第17話 女王との邂逅
昼休み、今日こそは羽佐間先輩を見つけるため教室を出ようとした僕に
「行かないで。」
東條さんはそう言って腕に抱きついてきた。
全身を使って腕をホールドしているため色々と当たって身動きが取れなくなる。
「東條さん、は、離して。」
「いやよ、離さない。」
いやいやをするように腕に頭を擦り付ける仕草は可愛らしくもあるが
「半場ー…」
昼休みの教室前でやられると憎悪ばかりを増幅させるので喜んでなどいられない。
「八重花、よくやった。」
「にゃは、捕まえた。」
「ふっ、ちょろいわ。」
そこに現れたのはいつもの3人…ではなく5人組。
中山さんが左腕に抱きつき久住さんが首に腕を回してくる。
絶対に僕と周りの反応を楽しんでいるだけなのだろうが緊張してしまって動けない。
と腰にも巻き付く気配があった。
(芦屋さん、それとも作倉さん!?)
どちらも悪ふざけに乗ってくるようには思えなかったが事実腰には人の感触がある。
ぐるりと首を回すと呆れ笑いの芦屋さんとうるうるハワワな作倉さんが見えた。
(誰!?)
周囲の喧騒と邪念は高まるばかり、すぐにでも逃げ出したい僕は視線を下に向けた。
間近に久住さんの顔があってちょっと照れてしまうがさらにその下へと意識を向ける。
「…。」
そこには明夜がしがみついてこちらを見上げていた。
「明夜…。」
「うん。」
結局衆人環視の中、明夜を加えた6人に囲まれて食堂に連れていかれる僕であった。
「いやいや、引きこもりだったわりにはいい体してるね。」
「…人が多い場所で誤解を招くようなこと言わないで。」
精神的に疲れ果てて突っ込む余力もなくなった僕は当然のように皆に囲まれている。
7人の大所帯に1人だけ男なものだから周囲の目がとにかく冷たい。
「裕子、やりすぎだよ。」
「真奈美は優しいね。」
芦屋さんの助けも久住さんは適当にあしらう。
もう相手にするのが疲れたので黙ってご飯にするとしよう。
「しっかし、乙女会会長の花鳳先輩の呼び出しだなんて、何だろうね?」
「にゃはは、りっくん乙女会デビュー。」
「女装、萌え?」
「乙女会入りはないとしても、何だろうね?」
「まさか、花鳳先輩まで…」
パクパク昼食を摂っている明夜以外が僕を呼び出した花鳳先輩について話していた。
そこに気になる単語が混じっていた。
「作倉さん。乙女会って何?」
「ひゃあ!」
隣に座っていた作倉さんに尋ねようとしたが盛大に驚かれてしまった。
代わりに左隣に座っていた明夜がポツリと呟いた。
「花鳳撫子と愉快な仲間たち。」
「うん?」
「お、乙女会はですね。花鳳先輩が作ったサークルみたいなもので、先輩の勧誘が入会条件だそうです。女の子の間では乙女会は憧れなんですよ。」
結局作倉さんの説明で理解できたわけだが明夜の言いたいことはよくわかった。
([戦]乙女会、ヴァルキリーか。)
堂々と学内にヴァルキリーの根城を作り上げたと言うことか。
そう言えば差出人不明のメールに添付されていたヴァルキリーのホームページのトップは乙女会と書いてあった。
「それでですね。海原先輩は花鳳先輩の付き人さんらしいです。」
作倉さんは妙に乗り気で他のメンバーについても話してくれた。
「ヘレナ・ディオン先輩は花鳳先輩と同じくらいすごい人で優秀な方ですね。海原先輩のお姉さん、海原緑里先輩は元気でいつも花鳳先輩の回りにいる感じです。等々力良子先輩はバレー部のエースで男女にも人気があって、下沢さんは上品ですし、神峰さんは知的で凛々しいので素晴らしい方々なんですよ。」
饒舌で瞳を輝かせる作倉さんの言葉を否定する気にはなれず
「作倉さんは乙女会に憧れてるんだ。」
話をそらすことにした。
効果覿面、作倉さんは顔を赤くして慌て出した。
「わ、私なんかが乙女会にだなんて…」
「そんなこと無いよ。」
照れすぎて縮こまってしまった作倉さんを皆が温かく見守る中、僕は放課後の用件に思いを巡らせる。
(相手は僕のことを知っているけど僕はヴァルキリーのことを知らない。これは情報を得るチャンスか。)
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
ヴァルキリーの情報を得てあわよくば今後狙われないように交渉してみようと密かに決意を固めて食事を再開する。
「…。」
結局明夜はご飯を食べてばかりでほとんど喋らず、食堂を出るとさっさとどこかへ行ってしまったので何をしに来たのか聞くことができなかった。
「まあ、いいか。」
用事があればまた来るだろうと僕は皆と一緒に教室に戻る。
「チッ。」
柱の陰で人影が陸の姿を睨み付け、悪態をついて去っていった。
授業も上の空で迎えた土曜の放課後。
てっきり学校で会うのかと思いきや集合は校門前だった。
緊張もあるが純粋に人を待たせるのも悪いと思い少し早めに出向いて学校から出ていく人を観察していた。
大抵の学生は授業が終わった解放感で明るい顔をしているが時折時計を見ながら急いで飛び出していく者や陰鬱な顔で出ていく者もいた。
(普通の人たちはこれからが生活の時間なんだな。)
僕にとっては学校だけが楽しいと思える場所で家に帰れば何を思うこともなく時間だけが過ぎていく。
それらの時間でさえInnocent Visionによって刈り取られるのだからままならない。
(ならせめていい夢を見せて欲しい。)
それは僕の“人”としての願い。
だが、僕の中の化け物は夢で見るような殺戮を望んでいる。
必死に否定しながらもあのゾクゾクした緊張感や恐怖が忘れられないでいる。
今目の前を通りすぎた女の子の首を掻き切ったらどうなるか、そんな暗い好奇心が首をもたげてきて慌てて振り払った。
(僕はそんなこと望んでない!僕は化け物なんかじゃない!)
必死に自分を押さえ込むとようやく落ち着いてきた。
額には脂汗が滲んでいた。
(さっきの女の子には悪いことをしたな。)
実際には何もしていないが想像の中とはいえ頸動脈を切り裂かれて血を吹き上げる姿は酷い。
心の中で謝罪しようと目を向けた先には
羽佐間先輩の後ろ姿があった。
(見つけた!)
タイミングがいいのか悪いのか、土壇場で会えたというのにちゃんと見ていなかった。
だがまだ追いかければすぐに追い付く距離、僕は駆け出そうとして
「お待たせしました。」
行く手を遮るように路肩に駐車したハイヤーから海原葵衣が出てきて声をかけてきた。
「どうぞ、お乗りください。」
海原は小柄ながらも強い力で僕の手を引いて車に連れ込もうとする。
「いや、ちょっとだけ待って…」
「すみません。お嬢様もご多忙な身ですので時間はあまりございません。」
有無を言わさず後部座席に放り込まれ、ドアが閉まると車は走り出してしまった。
羽佐間先輩の姿が加速度的に遠ざかっていき、とうとう車が曲がって見えなくなってしまった。
僕はシートに手をついたままガックリとうなだれる。
「あら、素敵な表情ですね。」
今まで気付かなかったが後部座席にはもう1人いた。
下沢悠莉、バレー部コーチを殺そうとしたヴァルキリーの一員。
あの後の事を僕は知らないが一度も見ていないからあの時やって来た等々力に殺されたのだと考えている。
「お久しぶりですね。お名前を聞いてもよろしいですか?」
「半場陸です。」
白々しいと思いながらも僕もそれに合わせる。
ここで下手に動いて戦闘になっても僕に戦う力はないし走る車の中には逃げ場がない。
下沢はにこりと笑い
「半場さんとお呼びしていいでしょうか?私は下沢悠莉です。同い年のようですし敬語でなくて構いませんよ。」
「いや、いいです。」
ヴァルキリーと馴れ合うのに抵抗があるのもそうだが、それ以上にお嬢様然とした下沢とフランクに話をする自信がなかった。
「そうですか。」
下沢はわずかに残念そうな顔をするとまたすぐに優しい微笑みに変わった。
危険な相手だと分かっていても見惚れてしまう。
(男子に人気があるわけだ。)
僕は恥ずかしくなって視線を反対の窓へと向けた。
そちらには海原がまっすぐに前を見て座っていた。
「何か?」
「そう言えば、花鳳先輩は一緒じゃないんですか?」
「お嬢様は所用により先に向かわれました。」
海原は必要事項だけを述べるとまた正面の後部座席を凝視し始めた。
そこには何もないからこれが基本姿勢なのだろう。
右には下沢、左には海原。
どちらも美少女と呼ぶにふさわしく、いつも騒ぐ男子の気持ちが分かった気がする。
(でも、居心地悪い。)
落ち着かないが左右どちらも女の子なので前を向いているしかない。
広い座席で妙に狭苦しい思いをしながら僕は何処かへと連れていかれるのであった。
到着した車から降りると目の前には時代から取り残されたようなこじんまりとした喫茶店があった。
海原の開けてくれたドアから店内に入るとコーヒーの香りが染み付いた深い色のテーブルやカウンターを暖色の明かりで彩ったどこか懐かしい感じを与える、イメージ通りの様子だった。
寡黙なマスターが目線を向けた先に、まるで絵画のように溶け込みながらも存在感を示す花鳳撫子が待っていた。
花鳳は僕たちに気づくと席を立ち礼をした。
「お呼び立てしてすみません。わたくしが花鳳撫子です。」
「は、半場、陸です。」
僕はどもってしまった。
それは花鳳が怖いからじゃない。
下沢がお嬢様なのだとしたら花鳳はお姫様だった。
滲み出す気品や威厳、存在感が一線を画していた。
これならば憧れる者が後を絶たないのも海原のような家臣がいることも何ら違和感はなかった。
4人だったが僕は1人で3人は対面に腰掛けた。
これは僕を気遣ってのことなのか別の意図があるのかは定かではない。
お嬢様には紅茶という固定観念を改めつつ香り立つコーヒーを堪能するのもそこそこに僕は本題を切り出した。
「それで、僕はなんで呼ばれたんでしょうか?」
花鳳はカップを置くと居住まいを正した。
「Innocent Vision。」
そして、なんの誤魔化しもなく僕をそう呼んだ。