第43話 果たし状
(由良さんの超音振は強力だけど使い所を間違えるとこちらにも被害が出てしまう。明夜はグラマリーを教えてくれないけど強いことは由良さんが証明してくれた。)
朝の登校も今日は頭を捻り続けていた。
最低限の前方注意だけで他はすべて思考に意識を集中させている。
(この作戦しかないか。だけど不安要素はやっぱり蘭さんだな。)
どんな作戦を立案しても蘭さんというイレギュラーな存在が安心を与えてくれず、お陰で数十通りにも及ぶシミュレーションが頭の中にあった。
怪我の功名とはいえ精神的にはなかなか厳しいものがある。
それでも正気でいられるのは仲間の存在があるからだ。
僕は携帯を取り出してメールを確認する。
由良さんからのメールは僕たちの戦いに不可欠な要素の確保に成功したことを知らせてくれていた。
(あそこが使えるなら気兼ねなく戦うことができる。あとはうまく誘き出せばいい。)
下沢たちは早ければ今日にも戦いを挑んでくるから罠を張っている時間はないだろう。
今ある戦力を使って勝てるようにしなければならない。
(大丈夫だ。僕には明夜と由良さんがついている。)
自分の戦略を過小評価するわけではないが相手はヴァルキリーのソーサリス、何がどうなるかは予測できない。
それでも2人ならなんとか出来ると信頼している。
いつの間にか通学路が終わっていて廊下を歩いている体が覚えている習慣に苦笑しながら教室に入ると
「半場ーッ!!」
血の涙を流す男子クラスメイトにいきなり詰め寄られた。
人の波の向こうにはニヤニヤと笑みを浮かべた久住さんと恥ずかしそうに顔を赤くした4人がいた。
(しまった!下沢のせいでこっちのことをすっかり忘れてた!)
今さら気付いても遅すぎる。
「昨日は楽しい勉強会だったのか?」
「うおー、モテ期よ、モテ神よ、俺の元に来いー!」
「闇を操り心を蝕む者を、俺は許さん!」
「半場、許すまじー!!」
怒濤のように押し寄せる男の波を前に
「撤退!」
僕は一切の抗う姿勢を放棄して今来た道を駆け出した。
説得も弁解も無駄なのはあの4人が赤くなって大人しくしていた時点で分かりきっていることなのだから。
「逃げたぞ、追え!」
「逃がすな!別動隊は迂回して挟撃を!」
出遅れた男子勢も追ってくる。
(もうすぐ授業だっていうのに。)
自分のことは棚にあげながら、ふと今のクラスメイトに魔女の力が与えられたら、と考えてしまい背筋が冷えた。
(そうさせないためにもヴァルキリーと魔女を倒さないと。)
ヴァルキリーの掲げる虐殺を背景とした恒久平和、いまだ真意が掴めない魔女によるソーサリスやジェムの産出。
これらを止めなければ世界はいずれ戦いの絶えない時代を迎えるだろう。
それは作倉さんたちのような平和な人たちを傷つける。
(そんなことはさせられない。)
別に僕は正義のために戦うなんて大それたことを考えている訳じゃない。
ただ“人”の世界にソルシエールのような力は不要だと思うから。
(だから僕はInnocent Visionの、“化け物”の力を使ってこの世界から“非日常”を消し去る。)
これが僕の意志。
ヴァルキリーから逃げるのではなく戦うための意思。
「半場ぁ!」
「さあ、追い詰めたぞ!」
どう走ってきたのか僕の前にも後ろにもクラスメイトが群れを成していた。
僕を捕えようと彼らはにじり寄ってくる。
圧倒的に不利な状況を前に笑みが浮かんだ。
(これくらいのことを切り抜けられなきゃこの先生きてなんかいけない。)
僕はわずかに空いたスペース、窓へと向かって駆け出した。
「バカな!?ここは2階だぞ!」
「待てっ!早まるな!」
クラスメイトが別の意味で慌てて駆け寄ってきたがすでに遅い。
(僕は…勝つんだ。)
迫る戦いだけじゃない、その先に待ち受けるヴァルキリーや魔女との戦いへの決意を胸に僕は窓の桟を足掛かりに外へと飛び出した。
「「ああ!?」」
クラスメイトの悲鳴にも似た叫びを背に受けながら僕は一瞬の飛翔感の後、重力に引っ張られる。
(僕はもう逃げない。)
飛び出す勇気は手に入れた。
僕は顔に笑みを張り付けながら植え込みの中へとダイブしたのだった。
「馬鹿たれ!」
「アイタッ!」
ベチンと乱暴に貼られた湿布の衝撃と清涼感に声をあげるが金子先生は呆れ顔に憤りを上乗せした顔で僕の悲鳴には取り合ってくれなかった。
「自業自得だ。いくら追われてたからって2階の窓から飛び降りる奴があるか!」
ベシベシと叩かれるが金子先生の方が正しいので押し黙る。
あの時はヴァルキリーとの対決に気を回しすぎて異常な精神状態だった。
迫っていたクラスメイトに捕まったとしても命の危険はないというのにまるで本当の敵のように思ってしまった。
普通なら躊躇ってしまう高さから跳べたのも被害妄想ともいうべき心境が作り出した恐怖心がプレッシャーを上回ったからだ。
それは僕の“日常”の心に“非日常”が侵食してきたことを意味する。
「無茶、ですよね?」
「無茶苦茶だ。半場があそこまでやんちゃだとは思わなかったぞ。一応どこも痛めてないみたいだが少しでもおかしいと思ったらすぐに医者に行けよ?」
「はい。」
金子先生がカーテンの向こうに消えていくと僕は天井を見上げた。
(あれだけの騒ぎだ。無理に噂を流さなくてもすぐにでも情報は広まるだろう。)
僕はポケットから携帯を取り出すとメールを打った。
返信の内容を確認して携帯を仕舞う。
「金子先生、ちょっと具合が悪いので帰っていいですか?」
「ここには馬鹿につける薬はないから好きにしろ。ただしさっきも言ったが異常があったら病院に行けよ。」
金子先生は機嫌が悪いらしく顔を出してはくれなかったが今はその方がありがたかった。
僕は保健室を後にすると授業が始まって静まり返った廊下を歩いて壱葉高校乙女会の居室へと向かった。
ここは別になんのことはない、学校の誰に聞いたってすぐに答えてくれる周知の事実、花鳳撫子の部屋だった。
僕はドアの前に立つと周囲に誰もいないことを確認して扉の隙間に手紙を差し込んだ。
(これでいい。あとは…)
僕はもう一度誰もいないことを確認するとその場をあとにした。
陸の予想通り、半場陸がクラスメイトに追い回されたあげく捕まりそうになって2階の窓から飛び出したというささやかな一大事は誰が広めるともなく広がり、昼休みにはほとんどの生徒が半場陸の奇行を知ることとなった。
「半場くん、どうしちゃったんだろうね?早退しちゃうし。」
心配そうに目を伏せた久住裕子を見る皆の目は冷たい。
「裕子がりくを追い詰めたのよ。」
東條八重花が皆が言いたいけど言えない思いを言葉にするとさすがの裕子も自覚があるらしくうっと呻いて苦笑した。
「ははは。」
「笑い事じゃない。」
「…ごめんなさい。」
裕子が頭を下げたことで場の雰囲気は緩んだ。
「それにしても半場の様子はおかしかったな。」
「心配だよ。」
「にゃはは、りくりくはしあわせものだ。」
中山久美の言葉に小さく笑い声が聞こえた。
クラスメイトはなんだかんだ言っても半場陸の存在を認めているのだ。
(半場君、誰も半場君をいじめたりしないよ。だから無理しないで。)
作倉叶は祈る。
ただ平穏なこの世界で陸と生きていけることを。
陸がその真逆の闘争に身を置いていることを知らない無知ゆえに。
最近は半場陸の情報を最優先で収集しているヴァルキリーもまた陸の奇行とそれによる怪我の情報を掴んでいた。
等々力良子は1年2組に出向いた。
「悪いんだけど神峰美保と下沢悠莉を呼んでもらえるかな?」
たまたま出てこようとした女子に声をかけると彼女は瞳をキラキラさせて一目散に教室へと戻って2人を連れてきた。
「ありがとう。」
礼をいうと彼女は昇天したように晴れやかな表情で去っていった。
それを見送ってから振り返る。
美保も悠莉もわずかに真剣味を帯びた表情でこくりと頷いた。
昼食のためにヴァルハラへと向かう途中、交わされるのは当然半場陸、インヴィについてだった。
「インヴィがクラスメイトに追われて逃げるために2階から飛び降りたんだってね。」
「自らを痛め付けたがるなんて。言ってくだされば私がいくらでもして差し上げるのに。」
フフフと相変わらず黒い悠莉に2人は若干距離を取りつつ話を戻す。
「Innocent Visionの発動条件はわからないけど今回のことも予知できていなかった。もしかしたら今は力が使えないんじゃないか?」
良子の仮説に美保はしばし悩む仕草を見せたあとに頷いた。
「あり得ますね。この間の怪我といい今日のことといいどう考えても未来が見えているとは思えません。」
「そうなると今が攻め時かな?」
「怪我をして力を持たないインヴィは今やまな板の上の鯉です。調教し放題ですよ。」
「いい加減にしろ!」
美保がベシッと頭を叩くと悠莉は不満げに頭を擦りながら元に戻った。
同時に左目の色も元に戻る。
「こんなところであたしらの正体をばらす気なの?」
「そんなつもりはありませんが、どうしても抑えられないんですよ。」
ソルシエールの契約は言うなれば抑制の解放、悠莉の姿は正しいのだがヴァルキリーとしての見地から2人は注意を促した。
良子はコホンと咳払いして仕切り直し、ザ・玉(仮)の方針を決定する。
「今日、手負いのインヴィを襲撃する。柚木明夜と羽佐間由良が来ると面倒だから速攻で片付けよう。」
「待ってなさい、インヴィ。」
「うふふ。」
必勝の条件が揃い3人は笑みを強めた。
凱旋のように堂々とヴァルハラのドアを開くと花鳳撫子をはじめヴァルキリーの面々が顔をしかめて待っていた。
意気揚々としていた3人に緊張が走る。
「花鳳先輩、どうかしたんですか?」
良子がごくりと生唾を飲み込んで尋ねると撫子は手に持っていた手紙を海原葵衣に手渡し、それが良子の下へ運ばれた。
差出人のない封筒には色気のないコピー用紙のような白い紙が折り畳まれていた。
美保と悠莉が固唾を飲んで見守る中、良子は手紙を開き、顔を強張らせた。
「花鳳先輩、これは…」
「本日の午前中にヴァルハラの扉に入れられていたものです。」
良子はもう一度手紙を見る。
そこにはこう書かれていた。
『本日17時、下記の場所に来られたし。Innocent Vision』
良子はギリと奥歯を噛んで手紙を握り潰した。
まるで行動を監視されているような気持ちの悪さが背筋に走って背後を振り返るが当然誰もいない。
指定された場所は建造途中で打ち捨てられ不良の巣窟になったと噂される廃ビルだった。
「罠、ですね。」
撫子がテーブルの上で指を組み直して呟いた。
それが皆の心に重くのし掛かる。
不慮の事故で2度も怪我を負うインヴィはその一方で良子たちの行動を知っているような振る舞いを見せる。
インヴィの底が見えないことに誰も口には出さないものの恐怖していた。
美保と悠莉もわずかに不安げな顔をしているのを見た良子は拳をグッと握って顔を前に向ける。
「インヴィがどんな罠を張っていようとソルシエールを持つソーサリスが3人も集まって負けるはずがない。インヴィは危険だよ。だから、ここで殺しておこう。」
良子の力強い意志に弱気になりかけていた2人が復活、しっかりと頷いた。
「どんな罠を張ろうがあたしがぶち抜いてあげるわ。」
「策が破られたときに見せるインヴィの絶望に染まった顔、楽しみです。」
気を持ち直した3人を見て撫子は笑みを浮かべながら頷いた。
「わたくしたちの宿敵、インヴィを打ち倒し、それをもってヴァルキリーの夢の礎としましょう。」
「「はい!」」
戦乙女たちは結束を強め、勝利を願って本日の昼食は急遽豚カツになった。
そして、運命の時がやってきた。