第38話 Stun Innocent Vision
目が覚めると応接室のようなソファーの上に寝かされていた。
「ここは…?」
「お店の裏よ。」
視線を巡らせると向かいの席では東條さんがパソコンのカタログを見ていた。
東條さんは本を閉じると僕の前までやって来て額に手を当てた。
「平気?」
「うん。ちょっと嫌な夢を見ただけ。」
心配してくれていなかったわけではなく、僕を信じていてくれたことがわかり嬉しくなった。
起き上がってソファーに腰かけると東條さんも隣に腰を下ろした。
「…ありがとう。迷惑かけちゃったね。」
「受け取っておく。でもりくがそういう病気だって理解しているから平気よ。」
東條さんは何でもない風に言っているがきっと騒然となった店内でいろいろと手を回してくれたのだろう。
それでも東條さんは嫌な顔をせずにこうして付き添ってくれている。
(本当に僕は人に迷惑ばかりかけてるな。)
いくら謝罪したところで足りないくらいみんなには感謝しているのにそれを形として返すことができない。
それが嫌だった。
「…もし、負い目に感じているなら…」
「!?」
ピンポイントなタイミングの発言に驚いて顔を横に向けると東條さんは何かを企んでいそうな不敵な笑みを浮かべていた。
僕が座ったまま距離を離すとその分以上に東條さんが詰めてくる。
ソファーの端にはあっという間に到達してしまって追い詰められてしまった。
「どうしたらいい?」
もはや諦めて要望に従おうと尋ねると
「明日のデート、いっぱい楽しもう。」
東條さんは見惚れてしまうくらい可愛らしい笑顔を見せた。
猛烈に恥ずかしくなって視線をそらした僕の前に東條さんが移動してくる。
「どうかしたの、りく?」
言葉で見れば心配してくれているように受け取れるが表情はどう見ても面白がっているソレである。
「が、頑張るよ。」
どうにかそれだけ絞り出した僕に
「楽しみ。」
東條さんは極上の笑みを返してくれたのだった。
迷惑をかけたことを謝罪をして店を出ると冷たい風が頬を撫でた。
見上げれば日が傾いてきていた。
「りくはゆっくり休んで。明日は駅前に10時よ。忘れないで。」
「忘れないよ。それじゃあ気を付けてね。」
東條さんは目に見えて上機嫌な様子で帰っていった。
その後ろ姿が完全に見えなくなってから
「はぁ。」
僕は大きくため息をついて東條さんとは逆方向に歩き出した。
ため息の理由は東條さんではなくさっきInnocent Visionに見せられた夢。
(わけが分からない。)
僕と作倉さんのあの雰囲気はどう見ても別れの場面だった。
それも別の女性が現れてそちらと去っていくという人として最低な別れ方。
だがそれは突飛すぎる。
(そもそも僕と作倉さんは付き合ってない。別れの場面がある必要はないはずだ。)
確かに作倉さんは僕を好いてくれているみたいだし僕も作倉さんの優しい雰囲気に癒されることも多いがあくまでも僕たちは友達でしかない。
僕の心が劇的に変化するとは考えにくいので僕と作倉さんが付き合うことはないだろう。
そうなるとそもそもお別れの意味がないはずなのだ。
「あれはなんだったんだ?」
自分のことだというのに僕にはあの出来事を理解することができないでいた。
夕方、バレー部の練習が終わりシャワーを浴びて更衣室を出た等々力良子の前には若干疲れた様子の見られる神峰美保の姿があった。
良子の姿を見て挙げた手もどこか弱々しい。
「美保、もう大丈夫なの?」
「はい、なんとか。」
精神崩壊をどうにか免れた美保だったが数時間前に比べて別人のように窶れていて痛々しかった。さらに復活した矢先に下沢悠莉が
「美保さん、精が出る飲み物は如何ですか?」
と手渡してきた謎の液体を飲んでしまったため身も心も死にかけたのだった。
「美保は強いな。よしよし。」
「あたしの味方は良子先輩だけです。」
どちらかと言えばお嬢様然としていない2人はヴァルキリーの中でも特に仲がよかった。
良子は美保の頭を撫でながら窓の外の夕焼け空を見つめた。
(悠莉と江戸川先輩の攻撃を受けて平然としているインヴィ。君は本当に人間なのか?)
良子は自分と戦ったときのインヴィを思い出した。
(戦力はない。だけど彼には土壇場での強い心がある。精神攻撃では砕けないほどの。)
良子は決意を込めた瞳でグッと拳を握った。
(だったら壊してあげるよ。心ではなくて体をね。)
良子の思惑の裏で
「痛い!良子先輩っ!指、食い込んでるぅ!」
頭蓋骨を鷲掴みにされた美保が悶絶していた。
家に帰って食事や風呂を終えるとパソコンの電源を入れた。
インターネットに接続してお気に入りからヴァルキリーに繋ぐ。
項目の中からメンバーを選択してみるとそこには花鳳撫子をはじめとしたヴァルキリーの名前や略歴が表になっていた。
「やっぱり、あった。」
そこには新しく江戸川蘭が追加されていた。
一応作っておいて投げ出したわけではなくちゃんと変化があれば更新しているらしい。
ホームページまで戻って掲示板を見てみるが僕が前に立てていたスレッドはずっと下の方にまで追いやられていて、他の記事でたまに猟奇殺人の話題が上っているくらいで特に変わった話題はなかった。
「明夜や由良さんが派手に動かなくなったからね。」
しかし、それは同時にジェムを野放しにすることに繋がってしまう。
明夜はおそらくまた夜の町を駆けているのだろう。
人知れず、人殺しの汚名まで被ってまで罪無き人たちのために。
そして由良さんもまた仲間になったからといって魔女を探すことを止めはしないだろう。
僕がこうしてパソコンの前に座っている間にも彼女らは命のやり取りを行っているのだと考えると自分の無力感に苛まれてしまう。
「僕は自分の役割を全うしよう。」
僕の“Innocent Vision”での役割は参謀に当たり明夜と由良さんの連携をスムーズにさせたりヴァルキリーへの対策を練ることになる。
僕は背もたれに寄りかかるようにして天井を見上げた。
「2対8か。」
今の“Innocent Vision”とヴァルキリーの戦力差は絶大だ。
普通の喧嘩でさえ1対3を超えたらまず勝目はない。
ソルシエールがあるならその限りではないかもしれないがその相手もまたソーサリスではやはり無理があるだろう。
「僕がしなきゃいけないのは総力戦にさせないこと。ヴァルキリーのソーサリスを1人ずつ倒せる状況を作ること。」
要は相手を孤立させることができれば2対1となりこちらが圧倒的に有利となる。
孤立させる方法も神峰や下沢、等々力に対しては考えてある。
だがそれは相応の覚悟をもって挑まなければならない。
「結局僕が戦うことを決意出来るかだな。」
僕は机の横にかけた鞄からスタンガンを取り出してスイッチを押した。
バチバチと放電するスタンガンを見てごくりと生唾を飲み込む。
こんなものを首筋に当てていたと思うと今更ながら恐ろしくなった。
「だけどこれは僕の切り札、スタンIVを何とかものにしないと。」
持続時間やいつもの夢と違いがないかなど、知らなければならないことは多い。
僕はベッドに入り親が入ってきた時に大事にならないよう念のため布団を被った。
首筋は怖かったので腹に端子を押し当ててスイッチを押した。
バチッと体を電流が走り目覚めていることを拒絶するように僕は意識を閉ざした。
赤い。
ぼやけた視界の向こうに明滅する赤い光が見えた。
空気が悪いのか息を吸う度に体の中が痛む。
カンカンと騒がしい。
顔に何か冷たいものが降ってくるせいか体が冷たくて寒い。
赤とは違う橙色の何かが視界の端に見えた。
喧騒が大きくなる。
「ダメ!」
誰かが呼んでいた。
「死なないで!」
僕は死ぬつもりなんてない。
そう答えるはずの口がうまく動かない。
「返事をして、りく!」
少しだけ見えた世界には黒い雲と青空と赤い光、そして泣いている東條さんがあった。
目を開けると今度は真っ暗で息苦しかった。
僕は勢いよく布団を跳ね上げて新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込む。
「はあ、はあ。」
全身は水を浴びたようにびっしょりだった。
気だるい体を起こして時計に目を向けるとほぼきっかり30分だった。
いつものInnocent Visionよりも格段に早い。
もしもスタンIVがいつも30分で済むのならこれは大きな武器になる。
それは時間だけじゃない。
内容についても言えた。
「考えていた明日の事が夢になった。」
夢の内容は想像とは真逆で楽しそうとは言いがたかったがそれでも僕の顔は笑うように歪んでいた。
それも仕方がない。
これまでは気まぐれな夢の名の通り時間も場所も全く適当な内容だったのにスタンIVでは2度も自分の考えていた時間の夢を見ることができた。
まだ確証を得るには少ないがもしかしたらこれはInnocent Visionを制御する足掛かりになるかもしれない大発見かも知れなかった。
僕は興奮を押さえきれず気持ちの悪い汗だくの体のまま布団に潜り込んだ。
「これが本当に狙ってできるのか、時間は一定か確かめないと。」
ちらりと頭を出して時計を確認し、再び体にスタンガンを押し付ける。
気分が高揚しているせいかさっきみたいな恐怖は感じなくなっていた。
僕はスイッチを押す直前
(そういえばそろそろテストだっけ?)
そんなことを考えながらバチッと痛みが走りそのまま意識がシャットアウトした。
絶望感が漂っていた。
目の前の文字の羅列が異世界の文書のように思える。
ある意味数学という違う世界の文字だが。
勉強をしなかったわけではない。
それはみんなと勉強したのだから間違いない。
僕はカンニングと間違われないよう注意しながら顔を上げる。
僕だけじゃなくクラス全体でどんよりとした雰囲気を背中に感じた。
ペンを動かしている生徒はいない。
すでに諦めてペンを投げ出す者、寝てしまう者もいた。
そんな中、数学教師だけがしてやったりといった風ないやらしい笑みを浮かべていた。
「はあ、はあ。今のは?」
数学のテスト風景のようだった。
だが問題の難易度が高くて今の授業範囲の応用問題かさらに少し先の分野の問題という感じに予習と復習が完璧な生徒にしか解けないように出来ているようだった。
「あれでいいのか数学教師?」
何があったかは知らないが大人げなさ過ぎる。
僕は布団から起きて時計を見る。
布団に入る前から40分くらい経っていた。
「はあ、はあ。だいたい1時間以内か。」
これは大きな収穫だ。
普通に眠るのと違って目覚める時間がある程度決まっているならうまくやれば戦闘中にスタンIVを使うことができるかもしれない。
戦場で先が見える利点は計り知れないので勝率は格段に上がる。
「はあ、はあ。でも、疲れる。」
無理矢理Innocent Visionに入っているせいかはたまたスタンガンのせいか体力の消耗が異常に早くて3回目に挑む気にはなれなかった。
「使用制限は、2回かな?」
3回目を使ったら流石に身が持たない。
2回使った今でさえ起き上がるのも億劫なのだから3回使ったら最悪動けなくなるかもしれない。
「明日からは、1回ずつ試して精度と時間を、確認、していこう。」
独り言すらも途切れ途切れなほど疲れたのでこのまま寝てしまおうと目蓋を閉じた。
ブゥゥゥ
と、最悪のタイミングでマナーモードを解除していない携帯が振動した。
どうやらメールではなく電話らしい。
出たくはなかったがいつまでも鳴り続けるので仕方なく手を伸ばして携帯を取り通話ボタンを押した。
「もしもし?」
「…」
相手は無言だった。
「もしもし?悪戯ですか?」
やはり返事はない。
ただテレビの砂嵐のようなサーとかザーという音がするだけだった。
だけど僕は夢で何度も見ているあの無限に広がる砂漠を思い浮かべていた。
「…新たなる力の目覚め。いや、まだ微睡みね。」
「!?」
それはどこかで聞いたことがあるような声だった。
「君は!」
「ツー、ツー、ツー。」
尋ねようとしたときにはもう電話は切れていた。
慌ててリダイヤルをしたが返ってきたのは
「現在この番号は使われておりません。」
という機械的な音声だけだった。
僕は携帯を睨み付ける。
「誰なんだ、一体?」
謎の存在にうすら寒いものを感じて布団に潜り込んだ僕だったが心霊番組を見た後みたいな気分になってしまって結局夜遅くまで寝付けなかった。