第28話 選択すべきもの
「明夜…」
「…陸。っ!」
明夜は僕を見て名前を呟くと弾かれたように路地の奥へと走っていってしまった。
「明夜!」
僕も慌てて追いかける。
だが明夜のスピードはかなり早く、どうにか見失わないようにするので精一杯だった。
やがてビル群を抜けて住宅街に抜け出したとき、明夜の姿はどこにもなかった。
「いったい、どうしたんだよ、明夜?」
明夜は人殺しなんてしないと、ヴァルキリーとは違うのだと思いたかった。
見上げた空は晴れない僕の心のように厚い雲に覆われていた。
家に帰りパソコンを立ち上げてニュースを見てみると顔無し死体の速報がアップされていた。
死体の顔は鋭利な刃物で潰されていて判別できないほどになっていたらしい。
現在指紋や歯形から身元を割り出しているとのこと。
「間違いない。明夜だった。」
今まで何度もInnocent Visionで見たがどこかであれは見間違いだったりそっくりさんだと思い込もうとしていた。
でも現実で見た光景は間違いなく柚木明夜本人だった。
「でもなんで明夜が?」
これまでの猟奇殺人との関連性も検討されているようだが共通点は見られないという。
そうなると明夜のソルシエールが夜な夜な人の生き血を啜るみたいなことまで考えてしまう。
「とにかく明夜に話を聞かなきゃ。」
これ以上友達が犯罪に手を染めるのを黙って見てはいられない。
ブブブとずっとマナーモードにしてある携帯が振動した。
宛先は由良さんだった。
「はい、もしもし。」
「陸、無事か?」
電話の向こうの由良さんは慌てたような様子だった。
「今は家ですけど、どうかしました?」
「どうかしたじゃない!午後の授業からいなくなったって聞いたから下沢を問い詰めたり他の不良たちに問い詰めたりしてたんだ。ふう、無事なんだな?」
「…ありがとうございます。心配してくれて。」
それは心からの感謝の言葉。
由良さんが心配してくれたことが伝わってきたから。
「バ、バカッ!そんなんじゃない!」
照れているのだろう由良さんを微笑ましく思いながら、僕は気を引き締める。
「詳しくはまた話しますが下沢悠莉のソルシエールに閉じ込められて攻撃を受けました。」
「…わかった、月曜に話してくれ。」
すぐに由良さんも理解してくれた。
通信だと誰に聞かれるかわからない。
それにもう1つ、僕の心の整理を付けたかったから。
「気をつけろ。やつらは何をしてくるかわからないからな。」
「はい。」
最後に由良さんの小さく笑う声を聞いて電話が切れた。
今まで気付かなかったがメールの着信マークがついていて作倉さんはじめいつもの5人からメールが来ていた。
僕は背もたれに寄りかかり何度もメールを読み返した。
皆の気遣いが暖かくて僕は泣いた。
「海、ごめん…。」
僕はずっと目をそらしてきた妹のことを思い出して、一晩中泣き続けた。
『助けて!』
プルルルルル
…きっとその電話はそう叫んでいたのだろう。
『助けて…』
プルルルルル
だけど僕は人が恐ろしくて
『助け、て…』
プルルルルル
それは妹だって同じで
『助けて…お兄ちゃん。』
プルルル…
それを最後に電話はならなくなり、翌日、妹は物言わぬ姿で発見された。
「ごめん、海。」
泣いて謝ってまた泣いてを繰り返し、朝日が昇る頃になってようやく涙は止まった。
目元が腫れぼったい。
「…今日が休みでよかった。」
こんな顔で人に会うことなんてできないから。
僕はギュッと蒲団にくるまって身を縮こまらせる。
(でも、早く会いたいな、みんなに。)
“人”の僕が誰かの温もりを求めていたから。
そして泣いて悲しんで少しだけ心の整理がついた月曜日、眩しい朝日の中を登校するといつもと同じ風景がとても尊いもののように思えた。
日常の中で忘れていく平和な日々の大切さを苦難を乗り越えた僕は改めて実感した。
「おはよう。」
教室に入り挨拶をすると
「うおっ、半場の後ろに後光が見える!?」
「悟りよ、悟りを開いたのよ。」
「半場にいったい何が?…まさか賢者に?」
よくわからないがクラスメイトが驚いていた。
「半場君、おはようございます。昨日の午後もどこかで倒れてたんですか?」
作倉さんはいつも通り接してくれて気遣いまでしてくれた。
「大丈夫だよ。ありがとう、作倉さん。」
「はわっ!別に、私は…」
そんな僕たちの向こうで久住さんたちが密談している。
「半場くんがまたナチュラルに叶をメロメロにしているね。」
「今日の半場はちょっと雰囲気が違うね。」
「にゃは、昨日何かあったのかな?」
「…検討する必要があるわね。」
話が纏まったらしく4人が近づいてくる。
やっぱり皆は僕がどんな状態であっても変わらずに声をかけてくれる。
僕にはそれが嬉しかった。
「みんな、昨日は心配してくれてありがとう。嬉しかったよ。」
「「…」」
4人の足がピタリと止まり互いを見合っている。
「どうかした?」
途中で止まられてしまって僕としては寂しいわけで率直に尋ねると作倉さんを含めた5人は一斉に手を横に振った。
「「な、なんでもない(よ、です)。」」
そして5人は円陣を組んでひそひそ話を始めてしまった。
僕はよくわからず首をかしげて席についた。
「今日は雰囲気が違うな?」
「そう?」
芳賀君との他愛ない会話を大切に感じながら
(ありがとう、みんな。)
僕はもう一度“友達”に感謝した。
そして昼休み、明夜に会いに行こうと教室を出た僕は廊下の向こうから近づいてくる下沢を見掛けて足が止まった。
2組の下沢は昼食に行くならこちらに来る必要はない。
昨日逃げ出した僕に会いに来た可能性が高かった。
(会うべきか逃げるべきか?)
相手の出方を窺うのも手だがソルシエールに対抗する手段を持たない僕ではまた閉じ込められるかもしれないし今度こそ殺されるかもしれない。
(逃げよう。)
今なら気付かない振りをして食堂に向かえる。
「!」
そう思った矢先に下沢が僕に気付いてしまった。
薄く微笑みを浮かべたまままっすぐ向かってくる。
決して殺意のような念は込められていないのに染み付いた恐怖心が僕の足を縫い付ける。
あと10メートル、あと5メートル、もういつ声をかけられてもおかしくない。
そして声をかけられたら僕に抗う術はない。
「は…」
下沢が呼び掛けてこようとした刹那
「陸、いつまで待たせるつもりだ!」
反対側から響く怒気を孕んだ声に僕だけじゃなく周囲すべてがビクリと動きを止めた。
「由良さん…」
救いの女神は僕が振り返る前に襟首をむんずと掴むとずるずる引っ張っていく。
周りが憐憫の目で見送っているなかで下沢だけは微苦笑していた。
いつもの屋上ではなく昼休みには人気の無くなる体育倉庫脇で由良さんは壁に背を預けて腕を組んだ。
髪を何度もかきあげているから苛立っているようだった。
「昨日追い詰めたときは何も吐かなかったってのに。下沢め。」
僕が何も言わなくても由良さんは勝手に自分の中で話を進めていた。
どうも下沢の所用というのは由良さんに追われていたことのようだ。
ギロリと由良さんが僕を睨んだ。
「壊愚是の時といい下沢といい、陸は捕まりすぎだ。」
「面目ないです。」
まさにその通りだ。
ただ、言い訳をすればどちらも僕が抵抗する間もなく捕えられたのだが、それを言ったところで捕まらないように注意しろと言われるだけだろう。
「それで、下沢のソルシエールの特徴は?」
由良さんは怒りを引きずらない。
すぐに思考の切り替えもできることから本当に頭の回転が早いと思った。
「有効範囲、有効人数は不明ですが完全な無知覚空間に幽閉する『コラン-ダム』と精神崩壊を目的とした拷問『コ-ランダム』を受けました。抵抗する相手の心を折って屈服させるのに特化した技でした。」
それにあそこまで大がかりな技以外にも何かありそうだ。
説明を終えると由良さんはなぜか驚いたような顔をしていた。
「想像するだけで嫌になるな。本当に大丈夫だったのか?」
「なんとか。それに一つ朗報もあります。」
僕はポケットからスタンガンを取り出した。
「これを使えばある程度任意にInnocent Visionに入れます。夢は相変わらず気まぐれなようですが。」
ちょっと得意になって説明したのだが由良さんはますます複雑そうな顔になった。
「あんまり無茶するなよ。」
なんだか由良さんには心配ばかりかけている気がして申し訳ない。
由良さんの協力者なのに何も与えられなくて迷惑ばかりかけている。
「そういえば…」
「りっくんはっけーん!」
魔女について尋ねようとしたのだが突然背後から腰の辺りにタックルを受けて呼吸が止まった。
「ら、蘭さん。」
「当たり。ランだよ。」
蘭さんは僕の体に抱きつきながら背中に頬擦りしてきた。
まだ呼吸がおかしいので満足に対応できないだけなのだが
「…。」
無言で睨んでいる由良さんが怖くて別の意味で息が詰まりそうだった。
「陸、知り合いか?」
「ええ、まあ。」
「りっくんはランのオモチャなの。」
再び注がれる冷たい視線。
由良さんの中で僕の格が急激に下がっていくのを感じる。
由良さんは僕たちを一瞥すると無言のまま去っていってしまった。
部外者が入ってきたから話は終わりだ、という意味ならいいのだが由良さんはさっぱりしてそうだからこれで縁切りもありそうで怖い。
「りっくん、さっきのはどちらの羽佐間由良ちゃん?」
「…知ってたんですか?」
「うん。」
蘭さんは僕の腰の辺りから顔を出して元気に頷いた。
その拍子に二房のテールが揺れる。
由良さんにもそうだが蘭さんにも聞かないといけないことがある。
「それで、いつ話します?」
僕の主語を持たない質問に蘭さんはいつもの無邪気な笑顔とは違う、もっと賢しげな笑みを浮かべた。
腰に巻いていた腕を解いてくるりと背を向けた蘭さんの後ろ姿を見て待つ。
「もう少しレベルが足りないね。」
振り返ったとき、蘭さんはいつもの蘭さんだった。
内心そのことに安堵している自分がいる。
蘭さんは僕を残して走り去る間際
「Innocent Visionでランの攻略法を見るといいよ。」
そう言い残して去っていった。
僕は誰もいなくなったここに立ち尽くしてため息をついた。
「何者なんだ、蘭さんは?」
Innocent Visionが未来予知であると知っているのは本人である僕と由良さん、それとヴァルキリーだけのはずだ。
僕が教えておらず蘭さんと由良さんに面識がなかったようだったのでそうなると蘭さんはヴァルキリーの関係者と考えることができる。
「…注意はしておくか。」
由良さんに言われたように自分の身を守る決意をし、
まずはじめに生命を絶やさないために食堂へと向かうのであった。
「それでな、俺は思ったんだよ。」
遅い昼食を摂って教室に戻ると開口一番芳賀君が話しかけてきた。
「話の脈絡が見えないけどどうしたの?」
芳賀君は真剣な顔で大仰に頷いた。
「お前が女の子にモテているのはものすごくムカつくがそれは諦めた。」
「そうなんだ。」
クラスメイトの男子がブーイングしてくるがとりあえずは芳賀君の話を聞くことにした。
「だがな…なんで女の子とは仲良くするのに俺と仲良くしようとしないんだ!?普通昼飯とか誘うだろ?放課後ゲーセン行こうぜとか誘うだろ?なんで、なんで俺を無視するんだー!せっかくこんな頭にしたのに結局影薄い子かよー!」
芳賀君が魂の叫びをあげた。
泣き咽ぶ芳賀君に聞いてみると僕に入学式の日に声をかけてきたのは大人しく真面目そうな芳賀君で間違いなく、勇気を出して僕に声をかけてくれたものの翌日から僕は学校に来なくなりクラス内でも影が薄い。
それを打破するためにチョイ悪っぽくしてみたとのことだったが
「結局俺は空気なのかー!?」
自虐で暴走する芳賀君は椅子の上に立って叫び出した。
僕をはじめクラスメイトは級友の痛ましい姿に涙を禁じ得ずにはいられなかった。
「甘いわよ、芳賀くん!」
バンと入り口を勢いよく開いた久住さんはビシリと芳賀君を指差した。
「人から声をかけてもらおうなんてもはや時代遅れ、今の時代は自分から動くのよ!能・動・的ッ!」
最近久住さんのテンションがおかしいと思っているのは僕だけなのだろう、芳賀君だけじゃなくクラスメイトも感銘を受けているようだった。
「わかった、俺はやるよ!」
決意をしている脇で、今度は声をかけてあげようと密かに思う僕であった。
「半場、いや敢えて陸と呼ばせてもらおう。俺とやりに行こうじゃないか。」
ホームルームを終えてすぐ、今度こそ明夜を捕まえようと思っていた僕は逆に芳賀君に捕まってお誘いを受けた。
僕とクラスメイトは雑談も帰り支度もすべてを停止させて沈黙
「「き(゛)ゃー!!」」
直後大音量の悲鳴がクラスを震わせた。
「芳賀が見た目だけじゃなく中身までおかしくなった!」
「半場が出しているフェロモンは男にも効くのか!?」
「このままでは全人類ハーレム化が現実のものに!」
「スクープよ。世界を先駆ける同性愛者に直撃取材よ!」
「あああ、まさかマサ×リク!?新しい、メモメモ!」
…なぜか女子の一部が喜んでいた。
久住さんは握り拳を作って僕の返事を待っている芳賀君を見て頷いている。
「芳賀君、成長したわね。もはや教えることは何もない。」
「はい、師匠!」
芳賀君と久住さんはガッシリと握手を交わす。
もう何が何やら。
「にゃはは、ノリノリだね。これでこそゆうちんだよ。」
どうやらこれが久住さんの真の姿らしい。
「一応半場を気遣ってセーブしてたみたいだよ?」
「あれで?」
今までのことを思い返しても大人しかった記憶がない。
それをさらに越えるというのか。
「裕子ちゃんは半場君が寂しくないようにって、声をかけてあげようって言ってたんです。」
「あのからかいもスキンシップのうちってこと?」
「それはただの趣味よ。」
せっかく感動しかけたのに東條さんがあっさりとばらしてくれたので苦笑しか出なかった。
「さあ、陸!俺と…」
「なんだ、騒がしいな。陸いるか?」
いまだにやまぬ喧騒の中入ってきた人物に再びクラスは沈黙した。
今度は悲鳴が上がらない。
由良さんを見て悲鳴を上げようものなら睨まれるからだ。
「由良さん、どうかしたんですか?」
僕としては昼間に気まずい別れ方をしたので心配していたがどうやら杞憂だったようだ。
「…確かめたいことがある。」
用件を言わないで言葉を濁すのは“非日常”に関わるからか。
僕は由良さんのところに行こうとして、ふと視線を感じて振り返った。
「…」
そこには何かを期待するような、捨てられた仔猫みたいな目をしたツンツン頭の少年がいた。
(ここは芳賀君を優先してあげたいけど…由良さん、基本的にいないことが多いからな。)
最近はよく学校にいるがそれでも全部の授業に出ているわけではないらしい。
会えるときに話をしておかないとまた先週のようにすれ違うことになりかねなかった。
「どうした、陸?」
「陸、俺と来い。」
なんだか訳の分からないうちに板挟みになっていた。
状況が分からない由良さんは不思議そうな顔をしているがクラスメイトは
「半場陸が女を取るか友情を取るか?」
で固唾を飲んで見守っていた。
迷惑極まりない。
完全に立ち止まりどちらに進むべきか分からなくなった僕に投じられたのは僕の鞄だった。
慌てて両手で抱き抱えるように掴んで顔をあげると
「女を待たせるのはダメな男よ、りく。」
東條さんはそう言ってサムズアップしていた。
「…ありがとう、東條さん。」
僕は笑みを返すと背中を押されるように前へと、由良さんの方へと歩み出す。
「陸ーッ!」
背後で芳賀君が泣き叫んでいるが僕は立ち止まらない、進むと決めたのだから。
ドアを潜って由良さんの前に立つ。
由良さんは困惑気味だ。
「…いいのか、あれ?」
「いいんです。行きましょう。」
「リークーッ!」
泣き崩れる芳賀君と哀れな芳賀君を気遣うクラスメイトを残して僕たちは教室を後にした。
…ちなみに、芳賀君が誘ってきたのは当然のことながらゲームセンターの対戦ゲームである。




