第46話 1人きりの戦場
「「羽佐間由良ーッ!」」
良子と美保がソルシエールを振り上げながら怒りの形相で由良を追いかける。
美保が光刃を放つものの由良は一足早く廊下の角を曲がってしまい壁を抉っただけだった。
「くそっ!」
「また階段で待ち構えられるわけにも行かないね。ルビヌス!」
良子がラトナラジュのグラマリーを発動すると左目がカッと朱に光を放ち全身に紅色の輝きを纏った。
「行くよ!」
良子が踏み込んだ床が弾け飛び、人ではあり得ない速度で良子が跳ぶ。
廊下の角を曲がるのではなく壁を蹴って方向転換した良子は階段に足をかけた由良の姿を捉えた。
「ッ!」
「これで!」
驚きに動きを止めた由良に向けて突き出されたラトナラジュはギリギリで階段を蹴った由良に避けられた。
だがかわされたことには構わず良子は素早く階段の前に立ち塞がり進路を妨げた。
紅色の光が集束して元に戻った良子を前に由良は悔しそうに唇を噛み締めて玻璃を構える。
「お前たちを上に行かせるわけにはいかないんだ。退いてもらおうか。」
「それは上にインヴィがいるから?」
「…さあ、どうだろうな。」
その態度が何を意味しているかは良子もすぐに理解したが喜んで駆け上がるわけにもいかない。
ここで背中を見せれば首が飛ぶか胴体が二分割されるか、無事では済まされない。
だがそれは1人の場合。
「良子先輩!」
時間にすれば10秒程度の遅れで追い付いてきた美保の存在に良子は笑みを浮かべ、由良は顔をしかめて舌打ちした。
「美保、あとは任せたよ!」
「へ?」
言うが早いか良子は転身、階段へと足を向ける。
「行かせるか!」
それを追う形で駆け出そうとした由良は
「よく分かんないけど行かせないわよ!」
飛びかかってきた美保の斬撃をかわすために後退せざるを得なかった。
割り込んだ体勢のまま美保が階段前を陣取る。
「良子先輩がお宝を見つけるまでゆっくりと相手をしてもら…おお!?」
口上が言い終わる前に由良は美保というか階段に向かって飛び出していた。
玻璃とスマラグドがぶつかり合い甲高い音を響かせる。
美保は弾き飛ばされそうになった体をどうにか持ちこたえさせて力一杯押し返す。
「何すんのよ!」
激昂する美保に対して由良はあくまで冷静に、ただ一言の真実を告げる。
「邪魔だ。」
プチリと何かが切れる音がした。
怒れる翠の剣士の顔が赤く染まり額には青筋が浮かび上がる。
ぶつかり合う刃がカチカチと震えるように不規則な音を奏で、それは担い手が力を込めるほどに大きくなっていく。
膂力はわずかに由良が勝り一歩分、階段一段分を押し込んだ。
だがそのまま押し切るには行程はあまりにも果てしなく、相手がいつまでも待ってくれるはずもない。
階段に乗り上がった分わずかに高くなった位置から美保は体重をかけて押し返そうとした。
「ぐっ。重いな。」
「うっさいわよ!気にしてるのに!」
飛び上がらんばかりに上から続く重圧に由良は膝を折って踏ん張らなければならなくなった。
額に浮かぶ汗を見て美保は見下したような笑みを浮かべた。
「辛いの?それとも焦っているのかしら?階段を守ることもできず登っていった敵を追うことも出来ないなんてね。」
ぐぐぐとスマラグドを押し返す力が強くなったが美保は逆らわずに一度離れ、直後突きや横薙ぎで牽制したあとにまた同じように上からの攻撃でつばぜり合いとなった。
「ほら、どうしたの?急がないとインヴィが良子先輩に殺られるわよ?それとも柚木明夜が守っているの?」
絶対的有利な状況を磐石にせんとスマラグドが翠色の光を放ち始めた。
由良は精一杯なのか腰を落として玻璃を強く握ったまま俯いている。
ガンガンと何度も玻璃を叩き割るようにスマラグドを振り下ろす美保は狂ったように高笑いをしていた。
「さあ、もういいでしょ?おとなしく死んじゃいなさいよ。柚木明夜もインヴィもすぐにあとを追わせてあげるからさ!」
ギィンと一際甲高い音を立ててスマラグドと玻璃が火花をあげる。
「さあ、さあっ、さあっ!!」
ガン、ガン、ガン
無音の廊下に金属と水晶のぶつかり合う音が響く。
いくら打ち付けても埒があかず焦れてきた美保は一度階段の中程まで後ろに飛んで段の側面に足の裏を押し当てた。
「これで、逝きなさい!」
強い踏み込みから飛び出した翠の弾丸はその切っ先をまっすぐに由良の眉間に向かっていた。
「あ…」
その刃が、由良の眉間の数ミリ手前で停止した。
頬に叩きつけるように迫っていた空気も凪いで体が空中に静止している。
足掻こうとしても動けないこの状況を美保は少し前にも味わっていた。
「邪魔だと言っただろ!」
由良が玻璃を振り下ろすと触れてもいないのに広くもない階段を暴風が吹き荒れ美保の体を弾き飛ばした。
4階にあった美保の体が突風によって中5階の壁に背中から叩きつけられた。
「がっ!?」
肺の空気を押し出されて一瞬美保の意識が飛びかける。
ズルズルと壁に背を預けながら座り込んだ美保が見たのは玻璃を小刻みに震わせながらゆっくりと階段を登ってくる由良の姿だった。
「お前は渋谷の時から変わってないな。」
「な、にが…」
由良は顔を上げ、嘲るような目で美保を見た。
「ちょっと受けに回ってやると付け上がる。全然堪えてなかったのにな。」
「あ…」
怒りに血が上りかけた美保は細かく震動する玻璃を見て小さく声を漏らした。
あの時も震動する玻璃に斬撃の威力を相殺されて効かなかった。
由良の言う通り同じ展開を辿っていたことに美保は由良への怒りと自身の不甲斐なさを感じて歯噛みした。
「折角のインヴィを倒すチャンス、行かせるわけにはいかないのよ!」
美保はしっかりと握って離さなかったスマラグドを腕だけで真横に振るった。
溜めもなく光刃を放つ美保だったが振り上げられた玻璃によってあっさりと撃ち落とされてしまった。
「落ちろ!」
「ぁ!」
そして由良の音震波が直撃して美保が首を落とした。
ずるずると壁に背をつけたまま糸の切れた人形のように座り込む美保を見下ろしていた由良は顔をゆがめて5階を仰ぎ見た。
「ここで殺っておきたいが、陸が危ない!」
すでに良子が5階に上がってから結構な時間が経ってしまっていた。
護衛として明夜がついているとのことだが動けない陸を守りながらの戦いがどれくらい持つか不安があった。
「無事でいろよ、陸、明夜!」
由良は仲間のために敵を放置して階段を駆け上がっていくのだった。
由良が5階に上がって初めに見たのは壁という壁がボロボロに破壊されたフロアとその向こうで紅色のオーラを放つ良子の姿だった。
もともとは廊下と部屋を仕切っていた壁の大穴を越えて部屋に入ると良子が鬼のような形相で振り返った。
「インヴィはどうした?」
由良にはその質問の意図が理解できなかった。
むしろ自分の方が陸と明夜をどうしたと尋ねるはずと思った。
「それはこっちの台詞だ。陸と明夜をどうした?」
陸は良子のさらに奥にある部屋に寝かせていた。
希望的観測からすれば手前から粉砕しながら進んでいて最奥まで行けなかったと言いたいところだが由良は首を横に振ってその可能性を捨てた。
(いくら等々力のおつむが緩くてもいきなりフロアを破壊する訳がない。そうなると明夜が逃がしたか?)
陸だけでなく明夜の姿もないことから十分にあり得た。
「はああ!」
物凄い速度で突進してきた良子を横に跳んで避けた由良は顔をしかめて玻璃を強く床に突き立てる。
(そうなると俺は囮で放置か?)
「明夜ァ!」
敵ではなく味方への怒りに左目が輝きを増して由良の周りに力の渦を発生させる。
「な、何だ!?」
「良子先輩、うわぁ!」
いきなりキレた由良に戦っていた良子と気が付いて追いかけてきた美保がビビっていた。
八つ当たり気味に2人に射殺しそうなほど鋭い視線を叩きつける。
「こうなったら自棄だ。おまえらを倒してからゆっくり2人を探す。」
戦闘体勢に入ったのを見て良子と美保も倒すべき敵を再確認した。
「良子先輩、インヴィは?」
「ここには居なかった。羽佐間の様子からすると逃げたかもしれない。」
「とりあえずは散々邪魔をしてくれた羽佐間由良をギタギタにしてからゆっくりインヴィを殺しに行きましょう。」
目標が定まると2人の行動は早かった。
互いにうなずき合うと同時に良子はグラマリー・ルビヌスを発動し超速の突撃をかけ、美保は瓦礫を迂回して由良の側面から後方に走る。
当然由良は挟撃の手を読んでいたが重くて速い良子の攻撃を前に防戦を強いられていた。
「この等々力良子スーパーモードを止められるかな!」
「金色になれないやつに負けるか!」
上、左右、前から縦横無尽に迫る力任せの怒濤を由良は致命傷になりうる攻撃を捌くことでどうにかやり過ごしていたが傷は増えていくばかり。
「こっちを忘れてもらっちゃ困るよ!」
「くっ!」
さらに側面や背後から翠の光刃が飛んできては処理の限界を超えていた。
ふらついた所を見逃さなかった良子の攻撃を皮一枚でかわした由良は
「そこっ!」
「ぐあ!」
美保の光刃の直撃を食らって床に投げ出された。
「陸…」
目の前には陸が眠っていたはずの部屋のドアがある。
しかしどんなに手を伸ばしても守るべき者も助けも出てこない。
「明夜…くっ。」
瓦礫にまみれた床を踏みしめる音が近づいてきても立ち上がる気力がない。
強がったところで置いていかれた孤独感は由良から戦意を奪っていた。
「ここまでのようね。」
「一応よくやったって言ってあげるわ。」
抵抗のなくなった獲物に狩人たちはゆっくりと近づいていく。
「良子先輩。あたし、めちゃくちゃいたぶりたいんですけどいいですか?」
「インヴィを追わなきゃならないけど、まあ、いいか。美保の好きにして。インヴィの方はこっちで追うよ。」
それは事実上の死刑判決だった。
由良は起き上がろうとするが
「おっと、逃がさないわよ。」
「あっ!」
背中を踏みつけられて再び埃っぽい床に倒れ伏した。
「げほっ、ごほっ!」
「苦しそうね?」
背中をグリグリと踵で踏みつけていた美保は咳き込む由良の髪の毛を掴んで引き上げる。
背中を踏まれたまま頭を持ち上げられた由良はえびぞりの形になって呻いた。
「痛いのと苦しいの、どっちが好きなのかしら?」
言いながら美保は髪の毛を離して由良の頭を押した。
反り返った体が戻るのを加速させられて由良が額から床に倒れる。
足の裏から伝わる鼓動で死んでいないのは確認できたがもはや動く気力もないようだった。
美保がつまらなそうに舌打ちをする。
「もっと楽しませてよね。」
何度も踏みつけるが由良は動かない。
美保はもう一度舌打ちをして顔を歪ませると手にしていたスマラグドを逆手に持ち代えた。
「散々邪魔しておいてあたしが楽しもうとしたらあっさり落ちるなんて許せないわ。もういい、死んでよ。」
由良はまだ意識を保っていたが起き上がることができず殺気の塊と化したスマラグドの切っ先の感覚に肝を冷やして処断の時を待つだけだった。
(死ぬのか、俺は?)
魔女に復讐することも出来ず、仲間と認めた陸や明夜を守ることも出来ず。
(あいつらは仲間だなんて思ってなかったのかもしれないけどな。)
自虐的な笑いが漏れたがもはや声としては出なかった。
両手で構えたスマラグドが由良の心臓に向けられる。
見る価値もないというように良子が身を翻した。
終わりの時が異常な静寂の中で無限の時間のように続く。
(俺は…結局誰も守れなかった。)
零れ落ちた一粒の涙。
「終わりよ!」
振り下ろされる凶刃。
そして
「由良さんっ!」
あり得ないはずの声に誰もが動きを止めた世界でただ1人動くものがあった。
外からのわずかな光を反射させる両の刃を奔らせて風のようにかける姿は一瞬にして驚きに身を固めた良子の脇をすり抜けて由良を穿とうとしていたスマラグドを弾き飛ばした。
カランと剣の転がる音が無音だった世界に甲高く響いた。
「柚木、明夜。」
美保は忌々しげに闖入者を睨み付けた。
そしてさらに険しい瞳が美保と良子、2人から階段の入り口へと向けられた。
そこにはどこか不気味な余裕を見せる不敵な笑みを浮かべた少年がいた。
2人は久しく呼ばなかったその名を叫ばずにはいられなかった。
そう、彼の名は
「「Innocent Vision!」」