第187話 Akashic Vision
ファブレの力は圧倒的だった。
数十もの細い光を空から降らせ、無軌道の拡散光を撒き散らし、そして極大のブリリアントを放つ。
ブリリアントは遠くに見えた高層ビルをたった一発で消滅させるほどの威力を誇っていた。
魔剣としての形を失い、ファブレとしての人格を失ったことでアダマスの力を最大限に引き出すことができたのだとしたらこれほど皮肉なことはない。
もはや意思を持たない生物兵器となったファブレはどんな国家が挑んだところで負けることはないだろう。
無限に近い再生力と最強の攻撃がファブレにはある。
核兵器でさえブリリアントが当たれば内部での反応そのものが消滅するため意味をなさなくなる。
人類最凶の兵器すらファブレにはまったくの無力なのだ。
「…ふっ。」
僕は光の雨を避けながら自分の考えに笑ってしまった。
ならば今、ファブレと対峙しているのは何者なのか。
光の雨を、拡散する光の礫をすべて回避し、触れれば消滅するブリリアントを片手で防ぐ存在。
力無い人がこの戦いを見ればこう呟くだろう。
"化け物"だと。
そう、僕は、Innocent Visionは今、正真正銘"化け物"だった。
すでに人格がないはずなのにファブレの攻撃はこちらの思考を読んでいるかの如く退路を塞ぐように光の雨を降らす。
その上で拡散光やブリリアントを向けてくるため普通なら逃げ場などない。
だけど僕には、今の僕なら防ぎきれる。
光の雨が偶然本来の軌道から外れて人が通れる隙間を作ったり、ブリリアントがねじ曲がって僕を避けたり、拡散光は未来予測により安全圏を確保したりと消滅の光は僕に当たりはしない。
「…」
何も言わないがファブレの目は不審げに僕を見ている。
種明かしの観客が言葉を理解できるのかわからないけど彼女には知る権利があるだろう。
「不思議そうだね?なぜ当たらないのか。」
語り部らしく大仰な仕草で声をかけるとファブレは
バシュッ
やっぱりブリリアントを撃ってきた。
やはり聞く耳はおろかそれを理解する知性すらもなくしてしまったらしい。
それを成したのは僕たちだが自業自得なので同情はしない。
そして不意打ち気味のブリリアントが僕に当たることもない。
光はまるで僕の前に斜めに置いた鏡があるように屈折してあさっての方向へ飛んでいった。
観客には聞く気がないようだが僕の口は勝手に開く。
「予言の石アズライトはアカシックレコードの記した運命を見る絶対予言の目を与える魔石だ。」
僕はふらつく体を奮い立たせてファブレの攻撃を捌く。
ブリリアントを出したまま視線を動かして襲ってくる空間攻撃を避け、僕の動きを封じる檻のように放たれた光の雨をねじ曲げる。
周囲は消滅して歪になっていくがファブレの後ろ側には損害は出ていない。
十分に囮役はこなせているようだ。
その昂ぶりがまた口を開かせる。
「僕はずっとInnocent Visionの見せる未来を変えたいと思っていた。だけど過程は変わっても結果は変わらなかった。だってそれは運命だったから。」
人の身では運命には抗えない。
だから僕は抵抗を諦めInnocent Visionを効率的に扱う術を身に付けていった。
それが起きたまま近い未来を見通すスタンIVの発展系とも言うべきInnocent Vision改。
だけど、そこが"人"としての能力の限界だった。
「羽佐間先輩、起きてください。」
「…ん、…作倉?」
叶が駆け寄って肩を揺するとしばらくして由良が目を覚ました。
うつ伏せの状態から叶に支えられて地面に座る。
制服のスカートで胡座をかくためかなり際どい感じで叶の方がなんだか恥ずかしくなって視線をそらした。
「げはっ、げほっ!」
突然咳き込んだ由良は左手で口許を押さえた。
その指の間から真っ赤な血が滲む。
「どうしたんですか、その血!それに右腕も!」
玻璃を握っていた右手もだらりと下げていてただ事では無い様子だった。
Xtalの代償だった。
通常のXtalですら半日は続く腕の痺れや内臓への衝撃を引き起こす諸刃の剣。
そのオーバークロックともなれば由良にかかる反動は壮絶なものとなる。
正直由良でなければ発動した瞬間に意識を失ってもおかしくない大技なのである。
「何でもな…」
「オリビン!」
由良の言い訳を聞くよりも早く叶はオリビンを掴むと由良の右腕を押さえつけて突き刺した。
「!?」
突然の行動に絶句するがオリビンの刃は体を傷つけることはなかった。
溶け込むように潜り込んだ刀身から温かな感覚が指先から腕を伝わり体内へと広がっていく。
「ん…」
心地よい感覚に身を任せていると気が付けば由良の感じていた右腕の無感覚も臓器のダメージによる気持ち悪さもなくなっていた。
由良は解放された右腕を曲げ伸ばししたり手をワキワキと開閉させたりして調子が戻ったことを確かめた。
「…悪いな。」
「いえ。」
心臓によろしくない治療行為に由良が礼を言うと叶は会釈して立ち上がった。
返事で浮かべていた叶の笑みはすぐに真剣な表情に変わった。
「みんなを起こしに行かないといけません。陸君が待っています。」
「それなら俺は明夜と蘭の所に行く。作倉は真奈美と東條を起こせ。終わったらここに合流するぞ。」
由良も立ち上がるとすぐに叶に指示を出した。
「はい。」
叶は頷くが由良はすぐには動かず、視線を陸の方に向けていた。
目線の先では一つ目怪獣へと変貌したファブレと陸が正面から対決していた。
陸は不自然なほどに攻撃を受けた様子がなく一撃も攻撃していないのにファブレを圧倒していた。
「一体何だってんだ?未来視だけじゃ説明できないぞ?」
触れれば消滅する光の雨を避け、乱射される光のつぶても避ける。
そこまでならこれまでのInnocent Visionでもできないことはなかったように思う。
だが陸はそれらの光を逸らしている。
明らかに陸を狙って放たれたブリリアントが眼前で屈折するのは"偶然"では片付けられない。
触れれば一環の終わりとなるブリリアントも確かに触れなければ問題ない。
陸は意図的に触れない状況を作り出しているようだった。
陸の勇姿を見ても由良の表情はむしろ苛立たしげだった。
「あれじゃあブリリアントじゃなくて未来そのものをねじ曲げてるみたいだな。あんな力、どこに隠してやがった?」
だが陸は戦闘中で、遠すぎる由良の問いは届いていない。
由良には陸そのものが遠く感じられてギリッと奥歯を噛んだ。
「流れ弾で明夜たちをやらせるわけにはいかない。さっさと起こすぞ。」
「はい。」
結局考えても出ない答えは放置して由良と叶はいまだ倒れている仲間のもとへ駆け出した。
僕はInnocent Vision改を会得した。
だけど今にして思えばこれは正しい使い方ではなかった。
Innocent Vision改の見せるものは目に映る空間のわずかに先の未来の姿。
それは運命と呼ぶほど大きくない"現在"の先に分岐する"未来"。
"太宮様"の予言に近い力だ。
(光の雨はここにくる。)
光の雨や拡散光はInnocent Vision改の力で回避できる。
だけどInnocent Visionの本質はアカシックレコードの読み出し。
それを行うためには"半場陸"としての思考や認識が妨げになる。
だからInnocent Visionが運命を見せるとき、僕はいつも眠りに落ちていたんだ。
観察する"眼"だけを残し無意識という器を作るために。
それがInnocent Visionの引き起こす強制的な眠りの正体。
叶は陸がファブレの気を引いている隙を狙って八重花に駆け寄った。
「八重花ちゃん、大丈夫?」
「…」
八重花は暗い空を見上げて無言だった。
目を開けたまま動かない八重花は人形が転がっているようでなかなか不気味だ。
「八重花、ちゃん?」
意識はあるようなのに動こうとしない八重花に叶は戸惑いを隠せない。
「…りくが来てくれれば目覚めのキスをねだるところだったけど、残念ね。」
本当に残念そうに起き上がった八重花は立ち上がって服の埃を払う。
見たところ目立った外傷もなく元気そうだった。
「ごめんね、陸君じゃなくて。」
皮肉ではなく済まなそうにする叶を見て八重花はため息をついた。
「叶もりくを狙ってるならそこは私の野望が阻止できたことを喜びなさい。」
「…うん。」
曖昧に返事をして叶は八重花を見つめる。
「…」
「…」
なし崩し的に"Innocent Vision"に参加している八重花だったが少し前まではヴァルキリーとして陸の敵に回っていたのだ。
それはつまり叶の敵だったことにもなる。
「八重花ちゃんは今でも明夜ちゃんとか私と戦うつもりなの?」
叶の表情からその話題を予想していた八重花は視線をそらしてフッと笑った。
「確かに今もその思いが無くなったとは言わないわ。だけど誰を傷つけてもりくは悲しむ。だからもうソルシエールを向けることはないわ。正攻法で皆を打ち負かすことにしたから。」
八重花は清々しい顔で宣戦布告した。
その左目に狂気に染まった朱色はない。
「良かった。お帰り、八重花ちゃん。」
だけどその宣戦布告も叶には不発、八重花は苦笑して叶を抱き締めた。
「何泣いてるのよ。…ただいま。」
八重花も叶を抱きしめながら一筋涙を流した。
互いに気付かず違えていた道は再び交わった。
少しだけ形を変えた"友"として。
ブリリアントが僕の前で不自然に曲がって明後日の方向へ飛んでいく。
ブリリアントだって光の一種だから消滅の光に耐えられるアイギスみたいな鏡でもあれば反射させることは可能だが、何もない状態で曲がるなんてことはあり得ない。
だけどそのあり得ない光景が現実に起こっている。
「くっ。」
視界が霞み、足元が覚束無い。
自分が立っている感覚が曖昧になる。
それを奥歯を噛み締めて抑え込み僕はファブレを見る。
僕が体勢を崩したのを狙ってまたブリリアントを撃ってきた。
(Innocent Vision。)
僕は左目に意識を集中させる。
朱色に染まる世界はボヤけていて辛うじてブリリアントが飛んできているのがわかる。
僕はその光が曲がることを望み…そんな夢を見る。
いつの間にか閉じていた右目を開けるとブリリアントは僕の前でわずかに軌道を変えて逸れていった。
…夢で見たのと同じように。
そう、僕はInnocent Visionを完全に受け入れたことで更なる力を引き出したのだ。
Innocent Visionがアカシックレコードの運命を夢という形で僕に見せるのなら、逆に僕の見た夢でアカシックレコードを書き換えることが出来ないかと。
運命を変えるのではなく、定められた運命そのものを書き換える究極の未来視。
「スペリオルグラマリー・Akashic Vision!」
「おい、起きろ、蘭、明夜。」
「くー、くー…」
由良が駆けつけると蘭は冗談みたいに鼻ちょうちんを浮かべて寝ていた。
猫みたいにグーで顔をこすったり実に気持ちよさそうである。
「…」
由良は額に青筋を浮かべると問答無用でその鼻を摘まんだ。
「く…むー!」
口があるのに苦しそうにもがき始めた蘭に由良はため息をこぼした。
「起きてるならさっさと起きろ。小ネタはいらん。」
「由良ちゃんノリ悪い。」
「…ん。ご飯まだ?」
不満げに口を尖らせる蘭の隣で目を覚ました明夜は開口一番そう言った。
「「…」」
蘭とは違い狙ったボケじゃないのでツッコめず唖然とする2人を明夜は首を傾げて見つめていた。
僕の夢を媒介にした運命改変こそが僕の、Akashic Visionの力。
すべての理を無視した絶対防御も僕がそう夢見ることで実現している。
「う…」
だけどいかにアズライトを受け入れたとはいえこれは人の身に余る力。
起きたまま夢を見るという矛盾した状態は夢と現実の境目を曖昧にしていく。
もう自分が立っているのかどうかも危うくなってきた。
「まだ、終われないんだ。」
ファブレは最強最悪の怪物だ。
科学兵器はもちろん、ソーサリス全員が力を合わせて挑んでも滅ぼせるかわからないほどの。
だから僕は同じ"化け物"としてファブレを止めなくてはならない。
「僕の意識が夢に取り込まれる前に。」
叶と八重花が駆けつけたときには真奈美は起き上がって体やスピネルの調子を確かめていた。
「真奈美ちゃん、大丈夫だった?」
「ああ、平気だよ。セイバーの効果で防げたからね。」
そう言って軽く左足を持ち上げてみせた。
セイントのシンボルほどの対魔剣能力は無いもののジュエルの身体能力強化がその穴を埋める形でセイバーは強力な力を宿していた。
そんな力を持っていても眼帯の奥でうっすらと輝いて見える青は右の目と同じように優しい光を放っている。
その目が細まりファブレと陸を見た。
釣られて叶と八重花もそちらに目を向ける。
「ヤバそうだね。」
「でも陸君はずっと攻撃を避け続けてるよ?」
叶の言葉には応えず真奈美は八重花と視線を交わす。
八重花も真剣な表情で頷いた。
「戦いは避けてるだけじゃ勝てないわ。りくだってそれを知らないはずがない。だから私たちが起きるのを待っているのか…」
「もしくは、半場の力が防御にしか効いていないのか、だね。急いで由良先輩たちと合流しよう。」
「この位置からならむしろりくの所に向かった方が得策よ。」
言うが早いか八重花はジオードを取りだすと上に向けて火弾を放った。
パンッと花火のような音がして由良たちの意識が向いた。
八重花はそれを確認すると陸の方に向かって駆け出した。
真奈美もすぐにその意図に気づいて駆け出し、叶も慌てて後を追う。
「これで向こうも直接りくの所に向かうはずよ。」
八重花が横目で見れば由良たちは思惑通り離れた場所で並走する形で陸を目指して走り始めていた。
「今のでファブレがこっちを向いたら結構危なかったけどね。」
真奈美のツッコミを八重花は笑って受け流す。
会話の内容とは裏腹に焦った様子で駆ける2人の背中を見て叶は不安げに陸を見た。
陸はまだファブレの攻撃をただ捌き続けていた。
(さすがは魔女。抗魔力が強い。)
Akashic Visionは僕の視界に映る事象を書き換えられる。
存在していたものを打ち消すことも可能なのだが
(さすがにファブレの存在が強すぎてファブレの存在しない夢が見られない。)
ようするに現実と僕の夢との椅子取りゲームみたいなものだ。
僕が消滅すると願った夢を現実とすげ変えることが出来れば現実でそれは消滅するのだが強すぎる存在感は戦いながら消滅させられるほど簡単ではなかった。
目蓋が落ちてくるのを奥歯を噛み締めて堪えながらブリリアントを曲げる。
打ち消すよりも簡単とはいえ僕もかなり消耗してきて精度が落ちてきた。
空に放たれたブリリアントが雨のように降ってこようとしている。
(方向転換、目標ファブレ。)
僕が夢見たように光の雨がファブレに降り注ぎ直撃したファブレが声にならない悲鳴をあげる。
無駄に知能があるのか同じ攻撃は通用しない。
僕はファブレを前に不敵に微笑んでみせる。
「どっちが先に倒れるか、勝負だね。」