第189話 夢のような平和な世界
僕は目を開けた。
そこは見慣れた天井、僕の部屋だった。
差し込んでくる穏やかな日差しが朝だと告げている。
「夢を、見た気がする。」
とても辛くて、でも満たされたような不思議な感じ。
だけど僕は夢の内容を覚えていない。
左目が少し腫れぼったいような気がして手で触れてみるが特に異常はない。
「ふぁー、まだなんか眠いな。」
起き抜けだというのに目がショボショボするし頭もボーッとする。
世界は温かく穏やかで春の木漏れ日の草原みたいに僕を眠りへと誘おうとする。
抵抗することも考えず僕は温かい布団に潜り込んで眠りへと落ちていった。
幸せな夢が見られることを望みながら。
「…卒業生代表、花鳳撫子。」
拍手に包まれた講堂。
今日は壱葉高校の卒業式だった。
学生の数は元の半数位しかいないが"災害"に巻き込まれた人たちを悼むだけで大きな混乱はなかった。
撫子はそれらの空席を見て少しだけ感傷的な気持ちになりながら席に戻っていった。
「撫子様、卒業おめでとうございます。」
「おめでとうございます。ヘレナ様もおめでとうございます。」
式の後、緑里と葵衣が花束を撫子とヘレナに渡す。
「ありがとう、2人とも。」
「これでワタクシもお別れですわね。…思えばあっという間でしたわ。」
感慨深げに校舎、そして多くの時を過ごしたヴァルハラへと目を向ける。
「あれ、ヘレナさん泣いて…」
「な、泣いてなどいませんわ!」
ヘレナは茶化す緑里に拳を振り上げるが小さくため息をついてその手を頭に乗せた。
「ミドリのおかげで退屈しませんでしたわ。ありがとう。」
「~!」
「あ、姉さん!」
感極まった緑里が急速離脱し、葵衣がお辞儀をして走り去るのを見送ってから撫子に視線を向けた。
撫子は今のやり取りを優しく見つめていた。
「なんですの?」
「いえ、寂しくなりますね。お互い進む道は違いますが頑張りましょう。」
撫子が差し出した右手をヘレナはギュッと握る。
「いつの日か必ずナデシコを追い抜いてみせますわ。覚悟なさい。」
「それならばわたくしは先に行きます。追い付かれる日を楽しみにしていますね。」
2人は互いの健闘を願いつつ道を別った。
ヴァルハラには"RGB"の姿があった。
そしてかつて撫子が座っていた席には良子が着いていた。
「4月からは最高学年、そして乙女会の会長か。悪くないね。」
良子は上機嫌に悠莉の淹れた紅茶を飲んだ。
「そうは言っても実務は今まで通り葵衣先輩になるんですけどね。」
「傀儡会長ですね。」
後輩2人に苛められてちょっといじけた良子は窓の外に目をやる。
桜にはまだ早いようだが外は春を思わせる暖かさだった。
「ソルシエール、か。」
その表情が不意に悲しみを帯びる。
今、良子たちの手にソルシエールはない。
ファブレが消滅したときからソルシエールは取り出せなくなっていた。
「私たちは夢を見ていたんでしょうか?」
ポツリと悠莉が呟いた。
「だとしたら随分と殺伐した夢ね。」
「美保さんはソルシエールが無くてもカリカリしていますけどね。うふふ。」
「人を短気みたいに言わないでよ!」
「え、短気じゃないの?」
「短気じゃないんですか?」
「うがー!」
真顔で返されて吠える美保。
ソルシエールという力を失った乙女会はただ女子の憧れとして活動し続ける。
パチン
モデルルームみたいな家の電気をつけると脱ぎ散らかした服や食事のゴミが転がっているのが目についた。
かつてのモデルルームらしさは何処にもない。
由良は頭を掻いて嘆息する。
「…掃除するか。」
渋々服をまとめたりゴミをゴミ箱に入れていく。
ファブレへの復讐を終えて玻璃を失った由良は普通の学生に戻…れるわけもなく、サボりにサボったツケで留年が決定した。
4月からも2年生である。
「はあ。」
それに関しては気にしていない。
自業自得だし明夜たち1年生が進級してくるので退屈はしない予感はあった。
「あー、面倒だ。」
由良は掃除の手を止めてソファーに身を投げ出した。
ただ最近いろいろとやる気がない。
同学年に仲のよい知り合いがいないせいもある。
仲を気にしなければヴァルキリーの面々と交流はあるが張り合いがなかった。
「蘭のやつ、どこ行ったんだ?」
気がかりの1つは蘭のこと。
ファブレのホムンクルスである蘭が今後どうするのか、それを話すよりも前に蘭は皆の前から姿を消した。
ちゃっかり卒業資格は前倒しでもらったらしいが担任もどこに行ったのか知らないらしい。
ただ一言
「おら、強ぇ奴に会いに行く。」
と言っていたそうだが。
「まったくどいつもこいつも勝手にいなくなりやがって。」
それが寂しさの裏返しだと気付いているからこそ由良は悪態をつく。
ゴロリとソファーで寝返りを打って由良は1人広い部屋で眠りについた。
明夜は屋上から壱葉の町を見下ろしていた。
デーモンの襲撃とブリリアントで壊された町を一般人は覚えていない。
ただ恐ろしい"災害"によって町も人も失われたことを知っているだけだ。
「…」
明夜は自分の両手を見つめる。
血に濡れた冷たい手はいつしか温かさを知った。
そして自らの使命を遂行する刃は眠りについている。
明夜はまた顔をあげて町を見る。
不意に強い風が明夜の髪を揺らした。
「私は守る。」
その瞳は陸と出会った頃と何も変わらず秘めた強い意志を宿していた。
「雅人くん、どこ行くの?」
「やっぱ修了式のあとはカラオケだろ。」
「にゃはは、歌うよ。」
裕子と芳賀、久美は商店街を歩いていた。
「八重花たちも来ればよかったのに。」
「まあ、用があるなら仕方がないだろ。」
当然仲良し5人組で行く予定だったが八重花と真奈美、叶が不参加ということで芳賀が追加されたのだ。
こうなると恋人+1人の構図になりそうなものだが
「久美、デュエットしよ。」
「にゃはは、ユウクミ。」
むしろギャル+おまけだったりする。
芳賀は別に怒るでもなく少しだけ呆れたように笑う。
「お前ら、本当に仲がいいな。」
裕子と久美は顔を見合わせ同時に頷く。
「にゃはは、ゆうちんは渡さないよ。」
「雅人くんも大事だけど友情はもっと大事。」
"災害"の記憶は無くても2人の絆は確実に強まっていた。
それこそ芳賀を追い出すほどに。
「って、おい、置いてかないでくれよ!」
3人は仲の良い学生らしく騒ぎながら街中に消えていった。
真奈美と八重花は公園を散歩していた。
もっとも真奈美は義足をつけているもののぎこちなく八重花が半分支えていた。
「悪いね、付き合ってもらって。さすがにこれに慣れておかないと新学期から大変だからさ。」
「わかってるわ。だから甘味の奢りで手を打ってるでしょ?」
一応入院生活は終わりを迎え、進級試験もパスした真奈美は来年度から八重花たちと同じ2年生。
義足での生活に慣れるために日々訓練をしているのである。
「2年生か。どうなるのかな?」
「さあ、少なくとも私はあまり期待していないわ。」
真奈美の言葉に八重花は素っ気なく答える。
その理由が分かっているだけに真奈美は何も言わず練習を再開した。
「別にこんなもの使わなくてもスピネルがあるじゃない。」
ソルシエールは使えなくなったがシンボルの力を持つスピネルは健在だった。
とはいえ
「あんなものつけて歩いてたらすぐに捕まるよ。」
銃刀法違反だし左目の眼帯の奥が輝いていては不気味だろう。
"普通"を生きるためにも義足は必須だった。
八重花は食い下がることもなく遠くを見ている。
真奈美も同じ方向を見るとそこは真奈美が通っている壱葉総合病院だった。
「…悪いね、付き合ってもらって。」
「…いいのよ。今の私には何もできないから。」
2人は病院を見つめる。
2人には病院がまるで茨の城に見えた。
「りく…」
温かい風がそよぐ。
大気は春の息吹を含み
日差しは包み込むように優しい。
こんな日はお昼寝をしたくなるのも無理はない。
それでも日が傾いてくるとまだ春と呼ぶには寒く、開け放していた窓を静かに閉めた。
途端に外の騒音はほとんど聞こえなくなり、室内には静寂が訪れる。
この白い部屋にももう慣れてしまった。
彩る花も何処か元気がないように見える。
やっぱり部屋の主に似るのかもしれない。
時計はなく
時を刻むのはゆっくりと傾いていく陽射しだけ。
もうすぐ白い部屋が橙色に染まる。
もう何度も経験してきた光景。
そして、あと何度経験しなければならないのか。
不意に頬を熱い雫が伝った。
慌てて目元を拭う。
不安になってなどいられない。
今できることをするしかないのだから。
日が傾いていく。
地平線に沈む直前の夕陽は燃えるように朱く染まる。
その色は怖い。
いろんなものを奪っていったから。
だけど嫌いにはなれない。
それは絆の色だから。
やがてその色も消えて藍色の闇が降りた。
この色も繋がり。
だけどもう行かなければならない。
名残惜しいがここにいるだけではだめだから。
悲しくても、たとえ泣いてしまうことがあっても
前を向いて歩いていく。
それが教えてもらった強さだから。
"私"はベッドで安らかに眠り続ける"彼"を見て出来る限りの笑顔を向ける。
「また来ますね、陸君。」
陸君は今も安らかに夢の中にいる。
約二年の長期連載となりましたInnocent Visionはこれにて最終話です。
読者の皆様はご愛読誠にありがとうございました。
たくさんの方が読んでくださってとても励みになりました。
自分でも正直ここまで長い話になるとは思っていませんでした。
感想ではキャラクターの個性が出ているという意見を多く頂きましてありがとうございました。
それぞれに個性というか命を吹き込めたならよかったです。
終わり方に関しては様々な感想がおありでしょう。
作者自身これがハッピーエンドだなどとは思っていません。
ただ、半場陸が己の信念に従って最後まで戦った、そんな一つの物語です。
そして、一つの物語が終わろうともまだこの物語は終わっていません。
ファブレの討滅とソルシエールの消滅は新たな戦いの布石となり次の物語の始まりを導きます。
次回予告
時は4月、"災害"の傷跡が癒されつつある壱葉。
ソルシエールの消滅により争いの火種もまた消失したかに思われた。
だが
「第二次ジュエル計画を始めましょう」
人の造り出せし魔剣ジュエルをもってヴァルキリーが再び恒久平和の理想を掲げて活動を開始する。
"Innocent Vision"は叶と八重花が加わったものの陸と蘭がおらず、戦力は聖剣だけという状態。
ヴァルキリーは"Innocent Vision"を統合し、魔剣統一を画策する。
「陸君が目覚めるその時までは私は"Innocent Vision"を守ります。」
そして"Innocent Vision"のリーダーとなった叶の前に新たな黒き異形の闇が姿を現した。
「オーー!!」
陸の目覚めを待つ"Innocent Vision"に迫るヴァルキリーと未知の敵の脅威。
"Innocent Vision"は絆を信じて戦いに身を投じていく。
次回作、"Akashic Vision"、近日公開予定
"Innocent Vision"の続編、"Akashic Vision"を乞うご期待です。
このたびは長編小説"Innocent Vision"を読んでいただき、誠にありがとうございました。
次の作品も楽しんでいただければ幸いです。