第42話 宣戦布告
そんなわけで久住さんが委員会に出ることになり放課後の予定は中止…と思いきや
「すぐに終わらせてくるから待っててね。」
といらない捨て台詞を久住さんが残していったため、僕たちは放課後の教室で何をするでもなく待っていた。
とりあえず1時間待ったが戻ってこない。
「そもそも裕子は委員長じゃないんだから早く終わらせる権限なんてないよね。」
芦屋さんの意見は尤もだが久住さんなら勢いでどうにかしてしまいそうだと考えている僕もいた。
「りく、ちょっといい?」
「…何?」
名前で呼ばせようとする八重花との静かな戦いも今のところ僕の全勝。
気を付けてさえいればうっかり口を滑らすこともない。
「む…何でもない。」
八重花はムッと不機嫌そうに答えるとそっぽを向いた。
僕は無駄に勝負精神を発揮して心の中でガッツポーズ。
「…りくりく?」
珍しく中山さんが不思議そうな顔で首をかしげて声をかけてきた。
「何?」
それは何でもないことのように
「どうしてやえちんの名前を呼んであげないの?」
爆弾発言をした。
一瞬呆けてしまったが犯人はすぐに目星がついた。
視線を向ければニヤリと笑う八重花がいる。
(やられた!)
僕が八重花の名前を呼ばなかったのは冷やかされたりするのが恥ずかしかったからだ。
特にこのメンバーにバレれば間違いなく弄られるので避けていたのだが、まさか八重花自身がばらしてくるとは予想外だった。
「…ふっふっふ、バレたからには仕方がない。」
「あ、半場が壊れた。」
僕は腕組みをして仁王立ちをして不気味な笑いを漏らす。
作倉さんも芦屋さんも中山さんも八重花ですら気味悪がって引いている中
「いじめないで下さい!お願いします。」
僕は恥も外聞もかなぐり捨てて土下座した。
「「ええっ!?!」」
さすがの作倉さんたちも予想できなかったらしく驚きの声をあげると慌てて駆け寄ってきた。
「大丈夫だよ、半場君。誰も苛めたりしないから。」
「にゃはは、苛めると怒られるからね。」
「りくを苛めるやつは許さない。」
「そういうわけだから顔を上げなよ、半場。」
恐る恐る顔をあげれば慈愛に満ちた優しい笑みを浮かべる4人の女神の姿があった。
「ありがとう、みんな。」
僕は立ち上がろうとして
「あっ…」
足を滑らせてつんのめった。
「きゃ、半場君!」
「りく!?」
「にゃー!」
「うわ、久美、巻き込まないで!」
どしーんと派手な音を立てて僕らは肉塊と化す。
「いやー、お待たせ、みん…な?」
そこに狙ったかのように最悪のタイミングで帰ってきた久住さんは言葉の途中で目を丸くして硬直した。
無理もない。
僕は作倉さんと八重花を下に敷き両手がそれぞれ中山さんと芦屋さんに触れているという、詳細を述べると少年誌では規制をかけられかねない惨状にあった。
「「あ…」」
僕たちは自分たちが置かれている状況に間抜けな声を漏らした。
僕らを見つめる久住さんの口が三日月のように弧を描いて歪んだ。
「…ごめーん。ちょっと用事が出来たから帰るね。それじゃあごゆっくりー。」
久住さんはとても楽しそうに、それこそスキップしながら教室を出ていった。
「わー!久住さん、待った!」
「ん、半場!強くするな!」
「半場君、うごか、ないでください。」
「ん。」
「にゃはは、酒池肉林。」
「あーっ!」
こうして久住さんは去り、僕は明日を迎えるのが怖くなって、ほんの少しだけ許されざる幸せな感触に浸るのだった。
結局放課後の予定が流れた僕たちは今さら遊びに行く気にもなれずそれぞれの帰路についた。
日が傾きかけた日中とも夕方とも言えない微妙な時間、人通りもほとんどない通学路を歩いていた僕は視線の先に見えた1人の壱葉高校女子の姿に戦慄を覚えた。
彼女は僕の存在に気付くと笑みを浮かべて近づいてくる。
「お久しぶりです、インヴィ。」
「下沢、悠莉。」
下沢は怯えて後ずさる僕とは対称的に余裕の笑みを湛えたままゆっくりと歩み寄ってきた。
(まずい。明夜と由良さんに連絡をしないと。)
人目のある昼間だということで油断していた。
今は周りに誰もいないしヴァルキリーの力を使えば人を寄せ付けなくすることも簡単に出来るはずだ。
僕が直接の戦力にならない以上こういう事態のために2人のどちらかと行動するべきだった。
(逃げるか?だけど背中を向けた瞬間に斬られるかコランダムにやられる。)
対峙した瞬間に逃げ出すべきだったのだ。
すでに近付きすぎてどう動いても下沢の射程内になってしまった。
「随分と素敵な表情ですね。気丈に戦う意思を見せながらも怯えているのが分かる緊張感。ああ、堪りません。」
下沢は足を止めて恍惚とした表情を浮かべた。
「人としてその性癖はどうかと思うよ。」
「ふふ、美保さんにもよく言われます。」
仲間に言われるのかとツッコミたくなったが自粛。
余計なところで機嫌を損ねてはいけない。
下沢は僕から数歩離れた所で立ち止まった。
「どうしました?未来を見る目をもってすればこの状況を打開することもできますよね?」
下沢が僕の傷を眺めて口許を歪めた。
「それとも…今ここでは使えませんか?」
それはまるで確信があるような口振りだった。
だけどそれほど驚きはない。
(常に見えている訳じゃないことはバレたか。)
その事実が隠し通せないことは分かりきっていたのだから慌てることもない。
そしてInnocent Visionの本質が夢であり、発動中の僕が完全に無防備になるという最大の弱点が露呈さえしなければ問題なかった。
「…そうだね。それで?」
僕が涼しい顔を演じて尋ね返すと下沢は面食らったように押し黙った。
わずかな間を置いて下沢にまた穏やかな笑みが点る。
「やはり一筋縄ではいきませんね。今日は伝言を伝えに来ました。等々力先輩と美保さん、そして私の3人が近いうちに勝負を挑みます。」
それは下沢たちからの宣戦布告だった。
僕は黙って頷く。
この場で殺されるよりは戦いの場を用意した方が作戦を練ることができるからだ。
「それにしても、まったく動揺を見せてくださらないとなると他にも隠している力があると勘繰ってしまいます。」
「さあ、どうだろう?少なくとも僕にソルシエールはないけどね。男がその力を得るとジェムになるみたいだから要らないけど。」
「ジェム、ですか。」
下沢の目がわずかに細められた。
「知らない訳じゃないでしょ?魔女から力を与えられた男たちのこと。夜の町に出没する怪物。」
下沢は答えない。
表情はわずかに曇ったが肯定も否定もその程度の変化からでは読み取ることはできなかった。
僕はポケットの中に手を入れてスタンガンをいつでも使えるように準備する。
武器にはならなくても護身用の道具、足止めや撤退させるくらいはできるはずだ。
僕と下沢が表面上は静かに睨み合いを続けて数分、僕の後ろの方から車の迫ってくる音が聞こえてきた。
下沢はにこりと笑って僕に向かってくる。
僕は緊張を面に出さないように気を張りながら動きやすいようにわずかに腰を落とした。
一歩、一歩、もう手の届く範囲に来ても下沢はアクションを起こさない。
後方から迫る車が僕を抜き去るのと同時に
「―――」
下沢は僕の脇を通りすぎていった。
僕の体に新しい傷は刻まれず、心に動揺を植え付けられた。
振り返ったが下沢の姿はなく、僕は誰もいない場所で立ち尽くす。
「近いうちに3人で会いに来るって?」
それは以前見た夢の実現。
全面戦争とまではいかなくてもこちらの総力戦は避けられない。
(しかもあの夢だと蘭さんが飛び入りで参戦してくる。さらに厳しくなるな。)
下沢は本当に宣戦布告をしに来ただけだったようでしばらく警戒していたが何も起こらなかった。
僕は深くため息を漏らすと携帯を開いて明夜と由良さんにメールを送信する。
タイトルは『"Innocent Vision"』
明夜と由良さんを家に呼んで僕たちはヴァルキリー3人への対策会議を開いていた。
母はいろんな女の子が来るので驚いていた。
「それで、"Innocent Vision"で呼び出すほどの用事だ。何があった?」
由良さんは持ってきたお茶やお菓子には手もつけず本題を持ちかけてきた。
このあたりは無言でお茶とお菓子を食べている明夜とは違う。
「下沢悠莉から宣戦布告を受けた。等々力良子、神峰美保、下沢悠莉の3人が近いうちに勝負を挑んでくるよ。」
由良さんもお菓子を頬張っていた明夜も目を見開き動きを止めた。
「陸。」
「下沢に会ったのか!大丈夫だったか?」
2人に心配されてちょっと嬉しかったが喜んでばかりもいられない。
「今回は伝言だけだった。わざわざ教えに来る理由はわからないけどね。」
本当に僕たちを倒したいなら闇討ちで1人ずつ潰していく方が効率がいいのだからこれはヴァルキリーの礼儀なのだろう。
「下沢悠莉が陸を気に入ってるだけ。」
「…ノーコメントで。」
その可能性は否めないが勘弁願いたい。
あの下沢悠莉と付き合えるのはきっと命さえ投げ出せるほどの真性のMか下沢をも上回る究極のSだろう。
「それともう1つ悪い知らせがあるんだ。Innocent Visionで見た時、その戦いに江戸川蘭さんが乱入してきてヴァルキリー側につく。」
明夜は首をかしげた。
それはそうだろう。
まさか蘭さんが実はソーサリスでヴァルキリーについたなんて思わないだろうから。
「蘭さんはヴァルキリーのソーサリスなんだよ。」
「そう。」
明夜は表情を変えなかった。
その無表情の裏で怒っているのか悲しんでいるのか、それとも本当に何も感じていないのかはわからない。
「陸、それは3対4で間違いないな?」
「そのはずだよ。」
「そうか。総力戦だと神峰のグラマリーは厄介だからな。」
確かに人の多い場所でエスメラルダを使われると3対4が3対100になるので厳しい。
「それで、どうする?」
「何か策はないのか?」
ここからが本題だ。
状況を踏まえた上でこちらが有利に戦いを進められる戦場を作り上げなければならない。
「僕が戦えない以上“Innocent Vision”は卑怯と言われても1人ずつ倒していくべきだよ。」
僕が戦えてヴァルキリーに匹敵する力があったなら各個撃破も出来るのだが仮定の話をしても仕方がない。
「どこか人のいない屋内でうまく誘導して1人ずつ隔離して明夜と由良さんが一斉に攻撃を仕掛けて倒していくとか。とにかく全員で戦うには分が悪い。僕が囮になってもいい。」
相手であるあの3人は僕が姿を見せればあっさりと追ってきそうな気がする。
(だけど、蘭さんは読めない。)
もしかしたら蘭さんには僕の作戦なんてお見通しかもしれないと思わせる底知れない感じがある。
可能なら真っ先に蘭さんを無力化しておきたいところだが幻覚と精神攻撃を使う相手に下手に手を出すとこちらが痛手を負いかねない。
何か手を考えないと。
「んー。」
陸が頭を捻っている間、明夜と由良は
「陸がものすごく考えてる。」
「そうだな。さすが“Innocent Vision”のリーダー兼参謀だ。」
「んー!」
「でも、頭から煙を出してる。」
「おい、陸!無理するな!」
“Innocent Vision”の会議は真面目に、どこかおかしく進んでいった。
「インヴィに戦闘力はない。だから先に柚木明夜と羽佐間由良を叩く。」
等々力良子らもまた来る戦いに備えて作戦を練っていた。
「コランダムで封じるのはどうですか?」
「だけどインヴィが知っているから大人しくやらせてくれるか?発動直前が一番無防備だったよね?」
「はい。」
下沢悠莉はありのままの事実として頷く。
「エスメラルダの大軍勢でごり押しはどうです?」
「…いくらヴァルキリーのためにプライドを擲ったって言ってもさすがにそれは、ね。」
「そうですか。」
少し不満げな神峰美保も良子の言いたいことは分かっている。
(殺すなら直接自分の手で。ふふ。)
(インヴィを絶望に誘って差し上げます。)
美保と悠莉が不気味に笑う様をちょっと引き気味に見た良子は勢い良く立ち上がり拳を握った。
「よし!紅玉、翠玉、青玉のソーサリス、チーム“ザ・玉”の本気を見せてやろう!」
意気込む良子だったが続く返事がないことをいぶかしんでいると2人はとても距離を取って冷たい目をしていた。
「“ザ・玉”、無いわ。」
「ふふふ、死ねばいいのに。」
「美保、悠莉。私たちはチームだろ!?」
「そうでしたっけ?」
「一人相撲だったのではないですか?」
「お前ら冷たいな!」
こちらもまたシリアスとは少し違う。
それでも両者、命を懸けた戦いの準備を着々と進めていくのだった。