第177話 無限の牢獄からの脱走
暖かな光が全身を包み込む。
ドクン、ドクン
弱々しかった鼓動が一拍毎に強くなっていく。
穴が空いていた腹の違和感は気が付けばオリビンが刺さってるんじゃないかなという感覚以外は元に戻っていて。
ゆっくりと指先に力を入れるとイメージした通りに指が動いた。
全身に枯渇していた命の力が戻ってきたような感覚がして、光はゆっくりと僕の中に収束していった。
スッと腹からオリビンが引き抜かれる。
そこに痛みはなく、手を当てても刺し傷はどこにもなかった。
「本当に治った。」
刺された時は本当に死ぬかと思った分、驚きもひとしおだ。
「ほ、本当に治りましたね。」
それを為した張本人の叶さんが驚いているのは何かがおかしい。
「叶さん?」
「だ、大丈夫だと思ったんです。でもオリビンが出てくれたのはついさっきでしたから、どうすればいいかなんて分からなかったんですよぉ。」
叶さんが泣いてるみたいな声を出すがそれは僕が治った喜びなのか回復が成功するか不安だったからなのかわからなかった。
(瀕死の重症からの回復。本当にゲームの蘇生魔法の領域だな。)
あるいは叶さんの中にある回復のイメージがゲームの影響を受けているのか。
どちらにしても"聖人"の神業には違いない。
「陸、無事か!?」
「半場が起き上がってる。」
「よかった。」
ファブレの気を引いてくれていた由良さんたちが僕たちの声を聞いて戻ってきた。
僕は立ち上がって調子を確かめる。
体を貫いていた腕の違和感は忘れられないが左目の痛みも引いたしほぼ復調と言って差し支えない。
「大丈夫みたい。皆のおかげで助かったよ。」
お礼を言うと皆が照れ臭そうに頷いてくれた。
だけど和んでばかりもいられない。
由良さんたちの向こうからピリピリとした空気を感じる。
「よくも私のゲームをここまでひっくり返してくれたわね。カトレアも使えないし。」
「さすがに空っぽのランと全開のソーサリスじゃ無理ですよ。」
ファブレがねめつけるが蘭さんはさらりと受け流す。
相変わらず怖いもの知らずな人だ。
ファブレはふんと鼻を鳴らしてこちらに向き直る。
「あとはInnocent Visionを手に入れるだけだったのにソーサリス2人にセイントとセイントもどきが1人ずつ。さすがに面倒ね。」
回復した僕たちを前にしてもファブレは揺らがない。
不機嫌なのはゲームマスターとして思惑通りに事を進められないからで、戦力的に追い詰められているとは思っていないのだろう。
「カトレア。」
「はい。ゲシュタルト・オクタ。」
蘭さんが手を翳すと僕たちを囲むように8枚の鏡が出現した。
直径10メートルほどの円を形成するように地面に突き刺さった鏡は合わせ鏡の要領で無限遠まで世界を広げた。
精神の自己崩壊を促し、あの海原葵衣すら狂わせたグラマリー・ゲシュタルト。
その威力は受けた僕がよく知っている。
「精神攻撃か!」
「さあ、どうかしら?」
鏡の向こうで表情が見えないので不気味だ。
蘭さんのゲシュタルト・サイコには互いの心に根付く猜疑心を膨れ上がらせて敵意を増幅させる効果もある。
"Innocent Vision"は仲間割れなんてしない固い絆で結ばれていると信じたいが、もしかしたら僕に対して不平不満がたまっている可能性もある。
「さあ、踊りなさい。」
身構えた僕らに襲いかかってきたのは鏡の隙間から放たれたブリリアントだった。
だが全面ガラス張りの空間に放たれた光は反射を繰り返して一種の無軌道状態を作り上げた。
「直接攻撃だ!」
「だれも精神攻撃とは言っていないわ。」
確かに言ってない。
この閉鎖空間で消滅の力を持つブリリアントの乱反射は脅威だ。
由良さんは音震波、明夜は直接鏡に攻撃を仕掛けたが弾かれた。
一ヶ所穴が空けば逃げられるし光も抜けていくから有効な策だ。
「真奈美、作倉!鏡を壊せないか?」
「やってみます。」
「真奈美ちゃん。」
「叶。」
2人が手を取り合っていい雰囲気になる。
「頑張ってね。」
と思いきやただの声援だった。
確かに戦い慣れしていない叶さんを1人行かせるのは危険だ。
それが分かっている真奈美はそれでもどこか寂しそうに駆け出した。
「ガラスを割るならやっぱり一点集中。」
「本物のマジックミラーに通用するかな?」
真奈美は飛び交うブリリアントを回避しながらファブレたちとは逆方向の鏡を目指す。
割った直後に狙い撃ちされるのを防ぐためだ。
だけど蘭さんは割られない自信があるのか余裕を見せている。
「嫌な感じがする。」
「え?」
叶さんが訊いてくる前に僕は左目を押さえる。
「Innocent Vision。」
宣言と共に閉ざした世界が朱色に染まりその先に未来が見えた。
真奈美が鏡に触れる瞬間、
「かかった。」
魔女がそう呟いた。
「真奈美、戻って!」
僕はInnocent Visionの視界から強引に意識を戻すと声を張り上げて真奈美を呼び戻す。
「うわっとと!」
飛び蹴りの体勢に入ろうとしていた真奈美はバランスを崩し、運悪く飛んできたブリリアントをギリギリでかわした。
「半場!?」
「とにかく戻って!」
抗議する真奈美を呼び戻して鏡の向こうにいる蘭さんを睨み付けるように見る。
「マジックミラー。光源が内側にあるからこちらから外は見えないけどそっちからは見えるんでしょ?」
簾と同じ原理だ。
昼間の太陽が照っているときは中は見えないが夜になり部屋に明かりをつけると隙間から中が見える。
「りっくんは鋭いね。でも真奈美ちゃんの攻撃を止める理由にはならないよ?」
なんでもないことのように認めてきた。
だけどそれが事実ならInnocent Visionの映像と合わせて突破口が見えてくる。
「僕は真奈美が鏡を割る瞬間に罠が発動するInnocent Visionを見た。罠の内容は見なかったけど何が起こるかは分かる。」
「何が起こるのかな?」
僕は声のした方向にビシリと指差した。
「蘭さんが言ったでしょ。ゲシュタルトって。つまり鏡を割ろうとした瞬間に精神攻撃が発動する。あれはブラフなんかじゃなかったんだ。」
「陸君、探偵みたい。」
叶さんが尊敬の眼差しを向けてくるのがちょっとくすぐったい。
「でもそれならりっくんたちは鏡を割れないことになるね。ブリリアントをいつまで避け続けられるか、体力勝負だ。」
蘭さんの言葉は僕をそう考えるように誘導しようとしている。
でも今までもこんな会話をしてきたおかげで蘭さんが何かを隠しているのがわかった。
「それはどうかな?」
チッチッと指を横に揺らすと真奈美に笑われた。
ゴホンと咳払いをして仕切り直す。
「マジックミラーは見る相手がいる側に設置しないと意味がない。角度をつけたら結局光を反射して見えなくなってしまうから。つまり蘭さんたちがいる面だけがマジックミラーの鏡ということになる。その面は特殊だからゲシュタルトの効果はない。」
「…。」
蘭さんが押し黙った。
図星なら有り難いが残念なことに物事を悲観的に捉える人生を送ってきた僕はさらに一枚裏があるよう思えた。
何より、ファブレが妙に静かなのが不安を加速させた。
「もいっちょInnocent Vision!」
急遽Innocent Visionを発動、鏡の空間ごと吹き飛ばすために準備をしているファブレが見えた。
それをどんな魔法を使っているのか上空に浮かび上がりながら行っている。
(考えろ。向こうもまたInnocent Visionでどのくらいの未来が見えるのか理解している。つまり先読みすることが必ずしもアドバンテージにはならない。)
先読みの裏をかいた攻撃まで見えれば楽なのだがその辺りはいまだに不確実だし、何より僕自身が『結果』を見ることを避けようとしているためあまり先のことは見えないのだろう。
(ここで鏡を割ったとして、もしそれが別の罠のスイッチだとしたら?)
「陸、魔女が何かしようとしてるんじゃないのか!?力を感じるぞ。」
「撃ってくる。」
由良さんと明夜は空を見上げるが一見開いているように見える上も空間が歪んでいる。
「あっちの鏡はちがうんだね。ならあたしのスピネルで貫いて逃げよう。」
真奈美はすでに目標を定めて飛び出す準備をしている。
「陸君、どうするの?」
叶さんは不安げに僕の服の端を摘まんできた。
(怖くないわけないか。それに立ち向かっていけるようになった叶さんはやっぱり強くなった。)
セイントの事以上に心が強くなった。
僕は叶さんを、皆を守るための策を提案した。
バリン
1枚だけ質の違う鏡が砕け散る。
その瞬間、割れた鏡の面を起点にして正反対の場所にゲシュタルト・オクタが再構成され、飛び込んだ相手の退路を防ぐように壊された鏡が復元した。
グラマリー・オクタプリズンは半永久的に相手を閉じ込めて精神を削ぎ落としていく技だ。
上から見ると元の鏡と復元された鏡が8(オクタ)を描いたり、無限大を示すユーモアに溢れた究極の精神攻撃である。
さらにそこにいた蘭の姿は幻影で、地面には触れた瞬間に時間の進行を一時的に消滅させるアダマスのグラマリー・ディアマンテまで設置される徹底ぶり。
その罠が発動した。
その様子を消滅の制御により星の遠心力と重力を調節して浮かび上がるファブレが万全の準備をして待っていた。
天に掲げたアダマスの先から噴き出した光が巨大な剣の形を成す。
「死なないように手加減出来るかわからないけど、受けなさい。」
100メートルはあろうかという長大な剣が振り被られ
「ブリリアント・カッター!」
そのまま新たに形成されたオクタプリズンを極太の光で薙ぎ払った。
周囲の空間すら切り裂いた巨大な斬撃が通り過ぎた後には何も残されてはいなかった。
「ふふふ、少しやりすぎてしまったみたいね。せっかくの成功例もまた新しく作らないと…」
「ファブレ様、危ない!」
愉悦に浸っていたファブレの耳に届いた蘭の叫び。
だがそれに反応するよりも早くファブレを掠めるように水晶の槍が真下から飛んできた。
「羽佐間由良!?生きて…」
下に向けようとした視線が止まる。
ギギギと震える玻璃は今にも破裂しそうな爆弾のようで
「超音振!」
由良の叫びを着火剤に、玻璃は空間を揺るがす大激震の爆弾と化した。
蘭さんを警戒しつつ上に視線を向けるとファブレが降りてきていた。
外傷は無いようだが顔は怒りで歪んでいる。
「やってくれたわね。まさかあの周到な罠を抜けられるとは、こんな屈辱は久しぶりよ。」
「りっくん、何をやったの?」
怒りに任せて襲いかかってくる様子はない。
冷静さを失わない分やりづらく思いながら所望されるままに解説する。
「マジックミラーを抜けた瞬間に狙い撃ちされることは予想できても他に出られない以上突破するしかない。だけど希望だと思ったものを絶望に変える仕掛けがあると思ったんだ。」
「なんで?」
「僕が相手を完全に屈服させて倒したいと考えたなら同じ手を使うから。」
"Innocent Vision"の皆に少し距離をおかれてしまった。
「だけどあの仕掛けは反対側に飛び出さないと…」
そこまで言ったところで蘭さんの目が玻璃に止まる。
さっき空に打ち上がったはずの玻璃が回収しに行った様子もなく由良さんの手にある事実。
「玻璃は由良さんの呼び掛けに答えて手元に戻る。他のソルシエールが担い手の手元を離れると効果を失うのとは違ってね。そこを利用させてもらったよ。」
鏡の向こう側に玻璃を投げつけて罠が発動し、僕たちは動かないでいることで難を逃れる。
「…その分析力はInnocent Visionの産物か、それとも半場陸自体が化け物なのか。」
ファブレが忌々しげに呟いた。
化け物じみた強さを誇る魔女に化け物呼ばわりされる謂れは無いのだがさすがに怖くて言えない。
それにしても蘭さんのグラマリーの幅広さには舌を巻く。
加えて相手の心理を巧みに操る話術と効率的な追い詰め方を心得ているため非常に厄介な相手だ。
その蘭さんがぴくりと反応して遠くに視線をやった。
なんだか反応が猫みたいだ。
「ファブレ様。ヴァルキリーのソーサリスが近づいています。あと数分でここに到着するはずです。」
ヴァルキリーが来る。
それは今の僕たちにとっては朗報と言えた。
ソルシエールを手にしている以上魔女の事は知っていて、その魔女が目の前にいると分かればまた共闘という形になる。
そうなればこちらは10人近い戦力になり勝機が…
「飽きた。」
ピシリと、空気が凍りつく。
足元には魔女を中心に巨大な幾何学模様の描かれた円、魔法陣が広がっていた。
その起点は魔女が動かずに立っていた場所。
つまりゲームだと言いつつこの瞬間のために罠を張っていたのだ。
それに今気付いたところですでに遅い。
ディアマンテによって時間の感覚が消滅する。
人としての活動が凍りつく。
「海の遊びに付き合ってあげるのも終わり。」
ファブレは僕の前にやってきて
「返してもらうわよ。Innocent Vision。」
無慈悲に僕の左目を貫いた。