第183話 受け入れた命
僕は真っ暗な闇の中で眠っていた。
いや、眠っていたことに今気が付いたのだからそれまではどうだったのか記憶が曖昧だ。
寝ているときに筋肉が痙攣して跳ね起きたみたいに体がビクンと跳ね上がったような感覚だった。
「僕は…」
起き上がってみるとそこは1本の通路の途中だった。
ただどこか現実味に乏しく、コ-ランダムの中のような印象を受けた。
「僕は…どうしてここに…」
記憶を順に呼び起こしていく。
ここで寝ていたこと…終わり。
「いやいや、おかしいから。」
原因なく結果は起こらない。
それはInnocent Visionで見るどの未来でも同じ…
「あ、Innocent Vision…」
僕は左目に手を当てた。
目玉はある。
だけど何かが無くなった喪失感があった。
「僕はInnocent Visionを、アズライトの魔石を奪われて…それで…」
ファブレはアズライトが僕の命のような事を言っていた。
つまりそれを抜き取られた僕は命を亡くしたわけで
「まさか、死んじゃった?」
何だか妙に客観的な気分だった。
自分が死んだことを冗談みたいに思っている。
「それじゃあここは地獄なのかな?」
違う。
僕は諦めてしまっているんだ。
ファブレが世界に出現するための足掛かりとされて、抵抗も空しくあっさりと魔石を奪われてしまった。
僕の命なんてファブレにとって僕は路傍に転がる小石でしか無かったと言うことだ。
「はは、僕はその程度の存在なのか。」
自嘲の笑いが勝手に浮かんで壁に背を預けた。
「さあ、三途の川には見えないけど地獄はどっちかな?」
まずは右に目を向ける。
通路のかなり先で明るい光が見えた。
イメージ的には臨死体験をした人が花畑を見る感じだ。
「もしかして、天国?」
どうせなら地獄よりは天国がいい。
でももしかしたら後ろは現世への出口かもしれない。
安直に天国行きは選べない。
僕は回れ右をして後ろを向いた。
視線の先には、蠢く闇があった。
「…。」
僕は何も言わずもう180度回転した。
潔く天国へ向かおう。
「はい、こんにちは、お兄さん。」
振り返った僕の目の前に突然女の子が立っていた。
それこそ唇が触れそうなほどの距離だったから僕は慌てて飛び退いた。
「わーっ!?…って、海!?」
離れてよく見たらそれは海だった。
だけど海は首を傾げる。
「海?私はあなたを迎えに来た死神さんだよ。」
「し、死神?」
物騒な名前に尋ね返すと死神は膨れっ面で腰に拳を当てた。
「ノンノン、死神なんて可愛くないのはダメ。私は死神さん。」
「…死神・サン。」
「そこはかとなくかっこよさげなので却下。」
この自称死神さんは見た目は間違いなく海だ。
ただここが現実ではない以上姿形に明確な意味はないとわかっているので目の前の存在を「死神さん」と認識することにした。
「それで死神・ザ・サンは僕をあの世に送るために来たんだね?」
「今度はプロレスラー風だね。いい加減、怒っちゃうよ?」
「ごめんなさい。死神さんさん。」
調子に乗ったことを反省しつつただでは起きない。
死神さんは目をぱちくりさせたあと
「死神さんはさん付けで呼ばれたのは初めてだよ。」
なぜか喜んでいた。
異世界(?)人の感性は謎だ。
「そうだった。私はお兄さんを連れていく崇高な役目を仰せつかった死神さんなのだ。」
死神さんはくるりと回って右肩を45度、肘を90度、手は鉄砲の恐らくは決めポーズを取った。
かっこつけてるつもりなのだろうが微妙だ。
それはそうと、よく見ると死神っぽく黒で纏めているが胸元とかタイトスカートから覗く足の露出がなかなか過激で目のやり場に困る格好だった。
しかも見た目は海なので背徳的な気分になって慌てて目をそらした。
「あまりの恐怖に目をそらしたね。ふふふ。」
死神さんは勝手に上機嫌になって僕の手を取ると、あろうことか蠢く闇の方へと連れていこうとした。
「うわぁ!そっち!?」
「そうだよ。ちゃんと連れていかないと私が怒られちゃうよ。」
死神さんは見た目よりもずっと強い力で僕を引っ張っていく。
僕が足を突っ張っても靴の裏が滑るだけで止まらない。
「やだよ。僕は天国がいいんだ。」
僕が必死に抵抗するとようやく死神さんは止まってくれた。
「本当に…天国に行きたい?」
僕は答えられなかった。
だって、振り返った死神さんが今にも泣きそうだったから。
「どうして泣くの?」
「泣いて…ないよ。」
死神さんはゴシゴシと乱暴に腕で目元を擦る。
「あー、女の子がそんな乱暴しない。」
僕は空いた手で頬を伝った涙を拭いてあげる。
海そっくりの死神さんは恥ずかしそうにされるがままになっていた。
「お兄さんは死にたいの?」
「死にたくはないよ。」
こんな僕だってそれなりに生への執着はある。
「お兄さんは生きたいの?」
「…どうだろう?」
少なくとも生きていて良いことなんてあまりなかった。
Innocent Visionのせいで子供の頃から虐められて、親にも半ば見捨てられて、人のためを思った行動で停学処分を下され、人間不信に陥ったあげく海を失ってしまった。
僕の人生は辛いことばかりだったように思う。
「そうかな?」
僕の心の内を知っているように死神さんは首をかしげた。
「お兄さんにも楽しいことはたくさんあったんじゃないかな?」
「そう、だね。」
だけどInnocent Visionは不幸ばかりを運んできたわけじゃない。
Innocent Visionがあったからこそ僕は今の仲間たちやヴァルキリーのソーサリスと出会うことが出来たのだ。
ヴァルキリーには何度も命を狙われてひどい目にあったけどその出会いのすべてが無かった方がよかったとは思わない。
"Innocent Vision"の皆とも最初は共闘や疑念を抱きながら活動していたのにいつの間にか心を許し、背中を預けられる仲間になっていた。
彼女たちとの出会いや思い出は間違いなく僕の人生の中でも輝かしいものだ。
そして真奈美と八重花、叶さん。
3人は僕さえいなければソルシエールなんて魔法の力を知ることもなく平和に暮らせていた。
恨まれて当然だと言うのに3人ともが僕を慕ってくれた。
"日常"に憧れていた"化け物"の僕を受け入れるために"非日常"へとやってきてくれた彼女らの優しさと勇気は胸が締め付けられるほどに嬉しくなる。
叶さんと言えば琴さんにも別の視点からの未来視の在り方を教えてもらった。
「…女の子との思い出ばっかりだね。」
「…そうだね。」
死神さんの冷たい視線が痛い。
ともあれここで僕が死んでしまったら彼女たちとの出会いがすべて無駄になり、僕を失う悲しみを与えることになってしまう。
それはとても悲しいことだった。
「僕は…生きたい。」
「そっか。それなら…」
ドン
いつの間にか僕の後ろに立っていた死神さんは僕の背中を突き飛ばした。
宙に浮いた僕の目の前には蠢く闇が口を開けていて、鳥ではない僕には空中で戻ることもできない。
「死神さん!?」
「恐がらないで。そこから先が現実だから。」
「!?」
これは僕が生み出した現実への恐怖と言うことか。
でもそれだと霊をあの世に連れていく死神としては間違って…
「!?海!」
僕は闇に沈んでいく。
その入口に立った死神さんは…海は寂しげに微笑みながら手を振っていた。
「海!」
どんなに手を伸ばしても僕の体は現実へと飲み込まれていく。
「海!僕は…」
「優しいお兄ちゃん。頑張ってね。」
海は最後まで笑顔を浮かべながら消えていった。
僕の体はまるで最初からそこにあったように沈んでなどいなかった。
そして
僕の前には"僕"がいた。
だけど"僕"は僕よりも幼くて、膝を抱えて座っていた。
僕は直感的にそれが誰なのかを悟った。
『どうして、僕には不思議なものが見えてしまうの?』
子供の頃、僕はいつも自問していた。
だけどその答えが見つかったのはもう少し成長してからで、だから未知の答えしかない子供の頃はひたすらにこの力が怖かった。
しかも見えるのは大抵悲しい未来。
餌をあげた猫が車に引かれて死んだ。
隣のおじさんが大怪我をした。
世界の何処かで誰かが殺される。
制御する術を知らなかった僕は夢を見る度に"結果"を知ってしまった。
知ってしまった"結果"は未来として確定し、猫は死んだし隣のおじさんは鉄骨が降ってきて大怪我をしたし世界の何処かで誰かが殺された。
僕は怖かった。
自分が、自分の持つ"力"が。
『どうしてみんな、僕を怖がるの?』
これで幸せな未来を見ることもできれば救われただろう。
だけど僕は明るい未来なんて見られなかった。
不幸を伝える僕を同級生は怖がって避けた。
だけど避けることで皆の疑心は暗鬼を生じ、僕が不幸を隠している、不幸を起こそうとしているとさえ言って怖がられた。
『僕は、いちゃいけないの?』
だから僕はいつでものけ者でどんなに寂しくても誰も助けてくれなかった。
海は優しかったけど両親が僕から海を遠ざけようとしているのが分かっていたから僕も海を遠ざけた。
本当は寂しかったけど、これ以上嫌われたくなかったから。
『僕は、生きてたって仕方がない"化け物"だ。』
たどり着いたのはその答えだった。
将来に夢を抱かず、現実に希望を持たず、全てを諦める。
僕という存在は異物なのだと思い込んでいた。
「もう泣かないでいいんだよ。」
僕は"僕"の前にしゃがみこんで頭を撫でた。
暗く淀んだ瞳に微かな光が灯る。
「僕は臆病だったんだ。自分が人と違うことに怯えて壁を作っていたのは僕自身だ。」
寂しいなら寂しいと言えばよかった。
遊びたいなら何度でも声をかけるべきだった。
海の優しさをもっと素直に受けとるべきだった。
だけど過去には戻れない。
運命は常に先へと進み続ける。
だから僕は自分の弱い過去を受け入れる。
"僕"は過去の自分だ。
友を知らず、愛を知らない子供だ。
だから教えてあげたい。
海は僕を大切に思ってくれていたことを、僕を好きだと言ってくれる人たちがいることを。
「僕は帰るよ。きっと皆が待っていてくれているはずだから。」
僕は立ち上がり"僕"に手を伸ばす。
いや、これは"僕"じゃない。
「帰ろう、Innocent Vision。君の持ち主は魔女じゃない。僕は君だ。もう君を疎ましく思ったり無くなることを願ったりしない。僕は過去も含めてInnocent Visionを受け入れて生きる。」
涙を拭った"僕"が笑顔で僕の手を取る。
その瞬間、"僕"は幻のように消えて僕の左目に吸い込まれていく。
瞳を開けば今の僕には左右に違う景色が見えた。
1つは暗く凝る今の闇の姿。
もう1つは、未来の僕が目映い世界に飛び出していく光景だ。
そこに過程なんか必要ない。
僕が外に出るという"結果"が見えた。
ならばそれは起こる"事実"となる。
「Innocent Vision。ファブレに勝手に利用されて迷惑しているだろう?でもファブレは君の本当の力を知らない。さあ、行こう、皆の所へ。そして見せてやろう、本当のアズライトの力を。」
僕は手を伸ばし瞳を閉じる。
引き上げられるような感覚とともに僕は光に飲み込まれていった。
「ヴァルキリーは落ちた。あとは"Innocent Vision"だけね。さあ、見せなさい。私の敵の死に行く姿を!」
「くそっ。Innocent Visionがここまで厄介な力だとは思わなかったぞ!?」
「りっくんは"結果"を見ないようにしてたからね。」
陸は意図的に"過程"だけを見るようにしていた。
理由としては悪い結果を確定させないためという消極的なものだが裏を返せば未来を変えるチャンスを生み出していたと言える。
その制御はファブレには出来ていない。
だからソーサリス達の攻撃が当たる未来も結果として見ており超音振もスピナもその直撃を許していた。
「アダマス!」
ファブレがアダマスを構えると力が集束されていく。
逃げようにも触手に囲まれ、傷ついた体では避けきれない。
「さあ、これで…グアアアア!」
突然ファブレが悲鳴をあげると左目の光が消えた。
「な、何が起こった!?」
「この痛みは…ああああ!」
だが痛みに顔をしかめ、空いた手で目元を押さえながらもファブレは全員を飲み込むブリリアントを放った。
極大の光が叶たちの眼前から押し寄せる。
その矢面に蘭が飛び出した。
「ランが絶対受け止めるよ!」
アイギスを展開し、それが破られることを理解しつつ蘭は構えた。
「蘭、やめろ!」
「蘭ちゃん先輩!」
避けようと動く由良たちが悲鳴のような声を上げるが蘭はフッと微笑んで足を踏ん張った。
光の向こうに困ったように笑う顔が横切った。
「…ごめんね。りっくん。」
白色の光が視界を埋めつくし
「そう言うことは本人に言わないと。」
光の渦の中でそんな声が聞こえた。
ドーン
地面に大穴が穿たれた。
大地が消滅し、煙を噴き出している。
だが"Innocent Vision"はその穴のすぐ脇に呆然と立ち尽くしていた。
避けようとしていた由良、真奈美、八重花、叶。
そして盾を展開していた蘭までもが。
「ば、かな。未来が、アズライトの結果が、外れるなど!?」
左目を押さえながらファブレが殺意のこもった目を眼下に向ける。
目を焼く光の消え去った先、蘭よりもさらにファブレに近い場所に誰かが立っていた。
「え…」
蘭がポカンと口を開けたまま
「あ…」
明夜がその存在に気づいて声を漏らした。
「り…」
由良が震える言葉を呟き
「りく…」
八重花が確認するようにその名を口にする。
「陸君!」
そして叶がめいっぱいの喜びを乗せてはっきりとその名を呼んだ。
「ただいま、みんな。」
左目を朱に光らせた陸が微笑みを浮かべながら振り返った。