第31話 無表情な心の向こう側
「騙された。」
それは図書室にやって来た明夜が呟いた言葉だった。
放課後勉強会を準備していたところに遅れてやってきた東條さんに明夜は連れてこられた。
東條さんがなんと言って連れてきたのか気になるところだが今はいい。
明夜が来てくれたことだけで十分大きな進展なのだから。
「お、飛び入りね。明夜なら歓迎するわ。始めましょうか。」
「「おー!」」
僕たちは元気よく始まりを叫び、図書委員に怒られたのだった。
勉強会が始まって一時間が経過した頃、勉強のグループは自然と別れていた。
「八重花先生、我らに慈悲を!」
「にゃはー、やえちんお願い。」
「…出来の悪い生徒を持つと苦労するわ。」
この面子で一番成績のいい東條さんにおつむのあまりよろしくないらしい久住さんと中山さんが毒舌に晒されながら問題を解いていっていた。
「真奈美ちゃん、できたね。」
「叶の教え方が上手いからね。」
「作倉、俺を救ってくれ!」
こちらは芦屋さんもわりとスラスラ解いていき時折作倉さんに質問するだけの落ち着いたチーム。
僕もはじめは作倉さんに教わっていたのだが
「頭のいい陸よりも俺に教えてくれよ。」
と芳賀君が割り込んできたので僕は作倉さんにテストの傾向だけ聞いて生徒から離れた。
どうやら芳賀君ははじめは東條さんに教わっていたが追い出されたらしい。
そして
「…」
「そこは違うよ。」
「ん。」
僕は明夜とマンツーマンで個人指導中だ。
僕の学力は作倉さんと同じくらいだけどテストの様子が分からず、明夜は芦屋さん以下久住さん以上なので一応指導が必要。
そういうわけで必然的に余っている2人でやることになった。
久々に長時間明夜と一緒にいると以前との違いに気がついた。
(やっぱり僕を避けようとしてる。)
相変わらず表情が顔に出ないので分かりづらいが以前よりも僕との距離を取ろうとしているのが雰囲気に表れていた。
(まあ、殺人現場を見られたら誰だって挙動不審にもなるか。)
それでも明夜は僕がヴァルキリーやソルシエールに関わっていることは知っているはずだ。
それがなぜ執拗なまでに僕を避けるのかが分からなかった。
「そこはこう。」
「うん。」
僕が指摘すると明夜は素直に従い正しい解を導き出した。
…こうやっていると僕たちは作倉さんたちと何も変わらない。
だけど僕はInnocent Visionがあり明夜もソルシエールを担っている。
“人”ではない力を持っている僕たちは本当にここに居ていいのだろうかと考えてしまう。
「…陸。」
「ごめん、ちょっとボーッとしてた。」
(今は考えないようにしよう。)
少なくとも僕らが“人”でいられているうちは。
下校時間ギリギリまで使った勉強会は各々満足のいく内容だったようで久住さんとか芳賀君はすでに余裕の笑いを漏らしている。
「ふっふっふ。完璧だ。」
「テストが待ち遠しいわ。」
「…来週まで覚えていられることと応用問題が出ないことを願いなさい。」
東條さんのツッコミで2人の笑みにひびが入った。
「にゃはは、変な顔。」
「久美も人のこと笑ってられないんじゃないの?」
「人間、諦めが肝心だよ。」
「いや、諦めるの早いから!」
「そうだよ。頑張ろう。」
真逆の方向に悟りを開いてしまった中山さんを作倉さんと芦屋さんが説得している。
皆の意識が逸れたのを見計らって僕は明夜を連れてこっそりとその場から立ち去った。
夕暮れ時の屋上には当然ながら人影はなかった。
茜色に染まる世界を見渡せるこの場所はいつもとは違う世界に来てしまったように思えた。
そんな常とは異なる所で僕は明夜と2人きりだった。
明夜は僕に背を向けて手すりに身を預けていた。
「明夜。」
僕は話を聞こうと1歩だけ近づこうとした。
瞬間、弾かれたように明夜の体が振り返り、驚きの声を上げる間も無く明夜の手甲から伸びた刃が僕の首筋にあてがわれた。
「それ以上近づいたら、私は陸を殺す。」
明夜の声にも動きにも迷いはなく動けば間違いなく殺されるのが本能的にわかり足が止まった。
「ダルマ事件や他の猟奇殺人の犯人は明夜なんだよね?なんでそんなことを?」
「陸には関係ない。」
黙れと言うように首筋に当てられた刃が押し付けられる。
背筋を冷たい汗が流れていくが僕は出来るだけ怖がっている素振りを見せないようにした。
「心配なんだよ、明夜が。明夜はヴァルキリーや他のソルシエールを持つ人たちに狙われているんだ。」
明夜は一瞬眉根を寄せたがすぐにまた感情に乏しい顔に戻った。
「私は平気。強いから。」
その言葉には虚偽も自信も感じない。
井の中の蛙大海知らずなのか方便なのか、それとも強いことが当然だと思っているのかはわからないが僕は余計に不安になった。
「どんなに強くたって大勢で襲われたら危険だ。」
実際に襲われた僕には分かる。
神峰のソルシエール・スマラグドのエスメラルダ、等々力のラトナラジュの力、下沢のサフェイロスのコランダム。
この他にさらにどんな力を持っているかわからないヴァルキリーのメンバーに加えて最悪由良さんも明夜の敵に回ることになれば勝ち目があるとは到底思えなかった。
「理由を話して。そうしたら僕や由良さんが助けるから。」
「…必要ない。」
明夜の返答にほんの少しの揺らぎが生まれたことを見逃さなかった。
(あと一押し、何か明夜を説得する材料があれば…)
明夜が何故殺人を犯すのか、それを分かってあげることができればいい。
(僕はこの情景の結末を知っている。だから今僕が持っている知識で答えは導けるはずだ。)
明夜の左の赤い瞳をじっと見つめているとふいに頭痛が襲ってきた。
「つッ!」
「陸?」
「大丈夫だよ。」
(そう、明夜はソルシエールで殺人を行っているんだ。)
そして由良さんは言っていた。
被害者の男たちからは魔女の気配がしたと。
「明夜、やっぱり話してくれないのか?」
「…話せない。」
大分迷いが見えてきたがもう一息だ。
いい加減首に刃を突き付けられるのも嫌になってきた。
だから
(明夜の心の壁を崩してあげる。)
「明夜を襲ってきた男たちは強かった?」
「ッ!?」
僕が組み上げた仮説の一端で明夜は目に見えて反応した。
第一段階はクリア。
僕はさらに続ける。
「人の身を超えた力を使って襲ってくる男たちに明夜は自分を守るためにソルシエールで戦った。」
「陸…どうして?」
答えは簡単なことだった。
まず由良さん言っていたような明夜が殺人鬼ではないかという懸念はなくなった。
ソルシエールを顕現させている明夜は僕がしつこく迫っても殺そうとしなかった。
これで明夜の抱く負の感情が殺人衝動ではないことになる。
「明夜が助けを求める声が聞こえたんだよ。」
もちろん嘘だったが明夜から敵意が失せていく。
次に被害者だが猟奇的な殺し方に注意が向いていて見落とされていたが切り落とされた残りのパーツがどこからも発見されていない。
明夜が愉快犯でなくなった時点で隠した選択肢はなくなった。
魔女の気配を纏った男たちのパーツを欲しがる物好きなんてそうはいない。
ならば消滅したのだ。
“人”ではあり得ない消滅、それが魔女の力だと思ったとき答えは繋がった。
「そして明夜はいつか魔女の力で暴走した男たちが一般人を襲うのを心配して夜な夜な町を歩いて魔女の気配を纏った男たちを探して狩っていた。でももう無理しなくていいよ。僕や由良さんが明夜の力になるから。」
「陸…」
夕暮れが沈む頃、僕と明夜は向かい合っていた。
僕の首筋には明夜のソルシエールがピッタリと突きつけられていたが切っ先はカタカタと震えていた。
「明夜…」
僕の目の前にいる明夜は夕日よりも朱色に左目を染め上げていつもより固い表情をしていたがその瞳は救いを求めるように揺らいでいる。
「関わらないで。」
明夜は簡潔に、そして率直に僕を拒絶した。
でもそれが僕を危険に巻き込みたくないからだとわかる。
「嫌だ。」
だから即座に否定した。
明夜1人が辛い思いをしているなんて納得できないから。
ビクリと明夜が震えて刃に力が込められ薄く切られた皮膚から血が流れて刃を赤く濡らした。
「陸はこないで。」
「嫌だ。」
泣きそうな声でなおも強がる明夜を否定する。
「ッ!」
明夜がキッと僕を睨み付け、首筋から引いた刃を振り上げて脳天から振り下ろしてきた。
僕は…逃げなかった。
刃が僕を真っ二つにする直前、髪の毛を両断したところで刃は止まった。
その向こうに見える明夜の顔は今にも泣き出しそうなほど沈んでいた。
「来れば、きっと陸は後悔する。」
それは先ほどまでの拒絶とは違う、僕を気遣う言葉。
ようやく本当の明夜が顔を出してくれた気がした。
だから僕は微笑んで見せる。
「いいんだよ、それでも。僕は明夜と一緒に行く。」
明夜は泣きそうになりながら笑ってくれた。
「ありがとう、陸。」
僕と明夜は日の沈んだ夜の道を歩いていた。
そこにここ最近のぎこちなさはない。
「あの人たちは“種”を埋めつけられた。だから暴走して、にゅるにゅるとかデロデロとかキシャーとかになった。」
にゅるにゅるとかデロデロとかキシャーも大いに気になるがとりあえず主題について尋ねることにする。
「その“種”って負の感情のスイッチみたいなもの?」
「そう。男の人には合わない。」
道理で襲ってくるヴァルキリーが女の子ばかりなわけだ。
“種”を植えつけられた男たち、「ジェム」としよう。
「最近数が増えてきた。もっと増えていくと思う。」
明夜の顔が険しくなった。
さっきの笑顔が衝撃的だったせいか余計にそんな顔はしてほしくないと思った。
「大丈夫だよ。明夜には僕がついてるし由良さんもいる。」
「うん。」
表情を和らげた明夜を見て自分の行動が間違っていなかったのだと自信を持てた。
「それで、由良さんて誰?」
明夜は僕の腕にぎゅっと抱きつくように詰め寄ってきた。
気のせいでなければ若干だが不機嫌さが滲み出している。
「ゆ、由良さんはうちの学校の2年の先輩で、玻璃っていうソルシエールを持っていて、僕の友達だよ。」
どもってしまうのは別にやましい気持ちがあるわけじゃなくて
「…本当?」
(わー、押し付けないで。)
細く見えても明夜はちゃんと女の子なわけで、柔らかい体の感触が腕に押しつけられてどぎまぎしてしまうのだ。
「うん。」
明夜は触れそうなほど近づいてジーッと見つめてきたがやがて納得したのか身を離してくれた。
少しだけ名残惜しいと思ってしまうのは男の性である。
「陸を信じる。」
何をどう信じるのか聞くのが怖いので訊かないが信頼を得たことは喜ばしいことだ。
「明夜。」
僕が手を差し出すと明夜は首をかしげながら僕の手を取った。
「よろしく。」
「うん。」
この日、僕は明夜と本当の友達になれた気がした。
ちなみに
「初めて会ったときに学校でって言ってたのに会いに来てくれなかったね?」
明夜は首をかしげる。
「ほら、神峰美保に僕が襲われた時に明夜が助けてくれたでしょ?」
「あれは、学校で戦うのはよくないって言っただけ。」
今度は僕が首をかしげる番だった。
どうも話が噛み合ってないというか何か重要な所を勘違いしているような気がする。
「それじゃあその時やらせないって助けてくれたのは僕がInnocent Visionって知ってたからじゃないの?」
「Innocent Vision?私はただソルシエールが人目につくのと無関係な人に襲いかかるのを止めただけ。」
「はは。」
渇いた笑いが漏れた。
結局僕の早とちりで足を突っ込んでしまったらしい。
(だけど後悔はしてない。)
早とちりだったかもしれないがそのおかげで作倉さんたちや明夜、由良さん、蘭さんたちとも出会えたのだから。