第57話 不確かな疑念
先日の気まぐれな夢を見てから芦屋さんに会いに行くのが躊躇われたが幸い学園祭とか由良さんたちに呼ばれたりしたため行く機会はなかった。
その間にもジェムは数を減らしていた。
発見が早いためか由良さんたちの時よりも変容する前に助け出せているらしく本当にヴァルキリーの活動なのか疑わしく思えてきていた。
そして分からないことだらけの日々を過ごした11月1日火曜日…
「りく、付き合って。」
学業を終了した僕の前にやって来た八重花は開口一番そう告げた。
「「なにーーー!!?」」
その言葉にクラスは一瞬の沈黙の後大絶叫した。
「いつか絶対食ってくんじゃないかと思っていたが、まさかそれが今とは!」
「むしろとっくに付き合ってると思ってた。」
「公衆の面前での告白。東條、なんて勇気のある娘。」
「これは本格的などろどろの修羅場の到来か!?」
「うおー、羨ましいぞ半場!」
「俺のモテ期はいつ来るんだ!?」
「きゃー!ラブよ、ラブ!」
教室内は悲鳴と歓声と怒号で揺れた。
この光景もすでに慣れっこで今さら慌てることもない。
八重花はわかっていてやっている節があるし久住さんたちも悪乗りして止めないので騒ぎは大きくなる一方だ。
「半場が東條とくっつくってことは作倉はフリーか?」
「柚木もか!」
「蘭さま!」
「下沢悠莉との伝を半場に作ってもらおう!」
「やぁねぇ、男って。」
と言うように変な方向に広がっている。
作倉さんは少し用事があって先に帰っているため余計に騒ぎに歯止めが効かなくなっていた。
そろそろ種明かしをしておかないと手遅れになりそうだと判断して僕は八重花の告白に返事をすることにした。
「いいよ。どこに行く?」
クラスの狂乱が一瞬で鎮まり「「え?」」と間抜けな顔をした。
僕たちだけは何でもないように話を続ける。
「真奈美を元気付けるために買い物に行きたいの。付き合って。」
それが八重花の告白の本質。
僕は頷いて鞄を手に立ち上がった。
久住さんと中山さんは直接病院に向かうので昇降口まで一緒に行くことにした。
僕たちが出ていった教室では
「「なんだそれー!!?」」
失望と落胆の悲鳴が上がるのだった。
「それじゃあ八重花。半場くんを襲っちゃダメよ?」
「否定は出来ないわ。」
「いや、否定しようよ…。」
「にゃはは、やえちん、けだもの。」
久住さんたちと別れた僕と八重花は芦屋さんへのプレゼントを探すために商店街へと向かうことにした。
暗黙の了解で建川は不吉なので壱葉の店だ。
商店街に向かう道行き、妙に静かだなと思っていたら八重花は真剣な様子で切り出してきた。
「それで、さっきの告白の返事を貰ってもいい?」
教室での1件はもちろん冗談も含まれていたが本気でもあった。
あの時の八重花の目は本気だったから。
「こんなに知的で尽くしてくれるいい女はそうはいないわよ?」
「知的…確かに頭の回転は早いよね。いろんな意味で。」
「茶化さない。」
誤魔化すつもりはなかったがどうしても本質から逃げようとしてしまう。
それは僕が"化け物"だから。
"人"と関わることを避けようとしてしまう。
それでもこうして軽口を叩いていられるのは八重花がこちら寄りだからだろう。
作倉さんのように"人"として眩しい存在とは違い、八重花は僕たち"化け物"に近い闇、欲望と言い換えてもいい感情を宿している。
だから僕は八重花と話しているときも楽でいられるのだろう。
もし僕がうっかり本性を明かしてしまっても受け入れてくれそうだという希望が持てるから。
「…ごめん。今はまだ。」
だけどどんなに黒に近い灰色だとしても受け入れることは出来ない。
僕が黒である以上、白と交われば待っているのは双方の破滅だ。
「…今はって、期待していい?」
不安げにすがるような瞳で見上げてくる八重花に決心が揺らぎそうになる。
結論から言えば期待に応えることはない。
それこそ八重花が"化け物"にでもならない限り。
だけどそんなことを僕は望まないのだから結局八重花の願いは届かない。
「…そうだね。」
そう答えてしまったのは僕が"人"でありたいと願っているから。
八重花は悲しげに微笑んで
「それなら…待ってる。」
優柔不断な僕を受け入れてくれた。
(本当に、八重花はいい女だよ。僕なんかにはもったいないくらい。)
自分のあり方を決められない罪悪感と劣等感は僕を苛み続けるだろう。
それでももう少しだけこのぬるま湯みたいな生活に浸っていたい。
「真奈美へのお見舞い、何がいい?」
「芦屋さんの趣味にもよるけど手でできる編み物とか観賞用のぬいぐるみとかかな?」
「そうね。その線で当たってみましょ。」
歩き出した八重花の後ろ姿を見て少しだけ泣きそうになった。
「りく?」
「今行くよ。」
だってこの心地よい生活はもう長くは続かないことに気付いてしまったから。
「…で、結局買ってきたのがこれなわけ?」
久住さんの視線が痛い。
「…にゃはは。」
「…あはは。」
中山さんと作倉さんは揃って同じように困ったような苦笑を浮かべるだけ。
「りくのセンスに、乾杯。」
同じ買い出し班の、しかも真犯人の八重花はあっさり僕を売り飛ばしたのでとても居心地が悪い。
ギッ、ギッ
金属の軋む音が沈黙した病室に響いた。
「いや、リハビリとしてはいいと思うよ、半場。このエキスパンダー。」
「ごめんなさいぃ!僕がすべて悪いんですぅ!」
ベッドを床に見立てて平身低頭頭を下げる。
確かに動かなくても使えて運動好きでぬいぐるみとかにあまり興味がない芦屋さんへのプレゼントだからってあれはない。
ただ八重花と選んだ最終選考はエキスパンダーか知恵の輪だったのでどっちもどっちだ。
自分のセンスのなさが嫌になる。
「でも今後のことを考えると握力は必要になるからね。大事に使わせてもらうよ。」
そう言って皮肉ではない笑みを向けてくれる芦屋さんはまるで天使のようだった。
「ああ、芦屋さんの優しさに惚れちゃいそうだよ。」
「はは、傷物でいいなら貰ってほしいな。」
冗談っぽい口調だったが芦屋さんの目に宿る不安と期待にドキリとさせられた。
直後八重花と作倉さんが間に入ってきてうやむやになってしまった。
「りくは渡さない。」
「真奈美ちゃんは、その、元気になるのが先だと思うの。」
八重花のストレートな物言いと作倉さんの遠回しな表現に芦屋さんは落ち着いた笑みを浮かべてくすりと笑った。
「残念。半場はその気になったらいつでも言って。」
「あはは、覚えておくよ。」
作倉さんに涙目で見つめられて八重花につねられた状態ではそう答える他ない。
芦屋さんはそれを理解した上で穏やかに微笑んでいた。
「真奈美、大人の対応だわ。」
「にゃはは、りくりくモテモテ。」
茶化す2人の声に芦屋さんの病室には楽しげな笑い声が木霊した。
みんなで笑い合う中で何気無い仕草で芦屋さんを観察する。
(やっぱり、変わった様子はないよな。)
Innocent Visionはただの夢ではなく気紛れながらも未来をほぼ100パーセントの確率で見せる未来視だ。
最近はヴァルキリーに関わるせいで現実離れした夢を見ることが多かったが今回は別格だ。
芦屋さんが立って歩いてくるなんてもはや僕の願望が夢に出てきたと考えた方がしっくりくる。
(いったい、なんなん…)
思考の最中、突然意識が暗転した。
「半場君!?」
「りく!」
(芦屋さんには心配かけたくなかったんだけど、本当に間の悪い気まぐれな夢だ。)
僕に抗う術はない。ただ誘われるままに僕は夢に落ちた。
赤い光が見えた。
ぼんやりとした視界はどこかの暗い部屋を映しているがそこがどこなのか判別できない。
体がベッドに横たわっている感覚があるのに指一本動かせない。
ただ天井らしい正面の壁が時折朱色に明滅している。
ガシャン
何か金属のようなものが動いた音がした。
この部屋には似つかわしくない西洋甲冑でも着込んでいるかのような足音だったように思う。
ガシャ…ガシャ…
音は断続的に聞こえたが朱色は見えなくなった。
視界が暗い青のフィルターをかけたように物の判別がうまくいかない。
ガシャン
さっきよりも離れた場所で音が止んだ。
部屋には沈黙が降りる。
不意に朱色の輝きがしっかりと開かれていない目の横から差し込んできた。
天井にほの明るい朱が映る。
それはゆっくりと強くなり
ガシャ…ガシャン…
金属の足音が近づいてくる。
その音と光はいつまでも続いていた。
「…んん。」
目を開けると青のフィルターをかけたように薄暗い真っ白な天井が見えた。
「目が覚めた?」
突然かけられた声に振り返ると僕とは反対側に置かれたサイドテーブルの照明で本を読んでいたらしい芦屋さんが苦笑を浮かべていた。
「またやっちゃった。」
「そういう病気なんだよね。仕方がないよ。一応ここのお医者さんに来てもらったけどサッと見ただけですぐに帰ってたね。」
芦屋さんが首をかしげていたのでベッドから身を起こしながら説明する。
「僕は壱葉生まれだからね。昔はよくここの病院に通ってたんだ。来たのって眼鏡をかけた疲れた感じの先生だった?」
「そうだね。そんな感じ。」
「その人が僕の元主治医で最終的に匙を投げた人。だから僕を見てすぐに分かったんだよ。目が覚めない以外には何の別状もないって。」
出会った頃は活気に溢れていて必ず僕の病気を治してみせると熱く語ってくれた先生だった。
だけど十年近く様々な検査をしても結局原因の足掛かりも掴めず、年を追う毎に覇気を失っていく先生は今にして思えば同情の涙を禁じ得ない。
そして最後は泣いて土下座をしながら自分には無理だと謝ってくれた。
先生は何も悪くないのに。
科学ではどうすることもできない魔法のような病気なのだから。
「げ、もう10時!?面会時間はとっくに終わってるよね?叩き出してくれてよかったのに。」
「あたしはそんなに薄情な人間じゃないよ。むしろ満足に動けたなら添い寝してあげようかと思ったくらい。」
芦屋さんは陰のある笑いを漏らした。
「自虐的なギャグは誰も笑えないよ。」
「そうだね。ごめん。」
会話が途切れた。
どうせなら目が覚めないでくれれば朝普通に病室から出ていけたのに夜では出ていくのに警備とかでいろいろと面倒そうだ。
そういう意味でもInnocent Visionは僕に優しくない。
「いつまでも女の子の部屋に居座るのも悪いからね。そろそろ帰るよ。」
「食事もお風呂も着替えも終わってるから平気だよ。さすがに着替えの時は目を覚まさないかひやひやした。」
…本当にInnocent Visionは優しくない。
「どのみち帰らないといけないからさ。」
「そうか。なら看護師を呼ぶよ。」
ベッドサイドのナースコールを押すと程なくして僕たちとそれほど年齢が変わらないような若い看護師さんがやって来た。
僕の話は伝わっていたらしくすぐに理解してくれた。
「それじゃあ芦屋さん、また来るよ。」
「ありがとう。…半場。」
「ん、何?」
何か言いたそうにしている芦屋さんに聞き返すと戸惑いを見せた後
「学園祭、楽しくしてよ。あたしも行きたいから。」
叶うかどうかも分からない願いを口にする芦屋さんに
「うん。任せて。」
僕は強く頷いた。
病室を後にした僕の横をどこか怯えた様子で看護師さんが歩いている。
「どうかしたんですか?」
「いえ。…最近この病院でガシャン、ガシャンで鎧が歩いている音がするって噂なんですよ。私、怖くって…」
僕よりも年上の看護師さんは少女のように怯えていた。
だけど僕にはそんなことよりも話の内容が気になった。
(鎧みたいな…足音?)
それはさっき夢に出てきた光景と一致する。
ぼやけてはいたが思い返してみれば夢の光景は芦屋さんの病室と同じだったように思えた。
僕は今来た廊下を振り返った。
非常口のランプで不気味に照らされた闇の向こう側では芦屋さんの病室は判別しづらいし鎧のような足音は聞こえない。
「忘れ物ですか?」
「…いえ。何か音がしたみたいだったので。」
「は、早く行きましょう!」
適当に答えたら看護師さんに手を掴まれて早足で連れていかれた。
遠ざかる芦屋さんの病室を見ながら、
(どうか僕の予感が当たりませんように。)
そう心から願うのだった。