第15話 騒がしき乙女たち
僕を迎えるように立ち上がった女の子を見て気づいた。
(よく見たら夢で見た女の子だ。)
等々力に襲撃された日ファーストフード店で見た夢、隣に座っていたのが明夜だったことが印象的で忘れていたが向かい側に座っていたのは羽佐間先輩とこの子だった。
(それにしても…小さい。)
作倉さんは結構小柄な部類に入ると思っていたがこの子はさらに小さい。
150前半かもしくは切っているかもしれない。
顔も童顔だから制服を着ていなければ高校生とはわからない。
というか制服を着て紛れ込んだ中学生と言われた方が納得できる。
「君が半場陸くん?それじゃあ、りっくんね。」
一瞬アニメの萌えキャラが浮かんだ。
目の前の女の子はまさにそれであり、一部男子が癒されたような顔をしていた。
ネーミングに関しては無難としか言いようがない。
「ハンバーグでもいいけど?」
「りっくんでいいよ。」
変なあだ名をつけられるよりはましだと思うことにした。
「それで、君は誰?」
「江戸川乱歩。」
とんでも嘘だった。
大体本物は男だ。
「…。」
「ああ、無言でぶとうとしないで。ランは江戸川蘭、よろしくね。」
キュルンと星がバックに浮かびそうな笑顔は本当に二次元から飛び出してきたのでは無かろうかと思えてしまうほどらしかった。
「それで、江戸川さんは…」
「蘭ちゃん。」
江戸川さんは僕の話を笑顔で区切った。
笑顔なのだが瞳は燃えている。
「…。江戸川…」
「ランちゃん。」
「…。エドガー…」
「ケイシー。アカシックレコードの人。」
マニアックな知識を持っていた。
「もー。蘭ちゃんか蘭さまかランランて呼んでくれないと答えないよ。」
プンプンと腰に拳を添えて怒っている…らしいが萌え要素にしか見えない。
どっかのバカが
「蘭さまーっ!」
と呼ぶと
「はーい!」
と元気に返事をする、イタイ光景が目の前にあった。
「…それで、蘭さんはいったい何の用なの?」
蘭さんはなおも不服そうだったが
「まあ、最初だからいいか。」
と妥協してくれた。
正直とても疲れる。
「ランはね、今学校で噂になってる“あの”言葉を言ったりっくんに会いに来たんだよ。」
悪意なく僕と周囲のかさぶたを剥ぎ取る蘭さん。
怒りが再燃したらしい男子が物凄い形相で涙を流していた。
「なんで?」
「楽しそうだったから!」
なんの躊躇もなく答えるとにんまりと笑みを浮かべた蘭さんは
「えいっ!」
あろうことか僕に抱きついてきた。
「わっ!何やってるんだ!?」
「ラン、りっくんのこと気に入っちゃった。すきすきー。」
蘭さんはじゃれつく猫みたいに僕の胸に頭を擦り付けてきた。
女の人と抱き合った経験なんて皆無な僕はどぎまぎしてしまって動けず、ギャラリーは怒号と悲鳴と歓声で騒がしくなっていく。
「とにかく、離れて。」
「むふふ、良いではないかよいではないかー。」
蘭さんは僕の反応が楽しいらしく離してくれる様子はない。
「うおー、羨ましい!」
「俺も幼女に虐められたい!」
「蘭さまー!」
一部本能を解放した男子が血涙流しながらドロップアウトしていたが僕はもう限界だった。
誰か助けてくれないかと視線を巡らせた先には
「(うるうる。)」
ドアから半分だけ顔を出して涙を流している作倉さんがいて、その後ろにとても楽しそうな久住さんたちが続いていた。
「久住さん、たすけ…」
「いやー、こんな美少女たちとの会食をぶっちして何をやっているのかと思えば、ねえ?」
いけない。
久住さんがとてもいたずらっ子の顔をしていらっしゃる。
「にゃはは、衆人環視での抱擁、大胆ー。」
「今回はロリだった。次は…」
「(うるうる。)」
「ほらほら、泣かないで。」
この状況で普通に話しかけてきてくれるのは助かるが、どうしてか消火器ではなく油がやってきたようにしか思えない。
頼みの綱の作倉さんは泣いていて当てになりそうにない。
いよいよ万事休す。
「あー、りっくんが侍らせてる女の子たちが帰ってきちゃった。それじゃあ今日のところはバイバイね。またお話ししようね。」
意外にもあっさりと蘭さんは僕を開放してくれた。
すれ違いざま
「ソルシエールのこと、とかね。」
僕にだけ聞こえるような、およそ同じ人間が発したとは思えない冷たい声を残して蘭さんは教室から出ていってしまった。
嵐の原因が去った教室からは野次馬が離れていき、昼休み終わり間際の雰囲気を取り戻しつつあった。
僕は蘭さんの去ったドアを見つめている。
(予想はしていたけど…何者だ?)
明夜、羽佐間先輩といる夢に出てきた以上関わりがあるとは思っていたがまだ名前以外素性が知れない。
ヴァルキリーのホームページに江戸川蘭の名前はなかった。
サイトが偽装である可能性もあるが明夜や羽佐間先輩のようにヴァルキリーとは関わらない魔剣使いなのかもしれない。
蘭さんのことも調べなければならなくなった。
だけどその前にやらなければならないことがある。
「さて、いったい何がどうしてこうなって、叶が泣いているのか説明してくれるんだよね、半場くん?」
興味に友情と若干の怒りをブレンドした久住さんたちをどうにかしなければならない。
(うう、胃に穴が開きそう。)
最近精神衛生上よくないことが多いなと考えながら証言台へと導かれていくのだった。
羽佐間由良は建川の町並みを見下ろせるビルの屋上に立っていた。
靡く髪に気を払うこともなく町を、空と大地の狭間を見つめている。
「腐ってる。」
由良の呟きは誰の耳にも届かない。
当然の結果を前に由良は歯をぐっと噛み締めた。
「町も、人も、世界でさえ、何もかもが腐ってる。」
憎悪の念が高まるといつの間にか由良の左目は朱に染まり左手には玻璃が握られていた。
由良は玻璃を手すりの向こうに突き出すと、なんの躊躇もなく手放した。
神秘の力で顕現した剣も物理法則に従って自由落下していき、やがて視認できなくなった。
ビルの下に目を向けていた由良は忌々しげに舌打ちした。
ぐっと握り込む手には、たった今落としたはずの玻璃が握られていた。
「あいつは、どこにいる?」
虚ろな瞳で何処かを見つめながら呟く言葉に返事はない。
玻璃を眼前に突きだしてその憎悪をすべてぶつけるが水晶のような刃は一点の曇りもなく陽光に照らし出されていた。
由良はもう一度舌打ちをして玻璃を下ろした。
「絶対に見つけてやる。」
暗い決意を胸に由良は踵を返して屋上の出口へと向かう。
「そして、絶対に…」
扉の閉まる直前、呟かれた由良の声はドアと風の音に阻まれて、やはり誰の耳にも届くことはなかった。