第41話 日常と非日常の日常
夜、羽佐間由良は渋谷まで足を運んでいた。
深夜ではないものの帰宅や食事のピークは過ぎ、酒を理由に騒ぐ時間も終わった今、明かりだけが煌々としていて人影は疎らだった。
由良は渋谷駅前から全周を見渡す。
以前超音振で粉々に吹き飛ばしたガラスは綺麗に張り替えられ、看板も修復されていた。
(ご苦労なことだ。)
見栄のために行われたであろう多大な労力は労うが破壊を行ったことへの謝罪の念はない。
殺らなければ殺られる、そんな世界での戦いにとって周囲への被害など二の次でしかない。
由良はもう一回り、今度は視線を下に向けて人の流れを見回した。
すでにへべれけかほろ酔いくらいしか見えず制服姿の由良はとても目立っていた。
遠くにいた警官が近づいてきそうな気配だったので由良は小さく舌打ちすると踵を返して人通りの少ない町の裏側に向かった。
看板や店舗による照明がほとんどなくなり街灯だけが照らす夜道に入ってから由良は携帯をとりだした。数コールで繋がる。
『…何?』
実に素っ気ない言葉が返ってきて由良の顔に笑みが浮かぶ。
「そっちはどうかと思ってな。いたか?」
『いたら電話に出てない。』
「なるほど。」
由良がクツクツと喉の奥で笑いながら足を止めた。
「こっちはいたみたいだ。切るぞ。」
『ん。』
視線の先にある街灯の下では頭にネクタイを巻いた中年男性が数人車座になって座り込んでいた。
ごく小規模なサバトでも行っているのか魔女の気配が立ち上っている。
「今日もはずれ…ジェムか。」
由良の小さな呟きに円陣を組んでいた男たちがピクリと反応した。
振り返った顔は左目が朱に染まり正気を失っているようにだらしなくよだれを垂らしていた。
由良は臆することなく近づいていく。
「植え付けられたのはいつだ?さっきなら魔女は近くにいるな?」
「うう!」
男たちは由良を警戒するように唸りながら威嚇するばかり。
由良は嘆息すると聴取を諦めた。
左手を前に突き出す。
「話せないなら俺の邪魔をするな。玻璃!」
左目がカッと朱色に輝き左手に水晶を削り出したような剣とも槍とも言える刃が顕現した。
「がああ!」
獣のような雄叫びをあげた男たちはまさに獣のごとき脚力で地を蹴って由良に襲いかかった。
「その程度!」
由良は玻璃を構えたまま大きく後ろに跳躍して相手の硬直した瞬間を狙うために力を蓄えていた。
だが跳んでいる無防備な状態の由良の足に長い触手が巻き付いた。
バランスを崩した由良は着地を誤り
「ぐっ!」
地面に叩きつけられた。
すぐさま起き上がって触手を切断する。
見れば男の1人の指が触手となって蠢いていた。
「そうとう手癖が悪かったらしいな。」
顔の汚れを袖で乱暴に拭き取って立ち上がると再び触手が迫る。
由良は先の教訓を活かして飛び上がりはせずジェムの右手から伸びた触手をまとめて切り落としながら右回りに旋回するように走り込んだ。
「はぁ!」
一閃、両手が体から切り離されてジェムは悲鳴を上げることもなく泡を吹いて倒れた。
そのわずかな余韻も許さず腕が2倍くらいの体積に膨れ上がった男と左手が槍のようになった男が左右同時に襲い来る。
「面倒だ!」
由良は触手男の胴体に玻璃を突き立てて止めを刺し、地面に突き立てた玻璃にすがるように膝立ちの格好になる。
由良の左目が輝きを増し
「超音壁!」
直後、両側から迫っていたジェムの攻撃が何もない場所で不自然に押し止められた。
由良は地面から玻璃を引き抜いて立ち上がる。
男たちは何度も己の武器を振るうが見えざる壁に阻まれて由良へは届かない。
それでも愚直に攻撃を仕掛けようとした拳と槍が先に限界に達してひしゃげた。
「ガアア!」
雄叫びのような悲鳴を耳に由良は笑みを強めて地面を蹴った。
狙いは剛腕男。
「超音壁は攻撃する盾なんだよ。」
地を這うような移動から急制動、起き上がりざまにひしゃげた腕を切り飛ばし
「くらえっ!」
返す刀でもう一方の腕も両断した。
由良はそのまま玻璃の慣性に逆らわず身を低くした。
流れる髪を貫くような槍がほんの少し前まで頭のあった空間を貫いた。
由良は低い軌道で大きく体を回転させ振り返ると同時にそのまま腕を切り払った。
一瞬のうちに武器を失ったジェムは
「オオオォ!」
発狂してバタリと仰向けに倒れた。
由良が警戒しながら脈を取ってみたがすでに事切れている。
ギリッと由良が奥歯を噛んで顔を歪めた。
「むなくそ悪いな。」
魔女への怒りを愚痴に溢して由良はその場を後にする。
最近はうまく発動前に止めることもできていたが今日のはまた事件になるだろう。
警戒されると動きづらくなり、その分闇に蠢く者たちが動きやすくなる。
「くそっ、早く魔女を見つけないとな。」
由良は夜の町へと消えていく。
その背後で遠くのサイレンの音が響いていた。
夢を見た。
2軒隣の後藤さんが宝くじを当てて大喜びし、金に物を言わせて贅沢三昧したあげく、株に手を出して失敗し最終的には一家総出で夜逃げするという絵に描いたような転落人生の末路。
「…後味の悪い夢だ。」
自分に関わらないことだけマシだが知り合いの不幸を笑っていられるほど冷たい人間ではないので気が重くなった。
たとえ未来が変わらなくてもあとで後藤さん家のポストに警告文を書いた手紙を入れておくとしよう。
「さて、学校だ…ん?」
伸びをして起き上がろうとしたところで携帯が振動し始めた。
「はい、もしもし?」
『りく、おはよう。』
「ああ、おはよう、と…」
東條さんと続けようとした僕は電話の向こうから感じるプレッシャーに言葉を詰まらせた。
『…りく?』
「…おはようございます、八重花さん。」
『うん。それじゃあまた後で。』
八重花はそれを聞くとすぐに電話を切ってしまった。
どうやらモーニングコールと意識調査だったようだ。
後で間違いなく学校でも強要されることを思うと気が重い。
特に周りの反応が。
「はぁ、着替えよ。」
愚痴っても嘆いても起こることは変わらないので僕は諦めて着替えに取りかかるのだった。
「おっす、陸。昨日も大変だったな。」
席に着くといきなり芳賀君が労ってくれた。
ありがたいがどうしてもその裏を勘繰らずにはいられない。
「ありがとう。」
「だから女を巡る醜い戦いなんてやめて俺と遊びに行こうぜ。」
要するに遊びのお誘いだった。
正直に言ってしまえば芳賀君と遊びに行くのはそれほど嫌というわけではない。
男色扱いは心外だが芳賀君の言うようにたまには男同士で気兼ねなく遊ぶのもありだと思う。
だけどそれを許してくれない人たちがいるのだ。
「聞き捨てならないわね、芳賀くん。」
「む、出たな。」
演劇染みた所作で振り返った芳賀君の視線の先には久住さんを先頭にした5人がいつものように近づいてきた。
「おはよう、りく。」
八重花は早速抜け出して僕に名前を呼ばせようとしてくる。
「おはよう。」
だが、日本語は主語や指示代名詞がなくてもある程度会話が成立するのだ。
思惑が外れた八重花はムムムと眉を寄せて唸ると5人の定位置に戻っていった。
その間にも久住さんと芳賀君の口論は続いている。
「芳賀君1人だけ抜け駆けなんて許されないわよ?こっちにはまだまだ半場くんに付き合ってもらいたい事がたくさんあるんだから。」
久住さんの後ろで八重花が謎の手帳を開いていた。
何が書かれているのか聞くのが怖い。
「でももう何度も陸と遊びに行ってるだろ?たまには俺にも譲れよ。」
今日の芳賀君は本気らしく久住さんに対して一歩も引かない。
視線と視線がぶつかり合い火花を散らす。
作倉さんはあわあわとどうしたものかと慌て、中山さんは笑って煽り、芦屋さんは呆れ顔で静観を決め込んでいる。
そして八重花は
「…主人公の脇にいるモブキャラが今さら好感度を上げてどうするの?」
「ぐぼはっ!」
辛辣な言葉の刃で芳賀君を一撃で葬った。
瀕死の重傷を受けた芳賀君が震える手を伸ばしてくる。
「り、陸。俺、ダメだったよ。」
「芳賀君はよく頑張ったよ。だからもう、眠っていいんだ。」
僕の優しい言葉に芳賀君はフッと笑みを浮かべた。
「そう、か。」
パタッ
手が力なく落ちた。
芳賀君はもう動かない。
…
「それじゃあ半場くんは今日付き合ってね。」
「わかったよ。」
「あの、半場君。芳賀君はこのままにしておいていいんですか?」
敗者に対しても作倉さんは優しい。
だが戦場で甘えは許されないのだ。
「いいんだよ。芳賀君は最期までよく戦ってくれた。それだけでもう十分だよ。」
「はぁ、そうなんですか?」
「…多分ね。」
ここまで乗っておいてなんだが僕の机の上に倒れてきたので邪魔だ。
かといって実力行使も気が引ける。
「しょうがないね。叶の席で話そうか。」
「そうだね。」
こうして僕は朝のホームルームが始まるまで作倉さんの席の近くで話をしていた。
そして机に戻ったときにはすでに屍はなく、わずかに濡れているだけだった。
「やあ、半場君。少しいいかな?」
そんな如何にも好青年風に声をかけてきたのはクラス委員長の黒原策だった。
「黒原君、何か用?」
直接話したのは初めてだが別にへりくだることもないので普通に返事をした。
「うん。実は久住さんに伝えておいてほしいことがあるんだ。頼まれてくれるかい?」
安易に了承しようとしてふと疑問が浮かんだ。
「別にいいけど。どうして本人に言わないの?」
何気無い質問のつもりだったが黒原君はうっと呻いて気落ちしてしまった。
なんだか申し訳なくなってくる。
「僕が久住さんに直接言ってもちゃんと聞いてくれないんだ。今日はクラス委員会があるって伝えておいたのに朝には忘れていただろう?」
「確かに遊びに行く気満々だったね。でもそれなら他の人でもいいんじゃない?中山さんとか?」
「…久住さん並に話を聞いてくれなさそうな中山さんからちゃんと伝わると思うかい?」
「あー。」
思わず納得のため息が漏れた。
中山さんなら
「にゃはは、なんだっけ?」
と普通に忘れそうだ。
「それならや…東條さんは?」
要らぬ誤解を防ぐために名字に訂正、ばれていないようだ。
「以前頼もうとしたら無茶な要求をされた。」
その無茶な要求がなんだったのか気になるが震える黒原君に聞くだけの度胸はなかった。
(八重花、何をした?)
今度機会があれば聞いてみよう。
「それなら芦屋さんは?彼女は真面目だし適任だと思うけど。」
「確かにそう思うんだが、どういうわけか1人の時に捕まえられた試しがない。偶然なのか避けられているのかはわからないけど。」
「ふーん。それじゃあ作倉さんに頼めば?いつもクラス委員の仕事を手伝ってるんだし話しやすいでしょ。」
気軽に提案したつもりだったが気付けば黒原君は怒りに顔を赤くして震えていた。
「半場君は僕の情けない姿を作倉さんに晒せというのか?」
周囲を気遣う様子もなく叫んだ黒原君だったが幸か不幸か作倉さんたちは教室にはいなかった。
確かに久住さんを言い含められないから言っておいてほしいなんて情けないこと極まりない所を見られるのは耐えられないのだろう。
黒原君は背中に目でもあるのか作倉さんたちが教室に戻ってくると
「それじゃあ頼んだよ。」
と去っていってしまった。
入れ違いに作倉さんたちがやって来る。
「あれ、半場くん。黒原くんと何話してたの?」
「久住さんの職務怠慢に対する愚痴。今日クラス委員会だって。」
「ああ、忘れてた。」
久住さんは悪びれずに笑うが作倉さんや芦屋さんに窘められた。
これで忘れることはないだろう。
「それにしても半場君は黒原君と仲がよかったんですね。」
作倉さんの邪気のない笑顔に僕は苦笑して
「そうだね。」
と答えておいた。
本当のことが言えるわけがない。
「…。」
作倉さんが僕に笑いかけてくれるほど僕と黒原君の関係に溝を作っていくだなんて。
「はは。」
知らぬは当人ばかりなり。
作倉さんを除くクラスメイトの全員が苦笑していた。
そこに悪意は感じられない。
やっぱり作倉さんは平和が似合う人だった。