第55話 悲しみに沈む心
ヴァルキリーが鳴りを潜めていることを不審に思いながら、ジェム予備軍を狩る日々を続けた"Innocent Vision"。
芦屋真奈美の面会謝絶が解かれないまま1週間が経過した。
壱葉高校は学園祭の準備に浮き足立っていた。
1年6組を除いて。
「誰か、いい案はないかな?」
ホームルームで教卓の前に立った黒原君が呼び掛けるものの返事はない。
皆の視線が数ヵ所に向かう。
1つはクラスの副委員長にして騒ぎ好きの久住裕子。
本来なら一緒に前に立って進行役をし、面白い提案を出しているであろう久住さんは
「…ふぅ。」
絶賛ローテンションだった。
続いていつも笑顔の愛すべきおバカ、中山久美。
暗い雰囲気をにゃははという笑いで明るくする彼女は
「にゃはぁ。」
困ったような笑みを張り付けたまま深いため息をついていた。
そして皆が心配そうに見つめる先にはいまだに悲しみに囚われている作倉叶。
そこに皆を和ませる穏やかな笑顔はなく俯いてしまっている。
このクラスがいかに彼女たちの明るさに支えられていたのかを今痛感している。
教室にはまだ1つだけ空席がある。
そこが埋まらない限りクラスに明るさが戻ることはない、そんな風に思えた。
結局今日も出し物は決まらずに解散となった。
作倉さんたちは今日も会えるかどうか分からないまま病院にお見舞いに行くのだという。
3人が寄り添って出ていく姿を見送っていると僕の前に八重花がやって来た。
「八重花はお見舞いに行かないの?」
「面会謝絶が解かれたら連絡を貰えるように真奈美のご両親と話がついてるから。」
八重花は少しだけ呆れた様子で出ていった3人を見送った。
3人が過保護なのか八重花が冷たいのか、それを決めてしまうのは良くないと話題を変える。
「それにしても八重花はやりたい出し物とかないの?そろそろ黒原君が不憫で。」
担任の高村先生も芦屋さんのことがショックでクラスにあまりいられないらしく陣頭指揮はすべて黒原君に任されている。
他の生徒たちも一応意見は出しているが皆が納得してかつ楽しそうだと思える企画は出てきていない。
「私は流れに任せるだけよ。りくも同じでしょ?」
八重花は自分で考えた企画を成功させるよりも与えられた企画を成功させる方がいいと言った。
僕の場合は勝手が分からないので大人しくしているだけだ。
「そしておまえらはまた俺を空気のように無視するわけだな?」
怒っているとも泣いているとも取れる低い声に顔を向けるとお通夜みたいに沈んだ表情の芳賀君がいた。
「空気は常にあるから無視されている訳じゃないわ。」
「なるほど!」
「…空気は、ね。」
「俺は空気以下かー!」
八重花の意地の悪い笑顔に芳賀君は頭を抱えて悲鳴を上げた。
「煩い空気ね。」
「ノォォ!」
八重花の言葉責めに耐えきれず芳賀君は机に倒れ伏した。
ツンツン頭に机を占拠されてしまったので帰ることにした。
当然のように八重花がついてくる。
「ちょっと待ってくれ。」
しつこい空気かと思ったが声が違ったので振り返ると黒原君だった。
黒原君は苛立っているように見えた。
「どうかした?」
何気無く尋ねると黒原君の目がつり上がった。
なかなかの迫力で睨んでくる。
「どうして君たちは作倉さんを気遣ってあげないんだ?」
黒原君が作倉さんを好きなことは当人を除いてクラスメイト全員が知っている。
作倉さんがいないから隠す必要もないのか、それともそんな風に考えることもできないほど頭に血が上っているのか。
「気遣ってないわけがないじゃないか。今はそっとしておいてあげた方がいいと思うだけだよ。」
恐らく作倉さんが元気になるのは芦屋さんが元気になるしかない。
久住さんたちが作倉さんの面倒を見てくれるなら僕たちは落ち着くまで様子を見ようとみんなで話し合って決めたのだ。
「久住さんと中山さんはずっと作倉さんを助けてあげているのに君たち2人は関係ないような顔で楽しそうにして。作倉さんを元気付けてあげようとは思わないのか?」
教室に残っていたクラスメイトは黒原君に同情的な様子で僕たちを蔑むような目で見てきた。
黒原君の意見は正論だ。
だが
「下らないわね。」
八重花はそれを一蹴した。
そして僕も八重花と同意見だった。
黒原君の頬がピクピクとひくつき不気味な笑顔になっている。
「下らない?どうしてだよ!?僕は作倉さんを心配して…」
「それ以外が何も見えてない。自分の感情が正しいと思わないで。」
黒原君の言葉を八重花は冷たい口調で遮った。
そう、黒原君の発言は作倉さんしか見えていない。
彼女が元気になればいいとしか考えていないのだ。
八重花は髪をかきあげてキッと黒原君を睨み付けた。
「私がりくを好きなのは知っているでしょ?もしりくが叶のところに行ってしまったら今度は私が悲しむわ。」
「しかし…」
「それに、本気で心配していないように見えたのなら眼科をお薦めするわ。」
黒原君は拳を震わせながら、それでも反論する言葉が見つからないようで泣きそうに顔を歪ませていた。
「だったら、どうしたら作倉さんは笑ってくれるんだ?」
黒原君はただ純粋に作倉さんに笑ってほしいと願っているだけなのだ。
なのにそんなささやかな願いが叶わず誰かに当たりたかったのだろう。
「芦屋さんが1日でも早く良くなるようにみんなで祈ろう。今の僕たちにはきっとそれくらいの事しか出来ないよ。」
無力な自分への自嘲も込めた言葉を残して僕と八重花は教室を後にした。
「くそぅ!」
黒原君の慟哭が背中に突き刺さった。
昇降口を出ると
「ん。」
「よう。」
明夜と由良さんが待っていた。
明夜は八重花と反対の腕に抱きついて互いに牽制しあっている。
「相変わらずモテるな。俺も混ざっていいか?」
「勘弁してください。由良さんの気持ちだけでいっぱいいっぱいだよ。」
もちろん冗談らしく快活に笑う由良さんは一瞬だけ真剣な目をした。
その意味を汲み取った僕は八重花に告げる。
「八重花、悪いんだけど…」
と最後まで言い終わる前に八重花は腕を解放してくれた。
「いつものでしょ?…どうしても私を入れてはくれない?」
明夜と由良さんと出掛けることが多くなって誤魔化すのが限界になった僕は"Innocent Vision"という秘密組織として活動していると説明した。
八重花が本気と取ったか冗談に思ったのかは分からないが一応納得してくれて、事あるごとに参加したいと言ってきていたがさすがにこればかりは首を縦に振るわけにはいかない。
「ごめん。」
八重花も僕の返答がわかっていたようで食い下がることなく僕から離れた。
「そう。ならまた明日。」
「うん。」
軽く手を振って見送ると明夜が抱きつく腕を強めてきた。
「明夜、遊んでる場合じゃないぞ。」
由良さんの一言で少し不満げに離れてくれる明夜。
どうやら序列で由良さんが一番上にいるようだ。
僕たちは学校を出て駅前のファミリーレストランに入った。
ドリンクと軽食を頼み空いた時間で鞄から地図を取り出して広げる。
皆、顔は真剣だ。
「最近ジェムの数が減ってきている。」
「正確には数は増えたはずなのに…死体…の方が増えているってことだね。」
死体を小声でいうがもちろん2人には伝わっている。
ここのところジェムの放つ魔力の反応を2人が検知して現場に向かうとそこにはすでに殺されたジェムが転がっていたり場合によっては死体が撤去されているのだという。
ニュースでも失踪事件に関してはたまに報道されているが猟奇殺人に関してはされなくなった。
地図の上の撃墜マークはそういった事件の現場を印したもので、実際には2人が察知できなかった分も含めるとこれよりも多くの事件が闇に葬られているはずだ。
「考えられるのは…ヴァルキリーか。」
由良さんが顔を歪めて呟いた。
たまたまピザの皿を持ってきた店員が小さく悲鳴をあげていた。
ピザを受け取って明夜に渡しながら僕はドリンクバーに飲み物を取りに立つ。
「何にする?」
「コーラ。」
とは由良さん。
「水。」
は明夜。
「みんな野菜ジュースね。」
「待て!それは良くない。」
「野菜はあるからいい。」
2人とも野菜ジュースが嫌いらしい。
珍しく由良さんが慌てる姿はなかなか新鮮だが言えば怒るので心のうちに止めておこう。
「わかった。ちょっと待ってて。」
僕は立ち上がってドリンクバーで所望の品をもって戻った。
「お待たせ。」
「…おい、陸。お前、野菜ジュースじゃないのか?」
僕のカップにはアイスコーヒーが入っている。
「違うよ。僕、あんまり野菜ジュース好きじゃないから。」
いやはや同志がいてよかった。
そう思った直後、なぜか立ち上がった2人に叩かれたのだった。
「魔女の手先のヴァルキリーがジェムを狩る理由はわからないが間違いないな。」
「暴走したジェムを排除しているか増えすぎたから減らしているか、とにかく今の状況だと情報が足らなすぎるね。」
「今まで通りジェムを見つけてやっつける。サーチアンドデストロイ。」
明夜が変な言葉を覚えていたが結局はその方針しかなく僕たちは店を後にした。
夜に近づいていく町で2人を見送りながら僕はまとわりつくような嫌な感じをずっと感じていた。
(私は…)
何もない闇。
(ここは…)
無音の世界。
(痛い…)
左足が焼けるように痛い。
(悔しいな。)
自分が無事では済まないことは己の体なのでよく分かっている。
(みんなと一緒に、いつまでも楽しくやれると思ってたのに。)
友達も部活も両立させて、どちらも楽しみたかった。
だけど足の痛みはきっとそのどちらも奪っていく。
(本当に…悔しいなぁ。)
「そんなに悔しいですか?」
何もない、誰もいないはずの空間に突然女の声が聞こえてきた。
正常な意識ではないためそれがいかに異常なのかを認識できない。
(これで私はみんなと一緒に走り回ることも自由に遊びに行くことも出来なくなるから。悔しいよ。)
「そうでしょう。心中お察しします。」
(それはどうも。)
沈黙が訪れた。
目は相変わらず瞼の裏の闇を見ているためそこに今話していた誰かがいるのかすらわからない。
長い長い沈黙、さっきの声は幻聴だったのではと思いだした頃
「もしも、在りし日と同じように元気に走り回り友人と遊ぶことができるとしたら、貴女はどうしますか?」
あまりにも甘美な提案が闇の向こうから届いた。
(!!)
諦めていた現実にもたらされた光明にそれがいかに非現実的な提案かも理解しようとは思えなかった。
(出来るならもう一度自分の足で生活したい。)
ただ切望した。
それを与えてくれたのが神だったのか悪魔だったのかも知らずに受け入れることを選んだ。
「契約成立ですね。それでは…」
声の主が枕元に立つ。
うっすらと目を開けるとその面影には見覚えがあった。
(花鳳、先輩?)
「わたくしが貴女の願いを聞き届けましょう。受け取りなさい、契約の証を。」
視界の向こうに撫子の指が迫り、ズブリと、激しい痛みと共に左目に異物が押し込まれた。
「うわあああ…あ?」
真奈美が目を覚ますとそこは病院のようだった。
暗い病室に1人でベッドに横になっており
「…足が。」
左足の膝から先の感覚がない。
幸い痛みはないが喪失感が胸に広がって涙が出た。
「やっぱり、さっきのはただの夢か。もし本当に直るなら、悪魔にだって魂を売ってもいいのに。」
涙混じりで真奈美は笑う。
自分が目が覚めたなら早ければ明日には叶たちがお見舞いに来てくれるだろう。
暗い顔を見せるわけにはいかない。
「ごめんね、みんな。私、こんなになっちゃったよ。」
声を圧し殺して目を腕で覆いながら真奈美は鳴き続けた。
だから
「契約、完了しましたよ。」
窓の向こうへと遠ざかる撫子の姿に気付くことはなかった。