第163話 最強の使用人
海原葵衣は微塵の迷いも見せず神峰にセレスタイトを突きつけた。
「ヴァルキリーの理想のため?結局葵衣先輩も花鳳のためってわけだ?姉妹揃ってうざいですね。」
「海原にとって主の為に総てを捧げることは当然の思想です。」
神峰が左右にスマラグドを振るうとレイズハートが浮かび上がる。
それを前にしても海原葵衣は慌てる素振りも見せずセレスタイトを握り直した。
「前から、そのいつも冷静な所も、能面みたいな無表情も、執事服でいることも、全部気にくわなかったのよ!」
左右のレイズハートが弧を描いて飛び出し、さらに振り上げたスマラグドから飛び出した光がアーチの軌跡を残しながら上から迫り、最後に神峰自身も飛び込んでいく。
三次元攻撃に対して海原は構えすら取らずに立っているだけだった。
「避けないならこれで終わりよ!」
上、左右、前面からの攻撃が海原に触れた
「当然、避けさせていただきます。」
そう思った直後、海原は神峰の攻撃が集中する地点からわずかに数歩分後ろに立っていた。
光と斬撃のすべてが空振り、消滅する。
神峰は振り抜いた格好のまま目をパチクリさせていた。
当然だ。
離れた位置から見た僕でさえ海原が瞬間移動したように見えたのだ。
それが眼前なら確実に何が起こったのか分からないだろう。
神峰は変な笑みを浮かべながら体勢を整える。
「へ、へぇ。逃げるのは上手いんですね。ほとんどヴァルハラから出なかった葵衣先輩じゃ戦うより逃げる方が得意なんでしょう?」
神峰の挑発に耳を貸さず、構えを取ることもなく海原はじっと神峰を見据えるだけ。
神峰が笑みを消してチッと舌打ちをした。
「みんなあたしをそんな目で見る。そんなにあたしは異常?力を持ったら自分のために使いたい。それが悪いことだって言うの?」
神峰の意見は確かに正論。
自分の手にある物を使うのは所有者の自由。
だが神峰はそこに本来同時に存在するはずの人としての倫理を捨ててしまっている。
あるいはソルシエールの衝動によって消されてしまっているのかもしれない。
何にせよ神峰の思想は非常に危ういものだった。
「そんなものに興味はありません。ご自身でお考えください。」
神峰の問い掛けを海原は丸投げで投げ返してバッサリ切った。
神峰の青筋の数が一本増える。
「言葉のキャッチボールも出来ないなんて花鳳先輩の付き人は教育がなってないんじゃないですか?」
花鳳が反論したそうに顔をあげたが
「花鳳の名を侮辱しましたね。」
それよりも先に海原が動いていた。
流れるような動きで神峰に肉薄し、淀みのない太刀筋で攻め立てる。
「このっ!」
「…」
神峰はスマラグドで防戦するしかなくレイズハートを生み出す隙が与えられない。
キン、キン、キン
2つの魔剣がぶつかり合い甲高い音を奏でる。
海原の攻撃は剣術として体系化された動きだ。
ソルシエールを与えられ、武器が剣だったから振り方を覚えたのとは訳が違う、剣術としての強さがあった。
「あああああ!」
防戦に追い込まれた神峰が吠える。
スマラグドの刀身が翠の光を帯び、防御の姿勢のまま四条の光が飛び出した。
光は空中で旋回して背後から海原を襲う。
「そうよ!それでこそあたしのレイズハート!」
神峰はつばぜり合いの体勢で海原の動きを釘付けにする。
逃げ場はすでにない。
「これでっ…」
「この程度で私を止めたおつもりですか?」
神峰が歪んだ喜色を浮かべた刹那、その体が手を支点に円運動を開始、海原とレイズハートの間に神峰が割り込む形となり
「っはあ!」
神峰は防御も取れない体勢で背中に光の衝撃を受け、そのまま地面に叩きつけられた。
2つの衝撃で呼吸を乱した神峰はギリと歯を食いしばる。
「なんであたしに当たるのよ!?あたしはレイズハートを制御していた。あたしに当たるはずがないじゃない!」
自分の力に絶対の自信を持つ神峰はガリガリと頭を掻きながら立ち上がる。
「消えろ、あるいは当たるなと命令されるよりも先にぶつかったのでしょう。何故なら、美保様は私に当たると確信していらっしゃいました。私の動きが美保様の予測を上回った、ただそれだけのことです。」
海原は回避したことを誇るでもなくただ今起こった事象を説明しているだけ。
だけどそれは簡単なようで不可能に近い。
投げられたことを気付かせないなんて現実にできるのか。
(セレスタイトのグラマリーか?)
瞬間移動系のグラマリーならばさっきの芸当は簡単にこなせる。
「移動系のグラマリーを使ってるのね?それなら!」
神峰は地面にレイズハートを放って粉塵を目眩ましに大きく後ろに飛び退くと周囲にレイズハートを展開させた。
「攻撃手段はセレスタイトの接近戦だけ。距離を取ってじわじわと削り、攻撃で近づいて来たところで叩けばいいわ。」
確かに遠距離攻撃を持たない相手に対して有効な戦術ではあるが本当に海原の力が瞬間移動なら距離の効果は実質無視されてしまう。
それならむしろ接近戦に持ち込んでグラマリーを使わせない方が得策だと思う。
(もっとも、海原のグラマリーが瞬間移動なら、だけどね。)
「行きなさい、レイズハート!刻んで殺しちゃいな!」
光の刃が誘導されるように海原に向けて殺到する。
海原はそれを体捌きでかわしていく。
「相変わらず紙一重で避けるのね。」
前後左右、上だけじゃなく下からも襲うレイズハートをことごとくかわされても神峰はまだ余裕だった。
真正面から飛んでくる光を海原はギリギリのところで避けた。
「かかった!」
その瞬間神峰はスマラグドを振り下ろす。
通りすぎようとしていた光刃が急速に角度を変えて海原の側面に飛ぶ。
予測し得ない動きは完全な死角をついた。
…はずだった。
バシン
翠色の光が空中で弾ける。
海原が右手で振るったセレスタイトがレイズハートを的確に打ち落としたのだ。
「なっ!?まさか、未来予知!?」
神峰が驚愕の声を漏らす。
「そのような力が私にあれば"Innocent Vision"に対してヴァルキリーを勝利に導くことなど容易いことでしょう。」
遠回しな否定をして海原は初めて正眼の構えを取った。
神峰もレイズハートを新たに展開して迎え撃つ準備をする。
「美保様、最後にもう一度お聞かせ願えますか?ここで刃を納め、今一度ヴァルキリーの理念のためにその力を振るう意思はおありですか?」
決着の時を予感させる中で海原が提示したのは彼女の人間らしい慈悲。
これまで共に戦ってきた仲間と戦いたくないと言う人としての思い。
「嫌よ。まあ、あたしに勝ったら何でも言うことを聞きますよ。」
だが、神峰は海原の思いを欠片も理解していなかった。
海原の気配がスッと冷たくなる。
成すべき事をただ成し遂げるだけの機械のような存在へと自らを作り上げているように感じた。
「ならば仕方がありません。」
そう呟いた直後、海原はすでに神峰の眼前で袈裟斬りにセレスタイトを振り下ろさんと振り被っていた。
「!?」
(瞬間移動…!)
神峰は眼前に現れた海原の斬撃にどうにかスマラグドをぶつけて防御するとレイズハートを左右から同時に放った。
海原は引いたセレスタイトを腰だめに構えると
「はっ!」
裂帛の気合いと共に居合いのような超高速の斬撃を打ち込んだ。
「ぐっ、この!」
美保はスマラグドが弾き飛ばされそうになるのを堪えるが衝撃は受けきれず踏鞴を踏む。
海原はその一歩分の距離を前に踏み出すことで左右からの光刃を回避した。
自身の攻撃速度とその結果が招く変化、そしてレイズハートの速度や到達時間。
それらをすべて計算し尽くした一瞬の攻防だった。
さらに海原は攻める。
西洋剣を縦に真っ二つにしたような形をしたセレスタイトの刃を幾度も切り返し、剣の軌跡が残像を残すほどの連続攻撃。
「うっ、この、調子に、のる、なぁ!」
海原の静かなる猛攻は神峰の行動を防御にのみ縛り付ける。
確かにこれだと神峰が考えた遠距離からの攻撃の方が有利かもしれない。
接近戦闘能力が神峰と海原では違いすぎる。
キン、キン、ギン
スマラグドの防御がぶれる。
あれだけ速い攻撃を捌き続けるには純粋な握力が足りなかったらしい。
「スマラグドを離した瞬間、終わりです。」
「あたしが負けるわけないのよ!」
言葉とは裏腹にスマラグドを握る腕ごと大きく弾かれる。
あと一撃強打を受ければスマラグドが飛ばされる。
その土壇場で
「レイズハートおおおおおおおお!」
神峰は命を削るような咆哮をあげながら翠色の光を生み出していく。
その光量は僕たちを襲ったものよりも高密度、それが海原1人に照準を合わせた。
神峰が最大の攻撃を放とうとしているのにも構わず海原は接近して斬りかかる。
防御したスマラグドが弾かれる直前
「スターインクルージョン!!」
神峰は最後の命令をレイズハートに出した。
神峰はソルシエールを手放して魔剣の効力を失う。
だがすでに命令を与えられた光の刃は海原に向けて全方位から殺到した。
それは隙間なく迫る壁のように海原を覆い尽くしていく。
僕の位置からでは光に囲まれた海原は見えない。
だけどInnocent Visionを使わなくてもこの戦いの結末はわかっていた。
「がっ!」
光の向こうで神峰の悲鳴が聞こえ、ドサリと何かが地面に倒れる音がした。
そして最後に一際強い光を放ってレイズハートは消滅し、翠色の光の粒子が舞い散る赤い色に戻った世界には海原葵衣だけが立っていた。
「戦闘終了致しました。"Innocent Vision"の皆様、目覚めていらっしゃるのは存じております。」
海原は勝利の感慨もなく僕たちに起きろと言った。
体の痛みもだいぶ和らいだので起き上がると皆も地面から身を起こして服の汚れを払っていた。
誰も深刻な怪我は負っていないようで何よりだ。
自然と僕の近くに集まり、神峰を倒した海原葵衣へと目を向ける。
海原は花鳳の元に向かうと手を取って立ち上がらせていた。
「葵衣、また貴女に助けられてしまったわね。」
「これが海原のお役目です。それに私自身の汚名を雪ぐ機会をご主人様はお与えくださいました。お嬢様を守ることが今の私のすべてです。」
海原は深々と礼をするとこちらに振り向いた。
「お久しぶりでございます、半場様。このような言葉は不適切でしょうがお嬢様と戦っていただいて感謝しております。」
海原は僕にさえ礼を尽くす。
だが僕をそう動くようにしたのは間違いなく海原だ。
「僕はケーキの分の約束を守っただけですよ。」
僕がそう答えると無表情な海原がほんのわずかに笑みを浮かべた。
「それでこそお嬢様のお認めになられたヴァルキリーの仇敵。あとはあなた方を打倒し、魔女の手から世界を救えばヴァルキリーの勝利です。」
世界を救うと海原は言う。
その思いは僕たち"Innocent Vision"も同じだ。
それでも手を取り合うことは出来ないだろう。
彼女は海原葵衣。
花鳳撫子を正しく導く存在だから。
「葵衣ちゃん。美保ちゃんは殺したの?」
蘭さんが恐る恐る尋ねる。
神峰を殺したことというよりも純粋に海原に声をかけるのを躊躇っている感じだ。
地面に倒れ伏した神峰はピクリとも動かない。
だが海原は首を横に振った。
「峰打ちです。しばらく目覚めることはございません。今の私は衝動に支配されておりませんのでヴァルキリーの仲間を手に掛けは致しません。」
「う。」
責められてると思ったのか蘭さんが呻く。
言葉ほど憎悪の念を感じないので海原自身はそれほど気にしていないみたいだ。
尤もそれが戦いに影響するようなことは無いだろうが。
「後は花鳳とお前だけだ。」
由良さんが玻璃を構えて睨み付けても海原は動じない。
「"Innocent Vision"の力は重々承知しております。ですが敢えて申し上げさせていただきましょう。私は負けません。」
冷静な口調に熱い思いを乗せて海原はセレスタイトを構えた。
「わたくしと葵衣の力をあなた方に見せて差し上げましょう。」
花鳳もアヴェンチュリンを手に海原の隣に並ぶ。
「上等だ。これでヴァルキリーとの戦いの決着だ。」
「よーし、頑張るよ。」
「ヴァルキリーとの決戦か。因縁の対決だね。」
「勝つ。」
"Innocent Vision"の意欲も十分。
僕も左目に意識を集中させる。
「半場さんにはどのような未来が見えているのですか?」
花鳳の問いに僕は口の端に笑みを浮かべつつ答える。
「"Innocent Vision"が勝つ未来ですよ。」
もちろんはったりだが以前の花鳳ならそれに怯えていた。
だが今は笑っている。
「ならば貴方の視る未来を変えてみせましょう。」
花鳳は運命を変えると言った。
その気高さが翼を大きく拡げた鳳のようで、僕は喜びと恐れを抱く。
その思いを隠して僕はなお笑う。
「出来ますか、もはや運命と化した未来を変えることが?」
「変えるのです。人は不可能を可能に変えて成長するもの。わたくしはあなたを乗り越えて高みを目指します。」
もうInnocent Visionに怯えていた面影は無い。
彼女は花鳳撫子、気高きヴァルキリーの長だ。
「それなら始めましょう、最後の戦いをね。Innocent Vision!」
「そうですね。行きます!」
僕が手を上げ、戦いが始まった。