第58話 覚悟のありか
病院から帰りついた僕はすぐに"Innocent Vision"名義でメールを送った。
電話にしなかったのは万が一寝ていたら悪いと思ったからだが、それは杞憂に終わった。
分を置かずに2人から返信があった。
『なんだ?』
『何?』
実に彼女らを表した返答だった。
僕は少しだけ悩み、本題ではなく関連する別件について尋ねることにした。
『ソルシエールは剣の形をしているものなのか?』
由良さんからはすぐに
『知らないな。』
と返ってきたが明夜からはなんの返事もなかった。
『厄介事か?』
さすがに興味本意とは思われなかったようで由良さんが心配してくれているのが窺い知れた。
ここで誤魔化した所でバレるだろうし僕の予想が正しければ由良さんたちには手伝ってもらわないといけない事態になるはずだ。
出来ればなってほしくはないが希望的観測で命を危険に晒すわけにもいかない。
『恐らくは。多分助けてもらうことになる。』
以前弱いやつは嫌いだと言っていた由良さんは
『任せろ。』
今は快く承諾してくれて頼もしい。
由良さんと細々とメールでやり取りしていたら30分くらい経っていたが明夜から返信はなかった。
もしかしたらジェムと遭遇したのかもしれない。
今もこの空の下で人知れず戦っているであろう明夜を思い窓の外に目を向けた僕は
窓の向こう側に立っている明夜を見て
「ーーーー!!」
声にならない驚きの叫びを上げた。
僕はいまだバクバクと収まらない心臓に手を当てながらベッドの上に座る明夜を恨みがましく睨む。
「…明夜、いつからあそこに?」
「最初のメールの後から。」
ほとんど最初からいたらしい。
こんなんじゃプライバシーなんてあってないようなものだと思う。
…気付かない僕が悪いんだけど。
明夜は椅子に座っている僕に近づくように前に体重をかけた。
ベッドのスプリングがギシリと軋む。
「それで、詳しく話して。」
自分のベッドに女の子が座っている事実にどきどきしているのを隠すため真面目にあったことや聞いた話を説明していく。
明夜は口を挟まなかったが相づちや思案する様子を見せてくれたので話しやすかった。
「陸は芦屋真奈美がソーサリスだと思ってる。」
「疑ってる段階だけどね。それでソルシエールは剣じゃなくて鎧の足になるのかな?」
明夜は再び思案顔、しかもさっきより少し困った様子だった。
「…わからない。」
それはある意味予想通りで
「だから明日会いに行く。」
それは予想外の答えだった。
「お見舞いに行くってこと?」
「なんでもいい。」
理由はどうあれ病院に行く気になったようだ。
僕としても魔女の気配というやつを判断してもらえれば対策が立てやすい。
反応があった場合と無かった場合の対応を考えていてふと顔をあげるとなぜか明夜が僕をじっと見ていた。
深夜と呼ぶに近い時間に自分の部屋で女の子と2人きり。
明夜はベッドの上で女の子座りをしながら切なそうな(?)目で僕を見つめていた。
戦闘で感じる恐怖とはまるで違う緊張感に心臓がまた忙しなく動き始める。
一度意識してしまうと明夜の唇とか細い肩とか服越しに存在する胸とかスカートの裾から覗く綺麗な足とか気になって仕方がなくなる。
明夜は何も言わずただ僕を見つめている。
口の中が乾いて唾を飲み込むのにも苦労した。
場の雰囲気に呑まれそうな僕に明夜はようやく口を開いた。
「陸は、芦屋真奈美を殺せる?」
瞬間、熱くなっていた体が凍りついた。
明夜の言ったことは僕の予想が当たってしまえば避けられない現実となる。
僕に芦屋さんを倒す、場合によっては殺す覚悟があるのだろうか?
「…今はまだ、わからない。」
明夜はすっくと立ち上がると項垂れる僕の頭を優しく撫でた。
「明夜?」
「大丈夫。その時は私がやる。」
見上げた先にあったのは優しくも強い意志を宿した瞳だった。
僕は手を握って止めようとして、出来なかった。
覚悟のない僕に明夜の優しさを止めることは出来ないから。
「もう行く。」
明夜は身を翻すと窓に向かい靴を履いて屋根の上に立った。
頑張っても気を付けても違う気がして
「…また明日、学校で。」
僕はそれを別れの言葉にした。
「ん。」
返事は相変わらず素っ気なかったが微笑んでくれた気がした。
明夜が屋根から飛び去っていくのを見送ってから僕はベッドに身を投げ出した。
「覚悟、か。」
そろそろ決めなければならないのかもしれない。
半場陸が"人"として生きるか"化け物"として戦うかを。
翌朝、登校すると久住さんを中心にしたグループと作倉さんを中心にしたグループが熱心に話し合いをしていた。
男子も数人が集まっている。
偶然僕の席は占拠されていなかったので荷物を置いて一息ついた。
クラスの4分の1の女子があーだこーだと話しているのをぼんやりと見ていたら芳賀君の席を占領していたクラスメイトの山本さんがくるりと僕の方を振り返った。
僕以外には誰もいないのだから僕に用なのだろうがニヤニヤしているのがとても気になる。
「半場君は、八重花がどんなチャイナドレスを着てくれると嬉しい?」
「…はい?」
学園祭の打ち合わせなのだろうとは思っていたがどうしてチャイナドレス談義になってるんだ?
しかも何気に他の女子も興味津々だ。
八重花がこの場にいないのが救いか。
「どんなって言われても詳しくないから。」
「んー。じゃあ色でいいや。八重花に合いそうな色をチョイス!」
無駄にテンションが高い。
(これが若さか。)
しみじみ思うが僕は同い年である。
黙っていても皆の期待に満ちた瞳から逃れられないのでさっさと決めてしまおう。
(八重花に似合う色…)
八重花の姿を思い浮かべて
「…黒、かな?」
自然にその答えを得ていた。
八重花は決して目立つ方じゃない。
久住さんや中山さんのように明るい人と比べればどうしても地味に取られてしまう。
だけどそれは存在感がないからじゃない。
むしろ眩しいくらいの久住さんたちを引き立てる暗色こそが八重花の立ち位置だ。
最近は少し変わってきたが一歩引いた位置で構えて冷静な指摘をする引き立て役。
どんなに眩しい存在も白一色の世界では映えないように八重花はその黒をもって周りを輝かせるのだ。
(なんて、さすがに恥ずかしくて言えないよね。)
チャイナドレス担当の女子たちは僕のチョイスに満足したらしくテンション上がっていた。
「さすが半場君、八重花のことをよく見てるね。」
「それほどでも…」
反論したい部分もあったが褒められた気恥ずかしさの方が勝った。
適当に濁した返事しかできなかった。
「その調子で他のみんなの色も決めてあげてよ。」
「え゛。」
だからそんな重大で面倒な仕事を与えられてしまった。
結局朝のホームルームまで拘束されて
「これでクラスの女子の半分を手込めかよ、ケッ!」
と男子にはさらに嫌われてしまった。
ギリギリになってやってきた八重花が来たとき僕は疲れきって机に突っ伏していて
「どうしたの、りく?」
前に立った八重花に
「黒…」
と先程まで色を選び続けて洗脳された口が口走ると
「ー!」
八重花は途端に顔を真っ赤にして手に持った鞄を振り下ろしてきた。
ゴンと机と鞄の板挟みにあってくらくらする。
スカートを押さえながら逃げていく八重花を見て今更ながら八重花の反応の意味に気付いて僕も赤くなってしまうのだった。
その後、真相を知った八重花が謝りに来たのは言うまでもない。
そして、スカートを持ち上げて誘惑しようとしたのを作倉さんが慌てて止めたのも言うまでもない。
昼休みになるとすぐ、明夜が6組の教室を訪ねてきた。
「陸。」
「うん。作倉さん、ちょっといい?」
僕は頷くと打ち合わせをしている作倉さんに声をかけた。
うちのクラスは出し物が決まるのが遅かったため結構ギリギリらしくしばらくみんなで昼食を摂れないとのことだった。
作倉さんは
「何ですか?」
と話を抜けて来てくれた。
「明夜が芦屋さんのお見舞いに行きたいんだって。今日は誰か行く?」
もちろん僕たちだけで行ってもいいけど万が一芦屋さんがソーサリスだった場合、最悪病院内で戦闘になる。
それを避けるためにも作倉さんたちと一緒に行くべきだと考えたのだ。
作倉さんは少し困り顔を浮かべた。
「みんな忙しくて誰が行けるかまだよく分からないんです。私は多分夕方頃になると思いますけどその頃で良ければ明夜ちゃんも行きますか?」
「行く。」
明夜は二つ返事で頷いた。
最近は"Innocent Vision"として活動しているためあまりこちらには来ていなかった明夜だが以前家に泊まったときに築いた友情は根付いているようだ。
(僕はどうしようか?)
作倉さんの手前明夜が暴走して芦屋さんに襲いかかることはないと思うが抑止力として同行するべきか?
それとも他を当たって調べてみるか?
・明夜に同行する
・調べ事をする
頭の中に選択肢が浮かんだ気がする。
ついでに言えば上を選ぶと明夜と作倉さん、下だと他の誰かの好感度が上がりそうだ。
(…その手のゲームはあんまりやってないけど、ここは!)
運命の選択をしようと勢い込んで答えようとした瞬間
『1年6組半場陸、生徒指導室に至急来るように。』
との校内放送が入った。
一世一代の選択肢は空振りし、晒し者の状況で周囲からの視線が痛い。
「半場君、早く行かないと駄目ですよ。」
作倉さんはいつもと変わらない様子で僕の好感度が上がった。
「うん。行ってくるよ。」
以前もこんなことがあったなと思い、ポケットの中の感触を確かめながら生徒指導室に向かった。
「失礼します。」
ドアをノックして部屋に入ると
「来てくださって感謝致します、インヴィ。」
窓際に立っていた花鳳撫子がにこりと笑った。
「…」
ドアを開いた格好だった僕はそのままドアを閉め…
「本日は襲撃でも勧誘でもありません。ご安心なさってください。」
先に釘を刺されてギャグっぽく逃げるのを封じられてしまった。
僕はドアを閉めたもののそこから動かずに花鳳を見る。
「それで、用件はなんですか?」
花鳳は肘を支えるような腕組みのまま窓の外に目を向けた。
「あなたがジェムと呼んでいるもののことです。」
「!」
「あなた方"Innocent Vision"はどのような目的でジェムを排除しているのですか?」
「彼らは魔女の力を植え付けられた普通の人間、だから僕たちは彼らを救うために戦っています。」
横目でこちらを見ていた花鳳は瞳を閉じてこちらに背を向けてしまった。
「それは素晴らしいことです。インヴィ、これは両組織の長としての提案なのですが、ジェムに当たる場合には共闘もやむ無し、というのは如何ですか?」
「はい?」
思わず素頓狂な声をあげてしまった。
こちらに振り返った花鳳は困ったように眉を下げて自分の頬を撫でた。
「ジェムはわたくしたちにとっても害となる存在なのです。共闘でなくて妨害をしないでも構いませんが。」
「ちょっと待ってください。ジェムもヴァルキリーも魔女の手下でしょう?それがどうして邪魔になるんですか?」
同士討ちをしてくれるのはありがたいがそれを僕たちに助けて欲しいというのはおかしな話だった。
すると花鳳は目を見開いた。
「どうやら誤解をされているようですね。」
「誤解ですか?」
「はい。確かにわたくしたちは魔女からソルシエールという力を与えられました。しかしヴァルキリーは魔女とは関わりのない、わたくしが作り上げた組織です。羽佐間由良さんと状況的には同じだと考えていただいてかまいません。」
由良さんと同じ。
つまり魔女に従っているのではなく敵対しているということか。
僕はその前提で改めて花鳳の提案について考える。
確かにジェムを止めるためには明夜と由良さんだけでは圧倒的に少ない。
人手が増えるのは有り難い。
有り難いが…
「…その誓約が守られる保証はありますか?」
ヴァルキリーは強力な組織だ。
油断をした隙に狙われては僕たちに勝ち目はない。
味方の保身が確保できなければ共闘などできるはずもなかった。
警戒を強めながら尋ねたのになぜか花鳳は嬉しそうに笑う。
「瞬間的に利害を計算してさらに安全の確保にまで手を回す。是非ともヴァルキリーの参謀に招き入れたいです。」
「勧誘はしないんじゃなかったんですか?」
コホンと咳払いして花鳳は苦笑した。
「失礼しました。保証はこの花鳳撫子の名にかけて。」
静かながらも厳粛で響く声だった。
威厳を前に身動きが取れず目が離せない。
花鳳もまた僕から目を離さず答えを待っていた。
「…わかりました。」
「ありがとうございます。詳細を記した書類は後日お届けします。」
フッと雰囲気を緩やかに花鳳は頭を下げた。
早く去りたい衝動を抑え込んでもう一つだけ質問する。
「ヴァルキリーがジェムを狩る目的は…教えてもらえませんか?」
花鳳はフッと笑い自身の顎を滑らかな指を滑らせながら言った。
「それは秘密です。」
「…それでは失礼しました。」
僕は最後まで花鳳に背を向けることなく生徒指導室を後にした。
最後に見た花鳳の口許が笑っていたことに、寒気を感じながら。




