第45話 階段戦
等々力良子と神峰美保は互いに背中合わせになりながらゆっくりとした歩みで2階への階段を登っていた。
先程の奇襲の教訓から前だけでなく上や後ろ、壁にまで注意している。
カランと転がり落ちてきた小石は高速で振るわれたラトナラジュによって粉にまで分解させられた。
2階に上がるとすぐ目の前には壁があり通路が左右に伸びていた。
「全部1階みたいなフロアなら楽だったんですけどね。」
「相手はあのインヴィだ。そんな優しくはないよ。」
良子は一度周囲を見回す。
今登ってきた階段はさらに上の階まで続いているが元からなのか陸が意図的に壊したのか瓦礫に埋もれて封鎖されていた。
左右の廊下に変わったところはない。
罠や待ち伏せも考えられなくはないが目印もない以上直感に頼るしかない。
(右か?左か?それとも強引に階段か?)
「良子先輩?うわぁ!なんか煙が出そうなほど唸ってる!?」
良子は慣れない頭脳戦にあっさりとオーバーヒート、美保が慌てて肩を揺する。
「考えちゃダメです。良子先輩は肉体労働向きですから。」
「そ、そうか。」
納得したのを見てホッと胸を撫で下ろす美保。
暗にバカだと言っている訳ではないが勘繰られると否定できそうになかった。
美保も行くべき道をざっと見回した。
「セオリーとしては戦闘力のないインヴィは安全な最上階ですね。」
「ならこの階段を無理矢理越えていくのが一番か。」
安直に答えを出して瓦礫をぶった切ろうとする良子を美保は慌てて止めた。
「待ってください!もし瓦礫が爆発でもしたら今度こそあたしたちは生き埋めですよ?それにインヴィは裏をかいて低い階に隠れてるかもしれませんから地道に下から見ていきましょう。」
「よし、作戦は美保に任せた。」
さっさと理解を放棄した肉体労働担当の良子。
美保はリーダー気分で意気揚々と右の廊下の先に進み
「ぎにゃー!」
角を曲がったところに設置してあった水の入ったバケツトラップに引っ掛かって奇っ怪な悲鳴を上げた。
「…インヴィー、楽には殺してあげないわよ。」
水も滴るいい女は低く唸るような声で報復を誓うのだった。
羽佐間由良は足音で気取られないようにゆっくりとした足取りで指示された目的地に向かっていた。
作戦が記されたルーズリーフはしっかりと目を通したがつい気になって開いてしまう。
「5階までの間で罠を仕掛けたのは2階だけか。」
陸の手書きの注釈によれば罠が仕掛けてあるものと植え付けることが出来れば相手は慎重にならざるを得ないから時間が稼げるとのことだった。
補足でRPGのタンス理論と書いてあるが生憎由良には理解できなかった。
「時間か。陸が目を覚ます前に決着をつけたいところだが…」
相手は魔女の配下と言っても過言ではないヴァルキリー、倒して問い詰めれば魔女に関する情報を持っているはずである。
由良は自身の胸の内で膨れ上がる憎悪を押さえ込んで首を横に振った。
「今の俺は“Innocent Vision”の羽佐間由良だ。俺の目的は二の次にしろ。」
それが超音振に晒されるという危険な囮役を嫌な顔一つせずに引き受けた陸の自分に向けられる信頼に対する答えだった。
由良はガラスのない窓から暗闇に近づいていく風景を見つめた。
あと1時間もしないうちに日は完全に沈むだろう。
当然廃ビルに電気が通っているわけではなく屋内は暗くなる。
闇討ちには好条件となるわけだ。
由良の口の端が上がる。
「まったく、陸はいったいどこまで考えてんだか。」
由良は最後にクシャリとルーズリーフを握り潰すと乱暴にスカートのポケットに突っ込んだ。
浮かべていた笑みを消して闇の増えた屋内の一角に身を潜めた。
(作戦は覚えた。あっちの動きに注意さえしておけば俺の仕事はそう多くはない。俺のなすべきことをするだけだ。)
由良は静かに待つ。
陸が定めたその時を。
陸の思惑通り、良子と美保は過剰なほど周囲を警戒しながら進んでいた。
その歩みは牛歩のごとし。
廊下を壁伝いに壁を調べながら歩き曲がり角では何度も異常がないか確認、部屋を見つければ泥棒か爆弾処理班のように慎重にも慎重を重ねて一つ一つ調べていく。
そのため3階を調べ終えて4階に向かうときには既に日はとっぷりと沈みビルの内部は窓の外から差し込むわずかな光だけになってしまった。
さらに常時神経をはりつめていた2人は疲労の色も濃くなっている。
「ここまではいなかったね。外から見た感じだとあと2階かな?」
「それにしたってインヴィはともかく羽佐間由良も柚木明夜も出てきませんよ?」
美保は怒りの矛先がないせいで大分焦れていてガシガシと頭を掻いた。
良子も緊張が続く状況を打開できないことを歯痒く思っていた。
「こりゃ、バスケの試合よりもキツいね。」
それほど動いたわけではないのに身体中じっとりと汗をかいていた。
見つからない標的にいつ襲ってくるかもわからない敵、そして暗闇。
背中にこびりついて離れない不安が闇が増すごとに大きくなっていく。
これは陸が仕掛けた精神攻撃、この廃ビルはいまや下沢悠莉のコランダムと化していた。
「あと2階だ。急ごう、美保。」
「はい!」
焦り、4階へと続く階段を駆け上がった2人は中4階の踊り場を折り返した瞬間、空気に弾き飛ばされたように壁に叩きつけられた。
「な、…」
「なに、が!」
そして2人は見た。
微かな明かりを背に、禍々しく朱に輝く左目をもって2人を見下ろす羽佐間由良の姿を。
「羽佐間…」
「由良っ!」
これまで“見えざる敵”との戦いに燻っていた様々な感情が由良という明確な敵が現れたことで一気に溢れだした。
良子と美保はそれぞれのソルシエールを強く握って歓喜とも取れる凄まじい笑みを浮かべながら由良に襲いかかる。
「無駄だ!」
だが玻璃が突き出されるとまるで2人の前に見えない壁が存在しているよう体が空中で制止、
「食らえ!」
さらなる追撃を受けて2人はまた中4階の壁まで吹き飛ばされてしまった。
「げほっ、良子先輩、大丈夫ですか?」
「ああ、なんとかね。」
体勢を立て直して少し冷静になった良子に美保が小声で話しかける。
「このまま突っ込んでもさっきみたいに押し返されます。一旦退きますか?」
「羽佐間が動かないなら退いても意味がない。」
由良は玻璃を手にぶら下げたまま構えを取らずに様子を窺っている。
どんなに早く踏み込んできたところでそれよりも早く反撃できる自信の現れのようで美保の額に青筋が浮かぶ。
「ムカつくわね、あの余裕そうな態度。」
「俺も先輩なんだから敬語を使ったらどうだ?」
独り言のつもりだったが聞こえていたらしく由良はフフンと見下すように鼻で笑う。
ブチブチと美保の堪忍袋の尾が音を立てて千切れていく。
「冗談じゃないわ!むしろあたしを美保様って呼ばせてあげるわ!」
美保の怒りに呼応してスマラグドが翠色の光を放つ。
それに魅入られる者はこの場にいないが美保は構わず力を溜め
「死んじゃえ!」
翠の光の刃を打ち出した。
「はっ!」
それすらも由良は玻璃で叩き落とし、両者は静かににらみ合いながら小康状態に入っていた。
由良は表情を微塵も変えず心の中で舌打ちをする。
(飛び道具があったのか。厄介だな。)
まだ余裕があるとはいえ二重、三重の波状攻撃を仕掛けられたら対処しきれるかは微妙なところだった。
連続で2発打ち出された翠の刃を玻璃で払いのけ、詰めてきた美保よりも早く音震波を打ち出す。
大気を震わす空気の波は閉所では乱気流となり大気の壁を成す。
美保のスマラグドは由良の眉間まで数センチに迫っていたが結局逆風に押し戻されて踊り場に転がった。
今回の打ち合いも由良に軍配が上がったというのにその目は険しく細められている。
(笑っていやがったな。)
美保は押し戻されたというのに不気味なほど笑っていた。
(見破られたか。意外と早かったな。)
美保の笑みを見て音震波を放つためのタイムラグを見抜かれたことを悟った。
(確認でもう一手、次に仕留めにかかる、か?)
由良は次に突破してくると読んだが陸の指令には『由良さんを突破する場合、神峰はおそらく一度確認のために予行演習をする』と記されていた。
由良が呆れたように失笑する。
(陸には何が見えているんだろうな?)
由良が表情を引き締めるのとほぼ同時に美保が階段を駆け上がってきた。
走りながらスマラグドを振るい光刃を放つ。
由良は刹那の迷いのあと音震波を打ち放った。
空気の壁に阻まれて美保の体が制止する。
だが放たれた光刃はそれよりも早く見えざる壁を越えて由良に迫った。
「くっ!」
剣撃は間に合わず咄嗟に身を翻してかわした由良は
「もう一撃!」
弾き飛ばされる間際に美保が放った2つ目の光刃を見た。
体勢を崩した由良にかわす術はない。
直撃を覚悟して身を固くした由良は、眼前スレスレを通りすぎていく光刃を見送った。
光刃は壁を抉って消滅した。
美保は危なげなく踊り場に着地して不敵に口の端をつり上げた。
「あら、残念。外しちゃったわ。」
「…。」
わざとだろうと心の中でつっこみつつ陸の言った通りになったことに驚きを隠せない由良。
「次は外さないわよ。」
スマラグドが翠色の光を纏う。
由良は右手を後ろに引き突きの構えを取った。
暗闇に翠の光だけが仄かに輝く階段で2人は闇の向こうの敵に目を凝らす。
「行くわよ!」
「来い!」
床を強く蹴った美保は階段を這うように駆けながら翠の光刃を2つ撃ち放った。
由良は1つ目をかわし2つ目を玻璃で払いのけた。
「まだ終わらないわよ!」
美保はわずかに足りなかった距離を稼ぐため限界まで蓄積した力を振り絞って3つ目の光刃を打ち出した。
(あたしを食い止めるためにはここで風の技を撃たないと間に合わない。だけどそうしたらあれはかわせないはず。終わりよ!)
美保は由良に向けて駆け上がりながら勝利を確信した笑みを浮かべた。
由良が2撃目を弾くために振り下ろした玻璃を真下から振り抜いて光刃を打ち払った。
(風を撃たない?これで突破よ!)
由良は美保を迎え撃つように玻璃を構え直した。
「とうとう年貢の納め時ね、羽佐間由良っ!」
最後の一段で大きく跳躍した美保は大上段から脳天目掛けてスマラグドを振り下ろした。
「グッ!」
咄嗟に水平に構えた玻璃とスマラグドがぶつかり合い甲高い音が響き渡る。
「はあっ!」
由良は美保の振り下ろしを凌ぎきると力任せに美保を押し返して自身は後ろに跳躍して距離を取った。
美保はようやく到達した4階に感動しつつ由良に1歩近づく。
「姑息な技ももう効かないわよ。さあ、どうするの?」
「そんなの、正面からぶつかっていくに決まっている!」
清々しいほどに分かりやすく玻璃を振り上げた由良に美保も笑みを強めてスマラグドを後ろに引いた。
「この距離なら外さないわよ、羽佐間ゆ…」
至近距離での光刃に由良が応対しようとした直後
「羽佐間由良、覚悟!」
4階の床を下から突き破って良子が飛び出してきた。
突き出したラトナラジュはぴったり由良の立っていた位置に向けられていた。
だがそれは美保が突破するまでの位置。
そこには今美保が立ってスマラグドを振り抜こうとしていて
「良子先輩!?」
「美保っ!?なっ!?」
両者が気付いて全力で武器を反らした結果
ゴチン
とすごい音を立てて2人は大激突した。
尻餅をつく形になった美保に跨がる形で良子は美保の胸に顔を埋めて呻く。
「良子先輩、退いてください!やっ、くすぐったい。」
「うう、すまない。」
「良子先輩のことをすっかり忘れてましたけど無茶しすぎです。」
さすがに床をぶち抜いてくるとは予想していなかった。
「前がダメなら下からってね。それよりも羽佐間は?」
敵を目の前に口論する愚行に今更ながら気付いて振り返ると廊下の向こうに由良が消えていくのが見えた。
2人は飛び上がるように跳ね起きてそれぞれのソルシエールを掴むと慌てて追いかける。
「待て、羽佐間由良!」
「上の階で同じことをやられると面倒だね。一気にカタをつけるよ!」
「はい!」
2人は頷きあって廊下を急旋回して曲がり、
「バカだな。」
直後待ち構えていた由良の音震波で何度目かの壁に押し付けられたのであった。