第29話 疑念の敵
僕は由良さんと建川にやって来た。
ここで以前に由良さんのソルシエール・玻璃の超音振で昏睡事件が起き、僕も助けてもらったとはいえその餌食となった。
建川は他の路線との連絡駅でもあるため栄えており周辺住民が買い物をするならまずはここに来るくらい定着している。
ちなみに芳賀君と来るかも知れなかったゲームセンターもここにある。
「建川に何かあるんですか?」
「ああ。」
さっきから由良さんは短い応答ばかりでまともに取り合ってくれない。
そのまま表通りから裏道に入った。
ビルの陰のため昼間でも薄暗い不気味な場所に加えて等々力に襲われたり由良さんに昏倒させられたり下沢に置き去りにされたりとろくな目に会っていないのでどうしても怯えてしまう。
路地のさらに奥、昼間だというのに闇に包まれた行き止まりで由良さんは立ち止まった。
「ここで消されたか。」
「え?」
僕の疑問に由良さんは半身をずらして中を見るように言った。
言われた通り路地を覗き込んだ僕は
周囲の壁に飛び散った赤いものを見た。
「…え?」
「これは両腕と頭だな。バッサリと斬られて血が吹き出したんだろう。」
「ちょっ、ちょっと待ってください!血って、ここはいったい…」
いきなり推理小説のように事件に遭遇することなんてあり得ない。
由良さんはまるでこれがあることを知っていたようにまっすぐにここまでやってきた。
僕には由良さんが理解できなくて、怖い。
由良さんはまるで路地の向こうに犯人がいるかのように睨み付けていた。
「最近話題になっている猟奇殺人の現場だ。俺たちが来る前に誰かが片付けたみたいだがな。」
猟奇殺人と聞いて明夜の姿が浮かんだ。
(これも明夜がやったのか?)
何で?と思いながらもそうであると確信している自分がいる。
ふと視線を向けると由良さんはじっと僕を見ていた。
「陸、Innocent Visionで猟奇殺人に関する夢を見たことはないか?」
「!」
すでに何度も見ていることを言い当てられたかと思って焦ったがただの質問だったようだ。
「前に神峰にもダルマ事件の犯人を知っているかって聞かれましたね。そんなに重要なことなんですか?」
僕は質問を質問で返す形で探りを入れる。
由良さんが何を思って犯人を探しているのか分からない以上明夜のことを話すのは躊躇われた。
嫌な感じのする不意の静寂にじわりと恐怖心を染み込んできて背中を冷たい汗が伝った。
細められた瞳が左だけ薄く朱に染まり、ゆっくりと由良さんはその存在をこう言い表した。
「俺たち魔剣持ちの敵だ。」
息が詰まった。
由良さんの言葉を、意味を正しく理解できない。
いや、したくない。
(明夜が、敵?)
「何でですか?ニュースでは被害者は全員男の人だったはずです。それがソルシエールの敵だなんて。」
「…まだ確証はないが犯人は俺と同じように魔女を追っている。この場所からは微かだが魔女の気配がした。何らかの関わりがあったやつらが狙われているならいずれはヴァルキリーや俺も…」
由良さんは魔女の残り香ともいうべき気配を辿ってここにたどり着いたという。
当然それを辿れるのは魔女の気配を知っているものに限られてくる。
「ヴァルキリーの連中かと思ってたんだが陸が聞いた感じからすると違うみたいだな。」
僕が話した内容が明夜を追い詰めていく。後ろめたさからか呼吸が苦しい。
「ソルシエールを持つ人は、どれくらいいるんですか?」
「さあな。ヴァルキリー以外にも何人かいるみたいだが会ったことはないな。」
もう引き延ばす話題が見つからない。
知らないと、Innocent Visionでは見たことがないと嘘をつけば済むのに僕は明夜を売ることも由良さんに嘘をつくこともしたくはなかった。
「僕は…」
不意に視界が揺らいで重力に抗えなくなった。
「陸!?」
慌てて抱き止めてくれた由良さんの温もりに包まれながら、僕はInnocent Visionが来てくれたことに密かに感謝し、意識を失った。
僕の目の前には花鳳撫子が不敵な笑みを浮かべて立っていた。
周囲には僕たち以外誰の姿もなく夜に沈んだ町並みがあるだけだ。
ヘレナ・ディオンも、常にそばにいた海原姉妹も、蘭さんも、等々力も、由良さんも、下沢も、明夜も、神峰も、その誰もがここにはいない。
「こうなることは予想していませんでした。インヴィ、あなたのInnocent Visionではこの結末が見えていたのですか?」
花鳳はいつもと同じように余裕を窺わせていたが僕にはこの状況に焦っているように思えた。
何の戦う力も持たない僕を前にしているというのにヴァルキリーの長は怯えていた。
「さあ、どうでしょう?よく言うじゃないですか、結果は下駄を履くまでわからないって。」
何の力もない僕はそれでも虚勢を張ってまっすぐに花鳳と対峙した。
ここまで僕を連れてくるために犠牲になったみんなに報いるためにも僕は引き下がるわけにはいかなかった。
「そうですか。しかしどちらにせよInnocent Visionの力、ますますヴァルキリーに欲しくなりました。」
花鳳が左手を前に突き出すと左目が朱に染まっていく。
「顕現なさい、アヴェンチュリン。」
花鳳の言葉で左手の前の空間が閃光に包まれた。
「うっ!」
咄嗟に目を覆った。
まるで夜に突如現れた太陽のような光がまぶたの裏に焼き付いている。
薄目を開いて様子を見ると光は収束して槍とも錫杖とも取れる形状で花鳳の左手の前に浮かんでいた。
その手が頭上に掲げられるのに合わせて光も追従する。
「ご覧なさい、インヴィ。これが選ばれし者に与えられた力、わたくしの存在…」
握った部分から光が弾けてその姿を現す。
それは頂きに太陽を象った意匠を持つ杖だった。
「ぐあっ!」
脳天から長い針を突き刺されたような耐え難い痛みが全身を駆け巡った。
「さあ、行きます。」
花鳳はゆっくりと近づいてくる。
そのたびに、指先を動かすだけで発狂しそうな痛みを感じながら、僕は目をそらさずに花鳳に対していた。
強烈な頭の痛みに顔をしかめると
「陸、起きたのか?」
由良さんの声が聞こえた。
それすらも現実かどうかわからないまま僕はゆっくりと目を開けた。
そこにあったのは切り取られた青い空と暗い壁、そして由良さんの顔だった。
由良さんは不機嫌そうとも怒っているとも喜んでいるとも取れる何とも言えない表情をしていた。
「呼んでも起きないから焦ったぞ。病気か?」
僕は起こしてもらいながら言葉を選ぶ。
これまでの“普通”の人に対する説明は肯定して同情されてそれで終わりだった。
だが由良さんは“普通”ではなく、断片的ながらInnocent Visionについて知っている。
なら今後のためにもInnocent Visionについて詳しく教えておくべきだと思った。
「病気ですね。気まぐれな夢で未来を見せられますから。」
「…Innocent Visionか?」
さすが由良さん、今の一言で話の本質を掴んでくれた。
「はい。未来を見る副作用としていつどんな時であっても強制的に夢へと誘う力です。」
「それじゃあスタンガンは…」
「どうやら意識を失うことでもInnocent Visionは発動するようなので。」
少し一気に話しすぎて疲れてしまったので壁に背を預ける。
由良さんは中腰の体勢で僕を見ていた。
「つまりInnocent Visionが戦闘中に発動したらさっきみたいに完全に無防備になる。」
今までは運よくそういうことにはならなかったが今後どうなるかはわからない。
由良さんの言った通り最悪に間の抜けた結末を迎える可能性だって大いにあり得た。
その滑稽さに笑いが漏れた。
「もう、煮るなり焼くなりお好きにどうぞって感じですね。」
僕のInnocent Visionは戦いには向かない。
だからといって未来から逃げようとしても決まった結果は覆らないのだから僕にはどうすることもできないのだ。
「安心しろ。」
由良さんは力強くそう言って僕に手を差し伸べた。
その指し示す意味がわからず手を取りあぐねてしまう。
「陸は俺が殺させない。俺が守ってやるから。」
それは惚れ惚れするほどかっこよくて僕は由良さんの手を取っていた。
「それは僕が協力者だからですか?」
でも僕は他人の好意を素直に受け取れない。
後で離れていってしまっても辛くないように心を守るために。
“化け物”の僕が“人”といつまでも一緒にはいられないから。
それでも…
「違うぞ、陸。」
由良さんなら、同じ異能を持っている由良さんなら…
「お前は俺の友達だからだろ?」
そんな夢を見てもいいだろうか?
僕は由良さんの手を強く握って立ち上がった。
今回のInnocent Visionは1時間くらいでまだ日は高かったが刻々と冬は近づいてきていて日の入りは早くなってきている。
日が暮れると路地裏も危険なので僕たちは表通りに向かっていた。
「それで、猟奇殺人の犯人についてだが。」
僕が倒れたとはいえ1時間前のことを由良さんが忘れるはずもなく話題は猟奇殺人についてだった。
だが倒れる前後で僕の由良さんに対する認識が少し変わったため
「由良さん、お話ししたいことがあります。」
僕は僕の知る「事実」を話すことを決意した。
僕の真剣な雰囲気が伝わったのだろう、由良さんも表情を引き締めて頷いた。
「なんだ?」
「でも先に約束してください。早計な実力行使はしないと。」
ここが絶対防衛線、もしもこれが守られないならたとえ由良さんでも明夜のことを話すことはできない。
「何か知っているんだな?わかった。」
さっぱりと裏表がない由良さんの性格は呆れてしまうほど清々しい。
だからこそ話せるのだ。
「僕は既に何度もあの猟奇殺人を見ました。ダルマ事件、あの発見が早かったのは僕が掲示板に書き込みをしたからなのかもしれません。その犯人は不思議な剣、ソルシエールを持っていました。」
「やっぱりか。それで犯人は見たのか?」
僕は神妙に頷いてみせる。
「学生服を着た女の子でした。うちとは違う制服だったので誰がか分からなかったんですが…」
「わかったのか?」
見つかった喜びを隠しきれない由良さんを見ると伝えるのが申し訳なくなる。
間違いなく由良さんは自分の思いと僕との約束で板挟みに会うのだから。
僕は由良さんの望むままに猟奇殺人の犯人を教えた。
「彼女は1年4組の柚木明夜。僕の友達です。」
由良さんは困惑した様子で固まった。
僕の約束の意味を理解したのだろう。
「…陸が教えようとしなかったのはそういうことか。」
「はい。きっと明夜には何か理由があると思うんです。」
それは僕がずっと抱いていた思い、たとえ明夜が殺人犯だとしてもそれには必ず理由があるはずだと。
もちろん罪は償わなければならないが、ヴァルキリーや由良さんから制裁の名の下に殺されてしまう前に明夜の話を聞きたかった。
「だがその柚木だってソルシエールを持っているなら何らかの暗い感情を持っているはずだ。本質が単なる快楽殺人鬼だと言うことだってあり得るぞ?」
「…」
確かに明夜は普段何を考えているのかよくわからない不思議系だ。
無表情な内側で世界人類の滅亡を企てていても、色々おかしいけど、おかしくないのかもしれない。
それは完全に僕の知らない明夜の心だから由良さんに確証することはできない。
「…」
「あー、わかった。そんな泣きそうな顔するな。」
由良さんは僕の様子を見かねたようで苦笑を浮かべて頭をかいた。
僕が泣きそうだったから折れてくれたわけではないと思いたい。
「陸が柚木と話をしろ。その上でそいつが殺人鬼だと判断したならその時は俺がやる。」
由良さんは妥協してくれたのだ。
由良さんの宿す負の感情は「憎悪」。
何があったのかは知らないが恨んでいる魔女はもちろんのこと敵対した者も憎み、倒さずにはいられなくなるようだ。
だから僕が明夜に話を聞くまでは明夜を敵だと思わないようにしてくれるということ。
「あ、ありがとうございます、由良さん。由良さんはやっぱりいい人です!」
感極まって由良さんの手を握ってブンブンと振る。
ぶっきらぼうだし目付き怖いし口調も男っぽいけど由良さんは男らしくて優しい。
「アニキって呼んでいいですか?」
僕にとって頼れる存在ということで口をついて出たのだが由良さんの額に青筋が浮かんでしまった。
「俺を、アニキと呼ぶなー!」
顕現した玻璃の振動波によって僕はまた意識を失うのだった。
ちなみにInnocent Visionは見ず、起きたら暗い路地裏に置き去りにされていたのだった。