第34話 良薬口に苦し
「へくしょん!」
僕は顔半分を隠すくらい布団を被り額に濡れタオルを乗せていた。
いわゆる風邪というやつで頭がボーッとするし鼻水も止まらない。
昨日寒空の下でInnocent Visionの副作用である深い眠りに落ちていたのだから仕方がない。
当然今日は学校を休むことにした。
「はあ、はぁ。」
自分の吐き出す息が異様に熱く、体も熱いのに芯の部分は酷く寒い。
「情けないな。」
軟弱なこの身が怨めしい。
こんな時にヴァルキリーが襲ってきたらいつも以上に何もできないまま殺されてしまうだろう。
「由良さんにも、会わなきゃいけないのに。」
電話でもいいのだが僕達の相手はお金持ち、テレビの中でしか見たことがないような通信傍受をしてくるかもしれない。
そうなると明夜の存在の露見やその目的などがバレる心配が出てくる。
内緒話は内密にするべきだ。
「げほっ、ごほっ!」
とにかく今は風邪を治すとしよう。
落ちてきた目蓋に抗うことなく僕は眠りについた。
視界にモザイクをかけたように不鮮明だ。
ここがどこなのか、自分がどんな体勢でいるのかすら判然としない。
(誰か、いる?)
モザイクの世界にドットの粗い黒色が動いていた。
それも複数、僕の目の前に動いていた。
「…」
何かを話しているようだったが壊れたラジオみたいに雑音ばかりで誰が話しているかは分からなかった。
人影が視界から消えていこうとする。
それがなんだか無性に心細くて
(待って。)
僕は重たい体を引きずって手を伸ばしていた。
「半場君。」
「…ぇ?」
目を開けると苦笑を浮かべつつ優しく僕を見ている作倉さんの顔があった。
なぜかぎゅっと作倉さんの手を握っていた。
「大丈夫ですか?」
「…うん。」
まだ現状をうまく理解できていないが作倉さんの優しい声に落ち着いた。
「みんなでお見舞いに来たんですけど寝ていたみたいだったので帰ろうと思ったんですけど、起こしちゃいましたか?」
作倉さんの向こうから久住さんや東條さん、中山さんと芦屋さん、明夜の姿もあった。
「お見舞いに来たよ。」
「にゃはは、元気?」
「桃缶買ってきたけど食べられそう?」
普段は騒がしい2人は普通に気遣ってくれるし芦屋さんの気配りも泣けてくるほど嬉しい。
作倉さんと手を離すのは名残惜しかったけどタオルを変えてくれたりと甲斐甲斐しく看病してくれた。
ただ…
「りく、寒いでしょ?私が暖めてあげる。」
そう言って東條さんは布団に潜り込んでこようとするし
「陸、熱い。これ飲んで。」
明夜はどこから取り出したのかキンキンに冷えたスポーツドリンクを頬に押し付けてきた。
スポーツの後じゃないんだから、たとえスポーツの後でも冷たすぎて体に悪そうだ。
「りく。」
「陸。」
美少女たちに好かれて看病されるのは普通なら嬉しいだろうが体がだるくて寒気がして頭がくらくらする現状では正直勘弁願いたい。
「やーめーてー。」
「陸は私が看病する。」
「私よ。」
僕を取り合う形で争う2人に僕は抗う力すらでないので諦めた。
「いい加減にしなさーい!」
ビクリと大気が震えて世界が静まり返る。
大声で言い放ったのは
「作倉、さん?」
なんと作倉さんだった。
作倉さんは呆然とする2人から僕を奪い取って庇うように胸に抱いた。
しっかりと抱き締められて恥ずかしかったがすごく落ち着く。
「半場君は病人なんですよ!優しくしてあげないといけないのに!」
普段の作倉さんからは考えられない迫力に東條さんも明夜も怯えていた。
「もう2人には任せておけません。半場君は私が看病します。」
作倉さんは僕を優しく布団に戻してくれながらも苛烈なほど2人を糾弾し、宣言した。
「でも…」
「叶…」
「いいですね?」
「「はい。」」
反論しようとした2人も作倉さんの凄みのある笑顔の前に素直に頷くよりなかった。
「おお、叶が勝った。」
「成長したな、叶。」
「にゃは、愛の力。」
久住さんたち同様僕も作倉さんの変化には驚いているが
「半場君、辛かったら何でも言ってくださいね。」
さっきまでの迫力とは打って変わって優しい微笑みを浮かべた作倉さんを見ていたら熱も手伝ってどうでもよくなった。
「うん。」
素直に返事をすると作倉さんは笑ってくれて、それがとても暖かかった。
いつまでも大勢でいたら迷惑だろうと久住さんと中山さん、芦屋さんは帰っていった。
東條さんと明夜は残ったが作倉さん効果か大人しくしている。
今は芦屋さんの持ってきてくれた桃缶を食べさせてもらっていた。
「はい、半場君。あーんしてください。」
作倉さんは缶切りと取りに行ったときに一緒に持ってきたフォークに桃を一切れ突き刺すと汁を溢さないように手を添えながら差し出してきた。
熱で思考が麻痺しているのか、単に誰かに甘えたかったのか僕は抵抗することもなく口を開ける。
「あーん。」
口を開けると程なくして甘い桃が放り込まれた。
ジューシーな桃の甘味が口の中に広がる。
「あー、りく。」
「美味しそう…。」
部屋の隅に座っていた2人はその行為を、もしくは桃を羨ましそうに見ていた。
「おいしいですか?」
「うん。」
「よかったです。」
作倉さんは僕の額に乗ったタオルで額に浮かんだ汗を拭いてくれると水を張った洗面器で冷やしてまた乗せてくれた。
「うー。」
ちょっと温いけどそれ以上に体が熱いので心地よい。
その一時の刺激にもすぐに慣れると今度は眠くなってきた。
(せっかくお見舞いに来てくれたのに。)
僕の人生で「友達」がお見舞いに来てくれた経験なんて一度もなかったからどうしようもなく嬉しくて、だからこそこの優しい時間が終わってしまうことが堪らなく寂しい。
「眠くなりましたか?無理しないでゆっくり休んでください。」
作倉さんが安心させるようにポンポンと布団を叩く。
どこまでも優しい作倉さんの笑みがぼやけ、やがて僕はまた眠りの中に落ちていった。
もういい加減慣れてきたがここは全方位すべてにおいて砂漠の広がる空間だった。
最近ここは未来ではないのではないかと思えてきた。
(だとしたらここはいったいなんなんだ?)
誰かの見ている夢にしては毎回殺風景すぎる。
何よりここが誰かの夢なのだとしたら主はあの少女でソーサリスである可能性が高い。
(ソルシエールの力で夢に干渉しているのか?)
まさに魔法的なソルシエールの力ならそれくらい出来そうだ。
「なかなか高い順応性ね。」
(また君か。)
気が付けば目の前にまた女の子が立っていた。
真っ白な長い髪と同じく真っ白なワンピースを風に靡かせて見た目には不相応な大人っぽい笑みを浮かべていた。
作倉さんとは真逆の酷く冷たい、その中にわずかな興味を宿した目。
(君は誰なんだ?)
「ふふ、それを知るにはあなたはまだレベルが足らないわ。」
どこかで聞いたことのある文句だ。
視界がぼやけ、意識が覚醒へと向かっていく。
「最後に1つだけあなたのレベルに見合った情報をあげる。」
少女は左目を朱に輝かせながら嫌らしいほどに笑みを強めた。
「寝起きに気を付けなさい。」
その意味を理解する前に僕のまぶたは閉じられた。
窓から差し込む光が眩しいから朝が来たことを示していた。
掛けたかどうか覚えていないが定刻通りに目覚まし時計が起きろと急かしている。
お腹の辺りに重みを感じながら目を開けると、馬乗りになった女の子がとてもいい笑顔を浮かべながら剣を振り上げていた。
(これはっ!)
逆手に握られたスマラグドは切っ先を僕の胸に合わせていた。
「神峰美保、さん!」
夢の光景の後追いを逃れるべく「さん」をつけると神峰は一瞬キョトンとして手を止めた。
「寝起きのわりに頭の回転が早いわね、インヴィ。」
「なんでここに?」
「インヴィが病欠したって聞いたからヴァルキリーからのお見舞いよ。」
指差されたベッドサイドには確かにものすごく豪華そうな果物セットが置いてあった。
「なら、なんで?」
神峰はふふんと得意そうに笑った。
「無防備な獲物を前にして帰るほどこの神峰美保は甘くはないってことよ。」
命の危機に無我夢中で逃げようとするが馬乗りになった神峰は腕と胴体をまとめて太股で挟み込んで動きを封じていた。
「安心しなさい。あたしは優しいから、一思いに殺してあげるわ!」
神峰の顔が壮絶に歪みスマラグドが降り降ろされる。切っ先が胸に突き刺さった
その瞬間、スマラグドが弾かれて飛んでいった。
僕も神峰ですら何が起こったのか一瞬理解できなかった。
別に僕の体が鋼鉄でできている訳じゃない。
ただ横合いから高速でぶつかった刃がスマラグドを弾き飛ばしただけという簡単な事実は
「なんでここにいるのよ、柚木明夜!?」
神峰の叫ぶまま、なぜか明夜がソルシエールを構えて僕の部屋に躍り込んできた。
「陸はやらせない。」
続く明夜の斬撃を神峰は僕の上から飛び上がって避けると床に転がっていたスマラグドを拾い上げて明夜に向けて振るった。
刃のぶつかり合う音が甲高く響く。
階下から人が駆けてくる足音が聞こえてきた。
「くっ。今日のところは引かせてもらうわ。」
僕たちを忌々しげに睨み付けた神峰は2階だというのに窓から飛び出していってしまった。
結局ベッドから起き上がることなく騒動の終結を迎えた僕は振り返り、同時に開いたドアの向こうに目を向けながら尋ねた。
「みんな、なんでパジャマなの?」
そこに立っていた明夜と東條さん、そして作倉さんはそれぞれに可愛らしいパジャマ姿で立っていた。
結局さっきの騒ぎは明夜が侵入してきたことに僕がビックリしてドタバタしてしまったと言うことで誤魔化した。
明夜は大人しく作倉さんと東條さんのお説教&愚痴を受けている。
やれ私がこっそり添い寝をするはずだったなど。
風邪も大分よくなったので喜ばしいことだが目の前には謎が残されたままだ。
僕は明夜への糾弾を止めるのを兼ねて声を掛けた。
「それで、3人はどうしてここに?」
言いつつ3人の格好を眺める。
明夜は白地にパンダの水玉柄、作倉さんはフリフリのついたピンク色のものと可愛らしい格好だったが東條さんだけはスケスケのネグリジェだった。
一応良心はあるらしく中に薄手のシャツとドロワースを着ていたがそれもどこか色っぽい。
東條さんは僕の視線に気付いたらしくネグリジェの端を摘んで見せてきた。
慌てて目をそらす。
「昨日半場君が眠ってすぐに帰ろうとしたんですが、八重花ちゃんと明夜ちゃんが帰らないって聞かなくて。そうしたらご両親が止まっていくよう言ってくださったので。」
お泊まりセットを取りに帰ってもう一度来たのだという。
その元凶である2人は口論こそ無いものの睨み合いながら火花を散らしていた。
(でも悪いことしたな。…それと凄く勿体無かった、Innocent Visionのバカ!)
看病のために泊まらせてしまった申し訳なさとそんな女の子のイベントを知ることもなく朝を迎えてしまったことへの悔しさが溢れてくる。
3対7くらいの割合で。
作倉さんが「明夜ちゃん」と呼んでいたのがいい例だ。
昨日まで柚木さんだったはずだから。
でも、
「僕のために、みんなありがとう。」
“こんな”僕のために集まってくれたことが嬉かった。
笑いかけると作倉さんも諍いを続けていた東條さんも明夜もみんなが優しく微笑んでくれた。
と、爽やかな朝の日差しが差し込む窓に目を向けた僕は、その視界に目覚まし時計を納め…時計の針がわりと絶望的な位置にまで到達していることに気付いてしまった。
「半場君、どうしました?」
「りくが固まったわ。ん!」
「…時計。」
僕の視線の先に皆も気付き
「「遅刻ー!」」
僕たちは朝から全力で疾走することになったのであった。
若干アウトで教室に飛び込むと
「3人とも、昨晩はお楽しみだった?」
悪戯な好奇心全開の久住さんと
「なんで俺だけ除け者だったんだー!」
最近めっきりかわいそうな人になってきて嘆く芳賀君と
「おのれ、半場。多人数プレイとはずいぶんといい御身分だな?」
「鬼畜、鬼畜がいるわ!」
「もう妬ましいを通り越して尊敬する!わたくしめにそのモテ理論を伝授してください!」
僕が風邪で休んだことなどすっかり記憶の彼方に追いやったクラスメイトが待っていた。
「ふえーん、私、先生なのに。」
そして大人なはずの先生が泣いていた。
「…カオスね。」
東條さんは笑う。
片手には送信済みの画面の携帯を持って。