第20話 無力なドリーマー
「それがクリスタロスの力なの。確かに良子先輩が『ルビナス』を使ってどうにか逃げられたと言っていただけはあるわ。ならこっちも本気で行かせてもらうわよ。スマラグド、『エスメラルダ』。」
神峰がその言葉を呟いた瞬間、翠色の輝きが渋谷駅周辺を包み込んでいった。
僕は咄嗟に目をつぶって衝撃に備えたが
(あれ?)
予想に反して何ともなかった。
「何をしたんだ?」
羽佐間先輩も分からなかったらしく警戒していた。
神峰は自信に満ちた様子でスマラグドを羽佐間先輩に突き付けた。
「さあ、行きなさい。」
神峰が告げると人の波がぞろぞろと動き出した。
僕は必死に抜け出そうと荒波を泳ぐように脇へと向かう。
「まさか、神峰が操っているのか!?」
嫌な予感の通り、大多数の人の群れはゆっくりと羽佐間先輩に向かっていた。
周囲が緑色の光に包まれた直後、まるで吸い寄せられるように寄ってきた一般人を前にしても由良は眉一つ動かさなかった。
「精神操作?一般人を盾にでもするつもりか?」
その言動は多分に嘲りを含んでいたが美保は不敵な笑みを浮かべたまま動じた様子を見せなかった。
さっきまでのヒステリックな様子からの変化に由良は警戒を強めた。
「あたしの敵はあいつよ。さあ、やっちゃいなさい!」
美保が叫ぶと最前列にいた男も女も構わずに地を蹴った。
その速度は常人のものよりも格段に速く、由良は反応が遅れた。
「うおお!」
拳を振り上げて迫ってきた男の鼻っ柱に拳を叩き込み、反対から爪をつき出してきた女のわきに飛び込みながら腕を取って先の男に向けて投げつける。
さらにそのまま下段回し蹴りで近づいてきた男女を薙ぎ払った。
「ふう。」
由良は長い髪を無造作に鋤きながら立ち上がった。
「クリスタロスを使わないの?」
「勝手な名前をつけるなよ。こいつは玻璃だ。」
「それとも、やっぱり人は殺せない平和主義者?」
噛み合わない会話でも美保はおかしそうに笑う。
美保の敵は由良1人で、美保の味方は群れを成して控えている。
美保のソルシエール、スマラグドの特殊能力『エスメラルダ』は宝玉の光に魅了された人間を操る。
しかも本来かかっている肉体の制約を取り払うため渋谷駅前のように人が多い場所で発動させた場合無数の屈強で恐れを知らない兵を生み出すことができるのである。
無論兵の安全など考えられてはいない。
限界を越えた体は容易に異常をきたし倒れていく。
「さあ、さあ!どんどん行くわよ!」
美保は倒れていく人など気にも止めていない。
自身は動かず、由良が力尽きるまで忠実なる兵士たちと戦わせるつもりだった。
(やっぱり甘いわ。)
美保の予想通り、由良は迫る一般人に対して剣ではなく拳で応戦していた。
いかにソルシエールを持つとはいえ超人相手にいつまでも拳で戦っていられるわけがない。
その限界は意外と早く訪れた。
足を踏み外してバランスをすぐしかけた由良の腹に男の拳が打ち込まれた。
「ぐっ!」
車にぶつかられたような衝撃にミシミシと嫌な音が体の中から響く。
由良の体は何度も地面を跳ねて転がった。
「げほっ!はあ、はあ。」
玻璃が飛ばされながらもよろよろと立ち上がった由良だが足は震え、手も殴られた部分を押さえていた。
美保の口が大きく割けたように笑い、スマラグドをタクトのように振るう。
人混みの中からとりわけ屈強そうな男たちが出てきて由良を取り囲んだ。
「おおお!」
「くっ!」
1人目のパンチをどうにか止めたが続く真横からの蹴りには対応できず
「あっ!」
さらに背中にも打ち下ろすような一撃を受けて由良はアスファルトの地面に倒れ伏した。
「あー、殺しちゃダメよ。トドメはあたしが差すんだから。だから死なない程度に限界まで痛め付けちゃって。」
ガスッと男の爪先が由良の脇腹に食い込む。
「がはっ!」
由良は口から血を吐き出すが意識を持たない男たちは命令通り死ぬ直前までやめることはない。
背中を踏み、足を蹴飛ばし、髪をつかんで顔を殴る。
「う、くっ、はっ!」
成す術なく一方的にいたぶられる由良を美保は愉悦に浸った表情で見下す。
「いいざまね。あたしに楯突いたらどうなるかわかったでしょう?」
ガス、ガスッと断続的に襲う衝撃に由良は声すら出さなくなった。
すでに全身汚れ、服もボロボロで地面に倒れた由良は生きているのか死んでいるのか、口から血を流して動かない。
美保が指を鳴らすと攻撃の手が止んで由良までの道が作られた。
巨漢2人に無理やり立たされた由良の髪は煤けて顔にかかっているため表情をうかがい知ることはできない。
「さて、もう終わりみたいね。ムカついたけどそれなりに楽しかったわ。」
美保はスマラグドを由良の胸に突き付け
「バイバイ、羽佐間先輩。」
壮絶な笑みを浮かべ、心臓を貫かんと突きを放った。
スマラグドの凶刃は
「…調子に乗るな。」
振動する玻璃によって力を相殺されて弾かれた。
「なっ!」
見れば由良を押さえていたはずの男たちは地に倒れて痙攣していた。
ボロボロになった由良の左目が力強く朱に輝き、いつの間にか手に握られていた玻璃の振動が強く大きくなっていく。
「操られるような奴はどいつも同罪だ!喰らえ、超音振!」
由良の叫びと共に玻璃から無音の超振動が渋谷駅周辺に襲いかかった。
「操られるような奴はどいつも同罪だ!」
(僕は違うのにー!)
直後脳を揺さぶられるような衝撃に意識が途絶えた。
目が覚めると渋谷は騒然となっていた。
周辺にあったビルの窓ガラスが粉々に砕け散り、地面には今尚倒れ伏した人たちがたくさんいて救助されていく。
僕は予備知識があったり離れていたからそれほど強い被害は受けなかったがそれでも立ち上がると少しふらついた。
「君、大丈夫か?」
救急隊員が駆け寄ってきて支えてくれた。
「はい、大丈夫です。」
「いったい何があったんだ?爆発物の形跡はないし喧嘩のあとみたいな傷を負った者はいたが死亡者はいない。こんな不可解な事件は初めてだ。」
「さあ、僕にも何だったのかわかりません。」
救急隊員はしきりに首を捻るがどう説明したところで理解できないだろう。
(羽佐間先輩はやっぱり言われてるほど悪い人じゃないんだ。)
偶然かもしれないがそれでも進んで相手を殺そうとする神峰たちとは違うことが分かって嬉しかった。
だいぶ調子がよくなってきたので救急隊員に礼を言って立ち上がる。
周囲はひどい有り様で僕は止めることが出来なかった自分の弱さを痛感させられた。
振動波の影響で電車も止まっているようだが仕方がない。
何も出来なかった自分への苦行と思って歩いて帰るとしよう。
「結局、Innocent Visionの見せた未来は覆せなかった。」
無力感に苛まれながらもう一度町の惨事を目に焼き付けて家路につくのだった。
なんとか日暮れ前までに帰ってこられた僕の携帯が振動した。
メールを開いてみれば差出人は作倉さんだった。
『明日のデ…お、お出掛けは何時にしましょうか?』
メールの文面でもデートと書くのに抵抗があるところは作倉さんらしい。
意識の端に追いやっていたが明日は作倉さんと出掛けることになっていたのだ。
「どこに行くとか何も考えてなかったな。」
そう思いつつ今朝見た夢はアトラクションのようだったから遊園地辺りだろう。
Innocent Visionに従うのは抵抗があるが経験値ゼロの僕にはこちら方面においては攻略本みたいで助かる。
「9時に駅前で、と。」
送信すると異常に早い返信があって
『よろしくお願いします!』
文面なのに無駄に気合いが入っていて思わず笑ってしまった。
うちひしがれて歩き疲れて、身も心も衰弱していた僕だったが作倉さんのおかげで穏やかに眠れそうだった。
暗い渋谷の路地裏、時刻は月曜日になったばかりの深夜。
僕の目は凄惨な現場を見つめていた。
今度は頭と腕、足だけがきれいに切断され、胴体が跡形もなく刻まれた死体。
臓物と大量の血が路地裏の壁や地面を赤く染め上げていた。
頭の数は3つ
ゴトリ
今、4つになった。
切断面はまっすぐでもう一度合わせればくっつきそうなほど。
だけどつけるべき体がもうない。
グチャグチャと肉片が飛び散り大量に内蔵されていた血液が吹き上がる。
その芸術的な切断と衝動的な破砕のミスマッチさが僕の心の奥からゾクゾクとした気持ちを引き出す。
最後の1人の胴体が誰のものかもしれない肉の寄せ集めに混じり合った。
路地裏は血の海に沈み、あるのは4人分の四肢と犯人たる少女の姿だけ。
少女がゆっくりと振り返る。
僕は変に気分が高揚して笑っていたと思う。
目の前には全身を赤い返り血に染め、その血を瞳に塗りつけたように左目を朱く輝かせた柚木明夜が静かに佇んでいた。
両の手に神秘的な剣を備えて。
「ぐあっ!」
頭が割れそうな痛みに意識が遠退いていく。
最後に、明夜は見えないはずの僕を見ていたような気がした。