第25話 “日常”を繋ぐもの
ヴァルキリーの根城たるヴァルハラでは優雅にお茶をたしなみながら会議が催されていた。
「計画の運営は引き続きヘレナさんと良子さんにお願いします。特にヘレナさんの件は今後に大きく関わりますので必要とあれば美保さんも加えてください。」
「わかりましたわ。」
「まかせとけ。」
2人の快い返事を聞いて満足そうに頷いた花鳳撫子は次の議題を提示する。
「次にインヴィについてです。」
それを口にした瞬間ヴァルキリーに緊張が走った。
最近の彼女たちにとって計画遂行と同レベルで重要視されているのが半場陸の動向だった。
「葵衣。」
「はい。」
呼ばれた海原葵衣は手帳を開きインヴィの調査報告を述べていく。
「今週に入ってからインヴィは羽佐間由良様と接触、何らかの協定を結んだ模様で学内に「半場陸は羽佐間由良の舎弟である」という風聞が広まっています。これは羽佐間様が流したようですので彼女はインヴィについたと考えて間違いないようです。」
葵衣の報告にどよめきが走る。
「うちらがどんなに誘っても聞かなかった羽佐間由良をインヴィが?」
「羽佐間の持つクリスタロスは強力な攻撃力に加えて超音振という空間攻撃まで持っていて危険だな。」
「あんな野蛮人、撫子様のヴァルキリーには不要です。」
皆が羽佐間由良が敵に回ったことを危惧していた。
その中でスッと上がった手に皆の視線が集中した。
手を上げた下沢悠莉は動じることなくニコリと微笑んだ。
「次のインヴィへの攻めは私が行きます。」
「それは構いませんが大丈夫ですか、悠莉さん?」
この間の会談時に見せた悠莉の様子を知る撫子は不安げに尋ねるが
「問題ありません。」
悠莉は曇りのない笑顔で頷いた。
それがまた不安を煽るのだが残念ながら今のヴァルキリーに悠莉をフォローしているだけの余裕はない。
「わかりました。くれぐれも無理と無茶はしないで下さいね?」
「はい。無理も無茶をしません。うふふ。」
とても楽しそうに笑う悠莉に不安を隠せないでいる撫子とその心情を知る葵衣は小さくため息をつき、他の皆は対照的な反応を見せる両者に首をかしげるのだった。
昨晩由良さんに連絡が行った背景は複雑だったようで、
まずなかなか帰ってこない僕を気にした両親が携帯に電話をかけたが繋がらなかったので、唯一交友があることを知っている作倉さんの連絡先を知るために学校に電話し、両親は作倉さんに連絡したが行方はわからなかった。
連絡を受けて不安になった作倉さんが友人に連絡を取って、そのうちの1人に東條さんがいて、なぜか知っていた由良さんの連絡先に繋がったというわけだった。
そのことを両親と作倉さんたちに聞いて心配されて心苦しかったが同時に色々な人と繋がっていることが嬉しかった。
僕は昨日のことを例の病気で倒れていて気がついたら深夜だったと説明していた。
本当のことを話せば間違いなく余計な心配を増やすことになるし下手をすれば巻き込んでしまう。
(こんな目に会うのは僕だけで十分だ。)
僕はもう“非日常”に浸かりきっている。
だからせめてみんなには僕の“日常”を守っていてほしいと、そう密かに思っている。
今日こそ明夜に会うために昼休みの終わり頃に1年4組に訪ねたのだが
「柚木さん?なんか風邪を引いたとかで何日か来てないよ。」
と言われてしまった。
(月曜日に見掛けたときに声をかけなかったのがまずかったか。)
あの日は由良さんに声をかけられたりいじめがあったりで忙しかったから仕方がない。
「うーん。どうにもすれ違ってるな。」
「それは破局の始まりよ。」
「付き合ってないのにもうお別れ!?」
とノリツッコミしてみると東條さんはグッと親指を立てていた。
相変わらずよく分からない人だ。
「由良さんに連絡してくれたみたいでありがとう。」
「いいのよ。てっきり先輩との情事の最中かと思っていたのに、当てが外れて残念だったけど。」
表情が乏しいので東條さんのはボケなのか本気なのかいまいちよく分からない。
しかも本人にその自覚があるから余計に厄介だ。
「柚木明夜は学校に来ていないわ。ただ、毎日建川の方で見掛ける情報がある。」
「それ、本当?」
だとしたら有力情報だ。
明夜が学校に来ないで何をしているのか気になる。
もしかしたらダルマや猟奇殺人のようにまた人を殺めているのかもしれないから。
「限りなく真実に近い情報は自分で見たものだけ。でもこれはかなり信憑性はあるわ。でも、今日は教えられない。」
「なんで!?」
詰め寄ろうとした僕の顔を東條さんが両手で包み身を寄せてきた。
見ようによってはキスしているようにも見えるだろう。
ドキドキしてしまい言葉が詰まってしまう。
「今教えればあなたは建川に向かう。でもそれだと祭りに行けなくなるから。」
そうだった。
“非日常”のことに気を取られ過ぎてみんなとの約束を忘れていた。
東條さんはそれを見越して忠告してくれていたのだろう。
相変わらず洞察力の鋭い人だ。
「東條さん…」
「アーッ!!りくりくとやえちんが抱き合ってる!」
中山さんがそんなことを大声で叫ぶので皆が寄ってきてしまった。
「わー、これは別に…」
「ぎゅー。」
僕が必死に弁解しようとしているのに東條さんは逆に背中に手を回して本格的に抱きついてきた。
「と、と、東條さんっ!?」
「何を慌てているの、りく。」
「なっ、八重花が下の名前で男を呼ぶとは一大事。これは2人の仲は相当親密と見た。」
そこに可燃性物質みたいな久住さんが飛び込んできてボヤが火柱に変わる。
「あわわ、八重花ちゃんがライバル…。」
「半場ハーレムはあながち冗談じゃなくなってきたね。」
なんだか大変な騒ぎになってしまった。
東條さんは僕にだけ見えるようにチロリと舌を出した。
(鋭い洞察力に天性の悪戯心、最悪の相性だな。)
それでも東條さんに悪い噂を聞かないのだから根はいい人なのだろう。
「ぴとっ。」
「わー、体を押し付けないで!」
「「あーっ!」」
…たぶん。
そんなわけで本日は怖いことは全部忘れて祭りに出掛けるとしよう。
昼に会ったときに由良さんも誘ってみたがあまり乗り気ではなかった。
家に帰って浴衣がないか聞いてみたがさすがに当日に言われてもと呆れられた。
私服で行こうかと思ったが父さんの浴衣が出てきたため急遽浴衣で出掛けることになった。
神社の鳥居の前に到着すると
「遅かったな。」
「由良さん。」
中から出てきた由良さんは白地の浴衣に黒髪をアップにしていつもと違うおしゃれな格好だったが腕捲りしていたり両手に食べ物を持っていたり口にソースをつけていた。
僕はティッシュで由良さんの口許を拭いてあげる。
「ちょっ、やめろ。」
「せっかく綺麗なんですからちゃんとした方がいいですよ。」
「そんなのはどうでもいい。祭りは楽しむもんだ。」
由良さんらしいとはいえ残念ではある。
なんというか、実に男前である。
「っていうか祭りに来るなら一緒でよかったんじゃないですか?」
由良さんはすでに祭りを満喫し終えて帰ろうとしているように見えた。
「大勢で回るのは性に合わないからな。」
これまた由良さんらしい返事でそのまま背中越しに手を振って行ってしまった。
人と関わるのを嫌うわりに僕の面倒見はよくて祭り好きな由良さんは
「協調性のない江戸っ子?」
そんな印象を受けるのだった。
「お待たせ。」
由良さんを見送ってすぐ声をかけられて振り返った僕は
「へぇ。」
と思わず感嘆の声を漏らしていた。
そこには五輪の華が咲いていた。
全員色違いでそれぞれのイメージにぴったりだった。
…ただ、中山さんだけミニスカ浴衣なのかはつっこまないでおくことにした。
「半場くんを唸らせることが出来たなら大成功だね。」
「にゃはは、りくりく釘付け?」
中山さんははしゃいでわざと足を見せようとする。
「お、女の子がみだりに足を見せちゃダメだって。」
「にゃは、お父さんみたい。でも照れてるんだよねぇ?」
「そんなこと…」
「坊やだからさ。」
東條さんは何かを呟いてニヤリとしていた。
「ほら、叶。隠れてたら意味ないでしょ?」
「うう。」
作倉さんはなぜか芦屋さんの後ろに隠れていた。
何はともあれこれで全員…
「ちょーっと、まったーぁ!」
祭り囃子をつんざく叫びに振り返ると石段の上に狐の面を被った浴衣少女が腕を組んで仁王立ちしていた。
「あのー、蘭さ…」
「何奴!」
正体バレバレなのだが久住さんが面白がって便乗していた。
蘭さん、もといお面少女は気を良くしたのか高笑いをあげる。
「りっくんは今や両手両足口に花。だがしかし真の勝者は常に1人!」
「…一理あるわ。」
東條さんまで乗り気で面白そうなことに首を突っ込まずにはいられない中山さんもお面少女に向かっていった。
僕と芦屋さんは苦笑し合い、後ろの作倉さんに目を向けた。
「…勝者は1人…みんなライバル…」
作倉さんは洗脳されたようにぶつぶつと呟くと皆と同じようにお面少女のところに行ってしまった。
「お、叶がやる気だ!」
「はいっ!」
残された僕らは呆然としたまま目を合わせ、
「行こっか。」
「そうだね。」
お面少女の下に向かうのだった。
それは祭りという名の戦いだった。
「さあ、こい!」
「…これは金魚。」
「わかってる!そりゃぁ!」
金魚すくいでは水槽の金魚がほとんどいなくなるまで勝負が続き、
「チョコバナナ早舐め対決!」
「ペロペロ。」
「チロチロ。」
ゴクリッ
「ガブッ」
「ッ!」
チョコバナナでは東條さんが周りの男性陣を行動不能にし、
「にゃはは、シュート!」
「狙い撃つぜ!」
「真奈美ちゃんが、おかしくなった。」
射的では店の親父さんが泣いてすがるまで商品を撃ち落とした。
そして
「さあ、次に…」
「もう無理だよ。」
「何故だ、りっくん!?」
お面少女がリアクションも派手に詰め寄ってきたのでお面を取り上げる。
蘭さんはようやく僕がご立腹なことを自覚したらしく苦笑いを浮かべていた。
「分かってるね?」
「…うん。りっくんのお財布が空になったから。」
彼女たちは遊ぶだけ遊んでさっさと次に行ってしまいほとんどのお代を僕が払っていたのだ。
久住さんたちは熱中して忘れていたみたいだったが蘭さんは理解した上でやっていたのだからたちが悪い。
しゅんと落ち込んでいるようだし許してあげようと思ったが
「よーし。次からはビリの人がお代を払うよ!ゴチバトル!」
「「おー!」」
(全然懲りてない!)
蘭さんはさっき以上に溌剌として皆を引き連れて駆けていってしまった。
こちら側だったはずの芦屋さんもさすがはあの5人組の一角を成すだけあって今はノリノリだ。
「ふぅ。これじゃあ本当にお父さんだよ。」
かしましくやんちゃな娘たちが暴走しないようにしっかり見守ることにしよう。
「いやー、遊んだね。」
蘭さんはご満悦のようだったが他の面子は若干お疲れ気味だった。
序盤から壊れていた作倉さんはようやく正気に戻ったらしく芦屋さんの影のようにぴったりと張り付いて隠れていた。
蘭さんは短いツインテールをぴこぴこ跳ねさせて距離を取ると大きく手を振った。
「今日はすっごく楽しかったよ。また遊ぼうね。」
蘭さんはそのまま跳ねるように走り去っていった。
「半場くんには迷惑かけちゃったね。この礼はそのうちするから。」
「…体で。」
東條さんが合わせの部分を開くのでどぎまぎしてしまい慌てて目をそらす。
「と、東條さん。」
「りくは面白いわ。そういうところ、好きよ。」
悪戯な笑みを浮かべる東條さんに僕は何も言えない。
「そろそろ帰ろうか。」
「そうね。」
なんだかんだで楽しかった祭りも終わりに近づいて僕たちもお開きとなった。
「バイバイ。」
最後まで元気に手を振っていたのは中山さんだけで他は疲れているようだった。
それを見送って僕も帰ろうとしたら
「…」
鳥居の下に巫女装束を纏った同い年くらいの少女がじっと僕を見ていた。
不躾な視線が観察するように突き刺さる気持ち悪さに僕は声をかけた。
「何か用ですか?」
巫女は尚も無言で僕を見ていたが、一言
「不潔です。」
そう言い残して境内に戻っていってしまった。
あまりにも率直に嫌悪されたので逆に怒る気も起こらなかった。
「なんだ、今の?」
首をかしげたところで答えはない。
小さくなる喧騒を背に僕も家路につくのであった。