第180話 不完全な顕現
「うわあああアアアアアア!!!」
体長は3メートルほど、人の形はしておらず辛うじて分類するなら四足の獣。
肉体は絶えず変異を繰り返していて蠢き、背中から生えた触手の先にはそこだけ穢れのないアダマスが添えられていた。
この姿を見て魔女と思う者は世界中を探しても見つからないだろう。
そこにいるのはクリーチャー、誰もが認める本物の"化け物"だった。
「これが、私…?この、化け物が…何故だ…アダマスとアズライトがあれば私の体は…」
「…きっと、素体にデーモンを使ってしまったからだよ。」
蘭が悲しげに目を伏せて告げる。
ファブレが目を見開いて蘭を睨む。
「当初の予定通りりっくんや半場海ちゃんを生かしたままアズライトを手に入れて埋め込み、その体を手に入れればよかったのに、その器にデーモンを使ってしまったから…拒絶されたんだ。」
「そんな、そんなことがあぁぁぁ!!」
ファブレが暴れると地面が揺れた。
それほどまでの巨体に少女の姿をしていた魔女は変貌し、それはまだ続いている。
「そんな化け物になるために、陸を…ふざけんな!」
音震波が怒声と共に放たれてファブレにぶつかる。
だがファブレの巨体は動じることはない。
「陸君、陸君ッ!」
叶は泣いていた。
由良も真奈美も明夜でさえ涙を流していた。
そして泣きながら、左目を朱色に輝かせてソルシエールを握りしめていた。
「ファブレ、許さない。」
「半場の弔い合戦だ。」
"Innocent Vision"の中にはいつの間にか八重花の姿もあった。
「私はまだ諦めない。魔女を倒してりくを取り戻す。」
鬼気迫る気配はメラメラと燃え盛る炎を幻視させた。
「貴様らに、私の気持ちが、わかるものかー!」
「知るか!散々人の人生をかき回したツケだ!アズライトを置いてさっさと地獄に落ちやがれ!」
「ほざくな、小娘が!」
ドウと触手の先からブリリアントが放たれる。
由良は迎撃しようとして
「アイギス!」
その前に神の盾が消滅の光を弾き飛ばした。
ソーサリスも、ファブレでさえ驚く。
「なんの真似だ、カトレア!?」
正体を明かしたときとは逆に"Innocent Vision"を守る立ち位置に立ったのは蘭だった。
「何って、ランの存在意義はファブレ様が現世で肉体を得ること。それがどんな形であれ成されたなら、もう自由だよね?」
蘭はにこにこと笑いながら告げる。
「カトレアァ!」
ファブレの激昂に大気が震える。
それでも蘭は笑顔を崩さずチッチッと指を横に振った。
「残念。私の名前は江戸川蘭、"Innocent Vision"のソーサリスだよ!」
ドンと胸を叩いて迷いなく言い切る。
「裏切るのか!?貴様を作った私を!」
「うん。だって蘭の役割はいつだって裏切り者だったから。だったらいっそ、生みの親だって裏切っちゃうよ。」
蘭は造物主を裏切ってなお輝いていた。
それからばつが悪そうに振り返り
「…えへへ。」
照れ笑いを浮かべた。
それはファブレのもとにいたときとは違う感情豊かなもので
「…まったく。」
由良も怒るに怒れず苦笑するだけだった。
「もういい!私を受け入れない世界など、滅ぼしてくれる!」
ファブレの体から朱色の光が発せられた。
それはファブレの怒りであり憎悪。
世界に対する羨望と今の現実に対する絶望。
アダマスの触手が輝き、ブリリアントを撃ちながら触手を振り回す。
消滅の光と物理的な攻撃の嵐はとても近づけるものではなくソーサリスたちは一度大きく後退した。
そこはちょうど陸の所で皆の表情が沈む。
叶は倒れた陸の横に座って手を握る。
「どこも怪我していないのに、今にも起きてくれそうなのに。陸君。」
ポタリと涙が陸の手に落ちるが漫画みたいにそれで目覚めることはない。
「アズライトって石を取り戻せばりくは目を覚ますわ。」
希望的な意見だったが誰も否定しなかった。
どのみちやることは1つなのだから。
「叶、皆の傷を治して。」
「…はい。」
叶は名残惜しそうに手を離して立ち上がり、オリビンを掲げる。
暖かな光が全員を包み込んでいく。
「傷が、治っていきます。」
「疲れも飛んでいく。これは、すごい。」
「叶、あなたは…」
光の中で八重花は驚いた様子で叶を見る。
「私は八重花ちゃんの友達の作倉叶だよ。」
疑問を制して笑顔で答える叶。
オリビンの光に包まれていると些細なことはどうでもよくなった。
光が消え去った後には誰もが瞳と体に生気を漲らせていた。
「これで全力で戦えるわけだが、勝算はあるか?」
由良は肩に玻璃を担いで離れたファブレを見る。
禍々しい瘴気を吹き出しながら今も絶えず変形している。
そこには余裕の笑みを浮かべてソーサリスの運命を弄んでいた白髪赤目の少女の面影はどこにもない。
変わり果ててしまった魔女の姿にやるせなさを感じはしたがすぐに首を振って振り払う。
撫子が隣に並び立ち、同じようにファブレに目を向けた。
「変容した魔女がどのような能力を有しているかが分からない現状では判断しかねます。まずは攻撃して相手の出方を窺うとしましょう。」
「それではその役目、私がお受け致します。」
撫子の提案に真っ先に名乗りをあげたのは葵衣だった。
「私のグラマリーの速度ならば接近も可能です。」
「それなら私も行く。」
葵衣の提案に便乗して明夜も手を上げる。
"Innocent Vision"とヴァルキリーのスピードファイター2人が先遣隊として飛び出した。
「おおおお!」
ファブレが肉塊の豪腕を体の側面から出現させて殴りかかった。
「ウインドロード。」
葵衣が視認限界を超過した速度へ加速してファブレの懐に飛び込む。
だがファブレの腕がさらに2本増えて左右両側から襲いかかった。
「アフロディーテ。」
だが殴りかかる腕よりも早い速度で明夜とアフロディーテが走り込んできて左右の腕を切り落とす。
一瞬の間、その刹那を逃す葵衣ではない。
「セレスタイトは風の魔剣。受けていただきます。」
葵衣は右手に握ったセレスタイトを左の腰だめに構える。
左手はセレスタイトが刀身に纏う風を鞘のように握っていた。
一歩、踏み出した足を蹴った直後にウインドロードに入り
「スペリオルグラマリー・カミカゼ!」
ウインドロードによって加速した葵衣による超高速の斬撃がファブレの胴体に横一文字の傷をつけた。
「ぎゃああああ!」
悲鳴を上げるファブレの傷口からは赤黒い血が噴水のように吹き出した。
見た目はこんなでも生物として生まれ出た証拠が存在する皮肉にファブレはさらに怒り狂う。
立ち上る朱色の瘴気は瞬く間に切り落とされた腕と胴体を再生させていく。
「驚異的な再生能力ですね。」
明夜は伸びてくる細い触手を片っ端から切り落としていくが後から後から生えてきてきりがない。
「柚木様、これでは埒が明きません。一度後退致しましょう。」
「うん。アフロディーテ。」
最後にアフロディーテが縦横無尽に飛び回り触手も腕も切り裂いた。
「ぎゃああああ!」
ファブレが暴れてブリリアントを乱射し始めたときにはすでに2人は皆のところまで戻っていた。
「魔女の肉体は本人の意思で形態を変化させ、さらに異常な回復力を有しています。」
葵衣の報告の内容はソーサリスたちも離れて見ていた。
「常套手段としては回復できなくなるまで魔女の体力を削るか、あるいは回復する間もない攻撃で滅ぼすか。」
撫子の意見は皆も同意見だったがそこから先で2通りに別れる。
「手数でダメージを蓄積させて弱ったところを叩くべきですね。」
悠莉のように単発の威力が弱いソーサリスは長期戦による弱体化案。
「悠長なことは言っていられないわ。魔女を丸焼きにしてりくの石を取り返すのよ。」
一方、八重花をはじめとする高威力グラマリーを持つソーサリスは一撃必倒を支持した。
内訳としては悠莉、蘭、真奈美、叶、葵衣、緑里が長期戦で、八重花、明夜、由良、撫子、ヘレナが短期決戦である。
「見事に半々ですね。」
「別に意見を統合する必要もないわ。どちらにしろ最終目標は同じよ。」
言うが早いか八重花が特攻していく。
相変わらず戦いに関しては後先考えない。
「八重花ちゃん!」
「とりあえず俺たちが行く。作倉たちは長期戦に備えて魔女の弱点を探してくれ。」
八重花に続き由良と明夜が駆け出していく。
撫子とヘレナはなにやら話し合っていたが臆した様子はなく作戦を立てているだけだ。
「ジオード、ドルーズ!」
八重花は走りながら両手から赤と青の炎を放出する。
ファブレは掲げたアダマスから拡散させたブリリアントを周囲にばら蒔いた。
八重花は白色の光の雨を隙間を縫うようにして接近し
「はっ!」
ジオードを投擲した。
赤熱した刃は蛋白の焦げる異臭を撒き散らしながらファブレの腹に突き刺さった。
八重花はそのまま立ち止まらず暴れるファブレの裏側にまで回り込む。
右手は赤い炎でジオードと繋がったままだ。
「行きなさい、ドルーズ!」
八重花は左手の青い炎を走らせた。
狙いは触手やファブレの本体ではなく、突き刺さったジオードの柄だった。
炎が食い付いた瞬間、赤と青の炎は紫色の火線を描く。
「地獄の業火で燃え尽きなさい。グラマリー・ブラストファーナス!」
燃え盛る紫の炎は熔鉱炉の如くファブレを焼く。
「おのれェ!」
ファブレがアダマスを後ろにいる八重花に向けて撃つ。
熔鉱炉の基点は八重花とジオードであるため八重花が身を引くと火円は消滅した。
2度、3度と放たれるブリリアントを八重花が引き付けている隙に
「こっちにいるのも忘れるなよ!」
由良と明夜が側面から飛び込んでいく。
「アフロディーテ。コンビネーション、ブラッディブラック、略してブラブラ。」
「その略はなんかおかしいぞ!」
由良のツッコミを受け流しつつ明夜は跳びながらアフロディーテを出現させる。
左と右の刃を前に突き出した格好で跳ぶ1人にして2人は
「ゴー。」
明夜の掛け声を合図に加速した。
葵衣には劣るものの圧倒的なスピードで駆ける2つの刃。
赤黒い血飛沫が深い黒を湛える刃で弾ける。
ファブレの触手を、腕を、足を、体を無差別に刃の嵐は切り裂いていく。
「とどめ。ゴッデスネイル。」
明夜とアフロディーテが十字架を刻むようにファブレの体に傷をつけた。
「まだ、だ。この程度では!」
傷ついた肉体をすぐさま修復させつつ腹から生えた剛腕を打ち出す。
その予想外の攻撃にすら明夜は反応して飛び退いた。
そして明夜が退いた先に玻璃を槍に見立てて投げようとしている由良がいた。
「喰らえ!」
ソルシエールの投擲ごときで大した威力はないと考えていたファブレは不意にオクタプリズンが破られた時のことを思い出した。
慌てて避けようとするが体は重く、足に至っては八重花のブラストファーナスで一部溶解したため大地に固着して剥がれない。
どうにか真正面を避けて体の側面に外すので精一杯だった。
「ちっ、外したか。だがっ!」
由良が手を振り上げると明夜と八重花がファブレから距離を取った。
由良は地面に手を叩きつけ
「砕けろ!超音、激震!」
呼応した玻璃が自身を中心に空間を震わせた。
「!!!!!!!!」
発するべき言葉の周波数すら強引に変化させられて悲鳴すら上がらない。
震える空気は高熱を発し、局所的にプラズマをも発生させる。
「弾けろ!」
最後に玻璃が激震波を直接叩き込むとプラズマを巻き込んで玻璃の周辺が爆発した。
「!!!!ォオオオ!!」
ファブレの肉体は玻璃が突き刺さった場所を中心に大きく抉り取られていた。
それでも再生と変異は続いているが消失分が多いために瞬間再生とはいかないようだった。
由良はくるくると回転して戻ってきた玻璃を振ってこびりついた肉片を払う。
「これだけやって消滅しないとなると本気で長期戦を覚悟しないといけないかもな。」
まだ完全に再生しきれていないのに胴体から伸びた触手が近くにいた明夜と八重花に迫った。
だが2人が身構えて迎撃するよりも早く触手が千切れ飛ぶ。
斬ったのは飛来した折鶴。
「ああいううねうねしてるの嫌いなんだよ。うわぁ、寒気がする。」
ぼやく緑里の周りには戻ってきた2つも含めて8つの白鶴が飛んでいた。
「あの巨人は使わないんですか?」
大威力攻撃にうってつけだと思い真奈美が質問すると
「ボクを裸にしたいのか!?」
と怒られた。
内情を知らないので真奈美は首を捻るばかりだったが緑里はそっぽを向いてしまった。
「下沢さん。私たちは何をしたらいいんでしょう?」
戦闘を後方で眺めていた叶が質問すると悠莉は頬に指を添えて灰色の空を見上げた。
「そうですね。」
思案する姿は綺麗で叶は見惚れてしまう。
「お茶にしましょうか?」
そんなことを言った。