第33話 交渉
僕は阻み尋問しようとする久住さんたちをかわし、
東條さんに対抗意識を燃やしてデートと言う名の引き回しに連れ出そうとする明夜をまき、
潤んだ瞳で見詰めてくる作倉さんに後ろ髪引かれるような罪悪感を覚えながら駆け抜けて蘭さんを探していた。
だが一つ大きな問題があった。
「蘭さんて何組だ?」
一応1年の教室が並ぶ2階のフロアを駆け抜けて探してみたが蘭さんの姿はなかった。
出来るだけ早く出てきたとはいえそれ以上に早く帰ってしまったのか今日はいないのかとにかく見つからない。
「しょうがない。とりあえず明夜のことを由良さんに報告しよう。」
後回しにしていたわけではなく蘭さんが快く仲間に加わってくれたなら一緒に報告できると思ったからだ。
(あの蘭さんが快く…とは思えないけどね。)
楽しむこと第一な明るい蘭さんと酷く冷たい声を出す裏の蘭さん、どちらにしてもおいそれと仲間になってくれるとは思えなかった。
僕は階段を上って由良さんの教室に向かった。
ちょうどいつもの人が出てきたので由良さんについて尋ねようとした瞬間
「!!」
僕に気づいた先輩は怯える小動物みたいな機敏さで逃げてしまった。
ひらりと紙が足元に落ちたので拾うと
『羽佐間さんはいません。』
そう殴り書きされていた。
どうやら由良さんの舎弟効果で相当恐れられているようだった。
「由良さん、来てないのか。」
もともと神出鬼没というかサボりが多いのだからいなくてもしょうがないのだが無駄足を踏んだ徒労感にため息が出た。
することもなくなり踵を返して昇降口に向かう。
「こんなことなら明夜と帰ればよかったかな?」
ソルシエールに関してや今後の対策についても話せたはずなのでもったいなかったかもしれない。
とぼとぼとした足取りで階段に差し掛かった僕は
「あれ?りっくんだ。」
「え?」
階段の上から聞き覚えのある声をかけられて振り向いた。
そこには探していた蘭さんが友達を連れ立って4階から降りてきている所だった。
「あ、ちょっとかわいいかも。この子蘭の彼氏?」
「えー、違うよ。でもそれもいいかもね。」
「珍しい。蘭がオッケー出す男初めて見た。」
3人は僕を眺めて談笑を始めた。
だが僕は混乱していた。
決して踊り場の辺りにいる彼女らを見上げているから短いスカートの中身が見えそうだとかではなく、蘭さんが上から降りてきたという事実。
それだけならまだたまたま4階に用があっただけに思えたかもしれないが蘭さんはどう見ても上級生の女子と楽しげに会話していた。
そこから導き出された答えは到底信じられるものではなかった。
「あり得ない。すべてにおいて小さい蘭さんが3年生だなんて、由良さんよりも歳上だなんて絶対にあり得ない。」
頭が痛くなってきた。
これはきっと下沢辺りの精神攻撃に違いないとまで思えてきた。
「りっくん、それは失礼だよ。」
プンプンと腰に手を当てて憤慨する姿も年下にしか見えない。
「蘭は実は中学3年生なのよ。」
「なるほど!」
蘭さんの友人の説明はものすごく説得力があった。
「うそ言わないでー!りっくんも信じない!」
きゃあきゃあと騒ぐ蘭さんを友人たちは適当に弄ぶと帰っていってしまった。
「よかったんですか?」
一応、まだ疑わしいとはいえ歳上のようなので丁寧語にしておく。
蘭さんは頬をプクッと膨らませてそっぽを向いた。
「いいよ、別に。」
明らかに拗ねている蘭さんをどうしたものかと迷い、
「甘いものでも食べに行きます?」
女の子は甘いものに弱いという話を信じて誘ってみた。
蘭さんはまだ顔を背けたままだ。
「それ…りっくんの奢り?」
「まあ、あまり高いものじゃなければ。」
さっき本当の事とはいえ誹謗中傷してしまった負い目もある。
逃げ道を用意しつつ肯定すると
「よぅし!れっつごー!」
蘭さんは弾けんばかりの笑顔で拳を突き上げて歩き出していった。
変わり身の早さに呆然とする僕に振り返り
「りっくん、早く早く!」
ブンブン手を振る。
「今行きますよ。」
何であれ蘭さんが元気になったのは良いことで僕も蘭さんに当てられて楽しくなりながら後を追いかけるのだった。
僕と蘭さんは駅前の商店街を歩いていた。
見掛けたものを片っ端からねだられてお財布の中身が空になる、そんな状況を想像していたが、予想に反して蘭さんは楽しそうに店を散策しながらもまだ何も買ってくれとは言わなかった。
「買わないんですか?」
「んー、もうちょっと。真の強者は量じゃなくて質、今一番食べたいものを見極めるんだよ。」
蘭さんは得意気に講釈してくれた。
確かにいかに美味しくても満腹では有り難みも減ってしまう。
「だから一番初めに凄く食べたいものを選んで、それからお腹いっぱい食べるの。」
…それでも僕の財布が空になる可能性は高かった。
結局最近進出してきた有名洋菓子店のアイスを1つずつ買った。
個人的にはバニラが食べたかったが蘭さんの要望というか強引にペパーミントになった。
蘭さんはストロベリーを食べてご満悦の様子だった。
「んーっ、おいしー!」
スプーンを振り回して喜ぶ姿は微笑ましい。
(でも僕より歳上なんだよな。)
どうしても見た目と年齢の差にギャップを感じてしまう。
「りっくん、それちょうだい。」
言うが早いか蘭さんのスプーンがペパーミントの山に突き刺さりごっそりと頭頂部を抉り取っていった。
「あ!」
「こっちもおいしい!」
そう無邪気な顔をされては怒るに怒れない。
結局やり場のない感情をアイスにぶつけ、
「ーー!」
こめかみが痛くなってちょっと涙目になる僕であった。
それから数店舗回ってそろそろお腹がいっぱいになり、財布が心許なくなってきたころ、僕たちはかつて明夜からソルシエールについて聞いた公園を歩いていた。
「ごちそうさま、りっくん。」
「どう致しまして。」
夕方でも人影が疎らな公園はふと気付けば周りに誰もいない。
ここでなら…
「さあ、お話をしようか、りっくん。」
ゾクリと背筋に氷をぶちこまれたような寒気が走った。
発しようとした言葉が出ない。
さっきまで普通に会話していたはずの蘭さんがまるでコインをひっくり返したように別の存在になってしまったような錯覚を受けた。
蘭さんは変わらずに僕を微笑んだまま見詰めている。
だというのにそこに籠められた気配は明らかに別のものだった。
「君は、誰だ?」
やっとの思いで絞り出したのは、そんな当たり前の問いだった。
蘭さんはフッと笑いを漏らした。
「前に教えたでしょ?ランは江戸川蘭。壱葉高校の3年生で…」
スッと蘭さんが左手を胸の前に翳すと左目が朱く輝き、その手に縁を刃で飾った漆黒の丸鏡のような盾が顕現した。
「ソルシエール・オブシディアンのソーサリスだよ。」
チリチリと頭が痛むが同時にその磨き抜かれた鏡に魅入られてしまう。
「ソー、サリス?」
「魔剣を担う者、それが魔女。」
ヴァルキリーに所属していようといまいとソルシエールを持つものがソーサリスと言うことか。
「それで?りっくんはもっと他に聞きたいことがあるんじゃないの?」
「なら、僕たちの仲間になってください。」
僕は間も置かず質問ではなく願いを伝えた。
確かに蘭さんが何者なのかとかどこまで知っているのかとか聞きたいことならたくさんあるが、それ以上に今は蘭さんに仲間になってほしいと願っていた。
蘭さんは目をパチクリさせたあと呆れたように微苦笑した。
「強引だね。」
「そうかもしれませんね。」
それでも撤回する気はない。
たとえ蘭さんがヴァルキリーに通じていたとしても、彼女らとは違うと僕の直感が告げていた。
蘭さんはくるりと振り向いて僕に背を向けた。
ただでさえ目を見ていても掴めない心の内が背中を向いては何も分からない。
「…りっくんが必要なのはランじゃなくてソルシエールでしょ?」
「それは否定できませんね。」
蘭さんが加われば戦局がずっと楽になることは隠しようがない。
「でも、ただ蘭さんが一緒にいれば楽しいかなって思います。」
それもまた事実。
僕の“人”としての部分の願いでもある。
蘭さんは何も答えず、2つのツインテールを風に流している。
「ざーんねん。」
振り返った蘭さんは笑顔のまま僕の誘いを断った。
「りっくんにはちょっとだけ情熱が足りなかったね。ランが欲しいって言ってくれればよかったのに。」
「蘭さ…」
「前に言ったよね、…」
蘭さんがとても儚い笑みを見せるから、それがとても寂しそうだったから何も言えなくなった。
「蘭ちゃんて呼んでって。」
その言葉を残して蘭さんは僕の前から去っていった。
(僕は、間違えたのか。)
何が正しくて何が間違っていたのかわからない。
でも僕の前から蘭さんが去っていったという事実が残された。
終わりを告げるように、冷たい風が一陣僕の体を撫でていった。
僕は蘭さんと別れた公園のベンチに腰かけていた。
「失恋て、こんな感じなのかな?」
喪失感が胸に去来して動く気力も起こらない。
そんな僕の体から気力だけでなく力までが抜けていく。
(どうすればいい?教えてよ、Innocent Vision。)
忌むべき力に願いをかけ、僕はカクンと首を落とした。
翠玉、青玉、紅玉のソーサリスが眼前に己の化身たるソルシエールを手に並んでいた。
対するこちらは僕を中心に明夜と由良さんが構えている。
「3対3、いい勝負になりそうだな。」
等々力の言に舌打ちをしたのは由良さんだ。
ここにいる者全員が僕に戦う力がないことを知っているのだから。
「私に従うように調教してあげます。」
どうやら僕の相手は下沢のようだ。
直接攻撃でない分死の危険は減るがもう一度コランダムを受けて無事でいられる保証はない。
「柚木、前に邪魔してくれた礼、返させてもらうよ。」
神峰は私怨を瞳に宿して明夜を睨み付けるが当の明夜は両手の刃を構えはしても表情は変えなかった。
まさに一触即発、これで枯れ葉でも間に舞えば着地と同時に開戦するギリギリと緊張感。
その張り詰めた雰囲気の中
「ちょっと待ったぁ!」
そこに響く少女の声に皆の戦意が揺らぐ。
突入者は両者の間に走り込んできて両手を広げて止まれの意思表示をした。
「なんとか間に合った。」
駆け込んできた少女は幾度かの荒い呼吸を繰り返した後にかりと口の端を釣り上げた。
「ランも参加させてもらうよ。」
誰も何も言わない。
それを肯定と解釈した蘭さんはくるりと回った。
「さあ、行くよ。」
動きを止めた蘭さんは僕たちを敵と定めて構えを取っていた。
「ちょっと、君。大丈夫か?」
肩を揺すられる感覚に意識を取り戻すと僕の前には警察官がいた。
「はい?」
「公園に不審者がいると聞いてきたんだが、大丈夫か?」
警察官は疑いというよりも心配した様子だった。
それほどまでにひどい顔をしているのだろうか。
(蘭さんがヴァルキリーにつくなんて。)
心のどこかで蘭さんはこちらだと勝手に思い込んでいただけにショックが大きかった。
僕はベンチの背もたれを押す勢いで立ち上がった。
「大丈夫です。ご迷惑をお掛けしてすみません。」
日の沈んだ秋の気候に晒されて体が冷えているが帰れないほどではなかった。
「気を付けて帰るんだぞ。」
なおも心配してくれる警察官に会釈して帰路に着く。
(3対8、それでもやるしかないんだ。)
諦めれば殺されるだけだ。ならば抗うしかない。
「へくしょん!」
寒気がする。
いつ襲われるかも知れない緊張感を持って警戒しながら家まで帰ったが結局何もなかった。
「ハックション!」
それでも寒気は取れないし頭もボーッとしてきた。
「もしかして…風邪?」
僕の問いに答えてくれる親切な人は誰もおらず
「ハックション!」
ただくしゃみがその答えのように響くだけだった。