撃情報を募り、監視カメラのリアルタイム映像のサイトにも行き着いた。
明らかにやりすぎだと思いながらも八重花はさらに深みへと飛び込んでいく。
すっかり暗くなった室内で八重花はパソコンの明かりに照らされて笑みを浮かべた。
「ふふ。逃がさないわよ、りく。」
八重花は獲物を追い詰める狩人の目をしていた。
神峰美保と下沢悠莉は夜の建川に出ていた。
一応警察官に補導されないように私服に着替えている。
神峰はジーンズにシャツでジャケットを羽織ったアクティブそうな格好で、下沢は対照的にロングスカートにカーディガンと落ち着いたお嬢様然とした姿であり、その好対照な美少女2人は道行く人の目を引いていた。
「そこのお嬢さんたち。俺たちと一緒に…」
「フフフ。身のほどを弁えて出直してきてください。」
ナンパ男たちが口説く前にこっぴどく玉砕した。
悠莉は何事もなかったかのように歩いていく。
悠莉の見た目にそぐわない毒舌を前に同じように声をかけようとしていた男たちがそそくさと逃げていった。
唖然としている男たちを首だけで振り返って見た美保は首を横に振った。
「悠莉、あんたといると虫除けになって楽だけど、あんたを落とせる男なんていないんじゃないかってお姉さん不安になるよ。」
悠莉はクスクスと笑う。
それを見たすれ違ったカップルの男は見惚れ、彼女の機嫌を悪くさせていた。
何もしなくても男を惑わす魔性の女である。
「心配いりませんよ。ちゃんと男性にも興味がありますから。」
「…男性にもの『も』がすごく気になるけど。男ってインヴィとか?」
ここ最近姿を見せない"Innocent Vision"のリーダーを思い美保は顔をしかめた。
話に聞いただけだが真奈美との戦いぶりは戦力外の認識を覆すには十分すぎるほどとのことだった。
(インヴィは確実に強くなってるわ。早めに潰さないと。)
美保の抱いた危機感には気付かず悠莉が頬を赤らめる。
向かいから歩いてきた男たちが足を止めて見惚れていた。
「そうですね。半場さんのような心の強い、私を受け入れて貰える方は素敵ですね。」
うっとりしている悠莉を横目で見つつインヴィは受け入れたわけではないと思う美保だったが、下手なことを言ってコランダムに放り込まれては敵わないので小さくため息をつくだけだった。
「そう言えばこの間ジェム狩りの時に江戸川蘭に会ったわよ。」
ピクリと、それまで楽しそうだった悠莉の顔が固まった。
「花鳳先輩がインヴィと結んだっていう条約を盾に平然と笑ってたのよ。あたしでもムカついたから緑里先輩とかヘレナ先輩だったら間違いなくキレてたわね。」
「蘭様…江戸川先輩は、ご機嫌いかがでした?」
かくかくと歯の根を打ち付け震えながら無駄に謙譲語風にご機嫌を窺う。
「?憎らしいくらい元気だったわよ。」
「そ、そうですか。」
悠莉は安堵のようなそうでないような曖昧なため息をついた。
美保は首をかしげ挙動不審になった悠莉を問いただそうとしたが
「っと、到着ね。」
気が付けば目的地に到着していた。
悠莉は小さく安堵のため息を漏らした。
そこはアクセサリーショップだった。
高級感漂うお金持ち向けのジュエリーではなく高校生が鞄や携帯に付けるものやちょっとした指輪やネックレス、ピアスを扱った店だ。
日も沈んだ時間だというのに店内は若い女性で溢れていた。
全体的に高校生や大学生が多く、中にはOLの姿も見られる。大した盛況ぶりだった。
美保と悠莉は店内を眺めて呆れたように笑った。
「不況のご時世とは思えない繁盛っぷりね。さすが花鳳先輩のプロデュースした店ね。」
「あの方が失敗する姿は想像できませんけどね。」
ここは花鳳グループが展開しているティーンズ向けアクセサリーショップ『WVe』であり、チェーン展開しているほど若者に大人気の店のトップは花鳳撫子なのである。
将来を見越して経営者としての苦労を教えようとしたらしいが撫子は才覚をメキメキと表し、今や母体経営に影響を及ぼすほどの成果を出している。
それを壱場高校に入学した直後に言い渡され、2年近くでゼロから急成長させたのだから撫子の力としか言いようがなかった。
2人がカウンターに向かうとそこには20代後半のスーツ姿の女性が立っていた。
この店の店長を任されている女性で鹿島と書かれたプレートを胸につけていた。
「神峰様、下沢様、お待ちしておりました。」
「こんばんは、店長。」
「お待たせしてしまったみたいですみません。」
「いえ。こちらへどうぞ。」
鹿島を先頭に2人はスタッフルームに入っていった。
店内のおしゃれな佇まいとは対称的に裏側に位置するスタッフルームは無機質なコンクリート打ちっぱなしの内装で壁のように段ボールが棚に納められていた。
以前撫子が一緒の時はこの現状を嘆いており
「本当ならば撫子お嬢様のおっしゃる通り舞台裏でもエレガントに振る舞いたいのですが、私の力不足ですね。」
と鹿島は自嘲気味に笑った。
2人が通されたのは監視カメラのある小さな部屋だった。
もともと狭い部屋がディスプレイや記録装置などを置いたせいで面積が半分くらいになってしまい2人が椅子を並べて座るのがやっとだった。
鹿島は2人に対する形で椅子に座りモニターに目を向けた。
複数個設置された監視カメラの中で店の奥を映した画面を注視する。
「売れ行きは好調で当店での一番人気商品です。」
2人は画面の向こうで熱心に棚の商品を吟味する少女たちを見て頷いた。
「さて、この中からいったい何人選ばれるかしらね?」
美保は値踏みするように客を流し見て笑う。
少女たちが熱心に選ぶアクセサリーには八面体の無色な結晶が埋め込まれていた。
最近、建川を中心に女子高生の間である噂が流れていた。
商品名ジュエリア、それは別名"願い石"と呼ばれていた。
WVe建川店で試験的に売り出した無色の結晶は本当に真摯に願いを掛けることでその願いを叶えてくれ、役目を終えると消えてしまうという不思議なアクセサリーだった。
初めからそんな噂があったわけではないが運動系の部活の女子部員がアクセサリーを買ったらいつの間にか無くなっておりその代わりに県大会でまさかの逆転優勝を飾ったことが記事になったことで一躍幸運のお守り、願いの叶う石として注目を集めたのだった。
それは今も着々と女子の間で広まりつつあった。
海原葵衣は向かっていたノートパソコンから目を離して窓の外に目を向けた。
静かな夜だが今夜も町のどこかでジェムが蠢いているのだろう。
「さすがに報道の規制も難しくなってきています。」
人海戦術で発症初期のジェムから"種"を切り離すのが楽になっているとはいえ中にはジェムとして覚醒するものもあり、それは殺さなければ止まらない。
その場合ヴァルキリー側にも被害者が出るのだ。
内々に処理できる範囲とするには人が消えすぎた。
葵衣は表情を変えずパソコンに視線を戻した。
「こちらの戦力の増強に合わせるようにジェムの発生率は増加。現状ではヴァルキリーがわずかに優勢ですがいずれ拮抗するでしょう。」
表計算ソフトで作成された円グラフは一月前まで赤に示されたヴァルキリーが7割近くを占めていたのに現在は5割にまで落ち込んでいた。
青で示されたジェムの勢力が異常な勢いで強まっているのである。
「ヴァルキリーの戦力も増強し続けています。しかし…」
葵衣は円グラフの上端、数値で言えば数パーセントに満たない黄色の勢力を見て目を細めた。
ジェムが予想を下回る戦果しか見せていない陰には常に彼女たちの存在が、そして彼の目があった。
葵衣はもう一度窓の外を見た。
初めて葵衣の表情が険しく歪んだ。
「何を考えているのです、Innocent Vision。」
その呟きは闇に飲まれ、当然のように答えはない。
葵衣は頭を振って常の冷静な表情に戻るとパソコンの電源を切ってベッドに入る。
(何があろうとお守りします、お嬢様。)
願いではなく誓いを胸に抱いて。