第172話 海の終わりの物語
赤い世界ではデーモンやジェムが溢れ返っていて危険に満ちていたが、今の暗い世界では何もないことが逆に不安を掻き立てる。
灰色の空が広がる世界は色を失ったように見えてどこか作り物を思わせた。
家の近所では戦闘は無かったらしく道路も家屋も壊れた様子はない。
こうしているとさっきまでの戦いは全部幻で僕は遅くなって家に帰ろうとしているだけなのかもしれないと思えてくる。
「ふんふ~ん~」
だが僕の目の前を歩いている存在はありえないはずの現実だ。
海にとっては数ヵ月ぶりの帰宅、背中を見るだけでも機嫌がいいのが分かる。
(この海が海原を震え上がらせた。怒らせるのは得策ではないか。とりあえずは本人の所望通りにお話としよう。)
"Innocent Vision"の皆は僕の周りを囲むように歩いている。
海は後ろ歩きで僕たちを見て少しだけ寂しそうに微笑む。
「警戒するのは分かるけど、もう少し兄妹に気を使ってくれてもいいのに。」
「お前の言うお話が終わってからなら考えてやる。」
僕が悩む暇もなく由良さんが即座に却下した。
「残念。」
予想していたのかそれほど残念そうでもなくまた前を向いて歩いていく。
「陸、まだ本物かどうかも分からないんだ。気を許すなよ?」
僕の内心を見透かしたように由良さんが怖い目付きで睨みながら小声で忠告してきた。
僕は頷いて海の背中を見る。
(そう、あれは海じゃない可能性の方が高いんだ。)
だって海は死んだのだから。
とっくの昔に火葬されたはずなので肉体が残っているわけもない。
ならば今目の前にいるのは魔女が作った偽物だと考えるのが妥当だ。
夢に出てくる魔女なら僕の記憶から海の記憶を探すことも出来るかもしれない。
あとは器を用意すれば僕の知る限りの記憶を持った海に似た何かが完成する。
僕の記憶からできているのだから本物かどうか判別するのは難しいかもしれない。
「…。」
「ん?お兄ちゃんの熱い視線を感じる。何?」
鋭い妹はクリクリした瞳で僕の言葉を待つ。
もちろん本心を語るわけにはいかない。
「いや、楽しそうだなと思って。」
それも本心ではある。
重要度の低い、それでいて海の考えを然り気無く聞き出せる問い。
占い師の使う話術コールドリーディングと言ったところか。
再会した妹との会話だというのに打算的な自分が嫌になるが今は由良さんの言う通り警戒していなければならない。
だからこれでいい。
そう、自分に言い聞かせる。
「楽しいよ。またこうしてお兄ちゃんと一緒だからね。」
「…またって言っても海と何かした記憶があんまり…」
「そ・れ・は、お兄ちゃんが全然付き合ってくれなかったからでしょ?」
「…ごめんなさい。」
笑顔のまま怒る高等テクニックを披露した海の発言は正論だったので素直に謝った。
「よろしい、許してあげる。」
そうすると海はすぐに機嫌を直してくれた。
どこからどう聞いても普通の兄弟の会話。
由良さんが睨みを利かせてくるので視線を外す。
(こうして話していると、どんどん海に思えてくる。)
生前は僕が避けていたため仲がよかったとは言えないがそれでも海とはこうやって話したのだ。
そんな記憶が蘇ってとても懐かしい気持ちになった。
「はーい、到着。」
弾むように歩いていた海の足が止まり、住宅街の一角にある家に到着した。
「ほら、お兄ちゃん。みんなお客さんなんだからお出迎えしないと。」
「ん、ああ、そうだね。皆、中にどうぞ。」
「おじゃまします。」
「りっくんのご両親はいるのかな?」
僕に促されて皆は中に入っていく。
「…。」
海だけは動かず皆が入っていく家を眺めていた。
全員が入ったところで一網打尽。
それも考えたが僕の出した結論はもっと別のもの。
期待するような目を向けてくる海に照れくさく思いながら
「お帰り。」
海の望むであろう言葉を投げ掛けた。
「!…うんっ、ただいま!」
海は驚いた後、満面の笑みを浮かべて返事をするのだった。
「お兄ちゃんが気の利く子になって私は嬉しいよ。」
「まあ、周りに女の子がいっぱいいればそれは、ね。」
笑顔の海と一緒に中に入る。
家の中は静まり返っていて当然のように両親はいる様子はなかった。
父は仕事で壱葉から離れているので今回の騒動には関わっていないだろう。
母は逃げ出したのかデーモンになったのか、あるいはデーモンに殺されたのか判断できない。
家の中で争った様子はないので余計にどうなったのかわからない。
すべてが終わったあと帰ってくるのを待つしかない。
誰もいないことを確認した海は残念そうな顔をした。
「お父さんたちとも話したかったんだけど、仕方がないね。」
「だいたい何の心構えもさせないままいきなり海が帰ってきたら驚きすぎで心停止するよ。」
「あはは、確かにそうだね。」
由良さんたちはリビングにいた。
「遅いぞ、陸。」
由良さんが
(あれだけ警戒しろって言ったのに何仲良く二人で話しこんでやがるんだこのやろう)
とでも言いたげなとても恐ろしい視線を向けてくるので
「飲み物何かあったかな?」
僕は台所に逃げ出した。
人数分のお茶を淹れてテーブルに置く。
元々4人用のテーブルなので由良さんと明夜は壁際に立っている。
真奈美は家屋損壊を配慮してスピネルを消しているから今は戦力大幅減だ。
コトッ
「…ーのに…」
「ん?」
茶碗を置く音に混じって海が何か呟いたように聞こえたが目を向けると海は首を傾げただけだった。
全員にお茶が行き渡ったところで
「陸、お茶菓子。」
食いしん坊魔神の明夜が相変わらず話の腰を折った。
戸棚を探してみると開封済みの煎餅が残っていたので渡す。
「湿気ってる。」
カリッではなくモフな感触の煎餅に明夜は不満げだがこれ以上甘やかさないでおく。
「ここに座るのも懐かしいな。あんまり変わってないね。」
そう言いながらも海は物珍しげに周囲を見回している。
海が亡くなってまだ1年経っていないのだからそんなに大きな変化はない。
それでも海がそこにいる懐かしさは大きかった。
そんな動揺をお茶を飲んで落ち着ける。
「それで、海ちゃんはどんなお話しをしたいの?」
ちびちびとお茶に口をつけていた蘭さんが年長者らしく話を進め始めた。
両手で湯飲みを持つ飲み方からしてとても年長者には思えないが。
「んー、そうだね。」
海は頬に指を当てながら虚空を見上げて唸る。
でも表情からすると困っているわけではなさそうだった。
「何でもいいんだけど、みんなは何を話したい?」
最後には笑顔で丸投げしてきた。
聞きたいことはある。
だけど今の海にそれを聞いて何になる?
ならば僕は心を"化け物"にして"Innocent Vision"に有益な情報を聞き出すために動くことにしよう。
「正直に言えば今目の前にいる君が僕の妹である半場海だと信じてる訳じゃない。」
そう、今の海が本物だと証明できなければどんな話をしてもそれは海ではない何かと話をしているだけになってしまうのだから。
いきなりの発言に驚きを見せたのはむしろ由良さんや真奈美の方で、海は特に反応を見せなかった。
「まあ、当然だよね。死んだと思っていた人が生きていたとか生き返ったとか言われても普通は信じないよ。魔剣なんて非現実的なものが存在する世界だって死者が生き返るのは漫画の世界だよね。」
自分がそういう存在だというのに海はあっさりと肯定した。
いきなりの関係悪化を招くような言動に蘭さんがハラハラしているのがわかったがこの程度は挨拶みたいなものだ。
少なくとも本物の海は僕と同じに生まれてきたとは思えないほどに才色兼備で文武両道な才女だった。
まともに口喧嘩をしたことはほとんどなかったが他愛のない会話でも勝てた試しがない。
「だけど否定したままじゃ話が進まないから僕は君を海だと仮に認めるよ。」
「仮が取れるように頑張ります。」
敬礼する海に緊張感はない。
よほど舌戦を制する自信があるのか、あるいは本物だから嘘をつく必要がないのか。
「海。」
「ん?」
僕は次の一言を口にすることに多大な決意を込めて、告げた。
「海が死んだとされる日にあった事を全部話してくれ。」
「「!!」」
今度は海も含めて全員が言葉も無いままに僕を見た。
「…いきなりストライクど真ん中だね。」
「本人なら起こった事を話せばいいけど仮に作られた偽物ならぼろが出るかもしれない。それに、僕は怖かったけどずっと知りたかったんだ。あの日海が僕に電話をくれた意味を。」
僕はずっと後悔していた。
あの時海からに電話を取っていれば何かが変わったんじゃないかと。
僕に海を救うことができたんじゃないかと。
だからあの日の真実が知りたかった。
「お兄ちゃんの知らないことを話しても私が半場海だって証明にはならないけど、いいんだね?」
「そのために仮にでも認めたんだ。海の言葉で真実が語られることを信じてるよ。」
もし海が僕の記憶から作られたなら僕の知っていることを確認し合うことに意味はない。
ならば海の語る真実を聞いて僕自身が見極めるしかない。
海は少し温くなったお茶を飲み干し
「お兄ちゃん、お代わりお願い。」
湯飲みを僕に差し出して手を合わせた。
「はいはい。」
こうして素直に従ってしまう辺り実は結構いいお兄ちゃんかも、とか思いながらお茶を注いでやる。
「ありがと。」
海は新しく淹れたお茶で唇を湿らせるように少しだけ口をつけると
「わかったよ。私が死んだあの日にあったことをお兄ちゃんに教えてあげる。でも後悔しないでね?」
ヘビーな内容なのか海が先に断ってきた。
僕は苦笑で応える。
「後悔ならあの時にもう十分にしたよ。」
「…」
複雑な顔をした海はゆっくりと語り出した。
海の終わりの物語を。
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当時のお兄ちゃんはそれはもう完全な引きこもりで処置なしの状態だった。
私はなんとか立ち直って欲しくて声をかけたり一緒にご飯を食べようと誘ったりしたがそれは逆効果でお兄ちゃんを怒らせてしまうだけだった。
口も聞けない状態のケンカとも呼べないケンカが続いて数日、私は授業を受けながら頭では別の事を考えていた。
(よし、今日こそお兄ちゃんと仲直りする!)
二卵性の双子で私より少しだけ早く生まれた男の子。
お兄ちゃんには未来を見る力があるらしくて気味悪がられてすっかり人間不審になっちゃったけど本当は優しいことを私は知っている。
きっと私とケンカしたことにも心を痛めて…痛めて…
(痛めてくれてると嬉しいんだけどな。はぁ。)
高校の入学式の翌日に自宅謹慎を言い渡されたお兄ちゃんはますますやさぐれてしまったから他人の心配なんかしてくれないかもしれない。
(他人か…寂しいな。)
なんで一緒に生まれたのにお父さんたちはお兄ちゃんを避けるんだろう?
思い出したらまたムカムカしてきた。
「海、授業そっちのけで考え事なんて、恋の悩みなら是非相談に乗らせてもらうわよ?」
そして気が付いたら授業が終わっていた。
「仲直りにはやっぱり好物の差し入れだよね。」
単純ながら効果的な策を胸に胸が高鳴る。
そう思って町に繰り出した私だったが
「そう言えば、お兄ちゃんの好物ってなんだろう?」
昔はハンバーグとかオムライスとかが好きだったが最近はそういう話をしないからまったく情報がない。
食事も部屋で摂ってしまうからどれが好きでどれが嫌いか聞けないし、間食をしているのかも分からない。
「私、お兄ちゃんのことあんまり知らないんだ。はぁ。」
お父さんたちの態度に不満を言いながら私だってお兄ちゃんの事を知らない、つまり興味を持っていないことになる。
私は悲観的な考えを頭を振って払い除ける。
「ううん。お兄ちゃんが話してくれなかっただけで私は努力してるよ、うん。」
自分を慰めても結局答えが分からないことに違いはない。
そうなると今ある情報から推理するか本人に直接聞くのどちらか。
「仲直りしたい相手に、何をあげたら喜ぶのか教えて、って聞くのはおかしいよね。」
そうなればあとは自分で考えるしかない。
幸い今日は建川に出てきているから選択の幅は広い。
店を回っていればお兄ちゃんが好きなものや興味を持ちそうなものの1つや2つ思い浮かぶに違いない。
「そのためにわざわざ遊びに行く誘いを断ったんだから絶対に見つけるぞ。」
決意を込めて拳をグッと握り、私は建川に繰り出した。
建川の表通りはブランド店やファッション関係の店が多い。
「お兄ちゃん、服とかに無頓着だからな。」
私の好みで服をプレゼントしたとしても外に出る気のないお兄ちゃんでは着てくれないかもしれない。
「でもパソコン関係のも、ちょっと。」
引きこもりを助けるものをプレゼントするのも目的の逆方向になってしまうので避けたい。
「お兄ちゃんが喜んでくれて、家族が仲良くなれるもの。何か無いかな?」
兄弟のいる友達にそれとなく聞いてみたけどやっぱりアクセサリーとかゲームとか、あとはお菓子を作ってあげたとかだった。
お兄ちゃんがどんなゲームを好きなのかわからないしそもそもみんなでやるゲームを好きそうには見えない。
お菓子は…個人的な理由により却下。
「き、きっと好きな人が出来れば自然と上手くなる…はず…だといいな。」
料理もお菓子も何でうまくできないのか。
「好きな人、か。」
私だってお年頃の乙女。
恋話には興味はあるし友達に彼氏ができたと聞けば羨ましくもなる。
だけどいざ自分はと聞かれると交際経験は0。
芸能人にしても若くてカッコいいと評判の先生にしても付き合いたいとか思ったことはなかった。
「海の理想のタイプはどんな人?」
そう聞かれて困った私は
「うちのお兄ちゃん。」
と答えてみんなを引かせてしまった。
だけどあれは本心だったような気がする。
変な力があるらしくて両親にも同級生にも避けられて閉じ籠ってしまったお兄ちゃんだけど本当は頭もいいし優しいことを私は知っている。
ひけらかさない優しさと強さ、そういうものに私は惹かれるのかもしれない。
「…好きな人のために料理、いいかもしれない。」
うまく行かないかもしれないけど、美味しくないかもしれないけどお兄ちゃんはきっと食べてくれる。
「よーし、やるよ。」
私は料理をすると決めて食材を買いに向かうのであった。