第52話 海が呼んでる
僕は夜と呼ばれる時間まで明夜たちと遊んで家に帰った。
2人はまた夜の町でジェムや魔女を探しているのだろう。
戦う力のない僕には何もできない。
「ふぅ。」
今自分は1人なんだと自覚した瞬間、心の底から沸き上がるような喪失感に震えた。
体を抱き締めるようにして震えを押さえ込もうとするがその腕自体も震えているのだから意味はない。
ポロポロと瞳から涙が零れて視界を歪ませる。
「海…。」
最近1人になると海の事を思い出してしまう。
両親もご近所もクラスメイトも、すべての人が僕を怖がり忌み嫌っていた世界で海だけはちゃんと僕を見てくれていたのだと、海の死と向き合って初めて気付いてしまった。
だというのに僕はすべての人が怖いものだと勝手に思い込んで拒絶し、最後には理解者だった海を失ってしまった。
そのことを考える度に後悔の念に押し潰されそうになる。
「ごめん…ごめん。」
僕は震える体でノロノロとベッドに向かい布団に埋もれて膝を抱えて転がった。
「ごめん…海…」
ただただ許しを求めて呪文のように謝罪の言葉を呟き続ける。
Innocent Visionかただの夢かもわからない眠りに落ちようとする感覚に少しだけ気持ちが安らぎ、ささやかな願いを胸に抱いた。
(どうか、夢の中では笑っている海と出会えますように。)
僕は私服で人影も疎らな電車に乗っていた。
通勤時間だというのに乗客数が少ないのは僕が職場のある都心から離れていっているからだろう。
ガタンゴトンと一定のリズムで走るローカル電車。
窓の外に見えるのは…海。
僕はホームに人気のない駅に降りた。
駅前の寂れた商店街の花屋で花を買い、海から少し離れた丘の上へと向かう。
運動不足の身と10月半ばだというのに真夏日を記録した天気を恨みつつ歩いてたどり着いたのは
背景に海の見える墓地だった。
目が覚めると朝日が差し込んできていた。
僕はゆっくりと体を起こして胸に手を当てる。
普段より心拍数は高い。
だけどそれは恐怖とか焦りとは違って遠足の前日みたいな、どこかワクワクした感じだった。
僕は深呼吸をして気を落ち着けると夢の風景を思い出した。
「あの場所を僕は知らない。」
だけどそれは経験として知らないだけ。
知識としては知っていた。
海が見える墓地、そこは海が、双子の妹が眠る場所だ。
「海が、呼んでる。」
なんだか海の男のセリフっぽくて僕は笑った。
僕の心にはもう学校に行くなんて選択肢はなかった。
両親に海の墓の場所を聞くとひどく驚かれたがそのあと泣かれた方が困った。
とにかく学校は休んで墓参りに行くことにした。
認めるのはとても癪だけど下沢のおかげで海の死に向き合おうと思えたのだ。
間違っても礼は言わないが。
駅に向かって電車で南下し、1時間に数本しかないようなローカル線にギリギリで乗り込んだ。
通勤時間だというのに乗客数が少ないのは僕が職場のある都心から離れていっているからだろう。
僕はもて余した暇を潰すついでに八重花たちに休むことをメールすることにした。
ついでに芳賀君にも送ろうと思ったがアドレスを聞いていないことに今更ながら気が付いた。
「まあ、いいか。」
あっさりとその結論に到達していつもの5人と明夜、由良さんに墓参りに行くので今日は休むと送信した。
ガタンゴトンと一定のリズムで走るローカル電車。
窓の外が段々コンクリートの建物から一戸建ての民家、そして自然に変わっていくのをのんびりと眺めていると携帯が震動した。
返信はまちまちで大抵は了解の意を示す内容、中には明夜のように
『ん。』
とよくわからない返事もあったが、そんな中で作倉さんのメールだけは少し異質だった。
『今日は真奈美ちゃんのソフトボール部の試合の応援を一緒にしたかったですが仕方ないですね。』
「そう言えば芦屋さんはソフトボール部だっけ。」
前にそんなことを話していたような気がする。
僕は謝罪と僕の分まで応援してほしいと返信した。
窓の外に見えるのは…海。
気が付けば目的地はもうすぐだった。
僕はホームに人気のない駅に降りた。
駅前の寂れた商店街の花屋で花を買い、地図を頼りに海から少し離れた丘の上へと向かう。
運動不足の身と10月半ばだというのに真夏日を記録した天気を恨みつつ歩いてたどり着いたのは背景に海の見える墓地だった。
僕は整然と並ぶ墓石の間をゆっくりと歩みながら目的の場所を探す。
この地にはもう亡くなっているが僕の父方の曾祖父が住んでいたらしい。
本来なら近場の墓に納められる予定だったが海の部屋から「いつ死んでもいいように…」という物騒な始まりの遺書のようなものが見つかり、その中で『お父さんとお母さんにつけてもらった名前、海、その近くで眠りたい』と書かれていたためここに埋葬することになったと今朝聞いた。
僕がそのことを知らないのは僕が拒絶したから。
海の死を認めてしまうことを僕が拒んだから。
だから携帯にも海の最後の着信だけは残してあった。
もしかしたらまたその番号から電話が掛かってくるんじゃないかという幻想を抱き続けるために。
足を止めてゆっくりと墓石に刻まれた文字を読む。
「半場家之墓」
僕は周囲を見回して桶と柄杓、雑巾を借りて戻ると海を労るつもりで丹念に掃除をした。
片付けをして花を活けて墓前で手を合わせて目をつぶる。
(随分と遅くなったけど、来たよ海。)
僕の妹、半場海。
双子なのに二卵性のためあんまり似ていなくて。
僕とは違って明るくて社交的で、友達も多くて。
当然両親も“化け物”の僕よりも海を可愛がって。
一時期海を妬ましいと思ったこともあった。
海は家の中でも明るくて少しだけ騒がしくて、僕によくちょっかい出してくるしおやつを勝手に食べたりするし割りとやりたい放題だった。
僕はフッと笑って墓石に目を向ける。
そこに海がいると信じて。
「でも、海だけがこの世界で僕と普通に接してくれていたんだって、最近気が付いたよ。」
最近は友達も増えたけど僕を“化け物”と知って接してくれているのは同じように異能を持つ明夜と由良さんだけだ。
作倉さんや八重花たちは“人”としての半場陸しか知らない。
僕が“化け物”だと知れば離れていくだろう。
だけど海は僕がInnocent Visionを持っていると知っても両親のように腫れ物扱いせず普通に接してきた。
あの頃は海の態度の裏に何かあるんじゃないかと怖くて仕方がなかったが今ならあれが海の純粋な好意だったのだと分かる。
「まったく、ダメな兄だよね。」
全くだと呆れたように笑う海が見えた気がした。
「…海がいなくなってもう半年か。」
あれは入学式の翌日突然停学を言い渡されて、抗議しても無駄でふて腐れていた頃。
「お兄ちゃん、朝だよ。」
薄暗がりに包まれていた部屋が突然発光してまぶたの裏を焼かれた僕は不機嫌さを隠す気もなく騒がしい音源を寝起きの半眼で睨み付けた。
「何するんだよ、海?」
カーテンレールが壊れるんじゃないかというほど力一杯開いた海は不満げに腰に手を当てて顔を近づけてきた。
「目付き怖いよ。何って朝だから起こしに来てあげたんだよ。」
えへんと胸を張る海はパジャマではなく制服を着ていた。
壱葉高校ではなく建川にある女子校のものだ。
僕は無視して布団を頭から被った。
「僕は学校行かなくていいんだからまだ寝てる。」
「ダメだよ!一緒にご飯食べよ。」
海は僕の体を揺するが断固として布団から顔を出さない。
それならと布団の端に手をかけて引き剥がす暴挙に出るが布団を四肢で巻き込んで突っ張ることで耐え抜く。
「むー、強情な!」
海は不機嫌そうに唸ると急に静かになった。
諦めたのかと気を緩めた瞬間、海はするりと布団に滑り込んできた。
わずかな隙間から差し込む光が僕と海の近さを写し出している。
鼻が触れあうほど近くにいる海の目が楽しそうににんまりと笑った。
「…制服が皺になるよ。」
あいにく「妹萌え」属性はないしそもそも双子なので一緒に寝たり風呂に入ったりはわりと日常茶飯事だった。
小学生ぐらいから僕が"化け物"だと知ってもあまり変わらなかった。
ただ最近はさすがに思春期なのかめっきり機会も減ってはいるが、とりあえずこの程度で狼狽えることはない。
海は僕の忠告を気にした様子もなくさらに身を寄せてくると何の躊躇もなく抱きついてきた。
いくら双子とはいえもはや体の作りは違うわけで抱きつかれたりしたら感触の違いを意識せずにはいられずさすがに驚いてしまい体が硬直する。
その隙に
「てい!」
海は掛け布団をベッドの下に弾き飛ばしてしまった。
朝日の眩しさに顔をしかめ元凶を睨み付ける。
海はまだ抱きついたまま猫みたいに額を擦り付けていた。
人の気も知らないで楽しそうな妹に毒気を抜かれて抵抗を諦めた。
「分かったよ。起きる。」
「やった。忍法色仕掛け。」
忍法じゃないし何を喜んでいるのかさっぱりだが競り負けた敗者は従うしかない。
「ほらほらお兄ちゃん。早くしないと遅刻しちゃうよ。」
「遅刻するのは海だけだよ。」
なぜかとても上機嫌な妹に引っ張られるように僕は朝の食卓に向かうのだった。
「…。」
「美味しいよ、お母さん。」
「ふふ、いっぱい食べなさい。」
「…。」
「えー、あんまり食べると太っちゃうよ。」
「若いんだから大丈夫よ。」
「…。」
左隣の海とその向かいの母は朝の団欒をしていた。
ここに父親がいたとしても同じように食卓には明るい雰囲気が満ちていただろう。
そこに僕の介在する余地はない。
この家の食卓は海と両親によって構成されているのだから。
統計的に女児の方が可愛がられる傾向があるにしてもこんな“化け物”よりも海を両親が可愛がるのは当然のことで、僕はただ食事という欲求を満たすことだけをする。
「美味しいよね、お兄ちゃん。」
だというのに海はそんな暗黙の了解を崩す。
母がなんとも言い難い顔で返答を待っているのがすごく居心地が悪い。
「…食事中は静かに。」
僕は質問の答えではなく注意で話を打ち切った。
「ぶぅ、いいじゃん。ご飯はみんなで楽しく食べた方が美味しいもん。」
海が拗ねて子供っぽく口を尖らせた。
僕は気にしないで食事を終え、
「ごちそうさま。」
そそくさと席を立った。
リビングを出ようとしたときに海と目があった。
何かを訴えるような目をしていた。
一卵性ではない双子でもある程度考えていることが分かるらしく、
「…いってらっしゃい。」
そう言ってあげると
「!うん、行ってきます。」
海は満面の笑みを浮かべるのだった。
昼間の家には話し声なんてない。
母はいるが僕はほとんど部屋から出ないし話すことなんて何もない。
階下からは洗濯や掃除の音はするけど僕の部屋にそれが来ることはなく食事も食卓にあるか部屋の前に置いてある。
両親は僕を養ってくれているけど、僕との関わりを避けていた。
それも当然だ。
誰もが気味悪がる存在は両親だって気味が悪いと思うに決まっている。
海の態度こそが異常なのだ。
ふと眠気とも失神とも言える感覚に体の自由が奪われた。
最初からベッドに寝ているから転倒によってどこかにぶつけることもない。
(いっそ頭でもぶつけて死んだ方が喜ばれるかな?)
そんなことを考えながら僕は忌み嫌う異能、Innocent Visionの見せる夢に引きずり込まれた。
見えたのは夕暮れ時の交差点。
向こう側が商店街でこちら側には住宅が並ぶこの場所は時間帯もあって人が多い。
僕であって僕じゃないその目はジッと交差点の中央を見つめていた。
青信号で横断歩道を渡り始める歩行者。
老人や子供連れの主婦がのんびりとした足取りで渡る道路。
そこにスポーツカーが爆音を響かせて走ってきた。
ドライビングテクニックに自信があるのか信号に近づいてもなかなか減速しない。
危機感を抱いた人は早足で道路を渡りきったが大半はまだ横断歩道の半ばだった。
運転手の男の血の気が引いた。
減速する様子もブレーキをかける音も聞こえない。
僕の視界に映った男の顔は絶望を通り越して笑っていた。
自らの未来が見えてしまったのだろう。
車は減速することなく僕の前を高速で通り過ぎ
そして夕日に照らされた交差点を真っ赤に染め上げた。




