第150話 赤き空を染める暖かな光
下沢と八重花の戦いが膠着状態に陥りほとんど動きがなくなったのとは対称的にジュエルの戦いは激しさを増すばかりだった。
「いい加減に、諦めたら!?」
桐沢ももはや初めの余裕はなくアルミナを振るい芦屋さんを倒そうとする。
「はあ、はあ。負けられない理由があるからね。」
対する芦屋さんも徐々に戦い慣れして桐沢の攻撃に追随できるようになっており、戦況は芦屋さんが盛り返してきていた。
(戦闘のセンスがいいんだ。ばてては来てるけど僕と戦ったときとは違って足取りはしっかりしてる。これがジュエルをちゃんと取り込んだ身体能力なのか。)
すっかり傍観者として見ている僕は単純に驚いていた。
訓練を受けていないのに芦屋さんの能力はすでにジュエルと同等。
明夜の話によればジュエルの力は持つ者の魔力が高いほど強くなれるらしいので芦屋さんは高い魔力の持ち主なのかもしれない。
(そうなると魔女がソルシエールを与えなかった理由は分からないけど、相手は魔女だからね。)
気まぐれかもしれないしソルシエールを与えるほどまでには魔力が高くなかっただけかもしれない。
さっきから八重花が妙に芦屋さんを気にしているのが気にはなるが攻撃の手は休めないので驚いただけか。
「せい!」
全身の捻りを利用した上段回し蹴りはそれだけで相当な威力がありそうなものだったが、その足が刃であるぶん余計に強力な一撃であり、芦屋さんがここぞと言うときに放つ上段回し斬りとでも言うべき技だ。
「くっ!」
桐沢はその一撃をジュエルでどうにか捌き、その後芦屋さんが無防備になる一瞬を狙おうとしていたようだが思いの外威力のあった攻撃によろめいた。
それでもどうにか体勢を保った桐沢が剣を振り上げようとした時にはすでに左足の刃を軸にした右足の後ろ回し蹴りが桐沢の眼前まで迫っていた。
「!?」
完全に不意をついた形で芦屋さんの蹴りが桐沢の顔面を捉えて吹っ飛ばした。
2人の戦いが始まって結構な時間が経ったがクリーンヒットはこれが初だ。
それを不利だと思われた芦屋さんが決めた。
「はあ、はあ、1発、決まったね。」
息を荒らげながらも芦屋さんは誇らしげに呟いた。
桐沢はジュエルを杖のようにして体を起こしながら蹴られた顔を拭った。
「くぅ、こんなやつにやられるなんて!」
格下だと侮っていた相手に一撃入れられて桐沢は悔しそうに顔をしかめた。
(これなら勝てるかもしれない。)
その時一際大きな熱気が僕の頬を叩いた。
「ッ!」
視線を横に向けると下沢の形成した境界にまとわりつくように赤と青の炎がうねりをあげていた。
炎の隙間から見えた下沢は辛そうだったが僕と目が合うと微かに微笑んだ。
(大丈夫、には見えないけど僕には何もできないから信じるしかないか。)
「茜。」
八重花は燃え盛る炎を一瞥するとしゃがみこんだ桐沢に呆れたような目を向けた。
「相手の力量も見極められないようじゃまだまだね。それに、手加減できるほど強くもないでしょうに。」
「うぐ、八重花さぁん!」
桐沢は情けない声を上げるとパンと頬を両手で叩いて気合いを入れ直した。
桐沢が立ち上がりキッと芦屋さんを睨み付けた。
「もう手加減しない。全力で叩きのめしてあげる。」
(はったり、か?)
これまでの桐沢の戦いを見る限り手加減しているようには見えなかった。
だが八重花と桐沢の会話が妙に引っかかって嫌な感じがする。
僕が知らず緊張して見守っていると桐沢がアルミナを天に振り上げた。
戦術を変えるのかと観察していた矢先、アルミナが桐沢の手元からゆっくりと光に包まれていった。
やがてそれは刀身すべてを包み込んで光り輝く剣となった。
「あれはまさか、グラマリー!?」
僕は驚きのあまり叫んでいた。
まさかジュエルがグラマリーを使えるようになるなんて完全に想定外だった。
(まずい。切り札があるとないでは精神的にも戦力的にも余裕が違いすぎる。)
かつて僕が芦屋さんに勝てたのもグラマリーが無かったことが大きい。
それが相手にはある事実は非常に危機的な状況だった。
「芦屋さん…やっぱり…」
「止めないでよ、半場。ここで引き下がるようじゃ、あたしは一生今の自分を嫌いなまま生きていくことになる。そんな人生を送るくらいなら、あたしは…」
芦屋さんは力の違いを前にしても芦屋さんは引き下がろうとはしなかった。
だがもはやその行動は勇気ではなく無謀に近い。
救われない未来を捨てるために戦いに身を投じるようにすら感じられた。
「茜、真奈美の心の拠り所であるジュエルを叩き折ってあげなさい。」
「はい、八重花さん。たあああ!」
光を纏う剣を振り上げて桐沢は芦屋さんに斬りかかった。
「…。」
叶は血みどろで気を失った芳賀を庇うようにデーモンの前に立ち塞がった。
「あ…。」
デーモンは戸惑うように足を止め、叶の剣幕に押されるように後退りした。
(裕子ちゃん。)
デーモンの向こう側の壁に裕子がぐったりした様子で壁に寄りかかっている。
首を回して振り返ると芳賀が完全に地面に倒れた。
見た限り重症だったが生きてはいるようだ。
(芳賀君。)
2人のことは心配だったが今は目の前のデーモンを何とかしないといけない。
叶は正面で立ち尽くすデーモンに臆さず声をかけた。
「…やめて、私のお友達を傷つけないで。」
「とも、だち…」
デーモンは呟きと叶を見、裕子を見た。
だが叶の後ろに倒れた芳賀を見た瞬間に再び憎悪の念が膨れ上がり殺意が黒い炎として腕に燃え上がった。
「友達、奪う奴は、みんな死んじゃえばいいんだ!みんなみんな、死んじゃえ、にゃはははははは!」
狂った笑いが高架下に響き、叫びに空気が震える。
叶はグッと足に力を込めて堪えると両手を左右に広げた。
「…やっとわかったよ、真奈美ちゃん。陸君がしたことの意味と、真奈美ちゃんが感謝していた理由が。」
どうして陸は真奈美の左目をつぶしてまでジュエルを取りだしたのか。
それは真奈美をジュエルの力から救うために仕方がない事だった。
どうして真奈美が目玉をつぶされたのに陸に対して感謝をしていたのか。
それは自分が自分じゃなくなるのを救われたからだった。
これまで漠然としか理解していなかった両者の思いを叶ははっきりと理解した。
だから叶はしっかりと大地を踏みしめてデーモンの前に立つ。
「友達だから、見過ごせないよ。だから絶対に救ってあげるからね。…久美ちゃん。」
「かな、っち…」
叶は全てを理解した上でデーモンと化した久美に近づく。
だがデーモンの手には依然黒い炎が揺らいでいる。
触れれば叶など燃やしつくしてしまうであろう脅威を前にしても叶の歩みは止まらない。
デーモン自身も今にも飛び出すのを我慢しているように震えていた。
叶にはそれが久美としての意識だと信じていた。
(よく覚えていないけど私は黒原君をこの姿から元に戻すことができた。きっとそれは偶然じゃない。今はそう信じる!)
叶はデーモンから少し離れた所で立ち止まると両手を前に突き出した。
「むむむ。」
そのまま手のひらに集中するように力を込めてみるがある意味当然のごとく何も出てこない。
自分の力を自覚したこともないのにそんな魔法みたいな力がポンポン飛び出すわけがなかった。
叶の意味不明な行動にデーモン化した久美も呆然としていて微妙な雰囲気が漂う。
「おい、誰かいるのか?」
「!」
「!?」
不意に高架下に反響する声があった。
驚いて振り返るとこの辺りを見回っていたらしい中年の男性が近づいてきていた。
光の加減でシルエットしか見えないらしく2人にゆっくりと寄ってくる。
「来ちゃダメで…」
「邪魔者ー!」
「う、うわぁ、化け物!」
叶の制止よりも一瞬早く部外者の介入によってタガの外れたデーモンが飛び出し、異形だと気付いた男性が悲鳴をあげながら逃げ出した。
だがあらゆる能力が強化されたデーモンから一般人が逃げ切れるわけもない。
すぐに追い付かれ
「うわっ!」
炎を纏った爪が襲いかかった。
運よく躓いたことでその一撃をどうにか避けられた。
「あひぃ、し、死にたくない!」
男性は立ち上がることも忘れて這ったまま道路に出る。
だがその時すでにデーモンは男性のすぐ後ろまで迫っていて心臓を刺し貫かんと腕を後ろに引いていた。
叶も駆け出したが距離と脚力の差で到底間に合わない。
「た、助けて!」
「邪魔者ぉ!」
(駄目!このままじゃ久美ちゃんが、人殺しになっちゃう!)
この時、叶は以前の陸と同じ思考だった。
誰かを傷つけた後では元に戻れたとしても心に深い傷を負ってしまうかも知れないと。
その為にはどんなことをしても止めなければならない。
(陸君が真奈美ちゃんの左目を潰してまでその心を救ったみたいに私も久美ちゃんを絶対に助ける!だから、お願い!)
叶は胸の奥が熱くなるのを感じた。
それは体に広がり、そして…
赤い世界に淡くも力強い光の柱が立ち上った。
デーモンが破壊の手を止めて空を見上げる。
「わたくしのコロナ、ではありませんね。」
「誰かのグラマリーですの?」
「でも、暖かい感じがする。」
撫子たちも足を止め
「なんだ、ありゃ?」
由良は呆然と見つめ
「あの、光は…」
蘭は眩しそうに目を細め
「…選ばれし者。」
明夜は目を閉ざして呟いた。
光が立ち上るより少し前…
グラマリーを発動した桐沢の猛攻に芦屋さんはいよいよ追い詰められていた。
ジュエル同士をぶつけるだけでも力負けするだけでなく刀身が光に溶かされ、光の刃は芦屋さんの射程外からの攻撃を可能にした。
ジュエルだけでなく芦屋さん自身もボロボロで、壁に叩きつけられて電信柱を支えにどうにか立っている状態だった。
「さすがにもう限界ね。これで終わりにしてあげる。」
桐沢は芦屋さんがもうまともに動けないことを知っているからゆっくりと近づいていく。
そして止めを刺すために光を纏ったアルミナを振り上げた。
「待ちなさい、茜。」
ゴォォ
それを遮ったのは八重花のドルーズだった。
飛び出そうとしてた桐沢は危うく丸焦げになりかけて盛大に後退した。
「な、何するんですか、八重花さん!?」
八重花はゆっくりとこちらに近づいてくる。
下沢は憔悴した様子で立っていたが追撃する余力がないなのか八重花の行動の真意が掴めず様子を見ているだけなのかは判断できない。
「真奈美には少し聞きたいことがあるのよ。」
「八重花と話すのは面会謝絶が解かれた日以来だね。薄情な親友だ。」
ボロボロだと言うのに芦屋さんは挑発するようなことを言って笑う。
だが八重花も芦屋さんの性格はよく知っているため目くじらを立てるような事はない。
「優先順位の違いよ。便りがないのは元気な証拠じゃないけど何かあればお見舞いに行く気はあったわ。もっとも、その何かに今日まで気付けなかったけど。」
八重花は自嘲するように笑うと視線を芦屋さんのジュエルに向けた。
「聞きたいことは1つだけ。真奈美、その力はいったい何?」
最初、その質問の意図が理解できなかった。
芦屋さんも不思議そうにしていたので僕は尋ねてみた。
「何って、ジュエルでしょ?」
僕と芦屋さんにとって当然の疑問を八重花は首を横に振って否定した。
「それはあり得ないのよ。りくは知らないと思うけどジュエルはヴァルキリーへの謀反を防止するためにヴァルキリーのためにしか力を使えないようにされているの。」
「そうでしたね。失念していました。」
下沢が相づちを打ったので間違いないようだ。
そうなると確かに芦屋さんの使っているのはジュエルではあり得ない。
ヴァルキリーと戦うためにヴァルキリーに従うジュエルを扱うのは矛盾している。
「でもこの力は華凰先輩から与えられたものだよ?」
「でもそれはりくに壊されたんでしょ?左目と一緒に。」
真相を聞いていないはずの八重花もさすがに今までの情報と芦屋さんの姿を見れば理解するか。
僕としては思い出したくない過去だが目をそらすわけにもいかない。
「…そう、だね。」
芦屋さんもあの時の事を思い出しているのか左目の眼帯を手でなぞる。
「それなら、もう一度真奈美にジュエルを与えた人間がジュエリアの命令を書き換えて与えたとしか考えられないわ。いったい誰にジュエリアを貰ったの?」
八重花は険しい剣幕で詰め寄る。
謎を謎のままにしておけないのか芦屋さんを心配しているのか、それよりも僕は今の会話で重大なことに気付いてしまった。
(芦屋さんにジュエリアを与えた人?)
僕が芦屋さんのお見舞いに行った日、ジュエルの力を使って見せてくれた芦屋さんは言っていたはずだ。
ピリリリリリ
思考が終点に到着する直前、僕の携帯が鳴り出した。
戦闘中に不謹慎だが今なら大丈夫だろう。
「もしもし?」
「陸さん。」
電話の相手は琴さんだった。
「今ちょっと立て込んでまして…」
実際、八重花とか桐沢の視線が痛い。
長電話していると攻撃されそうな様子だった。
「それでは手短に伝えましょう。」
琴さんはわずかに喜びの含む声色でこう告げた。
「目覚められました。」
その瞬間、駅前から少し離れた線路沿いから淡く優しい光が天に向かって立ち上った。
皆は何事かと目を見開いて驚いていたが僕には見覚えがあった。
(あの光は…叶さん!)
そしてその光を見た瞬間に思考の糸が繋がった。
芦屋さんが再びジュエルを手に入れたのは叶さんの持っていた願い石を使ったからだ。
だが叶さんのジュエリアは使われた形跡はなかった。
ただ発動しなかっただけとも考えられる。
でも僕は直感的に理解していた。
無色の宝石は別の力を蓄える器として作用したんじゃないだろうか。
僕は確信して振り返る。
芦屋さんは光の柱を見てはいなかった。
だが光を見つめている。
空ではなく同質の光を放つ自らの足、剣の義足に。
「なんだ、これ!?」
困惑した芦屋さんの声に皆が振り向いたとき、一際強くジュエルが輝き、周囲を光で包みこんだ。