第62話 始まり
学園祭当日、1日目は学生だけで催されたというのに1年6組のチャイナ喫茶は大盛況だった。
昨今流行りのメイド喫茶や執事喫茶、伝統的な喫茶も出店していたがメイド服よりも体の線が出るチャイナドレスで男性客を獲得し、商業戦略で『中国茶は健康にいい、脂肪燃焼を助ける』といった謳い文句のチラシを配ることで肥満を気にする男子や日夜脂肪と戦う女性客を獲得したのである。
「いらっしゃいませ。」
基本的にウェイターは1年6組でも綺麗所の女子のみで男子は裏方に徹していた。
表向きは優雅に客をもてなしているが隣室に確保した厨房代わりの部屋は戦場のようだった。
「6番、飲茶セットお願い!」
「3番、出来たぞ。持ってけ!」
「うん!あ、新しいお客さんの注文、誰か8番行って!」
嬉しい悲鳴と言えば聞こえはいいが一般商店と違って予算の関係上人員の手腕と備蓄には限度がある。
どうしても淹れる人によってお茶の味が変わってしまうしそもそも1日目に割り振っていた茶葉が昼過ぎにはなくなる勢いだった。
厨房に繋がるカウンターに肘をついて注文の品が運ばれてくるわずかな時間を休憩に当てる裕子はカーテンで仕切られた店内を見て呆れたようなため息を漏らした。
「盛況過ぎよね。ただでさえ人手が少ないのに。」
真奈美が、とは言わない。
言ったところでどうにもならないことを裕子は悔やまない。
「だって言うのに八重花と叶はどうしちゃったのかしら?」
だから今の懸念はその2人だった。
「東條さん、東條さん!」
「…。何?」
「ぼーっとしてないでよ。これ6番の飲茶セット、よろしく。」
「…わかったわ。」
八重花は普段の精彩を欠いていて心ここにあらず、ちょっと目を離すとドアの方をボーッと見ている。
それはそれで客に受けているから問題はないが店的にはウェイターが少ないので働いてくれないのは困る。
「作倉さん、1番の注文お願い。」
「は、はい。」
「ずっと入ってるけど平気?少し休んだら?」
「大丈夫ですよ。」
叶は逆に普段のどこかのんびりとした雰囲気に似合わず精力的に仕事をこなしていた。
明らかに疲れてきているのが目に見えているのに頑なに働き続けようとしていた。
それをみんなは真奈美の分まで頑張ろうとしていると解釈して見守ることにしていた。
(なんで半場君が真奈美ちゃんを?)
叶の頭の中には昨晩の惨状が焼き付いて離れないでいた。
無心に働いているうちは気も紛れるが、ふと手が空くとあの不可解な出来事を思い出してしまう。
なぜ真奈美があそこにいたのか?
なぜ陸があんなひどいことをしたのか?
なぜあの場所に明夜や由良がいたのか?
そしてそもそもなぜ家に向かっていたはずなのに病院近くの公園にたどり着いてしまったのか?
そのどれもが理解不能で答えてくれる人もいないから自分で考えるしかない。
(半場君が真奈美ちゃんを連れ出して、その、殺そうとした?でもそれなら連れ出す必要はないよね?もしかしてエ、エエ、エッチなことを!?)
無理矢理休憩を与えられて厨房代わりのお茶の香りに満たされた部屋の角に座っていた叶は自分の想像に顔を真っ赤にして身悶える。
クラスメイトが何事かと首をかしげていたが忙しくて声をかけている暇はなかった。
(真奈美ちゃん。)
病院で聞いた真奈美の容態を思い出して叶は表情を暗くした。
運び込まれた真奈美は極度の疲労で衰弱していた。
さらに左目は完全に潰れていた。
衰弱か目が潰れたショックか一命をとりとめたものの目を覚まさなかった。
真奈美の両親には当然連絡が行ったが叶は真実を伏せて発見したときの状況を説明しただけだった。
陸を庇ったわけではない。
もうあんな怖い人とは関わりたくないという思いが口をつぐませたのだと叶は納得している。
(真奈美ちゃんが無事でいてくれれば、私はそれでいい。)
叶は意識的に陸を追い出して立ち上がった。
「よし、がんばります!」
いろいろなことを忘れるために。
『…ごめん。』
その言葉が八重花の頭に響いていた。
(りく、どうしたの?)
いくら待っていても陸がやってくる様子はない。
来るのは興味のない、どうでもいい客ばかりである。
「東條さん、これお願い、7番ね!」
「…」
それでも今はウェイターとして働いているし何より客を招き入れるように手を回したのは八重花本人なのでその責任は感じていた。
7番テーブルに座っている男子生徒の前に烏龍茶を置いていると
「君かわいいね。今度外で一緒にお茶しない?」
テンプレートなナンパの声をかけられた。
それがもし陸だったら八重花は喜んだだろう。
それこそ普段の冷静さを装えなくなるほどに。
だからこそその相手が陸ではないことが悲しくて八重花は泣きそうな顔で男を睨み付けた。
「わ、悪かった。泣かないでくれよ。」
慌てて謝る客に会釈をしてカウンターに戻る。
(りく、早く来て。チャイナドレス着せたりしないから。)
八重花の荷物の脇には陸用に誂えたチャイナドレスがある。
有言実行、ネタにも抜かりのない八重花であったが当人が居なければ意味がない。
「よう、元気ないな。」
声をかけてきたのは芳賀だった。
いつものツンツン頭は食品を扱う者として許されないということでぺったんこにされ、三角巾までつけている。
「そんなことないわ。」
「嘘つけ。陸、来ないな。」
息を漏らすように「ん。」と答えるのが精一杯だった。
「連絡は?」
八重花は首を横に振る。
昨晩も今朝も電話してみたが繋がりさえしなかった。
『…ごめん。』
その言葉が八重花の心に重くのし掛かる。
暗い表情の八重花を察して芳賀が明るい声を出す。
「例の病気かもしれないだろ?それより元気出さないと俺が優しくして好感度上げるぞ?」
「…モブに靡くほど私は安くないわ。」
八重花は皮肉げに笑みを浮かべてフロアへと戻っていく。
「いらっしゃいませ。」
今はただ、陸を待ち続けて。
学園祭で賑わう壱葉高校。
その中でも一際客の目を引いているのは公開された乙女会室である。
同様の作りの教室群の中でその部屋だけがまるで西洋のお屋敷の一室のような雰囲気で、中には入れないもののドアの前から中を興味深そうに眺める客は後を絶たなかった。
ヴァルキリーの面々はその間屋上に設営したテーブルで学校の様子を観察しながらお茶会を催していた。
「盛況ですね。この様子ですと明日は大変なことになりそうね。」
花鳳撫子は楽しげだが向かいに座るヘレナ・ディオンは明らかに不満げだ。
「なぜヴァルハラを公開する必要があるのかしら?」
「乙女会は学校側に承認を得たクラブ活動という扱いですので完全に秘匿するわけには参りません。」
撫子の脇に仕える海原葵衣の釈明にヘレナは鼻を鳴らして顔を背けた。
視線の先では焼きそばやらたこ焼きやら出店の食べ物をすべて買い集めた等々力良子がものすごい勢いで食べている。
乙女らしからぬ振る舞いにヘレナの眉がピクピクと動いた。
その向かいでは海原緑里が不機嫌全開でクレープにかぶり付いている。
「イライラする!インヴィ、せっかく撫子様が与えた力を芦屋真奈美から奪うなんて。許せないよ!」
「仕方がないことよ。インヴィの力が計画の妨げになることはわかっていたのだから。」
撫子はテーブルの上に置いた無色の八面体の結晶を指でつついて微笑んだ。
「計画が気付かれたのではなくて?」
「そうかもしれませんね。しかしすでに『プロジェクト・ジュエル』は動き出しました。インヴィとて動き出した流れは止められはしないでしょう。」
神峰美保と下沢悠莉はこの場にいない。
自分のクラスの出し物に参加させられたと連絡があったのだ。
それまで食べることに専念していた良子が何かに気付いたように手を止めて首を巡らせた。
「美保と悠莉はクラスだとしても、江戸川先輩はどうしたんだ?祭りだから駆け回ってるのかな?」
撫子はピクリとわずかに震え、小さくため息を漏らして眉を下げた。
「江戸川さんはきません。」
不思議そうな顔をするメンバーを前に撫子は疲れたような顔で懐から可愛らしい便箋を取り出して葵衣に渡した。
葵衣がヘレナなら順番に手紙を見せていくと皆同じように硬直して小さく震え出した。
ますます訳が分からなくなった良子の下に手紙が回ってきた。
そこには
『りっくんといた方が楽しそうだから"Innocent Vision"に入るね。ラン』
と便箋に負けないくらい可愛らしい文字で書かれていた。
「はははは!」
良子は大笑い。
「笑い事ではありませんわ!」
「そうよ。撫子様を裏切るなんて許せない!」
ヘレナと緑里は憤慨して撫子は諦めたように笑った。
葵衣だけがいつも通り涼しげな無表情で瞳を閉じている。
「それも仕方がありません。人の心は移ろいやすいもの。特に江戸川さんの場合には。」
享楽主義者、撫子の蘭に対する印象はそれであった。
だからこそ執着はしない。
(そもそも、計画が軌道に乗れば1人くらいの欠員は十二分に補えます。)
皆が食事やお茶で苛立ちを抑え込んだ頃
「遅れました。」
「遅くなってすみません。」
メイド服に身を包んだ美保と悠莉が屋上にやって来た。
客足を6組のチャイナ喫茶に取られたため抜け出せたのである。
「皆さん揃いましたね。
いよいよわたくしたち"ヴァルキリー"の理想を実現させる礎が築かれようとしています。
"Innocent Vision"をはじめ様々な障害が立ちふさがるでしょう。
しかしわたくしたち選ばれた者たちは必ずや世界の恒久平和を達成できると確信しています。
頑張りましょう、平和のために。」
撫子の力強い言葉に皆が微笑みを浮かべてしっかりと頷いた。
町に目を移す。
まずは目に映るこの世界を平和に導く。
「果たして阻めますか、インヴィ?」
行方の知れない敵を思い、撫子は笑みを強くした。
止められるものなら止めてみなさいと言うように。
現の夢、夢の現。
その境のどちらにいるのかもわからない微睡みから目覚めた。
目の開いた先は妙に天井が高く感じる広い部屋であり、体を支えてくれているベッドもいつもの安物のスプリングではなく高級な感じで肌触りも気持ちがいい。
据え置きなのか持ち主の趣味なのか黒で統一されたベッドの上で上体を起こすとモデルルームみたいに無駄な家具の置かれていない部屋が見えた。
無駄な派手さは無いものの高級そうな印象がある。
カチャリとドアが開く音に目を向けると由良さんと明夜、そして蘭さんが入ってきた。
蘭さんは昨晩
「りっくんの本気、見せてもらったよ。痺れた、感動した、惚れた!だからランは"Innocent Vision"に入るね。」
と一方的に捲し立ててついてきたのだ。
由良さんたちはまだ警戒しているようだが僕としてはなるようになったと思うだけだ。
ここは由良さんの家で昨晩からお世話になっている。
由良さんはペットボトルの水を手渡してくれながら
「いい夢は見られたか?」
優しく尋ねてくれた。
僕は首を横に振りながら水を受け取る。
「僕が見たのは僕たちがいなくても明日の学園祭が成功する悪い夢だけだよ。」
僕の皮肉げな笑みに3人は表情を曇らせた。
「りっくん、本気?」
「陸、引きこもり?」
「はは、本気だよ。"人"としての生活を捨てるのが僕の最後の覚悟だったから。そうじゃなきゃ、芦屋さんと作倉さんにあんな酷いこと出来ないよ。」
八重花に直接別れを告げられなかったのは心残りだが仕方がない。
僕はベッドから立ち上がった。
"人"の半場陸は昨日、芦屋真奈美を傷つけたときにいなくなった。
後に残されたのはInnocent Visionという"化け物"だけだ。
だけど僕にはまだ明夜、由良さん、蘭さんの3人が僕の仲間としてそばにいてくれる。
"化け物"の僕を理解してくれる人がいる。
それは以前の僕にはあり得ない僥倖だ。
だからこれ以上望むようなことはしない。
僕は、僕たちは"人"から外れた者としてヴァルキリーの作り上げようとしている偽りの平和を叩き壊し、諸悪の根元である魔女を打ち倒す。
「みんなはいいの?無理に学校を休む必要はないよ?」
僕に付き合わせる必要はない。
だというのに3人は笑った。
「陸が休むなら私も休む。」
「もともと行く気もないしな。」
「こっちの方が面白いもん。」
僕は笑って拳をつきだした。
みんなの拳がぶつかり合う。
「頑張ろう!」
「「おお!」」
第一部終了です。
しばらく休載させていただきますが、
続きをお楽しみに。