第51話 嵐の後の静けさ
3日間あったテスト期間が終わった。
その間、都合1週間ヴァルキリーからの接触はなかった。
希望的観測では先日の戦いの傷が癒えていないということ、現実的観測ではテスト勉強で忙しかったということ、悲観的観測では良くない作戦を裏で進行しているということ。
(悪い予測ほどよく当たるからね。)
つまりヴァルキリーは何か作戦を進行していると考えていた方がいい。
(何をやっているのか調べないといけないな。)
時は少し遡り、ビル倒壊の翌日のヴァルハラ。
「あー、インヴィ、殺す!」
神峰美保は荒れていた。
獣のように吠えて肩を怒らせている。
等々力良子も席についているものの頻りに足を組み直したり組んだ腕を指で叩いていた。
下沢悠莉だけは落ち着いた様子だったがやはり少し元気がないように見えた。
「花鳳先輩、どうしてインヴィを倒しに行っちゃいけないんですか!?」
美保や良子が焦れている理由、それは花鳳撫子がインヴィへの再戦を止めたからである。
美保が怒りの形相で詰め寄っても撫子は動じず海原葵衣の淹れたお茶を飲んでいた。
「落ち着いてください。お三方の、いえ、江戸川さんを加えた皆さんの悔しさはわたくしの想像以上だと思います。」
「そうです!だから…」
我が意を得たりとさらに詰め寄ろうとする美保を海原緑里が押し返した。
「近づきすぎ、離れて、美保!」
「騒がしいですわね。」
ヘレナ・ディオンは我関せずを貫いたまま顔をしかめて紅茶に口をつけた。
美保は緑里とヘレナを睨み付けるが
「止めなよ、美保。」
良子に止められて渋々引き下がった。
「インヴィと柚木明夜さん、羽佐間由良さん。…“Innocent Vision”でしたか。確かに彼らはわたくしたちにとって宿敵です。打ち倒さなければいずれわたくしたちを脅かす存在となるでしょう。」
そう前振りをしてから撫子は目をスッと細めた。
「ですが学生の本分を忘れてはなりません。来週からテストですが、当然準備は万全なのでしょう?」
笑顔の裏に見えるプレッシャーに息巻いていた美保や良子がたじろいだ。
不自然に目を泳がせている。
「乙女会は壱葉高校女子の模範となるもの、目も当てられない成績にさせるわけにはいきません。」
異様な迫力にすっかり怯えながら良子は恐る恐る手を挙げる。
「あのー、私はスポーツ推薦…」
「良子さん。文武両道という言葉をご存じですか?」
(まずい、目が本気だ。)
穏やかに怒っている撫子を見て良子は抵抗を諦めた。
「緑里、葵衣。お2人の勉強を見てあげなさい。」
「はい、お嬢様。」
「うっ…は、はい。任せてください、撫子様。」
緑里は見栄を張って胸をどんと叩いた。
その隣で葵衣が小さく嘆息する。
葵衣がポケットからきつめのだて眼鏡と金属製のポインターを取り出した。
「それではさっそく始めましょう。姉さんもです。」
こうして葵衣講師の指導で試験対策がスタートした。
すでに泣き言をいい始めた生徒たちを淡々と指導する葵衣を満足そうに見た撫子はテーブルの角で気落ちしたように紅茶を飲む悠莉を見て不安げな顔になった。
「どこかお加減が悪いのですか、悠莉さん?」
悠莉は弱々しく首を横に振った。
「何でもありま…」
「やっほー!ランだよー!」
「ッ!!」
バンと扉を開けて江戸川蘭が入ってきた瞬間、悠莉がビクリと震え上がった。
「何やって…」
楽しそうに首を巡らせた蘭は泣きながら勉強する面々と無表情な教師の光景を見て、スススと後退った。
「ラン、用事が…」
「葵衣。」
撫子が短く名前を呼んだときにはすでに蘭は確保されていた。
「葵衣、3年の勉強も見られるわね?」
「はい。」
「ひーん。」
こうしてヴァルキリーは勉強に明け暮れる羽目になり
「…終わったわ。いろんな意味で。」
美保は陸のクラスからのとばっちりでえらく難しい数学のテストをまったく解けず、
「これは指導が必要のようですね。」
「ひぃー、お助けー!」
お仕置きを受けるのだった。
テストが終わって打ち上げに遊びに行こうと話していた僕のところに
「陸、いるか?」
由良さんが訪ねてきた。
不機嫌そうなので無条件降伏しようと思ったのだが
「…。」
八重花と作倉さんが立ち塞がるように僕の前に歩み出た。
由良さんの眉がピクリと動く。
「ダメだ、2人とも。」
「大丈夫。りくを1人で行かせはしないわ。」
「は、半場君は私たちが、ま、守ります!」
勇敢な2人は僕の制止を聞かずに由良さんと対峙する。
敵とみなした相手を粉砕する由良さんと。
「陸、いいんだな?」
由良さんは獰猛な笑みを浮かべて僕に許可をとった。
つまり僕が2人を止めなければたとえ女子供であろうと容赦しないということ。
さすがに玻璃を振り回したりはしないだろうが作倉さんにも八重花にも、そして由良さんにとってもよくない状況になるのは明らかだった。
気丈に振る舞っていても学内で一番と噂の不良に正面から向かっていくのに怖くないわけがなく2人の肩は震えていた。
僕は2人の肩に手を置いて押し退けるように前に出た。
「もういいんだ。ありがとう、2人とも。」
「半場、君。」
「ダメよ、りく。」
弱々しい抵抗は僕を止めるには至らない。
最後に2人に笑みを向けて僕は背を向けると由良さんに連れられて教室を後にした。
結局、なんで2人が本気で抵抗しようとしたのかよくわからなかったが。
そしてそのことを由良さんに話したら呆れられたのだった。
由良さんと一緒に向かったのは建川のファーストフード店、そこにはすでに明夜が待っていた。
「遅い。」
「悪いな。陸がちんたらしてるからだ。」
「…。」
言いたいことはあったが何を言っても勝てそうにないので諦めた。
店に入ったときに買ったセットメニューのハンバーガーにかじりつく。
明夜も由良さんも本気で追求してくる気はなかったようで各々で勝手に食べ始めた。
もぐもぐと口を動かしながら由良さんが緊張感のない声で話す。
「んぐんぐ、ヴァルキリーのやつらに動きは?」
世間話のような口調で出されたのは至極真剣な内容だった。
それを他人に悟らせないために敢えて軽い口調での会話だった。
「僕の方は、何も。神峰辺りは、真っ先に襲ってくると思ってたんだけど。」
「なかった。もぐもぐ。陸、おかわり。」
なぜか僕に追加オーダーを出してくる明夜だが遅れたお詫びもあるので席を立つ。
「何がいい?」
「ウルデリバーガーセット。」
一番店で高いセットだった。
冗談かと聞き返そうかと思ったが目が本気そうだったので泣く泣くカウンターへと向かった。
注文すること数分、ウルトラデリシャスバーガーセットを手に席に戻る。
「ん。」
ペコリと頭を下げた明夜は瞳をわずかに輝かせながらウルデリバーガーを頬張った。
財布の中身は甚大な被害だったが嬉しそうな明夜を見れたならそれでいいかとも思う。
「最近はジェムも大人しいな。陸はどう考えている?」
健康に気を使っているのか単に好きなのか野菜ジュースを飲みながら由良さんは尋ねてきた。
「希望的観測は魔女が改心して…」
「ないな。」
「ない。」
一刀両断だ。
もっとも僕だってそうだとは露ほども思っていない。
「現実的観測では魔女が別に集中することがあるからジェムを増やそうとしていない。もともとジェムは何かの目的があって生み出されているようには思えないし。」
「確かにそうだ。で、最後は?」
「悲観的観測では由良さんたちがジェムを潰して回っているのを知った魔女が気付かれないように数を増やしていっているということ。」
今何も起こらないこと、それが嵐の前の静けさなのではないかと考えるとうすら寒いものが背筋を撫でていくようだった。
明夜は相変わらずウルデリバーガーを堪能しているようなので聞いていなかったみたいだが由良さんは僕の意見を自分の中で吟味しているようだった。
ひょいと最後の一口を放り込んだ由良さんは何度か頷いては首をかしげていた。
「つまり、これからとんでもないことが起こるってことか?」
「何も起こらないことを願ってるけどね。」
僕も由良さんもそれが儚い願いだと分かっているから苦笑するだけだ。
僕がセットメニューを食べ終えた時、明夜はウルデリバーガーセットを完食していた。
陸たちが比較的のんびりと作戦会議をしている店の外では5対10個の目が彼らの姿を捉えていた。
1つは悔しそうに、1つは悲しそうに、1つは心配そうに、残り2つは面白そうに傍目には雑談しているようにしか見えない陸たちを観察していた。
「私たちを置いてりくはこんなところで。」
「うう、半場君。」
「いやー、面白い場面ね。」
「にゃはは。」
「ふう、覗いてると怪しまれるよ?」
無論それは久住裕子を中心とした5人グループだ。
店の前の植え込みの影から中を覗く姿は芦屋真奈美が言う通りとても怪しく通行人が好奇の目で見ていた。
「でもこんな現場を見つけちゃったら放置しておくわけにもいかないでしょ?」
裕子たちは別に陸を追いかけて建川に来たわけではない。
陸にフラれた(と八重花は思っている)腹いせに皆を連れだって建川に遊びに来たところ、たまたま入ろうとしたファーストフード店でたまたま陸たちが食事をしているところだったのだ。
「私たちを捨てたりくが他の女と仲良くしてる。…許すまじ。」
「にゃはは、嫉妬の炎だ。」
八重花の背後に燃え立つ漆黒の業火が見えた気がして裕子たちは引く。
「半場君には半場君の付き合いがあるんだよ。」
「…。そう。」
八重花は一瞬だけとても冷たい、ともすれば侮蔑とも取れる目で叶を見た。
だが何も言わずまるで興味を失ったように窓ガラスから離れると歩道に出ていってしまった。
「あ、八重花、待ってよ。」
八重花の突然の行動に首をかしげつつ後を追っていく叶たち。
その足音を背に聞きながら八重花は表面上はいつも通りに憤りを感じていた。
(許容できる理由がわからない。りくは渡さないわ、誰にも。)
八重花たちが店の前からいなくなってしばらく、ジュースの氷が完全に溶けきった頃、僕たちは店を出た。
由良さんは八重花たちが去っていった方向を見てにやりと笑った。
「陸は本当にモテるんだな?」
「そんなことないと思うけど?」
そう答えるが僕の左腕には明夜が少し不機嫌そうに寄り添っていて、それを見る由良さんの目はおかしそうに細められている。
「僕みたいな化け物のどこにそんな魅力があるのかな?由良さんもそう思うでしょ?」
「はは、自分で言うな。」
由良さんは苦笑すると腕を組んで真剣な顔になった。
端正な顔立ちとスラリとした長身のためその立ち姿は本当にかっこいい。
「俺は陸のInnocent Visionを買ってるし陸自身の力も認めてる。」
「それは協力者として?」
出会った頃は肯定されてその次は友達と答えた由良さんは
「男として。」
意味深でドキドキするほど不敵な笑みを浮かべてそう答えた。
「え…ええ!?」
完全に予想していなかった答えに狼狽してしまう。
だって由良さんは強い男が…みたいなことを言っていたはずだから。
顔が熱くなるのを自覚して、それを敏感に察知した明夜が腕に抱きついてきたため余計に慌ててしまう。
僕たちの様子を見ていた由良さんは頬を掻いてばつが悪そうに笑った。
「…って言ったらどうだ、って言おうとしたんだけどな。」
「遅いから!それ言うの遅いよ!」
僕は押し倒す勢いで抱きついてくる明夜を押し返しながら願っていた。
こんな他愛のない日常がいつまでも続きますようにと。
たとえそれがどんなに儚い願いだとしても。