第167話 夜叉姫の起こし方
陸たちが由良を攻略すべく動き出した頃、海原緑里はヴァルキリーと"Innocent Vision"の決戦の場から離れて外周から迫り来るデーモンの大群を迎え撃っていた。
「白鶴!護法童子!」
式符にベリルの力を付加することで受肉する効果を持つ護法童子と強度と速度に重点を置いた白鶴を認識できる限界まで使役して襲いかかってくる敵を薙ぎ倒していく。
デーモンの1体が黒い光を宿した左腕を掲げたところを白鶴で腕ごと両断し、不規則軌道の護法童子が次々にデーモンを打ち倒していく。
それでも黒き異形の波は尽きず後から後から沸いて出てくる。
実際には後方で涌いて出てきているのはジェムだが戦闘だけで手一杯の緑里にはそれを確認できるほどの余裕はない。
黒い軍勢は緑里や反対側で戦っている明夜の抵抗を嘲笑うように輪を狭めていく。
「はあ、はあ。」
もともと"Innocent Vision"との戦いや神峰美保の反乱で消耗していた緑里はすでに手持ちの式符も数枚だけで体力的にも限界が近づいていた。
それでも瞳に宿る闘志は微塵も揺らいでいない。
「撫子様と葵衣の為に、ここは絶対に通すわけには行かないんだ!」
そう叫んだ緑里は突然服の袖を掴むと力任せに引きちぎった。
さらには制服のスカートを手でつまみ上げて睨み付けるとベリルを一閃、危ない領域が見えるかどうかのギリギリまで切り取った。
相対するデーモンから感じる視線に殺気以外の不快なものが混ざったように感じて
「これだから男は…」
緑里は軽蔑の視線を不特定多数のデーモンに向けた。
その怒りが緑里の左目を朱に輝かせる。
緑里の奇行は別に錯乱したわけでもデーモンへのサービスでもない。
緑里は切り取った両袖とスカートの布を上に向かって放り投げた。
本来はそのまま落ちてくるはずの布は緑里の頭上に漂い、ほどけては絡まり一反の大きな布地へと形を変えていった。
「式布、展開。」
滞空する布にベリルを突き刺すと布はさらに繊維へと分解され、それが螺旋を描くように絡み合い、骨組みを作り上げていく。
「式符、招来。」
緑里が1枚の式符を空に投げ上げると人形は一瞬で無数の紙片へと変じる。
ゴオオオ
竜巻のように渦巻き骨組みを廻る紙片は周囲に点在する紙切れやポスターを吸い寄せて式布に張り付いていく。
一重、二重、十重、二十重と重なっていく紙により式布は肉を得、体を作り上げていく。
朱色の輝きに口の端を吊り上げた笑みを湛えた緑里は振り返って全長10メートルを超える巨人を誇らしげに見あげた。
それは黒き異形の軍勢の前に立つ白き巨人。
「これがボクのスペリオルグラマリー。ボクたちヴァルキリーを守る盾にして敵を砕く刃。絶式、毘沙門!」
名を与えられた巨人の外装が幻術により甲冑を得、手に鉾を持つ姿へと変わった。
スペリオルグラマリー・毘沙門。
緑里の普段から身につけている布をコアとして式符を媒介に紙を操って巨人を作り上げる最大級の物質操作系グラマリーだ。
「遠慮しないで叩き潰して、毘沙門!」
巨人は言葉は発さず行動で自らの意思を示す。
巨体が足を大きく踏み出し黒く蠢くデーモンの中に足を下ろす。
見た目は幻術とはいえ中身は数千、数万の紙が集まった存在の重量は凄まじく、一歩踏み出しただけで地面をわずかに陥没させ足と地面に挟まれたデーモンを容赦なく押し潰す。
それはさながら子供が蟻を踏み潰すようだった。
「薙ぎ払え!」
毘沙門は大きな鉾を振りかぶり、地面スレスレを滑らせるように振り抜いた。
たったの一振りで3桁に上るデーモンが消滅して片っ端から黒い霧になって空へと消えていく。
デーモンは毘沙門を脅威と感じてグラマリーによる攻撃を仕掛け始めた。
光の刃が振るわれ、空気の波がぶつかり、電撃や炎が赤い世界を飛ぶ。
巨体はそれらをかわす事はむずかしい。
だがグラマリーを受けても毘沙門はびくともしない。
毘沙門の核となる骨組みが普段から着用していた緑里の制服であったため術者同様にグラマリーへの耐性を持っているのである。
その光景はさながら大怪獣と防衛隊のようだった。
本能を増幅されて生まれ出でた存在であるはずのデーモンが怯まない巨人を前にたじろいだ。
圧倒的な力を見せる毘沙門、それを使役する緑里は指揮棒のようにベリルを振るい
「さあ、撫子様の邪魔をするやつは皆ボクが相手になるよ!」
再び猛攻を開始した。
「まああああじょおおおお!!!」
「うわぁ、本気で怖いよぉ!」
暴走する由良さんを見て蘭さんが遊びのない声で呟く。
確かに目の輝き方がヤバいし正気を失った状態はデーモン以上に厄介な相手だ。
「半場。参戦早々仲間殺しは勘弁だから、由良先輩を頼むよ。」
「もちろん。」
不安げな真奈美に力強く頷いてみせて僕は視線を改めて前へと向ける。
(どうするかな?)
正直Innocent Visionを使ってもかまいたちの暴風の中を抜けられる保証はない。
長期戦は僕たちも危なくなるし何より由良さんが力尽きてしまうから短期戦が望ましいが
(僕にその運を引き寄せることができるか?)
策はあるがこれはもはや完全に運の領域だ。
それ以外の未来が見えてしまったとしたら最悪僕は仲間を見捨てる決断をしなければならなくなる。
拳を握った指先が微かに震える。
失敗への不安が未来を見る決意を妨げる。
(だけど、今僕が動かなければ由良さんは力を使い果たして終わる。由良さんを救えるのは僕だけなんだ。)
ヒーロー願望なんてないけど今はそうやって無理やり自分を鼓舞する。
そうしなければ立ち向かえないほどに今の由良さんは狂暴だった。
左目に手を当てて暗闇の向こうに求める未来があることを願う。
「Innocent Vision!」
掛け声とともに左目の視界が朱色に染まり起こりうる未来が映し出される。
僕の掛け声と同時に飛び出した海原と真奈美に向けて放たれる音震波を2人は飛んで避けるがその先に待ち構えたようなタイミングで次撃が飛ぶ。
「逆方向!」
左目の視界を強引に断ち切りながら叫ぶと見ていた光景と同じように跳ぼうとしていた2人が一瞬硬直し、すぐに迫る振動波に対して反対側へと跳んだ。
一撃目とその時間差で放たれた二撃目をかわされて由良さんの手がわずかに遅くなる。
「行きます!」
そこに花鳳のサンスフィアが殺到する。
アヴェンチュリンが振るわれる度に生み出される小さな太陽は絶え間なく由良さんへと襲いかかる。
だが
「超音壁だ。」
そのすべてが空間の歪みのような壁に阻まれて消滅していく。
怒りに狂っていても戦闘に関して由良さんは恐ろしいほどに冷静だ。
サンスフィアへのお返しとばかりに撃ち出された振動波が花鳳を掠める。
「お嬢様!ウインド…」
海原はすぐに駆けつけようとするが僕は朱色の世界で2人をまとめて狙う音震波を見た。
「海原は由良さんに攻撃!蘭さんは…」
「わかってるよ!」
叫んだ瞬間左目の奥が痛んだが構っていられない。
海原は咄嗟の声にも反応して攻撃体勢を取って無防備になった由良さんの近くに瞬時に移動するとセレスタイトを振るった。
「おおお!」
由良さんは回避のために体勢を崩しながらも強引に花鳳に向けて音震波を放った。
だが駆け込んだ蘭さんが
「どーん。」
「きゃっ!?」
アイギスではなく体当たりで花鳳を射線上から退避させた。
力を温存する意味でも蘭さんの行動はグッジョブだ。
一方、海原はかわされた攻撃をそのまま次の攻撃へと繋げる型に移行していた。
あれは僕も海原緑里との戦いで見たことがある。
「二ノ太刀!」
「うおお!魔女ぉ!」
その変則的な攻撃を由良さんはクリスタロスを力任せにぶつけて受け止める。
よほどの力なのか攻撃を仕掛けた海原が顔を歪めていた。
あるいは刀身の振動そのものもダメージになるのか。
「はっ!」
海原は手首を捻って力を受け流し、クリスタロスの刀身を滑らすように斬りかかる。
当然由良さんはクリスタロスを上から振り下ろしてセレスタイトを打ち落とそうとする。
弾かれたセレスタイトは軌道を横から縦へと変化させられた。
だが海原はそれを予期していたように絶妙の捌きでセレスタイトを大きく円を描く形で肩を支点に回転した。
クリスタロスを振り下ろした格好になった由良さんを上から狙う絶好の攻撃へと変化した斬撃こそが海原の定められた三撃目。
「三ノ太刀!」
渾身の力を込めたセレスタイトが風を切り裂いて由良さんを襲う。
どんなに力が強くても下に向かっている腕を上向きに振り上げるにはタイムラグが生じる。
そして海原の攻撃は確実にその隙を突いて由良さんを捉えていた。
ガギン
それなのに刃は由良さんに届く前に阻まれた。
地面にぶつかってはね上がったクリスタロスが自らの意思で主を守るように。
完全に虚を突かれた海原は弾かれて打ち上げられた腕をそのままに踏鞴を踏み、由良さんはがら空きになった海原の胸に引き戻したクリスタロスを突き刺そうと踏み込んだ。
「はぁ!」
凶刃が海原の胸を貫く直前、両者の間に飛び込んだのは真奈美だった。
スピネルの手甲でクリスタロスを受け流す。
膂力と勢いの差はソルシエールの上位に位置するセイバーの特性で相殺させ、
「アルファスピナ!」
互いに崩れた体勢からムーンサルトのように無理やり刃の義足を蹴りあげた。
由良さんはのけ反って避けたが完全にバランスを崩して背中から地面に落ちた。
「ぐっ!」
「今だよ!」
確かに由良さんに近づくなら倒れた今が好機。
だけど僕は動けない。
だって
「みんな魔女だ!殺してやる!」
怒りに狂い、夜叉に成り果てた由良さんを見てしまったから。
「オオオオオオ!!」
悲鳴のような音をあげるクリスタロスを乱暴に振り回した由良さんの周囲はもはや近づくものすべてを細切れに変える空間へと変貌していた。
そこに隙間があるようには見えない。
「全員一時撤退!」
やむなく僕は退却指示を出した。
一番由良さんの近くにいた真奈美と海原が無事に戻ってきたが雰囲気は明るくない。
「失敗ですか。」
花鳳が呟く。
海原も、蘭さんや真奈美も諦めたように俯いている。
あれだけ命を危険に晒しての攻防でも抜けないとなると次は本当に命を懸けて挑まなければならなくなる。
「そうでもないよ。」
だけど僕は一歩前に出てその考えを否定した。
無駄なことはない。
少なくとも今の一戦で僕には光明が見えたのだから。
由良さんは迷うことなく僕を狙ってクリスタロスを向けてくるがInnocent Visionに従い音震波を回避する。
何気なくやってのけたが全員驚いていた。
「由良さんの攻撃範囲は確かに広いけど誰かを狙っているときは周囲の風が弱まるんだ。」
「避けるなァー!!」
二度三度と刃のような振動波が飛んでくるが大振りに振るわれるだけのクリスタロスでは軌道が読みやすいから当たらない。
「4方向から攻撃。由良さんは目をやられてるみたいだから音とか強い光で気を引いて。」
返事を聞かなくても皆が迅速に行動を開始したのが分かった。
海原はウインドロードで反対側へ回り込み、花鳳は目映い光を放つサンスフィアを散発させ、真奈美はスピナを発動させた輝く刃で翻弄し、蘭さんはサンスフィアをオブシディアンで打ち返す。
「魔女、まじょ!」
赤い瞳から透明な涙を流しながら武器を振るう由良さん。
クリスタロスの悲鳴はたぶん由良さんの嘆きなのだろう。
由良さんの心の闇を払拭してあげられるなんて烏滸がましいことは考えていない。
ただせめて、泣いたまま暴れる女の子を止めてあげたいと思っただけだ。
「行くよ、Innocent Vision。」
僕の心に呼応するように朱色の輝きを示す左目が僕の歩むべき道を示す。
だけどそれは茨の道。
振動波だけでなくサンスフィアや斬撃が縦横無尽に乱れ舞う死の乱舞の直中。
僕はその中に足を踏み入れる。
左目で見た未来を右目で捉えた現実へとトレースして数センチ単位で体を攻撃から逸らしていく。
(遠いな。)
由良さんまでが果てしなく遠く感じる。
左目の奥は熱を持ったように熱く、右目はカラカラに乾いている。
半歩間違えれば命のない極限状態は僕の精神を削っていく。
自分の呼吸、心音、足が大地を踏む感触、それらの感覚が失われて僕は1つのInnocent Visionとなっていくような錯覚に陥った。
(…見える。)
すべての感覚が目に集まった僕は由良さんだけでなく味方全員、そして飛び交う攻撃のすべてが見えていた。
風の壁をすり抜け、流れてきたサンスフィアをかわし、振るわれた刃を受け流す。
「!?」
目を真っ赤にした由良さんが驚愕の表情を浮かべたときにはすでに由良さんの懐に飛び込んでいて、僕は迷うことなく抱き締めていた。
「「ああー!?」」
蘭さんとか真奈美とか、あと気のせいか花鳳の叫ぶ声が聞こえたが今は構っていられない。
困惑して動きを止めた由良さんの意外と細い体をギュッと抱き締めたまま片手で涙を拭き取ってあげる。
「もう大丈夫だよ、由良さん。」
「り…く…?」
一瞬正気に戻りかけた由良さんの瞳が再び赤く染まる。
「あああああ!」
抱きついた僕を引き剥がそうと由良さんが腕の中で暴れる。
覗き込んだ顔は涙に濡れていて瞳の朱色が点滅するように輝いているから衝動に突き動かされているようだった。
説得だけで何とかなるとは思っていなかったが実際に効果がないのならば仕方がない。
「…先に謝っておくよ。ごめんね、由良さん。」
聞こえていないであろう由良さんに謝罪した僕は左腕でさらに由良さんを抱き寄せる。
「っ!」
大きな胸が押し付けられて形を変え、由良さんの戸惑いが見えた。
僕はそのまま右手を由良さんの頭の後ろに回し
「んんっ!?」
「「ああー!?」」
強引に由良さんの唇を奪った。