第60話 悲愴の決闘
日が沈んで暫く経った頃、1本の電話が掛かってきた。
公衆電話からだったが電話に出ると相手はすぐにわかった。
会いたいと言ってきた。
迎えに行くと言ったのだが頑なに拒まれた。
だから僕は夜の公園で1人立っていた。
日の沈んで久しい夜は冬の到来を予感させるように肌寒い。
だが、それ以上に体の内側から底冷えする感覚があった。
幾度か感じてきたこの感覚は、恐怖。
呼び出しを受けた時点で、彼女がここに来ると言った時点でわかっていたはずなのにそれを理解したくないと感情が拒む。
ザリと地面を踏む音がした。
まるで普通に歩くような速さで近付いてくる足音に顔が強張るのを感じた。
さらに耳をすませると聞こえるのは地面を踏む音と同じリズムで聞こえるガシャ、ガシャという音。
それはまるで金属製の義足を履いているかのようだった。
僕の背後、少し距離を置いた位置で足音は止んだ。
「お待たせ。」
軽い口調で声をかけられても僕は答えることができない。
ここで待っていて覚悟していたのだから。
"人"ではなく"化け物"の半場陸として立ち塞がることを。
彼女と戦うことを。
「…それほどでもないよ。」
「それはよかった。まだちょっと慣れてないから時間がかかったんだ。」
ただの待ち合わせのような会話が僕の意識を徐々に"化け物"へと変貌させていく。
ゆっくりと振り返った。
外灯を挟んだ向こう側、闇に隠れるように立つ彼女をしっかりと見据える。
それは戦うことを決意した証。
「それで、こんな夜に何か用かな、芦屋さん?」
僕の目の前には芦屋さんが穏やかな表情で立っていた。
足元は暗くてよく見えないがただの足ではないのはわかる。
そして左目が薄く朱色に輝いていた。
芦屋さんは気持ち良さそうに手を広げた。
「散歩だよ。それに話したいこともあったし。」
芦屋さんが1歩外灯の下に踏み出してきた。
見えたのは普通の靴だった。
「話?」
「話というよりお願いかな?」
芦屋さんは肩を竦める。
何を言おうとしているのかは分からないが自嘲気味なため息を漏らしていた。
「…やっぱり、驚かないんだ。」
「芦屋さんが歩いていること?驚いてるよ。」
「でも叶たちが見たら目が飛び出るほど驚くはずだよ。」
それは間違いない。
立って歩けるはずのない人がやってきたら普通は目か自分の精神を疑う。
そういう意味では僕はさぞかし異質に見えるのだろう。
「それで、その『足』は誰に貰ったの?」
「わからない。気が付いたらあったから。でも使い方とその意味を教えてくれたのは花鳳先輩だよ。」
花鳳の名前が出て内心は驚いたが同時に納得もできた。
ヴァルキリーはソーサリスの勧誘をしてるから不思議ではないが発見が早すぎる気もする。
花鳳が人為的に力を植え付けたことも考えておいた方が良さそうだ。
気づかれないように小さく奥歯をかみ締める。
「この力は世界を守るための力。そして、半場はそれを阻む悪だと。」
「…。」
「反論しないんだ。」
「いや、…うん。違うよ。」
確かに間違ってはいないが随分と壮大な話だし賛同しない=悪は安直だ。
思わず反論を忘れるくらい呆れてしまった。
芦屋さんは満足そうに頷くと話を続ける。
「だけどあたしは半場が悪には見えないから悩んだよ。」
芦屋さんは自分の台詞に、自分の置かれた悲劇の状況に酔っているように見えた。
普段の芦屋さんならこの状況でふざけたりはしない。
「ソルシエールに侵されているの?」
「そうかな?あたしはあたしだよ。」
喉の奥で笑い声を漏らした芦屋さんは急に真剣な顔になって
「だから、あたしの邪魔をしないで。あたしはただ、みんなと一緒に遊びたいだけなんだ。」
真実の願いを暴露した。
同時に左の瞳の輝きが増す。
「僕は…」
戦う意思が揺らぎそうになる。
芦屋さんの欲望は一概に負の感情とくくれない真摯さがある。
そしてその思いは痛いほどによくわかる。
「僕は…それでも芦屋さんを止めるよ。」
芦屋さんを闇と血の世界に引き込まないために、芦屋さんの未来を守るために僕は戦うことを決めたのだ。
「そう、残念だな。」
芦屋さんが顔を伏せたままさらに1歩、左足を踏み出してきた。
外灯に照らされて現れたのは
「剣の、義足?」
足の先に向かうほど鋭利になる刃だった。
膝に当たる部分が無いのでびっこ引くようではあるがしっかりと二本足で歩いている。
「アルミナって言うらしいね、これ。」
具合を確かめるように足を上下させる度に地面に穴を穿つ。
芦屋さんは左足を後ろに引いて前屈みになり僕を見据えた。
「邪魔をするなら排除させてもらうよ。この力であたしはみんなの所に帰るんだ。」
「違う。誰も芦屋さんのこんな姿は望んでいない。」
もはや声は届かない。
芦屋さんは右足で力強く跳躍して僕に向かって跳んでくる。
僕も目の前の相手を敵と認識して、戦いが始まった。
ビュンと横に反らした顔のすぐ脇を刃が通り抜けていく。
振り上げられた左足が天を向いたまま一瞬制止し、直後圧倒的な速度をもって振り下ろされた。
僕は横に跳んで攻撃をかわす。
踵落としの要領で打ち出された斬撃は公園の地面に局所的な断裂を生じさせた。
切れ味が良すぎるため地面にめり込んだアルミナを引き抜きながら芦屋さんはニヤリとした。
「あれを難なくかわすんだ。やっぱり半場は普通とは違うんだね。」
そこに憐れみや哀しみの色はなく戦いを楽しんでいる節がある。
(動き回れて抑圧されていた欲望が溢れたか。)
その証拠に芦屋さんの左目の輝きは増していくばかりだ。
芦屋さんがまた右足で地面を蹴った。
今度はそのまま回し蹴りを放ってきたのでバックステップして斬撃をかわす。
空中で無防備になった背中に向けて駆け出しポケットから取り出したスタンガンを殴り付けるように押し付けてスイッチを押した。
「ッ!」
ビクンと空中で体を震わせて芦屋さんはバランスを崩して地面に倒れた。
「はあ、はあ。」
スタンガンは設定できる最大値まで電圧をあげている。
それでも油断は出来なかった。
「それ、スタンガン?初めて見たよ。」
芦屋さんは器用に両手と右足を使って立ち上がる。
倒れたときに顔を擦ったため血が滲んでいるがかすり傷程度だった。
「やっぱりスタンガンじゃ気を失わせるのも難しいか。」
ソルシエールは身体能力を強化させると由良さんが言っていた。
半信半疑だったがどうやら電気に対する耐性も上がるようだ。
「この期に及んで無力化して済ませようなんて甘いね。」
「そういうわけじゃないよ。」
これでスタンガンが効かないことは理解した。
「はあ、はあ。」
荒くなる呼吸を落ち着けながら僕はアルミナにのみ意識を向ける。
(とりあえず芦屋さんの攻撃をかわして体力を削る。)
実際気分がハイになって気付いていないようだが芦屋さんの呼吸も段々荒くなってきている。
だが問題もある。
「半場、引きこもりすぎて運動不足なんじゃない?もう息が上がってるよ?」
そう、こちらの体力もわりとピンチだ。
だけど弱音を吐いてもいられない。
「眠らせてあげるよ、半場!」
芦屋さんは駆け出してくると直前で前のめりに転倒…ではなく手を支点として倒立するように地面を蹴り上げ勢いを殺さずに足を振り下ろしてきた。
「器用だね。」
迫る刃を左にかわして交差するように近づきながら首筋にスタンガンを突き出す。
捉えたと思った瞬間芦屋さんの頭が後ろ側に沈み右膝が僕に向かって打ち出された。
咄嗟にスタンガンを左手に持ち変えて右肘を膝にぶつけた。
「ッ!!」
突き抜けるような痛みに吐き気がしたが噛み殺して距離を取る。
芦屋さんは起き上がりながら右膝を擦った。
「当たるんなら無理やりにでもアルミナでやるんだった。参ったね。」
「足だったからだよ。」
「…余裕だね。それなら!」
同じように右足で大きく踏み切って地面を滑るように跳んだ芦屋さんは後ろに振り上げた足を奔らせ、ガッと地面へアンカーのように打ち込んだ。
体が急停止して上体が前のめりに迫ってくる。
振るわれるは左足ではなく右の拳。
「左足以外なら当たってくれるよね!」
繰り出された拳は無理な体勢にも拘わらず正確に僕の胸に叩き込まれた。
「どう…!」
「別に、そういう意味でもないんだけどね。」
その拳による奇襲を僕はボクサーのガードのように両腕で防いだ。
余裕そうだった芦屋さんの頬がわずかにひきつる。
「壁は高いほど越え甲斐があるよ!」
芦屋さんの上体がえびぞりに遠退いていき、アルミナが地面を切断しながら迫ってきた。
(僕は負けないよ。芦屋さん。)
「あれ、どこに行ったんだろう?」
作倉叶は鞄や制服をひっくり返していた。
「お財布、落としたのかな?」
まっすぐに帰ってきて風呂や食事や宿題を済ませてふと鞄を整理し始めたときに入っているはずの財布がなくなっているのに気が付いたのである。
「どうしよう?」
お金自体は大した金額は入っていないがお気に入りの財布だし何より久住裕子の伝で手に入れた半場陸の隠し撮り写真が入っているのだ。
誰かに見られたら恥ずかしくて死んでしまう。
携帯の写真をお願いできない乙女心なのだ。
「どうしよう?…あ、電話。」
あたふたしていたら机の上の携帯が鳴り出した。
知らない番号だったがいつまでも鳴り続けるので出ることにした。
「もしもし?」
『ランだよ。』
それは意外な人物だった。
「江戸川先輩?どうかしたんですか?」
『ちょっと忘れ物に気が付いて病院に来たらね。ナースのおねーさんがお財布を見つけたけど誰のか知らないですかって。』
「それ、私のかもしれません!」
探していた矢先に発見の報せがあるとはついてると叶は思った。
『でもお財布だから本人確認しないとね。中身開けちゃお!』
「待ってください、い、今からすぐに行きますから!」
叶は外出着に着替えると家族に一声かけて家を飛び出した。
小走りに病院へと向かう。
「江戸川先輩に見られたら、からかわれるかも。うう。」
どんなに走ってもあと10分はかかってしまう。
その間裕子・久美以上に面白いこと好きな蘭が中身を覗かない保証はなかった。
「ふう、ふう。タクシーにすればよかった。」
今さらなので諦めて叶はできるかぎり急いで病院に向かった。
「はい、これでいいの?」
「はあ、はあ。はいぃ。ありがとうございます。」
病院に到着すると蘭は病院の入り口に立って待っていた。
手に持っていたのは可愛らしいピンク色の財布、探していた叶の財布に間違いなかった。
叶は財布を大事そうにしまうと恐る恐る尋ねる。
「中、見てませんよね?」
「中?」
蘭は不思議そうな顔で首をかしげた。
後ろに手を回してキョトンとしている小柄な少女を見て年上だけど可愛いなと思う叶である。
「なんでも…」
「りっくんの写真が入ってるなんてランは知らないよ?」
「なぁ!?」
絶望的に素頓狂な悲鳴が漏れた。
さっきまでの可愛らしい仕草から一転、今は小悪魔の悪戯な笑みを浮かべていた。
「いいじゃん。好きな子のものを持つのは。」
「そうで…すよね?」
「うん。髪の毛とか普段使ってるリップクリームとか…」
「江戸川先輩、それは怖いです。」
それは想いを寄せていると言うよりは呪いである。
愛しさあまって憎さ百倍との諺もあるから愛憎は一概に切り離せないもののようだが、恋する乙女初心者の叶にはよくわからない。
「とにかく渡したよ。気をつけて帰ってね。バイバイ。」
「あ、はい。お財布、ありがとうございました。」
明日は学園祭だからお礼は明日でいいかと考えて叶は会釈をして帰った。
去っていく叶の後ろ姿を見ながら蘭はフッと笑う。
「本当に、気をつけてね。じゃないと道に迷うから。」
後ろ手に組まれた左手には漆黒の盾が握られていた。