第61話 最後の願い
剣の太刀筋が鈍ってきた。
いくら身体能力が上がったとはいえ重たい武器を携えて、しかも武器が足なためアクロバティックな動きが要求されれば体力の消耗も早いだろう。
そしてもうひとつ、芦屋さんがまだグラマリーを使えないことも接戦に持ち込めた要因だろう。
切り札はあるとないとでは心理的な余裕が変わってくる。
必殺技がなく手に入れた力が通用しなければ焦り、余計な力が入り冷静さを失うことになる。
「何で、当たらないの?」
「当たりたくないからね。」
僕たちはどちらも玉の汗をかいて荒く息をしていた。
どちらにも決定打はない泥試合だが向こうは当たれば勝てる武器がある分若干分が悪い。
スタンガンも電池切れで鈍器としては心許ない。
そんな圧倒的に不利な戦況で
「芦屋さん、もう諦めて。」
精神的には圧倒的に僕の方が優勢だった。
「何で当たらない!」
苛立ちをぶつけるように襲いかかってくるが跳躍に使う右足の疲労が大きいらしくスピードもなく左足を引きずるようにしていた。
斜め下から迫る斬撃をわずかに後ろに下がって回避、
「あああ!」
慣性の法則を無理やり筋力で押さえ込んで振り下ろされた踵落としも横に避けて難なくかわす。
芦屋さんの顔が困惑と恐怖に染まっていく。
「半場は何者だ!?」
芦屋さんの表情は見覚えがありすぎておかしくなった。
その顔は小学校や中学校で散々見てきたものだ。
笑いを抑えきれずククと喉で笑うと芦屋さんが露骨に怯えた。
これじゃあ本当に悪役だなと思いながら僕は自己紹介する。
「僕は半場陸だよ。そしてまたの名をInnocent Vision、未来視使いだ。」
「未来、視?まさか、入学式のあれは本当に?」
僕はフッと笑うだけ。
あの頃の僕は若かったということだ。
少々オーバーアクションなのを自覚しながら芦屋さんに指を突きつける。
「だから芦屋さんの攻撃は僕には当たらない。」
あからさまに芦屋さんの戦意が喪失するのがわかった。
ただ勿論当たらないのには種と仕掛けがある。
僕は芦屋さんから連絡が来る前にスタンIVを使ったのだ。
だから芦屋さんのソルシエール・アルミナが義足型なのも分かっていたし攻撃の型、軌跡もある程度予測できた。
右膝は予想外だったがあれくらいはなんとか対応できる攻撃だった。
結果として僕は芦屋さんの攻撃に当たることがなく精神的に追い詰めることに成功した。
「なんであたしの邪魔をするんだ。あたしはただ、みんなと…」
「芦屋さんが最初に言ったでしょ。本来なら芦屋さんのその姿を見れば誰だって驚いて、怖がるよ。」
項垂れていた芦屋さんは僕の言葉にハッと顔をあげた。
まるではじめて気が付いたかのように。
実際僕に言われるまで気付かなかったのだろう。
ソルシエールの衝動はそういった思考も奪っていくようだ。
「でも、話せばみんな分かってくれるはずだよ!」
「…それならどうして僕と話し合おうとしなかったの?」
「ッ!?」
芦屋さんは自分の手を見ながら膝から崩れ落ち、何かを怖がるように自分の体を抱き締めて震えだした。
これもソルシエールの呪い。
最終的に殺すための行動を余儀なくされる思考に作り替えられていく。
「芦屋さんは今の自分が異常だと気が付いた。だからまだ戻れるよ。今すぐソルシエールの力を捨てるんだ。」
もう芦屋さんはわかっているはずなのに弱々しく首を横に振る。
「なんで?このままじゃみんなが離れていくかもしれないのに?」
「明日!」
芦屋さんは叫び、涙に濡れた顔で僕を見た。
「明日だけ、みんなと一緒に学園祭を回りたい!」
願いを受けて左目が朱色に強く輝きだした。
願いのためにその障害である僕を殺そうと再び立ち上がる。
「無駄だよ、りっくん。」
横目で確認するといつの間にかベンチに蘭さんが座っていた。
皮肉げに口をつり上げて肩を竦める。
「力に取り込まれたら助ける方法はないんだよ。後は殺すしか止められないよ。」
それはすべてを悟り、すべてを諦めたような助言だった。
「りっくん、どうするの?」
それは救うための手段を尋ねるものではなく、殺すかどうかの選択を問うもの。
殺して自分を生かすか、殺さずに被害を広めるか、どちらにしろ救いのない二者択一。
助けはこない。
僕が自分1人で片をつけると言ったから。
芦屋さんを見据えたまま明夜の言葉を思い出す。
『芦屋真奈美は魔剣を持ってる。だけどあれはまだ完全じゃない。まだ、切り離せる。』
「僕は、芦屋さんを助けます。」
それは"人"としての思い。
「見逃すんだ?」
「違います。助けるんですよ。」
半場陸としての最後の願い。
「うわああああ!」
恐怖にひきつる顔とは対称的にゆっくりと近づいてくる芦屋さんに僕も歩み寄っていく。
「殺す!あたしは、みんなと…」
語気は荒く、声は震え、顔は涙を流し続ける守るべき人に近づいていく。
「そんなものがなくてもみんなはいつも一緒だよ。」
僕の手には何もない。
戦うための剣も、守るための盾もない。
「あたし、あたしは…!」
芦屋さんが泣き叫びながらも左足を後ろに引いて重心を落とした。
深く沈むその姿はスプリンターのようだった。
「大丈夫、なにも心配要らないよ。」
僕は目をつぶる。
これこそが僕の武器。
Innocent Visionの見せた未来をなぞる究極の反則技がある。
その最後の瞬間のために2度目のスタンIVを使ったせいで戦う前からへとへとだったのだ。
瞳を開く。
夢で見た光景と変わらない。
芦屋さんが顔をあげた。
「た、すけて…」
「わかってる。」
わずかな言葉を交わして、芦屋さんは最後の力で弾丸のように飛びかかってきた。
後ろに引かれた足がさらに体を反るように振り上げられて右の肩の向こうに切っ先が見えた。
「ああああ!」
限界を越えた体があげる悲鳴を叫びながら芦屋さんの最初で最期の一撃が放たれた。
僕は木偶のように一歩も動かない。
振るわれる刃は外灯の光を受けて軌跡を残す。
握っていた右拳を開いた。
すでにかわすには時間が圧倒的に足りない。
だけど前に踏み出すことはできる。
「半場ァ!」
僕は振るわれる凶刃の軌跡の内側に飛び込んで右手を引き絞る。
ドッとおよそ人の力とは思えない衝撃が脇腹にぶつかり骨と臓物を軋ませながらめり込んでくる。
「ぐっ!」
あまりの衝撃に意識が飛びそうになった。
だが目の前の芦屋さんの涙を見た瞬間、唇を噛んで意識を保った。
なおも突き進んでくる衝撃に耐えながら右手を突き出す。
狙うは左の瞳!
「おおおお!」
体のあげる悲鳴を力に変えて伸ばした指がグチャリと気持ちの悪い感覚を押し潰したことも、グシャリと衝撃で指が折れることも厭わず、僕は瞳の奥の核を叩き潰した。
「はあ、はあ、はあ。」
砕けそうな膝をどうにか立たせたまま僕は天を仰いでいた。
ドサリと足元で何かが倒れる音がした。
見下ろせば左足のない本当の芦屋さんが倒れている。
体が痙攣していて呼吸は浅く、左目からはドロリと眼球と血の混ざったものが流れ出ていた。
涙は流れなかった。
自分の事ながら薄情だと思う。
だけどこれは分かっていたことだから。
まるで他人事のように現状の惨劇を眺めながら
(救急車、呼ばないと。)
そう思ったとき
「半場、君?」
そんな声が聞こえてきた。
僕はゆっくりとした動作で振り返る。
そこにはいつもの制服とは違う私服姿で微笑みを困惑に変えた作倉さんがいた。
"人"の終わりの時がやってきた。
「半場、君?これは…いったい何ですか?」
返り血を浴びた体と血みどろの右手をダラリと下げた僕が理解できないのかしたくないのか、作倉さんはキョロキョロと辺りを見回し、ソレに気付いて目が驚愕に見開かれた。
「真奈美ちゃん?なんで…」
作倉さんは僕を避けるようにして芦屋さんに駆け寄り絶句した。
「真奈美ちゃん!真奈美ちゃん、しっかりして!」
泣きながら芦屋さんを呼ぶが返事はない。
僕はぼんやりと虚空を見上げて考えていた。
(夢で見た光景と違う。)
結末は同じだろうが過程に変化が生じている。
きっとそれはすべて蘭さんの仕業だろう。
だけどそれで構わない。
先伸ばしになるかならないか、そして作倉さんが僕に抱く感情が逆だという、ただそれだけのことだ。
作倉さんが泣いている。
僕は声をかけることもなくただ立っているだけだった。
作倉さんは顔をあげた。
その表情は少しの困惑と苛烈な怒りに彩られていた。
作倉さんには似合わないと思うが口に出すことはなく、その怒りに対して僕は何も思わない。
「どうしてですか!?どうして真奈美ちゃんを?半場君!」
僕は答えない。
真実を告げることに意味はなく、助けるためとはいえ作倉さんの大切な友人を傷つけたことにかわりはない。
「どうして答えないんですか?半場君がこんなことをする人だなんて思いませんでした!」
作倉さんの怒りの声は微かに残っていた"人"の部分に響いた。
だけどそれでいい。
作倉さんは僕に関わってはいけない。
「陸。」
「終わったか。」
不意に僕の背後に明夜と由良さんがやって来た。
このタイミングだと見ていたのだろう。
今はそれを少し嬉しく思う。
作倉さんはもう何度目かの驚きに息を飲んだ。
「羽佐間先輩と、明夜ちゃん?なんで?」
「叶には関係ない。」
明夜の不器用すぎる優しさは作倉さんの神経を逆撫でするだけだ。
「関係なくないよ!真奈美ちゃんが半場君に…」
「喚く前に医者を呼べ。死ぬぞ。」
どこまでも冷たく冷静な由良さんの言葉に作倉さんはさらに怒りを露にしたが携帯を取り出して病院に連絡した。
僕は一言もかけないまま作倉さんに背を向けた。
「待って!」
作倉さんの怒りの声に僕は体を斜めに向けたまま首だけを回して振り返った。
聞きたいことはたくさんあるのだろうがそのどれもが教えることの出来ないものだ。
それこそが僕の大切なものを守るための手段、僕の存在を消して皆の平穏を取り戻させることだから。
だけど一つだけ言っておこう。
「作倉さん。」
「…なんですか?謝るなら…」
「さようなら。」
作倉さんの言葉を遮って、向けられた驚愕と怒りと絶望の入り交じった視線を心にも止めないで僕は歩き出した。
作倉さんだけを残して僕たちは去る。
「半場君!私はあなたを許さないから!絶対に許さないんだから!」
作倉さんは涙声になりながらも懸命に叫ぶ。
僕はもう振り返ることはなく、
「さようなら。」
もう一度小さく呟いて僕たちは闇に消えていった。
「半場くーん!」
夜を迎えた世界に作倉さんの悲愴な叫びだけが響いていた。
同時刻、傍目には平静を装っているがウキウキしている八重花の携帯が鳴った。
発信元は非通知だった。
「もしもし?」
『…』
相手は何も言わない。
いたずら電話かと顔をしかめて電話を切ろうとした直前
『ごめん…』
呟かれたその言葉を聞き終わる前に電話を切った。
「りく?」
それは間違いなく陸の声だった。
言い様のない不安感に襲われてリダイヤルをしようとしたが非通知で、携帯にかけても電源を…の機械的なアナウンスが流れるだけだった。
八重花は胸を締め付けられるような痛みに手を当てて不安げに窓の外を眺めた。
夜の闇は怖いくらいに世界を覆い隠している。
「りく、どうしたの?」
答えはない。
明日になれば、楽しいお祭りでなら陸も元気を出すだろうと無理矢理納得して八重花は少し早いがベッドに入った。
早く明日が来るように、陸に会えるようにと願いながら。
(りく、りく…)
さっきまで弾んでいた気分が沈んでいくのを無理矢理布団を頭からかぶって誤魔化しながら八重花は明日が訪れるのを待ち続けた。
明日は平穏な日常になることを願いながら。
だが、この夜に叶った願いは悲しい決意の末路だけだった。