第182話 過酷なる運命
先程までの嵐のような触手攻撃が嘘のように静まり返っていた。
灰色の空の下、荒廃した大地に立つ11人のソーサリスとジュエリスト、セイントの異能者たちは固唾を飲んで薄まってきた粉塵の向こうを見つめていた。
たとえ見えなくてもピリピリと空気を引き締める威圧感が感じられる。
しかもそれは気のせいでなければさっきよりも強くなっていた。
「どうなっているんだ?」
「分かりませんね。しかし、よくない予感がします。」
由良と撫子が緊張した面持ちで話し合う。
その時、廃墟めいた町に強い風が吹いた。
遮るもののほとんどなくなった世界は風をそのまま運び、煙を取り去っていく。
ヴェールが取り払われた。
それは一種の幻想的な光景だった。
醜い肉の塊だった胴体は色合いこそ見るものを圧倒する禍々しさを持ちながらも形状は安定し、数本の太い触手を足のようにしていた。
上体もまた剛腕とギザギザとのこぎりのような固い突起の並んだ触手が両肩から生えていて固定されている。
そして上体の上、顔に当たる部分には上半身を剥き出しにして本体と融合したファブレの姿があった。
その禍々しくもどこか神秘的な威容に全員が言葉を失った。
ファブレは自らの体となった拳を数回開け閉めして感触を確かめると口の端に笑みを浮かべた。
「偶然とはいえ私との融合が成ったか。」
ファブレは身の内からアダマスを取り出しファブレとしての細い腕で柄を握った。
途端にアダマスとファブレの左目が共鳴するように白色と朱色の輝きを放ち始めた。
「これよ。この力を私は求めていた。後は完全なる融合を果たせば私は魔女として世界に顕現する。唯一無二の力を振るい、運命さえも知る至高の存在として!」
歓喜するファブレの体から殺意と言う名の力が放たれた。
その視線の先にはソーサリスの面々の姿がある。
「融合への助力、感謝するわ。私は魔女であり神として世界に降臨する。」
皆、言葉を忘れてしまったようにファブレを見上げたまま立ち尽くしている。
「でも、私に逆らった報いは受けてもらわないと。それに私が築く新世界にソーサリスはいらないのよ。だから…」
ファブレはアダマスの切っ先を陸の体に向ける。
そして
「死んで。」
慈悲の心など欠片もなくブリリアントの白い光を放った。
「りっくん!アイギス!」
咄嗟に走り込んだ蘭は間一髪でブリリアントを防いだ。
ファブレが目を細めて高みから蘭を見下ろす。
「所詮は気まぐれで作ったホムンクルス、主の命も果たせない出来損ないね。」
「…それでいいよ。ランには生みの親よりも大事なものがあるから。」
蘭はチラリと後ろの陸を見
「お母さん、ラン、結婚します!」
「…。」
ファブレも絶句するボケをかました。
ボケであろうとなんだろうと蘭がファブレを「お母さん」と呼んだことに驚いているようだった。
「だからランは別の家族を作るからバイバイだね。」
蘭は完全にファブレからの決別を宣言した。
「…ふ、ふふふ。よもや紛い物の命が個を手に入れるとは。いいわ、江戸川蘭、祝福してあげる。」
「あ…。」
そして蘭もまたファブレから「江戸川蘭」と呼ばれたことに喜びとも哀しみともいえない表情を浮かべた。
「いったいなんなのよ!?」
「誰か説明してくれないかな?」
美保と良子は事態の推移についていけず説明要求を叫びだし、それを皮切りに他の皆も動き出した。
真っ先に動いたのは八重花。
ジオードを素早く蘭の首筋に宛がう。
「一体誰と誰が結婚するって?」
「や、八重花ちゃん。どうどう。」
八重花は渋々刃を引いたがその後ろにさらに若干名不機嫌オーラを放つ方々がいた。
「蘭ちゃん、ずるい。」
「お前はそうやって人を裏切るんだな。」
「いやー、半場はモテモテだね。」
「うー、私も頑張らないと。」
「…結婚、ですか。」
「ふふふ、この光景はぜひ半場さんが目覚めてからもう一度やってもらいたいですね。そこで狼狽える半場さん。うふふふ。」
ヘレナと緑里は呆れた目をその集団に向け、葵衣は関わらず美保と良子に状況の説明をした。
「まだInnocent Visionが蘇る幻想を抱いているの?それが無駄だと言うことを今見せてあげる。」
ファブレの左目が再び朱色に輝き出す。
「見える、見えるわ。これが未来、これが運命!」
歓喜の声をあげながらファブレは触手を振るいアダマスを翳す。
「なに、この攻撃!?動きを、読まれてる!?」
「くっ!避けた先で待ち構えてやがる。」
「ならフェイントで!うわぁ、こっちから来た!」
触手はまるで先回りをするように動いてソーサリスたちを打ちのめす。
「無駄よ。そちらの動きはすべて見えているわ。そこにフェイントをかけても無駄。動く結果が見えている私は本人よりも先のことを知っているのだから。」
ファブレの言葉通りソーサリスは次々に触手に薙ぎ倒されていく。
ファブレが手加減をしているのかブリリアントが直撃することはないがそれがむしろ徐々に痛め付けていこうとしているようだった。
「きゃあ!」
「叶!」
叶が触手に絡め取られたのを見て真奈美はすぐに駆けつけて触手を切り落とす。
落ちてきた叶をキャッチした真奈美はその隙をついてくるであろう触手に備えて手甲を振り上げた。
「…あれ?」
だが衝撃はやってこなかった。
「真奈美ちゃん!」
すぐにブリリアントが飛んできて真奈美は叶を抱えたまま跳んだ。
明夜も陸を抱えたままファブレから離れようとしており、真奈美もそれに倣って距離を取る。
「真奈美ちゃん、私も…」
「叶は戦いに向かないよ。だから叶は半場を守ってあげて。」
叶を残して真奈美は再び最悪の敵へと駆けていった。
戦場に目を向ければあれほど強かったソーサリスが次々に倒されていく。
「やっと出てこられたのに、あたしはやられ役かー!」
美保が怨嗟の声をあげながら触手に弾き飛ばされた。
その触手を切り裂いた良子に向けて放たれるブリリアントにバラスを放つ。
2つの光は空中で拮抗し、徐々にバラスが押され始める。
「結局、ソーサリスは特別じゃなかったのか。それでも、この力はあたしのもの。あたしはあたし、あたしは等々力良子だ!」
良子の体を紅のオーラが覆い、バラスの出力が膨れ上がりブリリアントを押し返す。
だが横合いから振るわれた触手に弾き飛ばされる。
「八重、花…」
その声は八重花には届かなかった。
倒れた良子にブリリアントが飛んでいく。
「コランダム。」
悠莉はそれをコランダムによって取り込む。
周囲には境界の壁を展開して防御しているがそれも一撃で砕かれるため壁の展開が遅れ始めていた。
「私は本当におかしな嗜好をしていますね。今さら治るものではありませんが、ふふ、それでも、今回ばかりは皆さんの笑顔がみたいです。」
最後の壁が砕かれ、悠莉が地面を転がった。
「大盤振る舞い!護法童子、酒呑童子、白鶴、全員行け!」
「姉さん、無理しないで。」
葵衣と緑里は撫子から分断されてしまったため懸命に戻ろうとしていたが抵抗が激しく足止めされていた。
「撫子様を守らないと!くっ、それが海原家の、ボクたちの使命でしょ!」
限界を越えた式の使役は緑里を蝕んでいく。
それでも緑里は攻撃の手を止めず、がら空きになった緑里を背中合わせに立つ葵衣が守る。
「分かっています。私たちはそうして生きてきたのだから。」
葵衣は風を纏ったセレスタイトを振るう。
だが触手の密度は増してきて押し潰されそうになっていた。
「でも、私は…お姉ちゃんに無理してほしくない。」
「葵衣。」
葵衣がずっと使命の裏に隠していた緑里を想う気持ちが溢れ出した。
緑里は呆然とし
「危ない!」
迫っていた触手に貫かれそうになったところを葵衣に突き飛ばされた。
折り重なるように倒れた2人の上を触手が埋め尽くしていく。
「葵衣。」
「お姉ちゃん。」
互いに抱き合いながら双子の姿が見えなくなった。
「ナデシコ!ミドリの式が消えましたわ!?」
「緑里と葵衣は大丈夫です。」
きっとと続けようとした口をつぐんだ。
不安を口にしたら現実になりそうだったから。
不安を振り払うように光を纏ったアヴェンチュリンで触手を叩き落とした。
同じくセレナイトで触手を斬り捌いていたヘレナは背中合わせに立ってフッと笑った。
「ワタクシ、ナデシコがそんなに野蛮だとは知りませんでしたわ。」
「アグレッシブでなければ野心など抱きませんよ。わたくしはヴァルキリーの理想を諦めるつもりはありません。」
振り上げたアヴェンチュリンからサンスフィアが飛び出し、ヘレナがそれをジプサムで吸収、2人で周囲に乱射していく。
「ワタクシは、手伝いませんわよ。いつまでもナデシコを追いかけてはいられませんもの。同じ道では先に行かれてしまった以上、別の道でナデシコを追い抜いてみせますわ。」
斬っても斬っても触手の輪は狭まってくる。
ジリと背中を触れ合わせるほどに追い詰められたが2人は諦めなかった。
「追い抜かせませんよ。わたくしはヘレナさんのライバルでいたいのですから。」
撫子が陽光の十字を切る。
カッと光が爆発し、撫子もヘレナも触手さえも包み込んでいった。
もはや一方的な虐待と化しつつある戦いを見つめる叶は膝をついた。
「どうしたらいいの?私には、わからないよ。」
叶のオリビンは癒しの力。
短剣の姿をしているとはいえ戦う力はほとんどない。
「私じゃ、守れないの?」
叶は手を伸ばして陸の手を握る。
優しくて強い少年は死んだように眠っていた。
そう、眠っている。
そう、皆が願っていた。
「陸君、私、どうしたらいいのかな?教えてよ、陸君。」
両手で陸の手を握り、額を押し付ける。
瞳から流れ落ちた涙が陸の手で弾けた。
それでも、やはり、陸は目覚めることはない。
そんな都合のいい子供みたいな妄想がおかしくて叶は涙を浮かべながらクスクスと笑う。
「陸君は意外とお寝坊さんなんですね。でもそろそろ起きてくれないと、私…」
叶は陸の顔を覗き込む。
穏やかなその顔は今にも目を開けそうに思えた。
叶はさらに近くで陸を見る。
「陸、君…」
そのまま、叶の唇が陸の唇に触れた。
おとぎ話みたいな思惑ではなく、自らの想いの証として。
「ん…」
叶は顔を離し、穏やかでありながら力強く微笑む。
「やっぱり私は行きます。陸君を、みんなを守りたいんです。」
叶は再び戦場へと駆けていく。
そして陸だけがポツンと残された。
「運命の分岐点に到達しましたね。」
太宮神社の鳥居の下で空を見上げていた琴はそう呟いた。
「陸さんや他のソーサリスの方々の未来を見ても必ず行き当たる運命の分岐点。救いの道は糸のように細く、壁は高い。」
それは誰に語るでもなく、琴は両手を広げる。
「救いの道を行く鍵は陸さんの存在。ですが、陸さん自体が大きな岐路に立たされている。」
琴は空を見上げ、空を見ていない。
運命の道筋を見つめている。
「"太宮様"、今まで私の我が儘に付き合って下さりありがとうございます。」
琴の周りには誰もいない。
それでも琴はまるで誰かに語りかけるように言葉を紡ぐ。
「人の世の流れを見、その混沌とした様を知り、力を拒絶した私ですが、これからは人々を導く標となりましょう。大切な方々が帰ってこられるように。」
琴の体を群青色の光が包み込む。
その光は徐々に両手へと集まり形を成す。
「我、セイントたる太宮院琴。我が手に顕現せよ、シンボル・フェルメール!」
光が弾けた時、琴の手には群青色の美しい設えをした弓と瑠璃色の鏃を持つ矢が握られていた。
「未来を知る者は平等であらねばならない。しかし、一度だけ運命を私の意志で導くことが許されている。陸さん、この力を貴方に託します。」
琴は矢をつがえて弓を引く。
ギリギリと弦が引き絞られて鏃の先は遥か彼方の空に向けられていた。
「この一矢が悲しき運命を克服する楔とならんことを。」
放たれた矢は物理法則を無視して空に吸い込まれるように消えていった。
琴はその行く先に目を向け
「叶さんをよろしくお願いします。陸さん。」
深々と頭を下げた。
戦場の端、いまだ"Innocent Vision"の面々がファブレと奮戦している端で陸は地面に寝かされていた。
半身、命と言い換えても差し支えないInnocent Visionを与える魔石アズライトを奪われたため仮死状態となっていた。
その陸に向けて天空から矢が降ってきて
サクッ
陸の胸に的中した。