第148話 疑念と不安
ギン
ギン
刃のかち合う音が響く。
武骨な2つのアルミナが鎬を削っていた。
「ぐっ!」
「はあ!」
だが明らかに芦屋さんが苦戦していた。
だがそれも仕方がないと思った。
「ふっ!」
「トリッキーな動きだけど、その程度!」
「くっ!」
芦屋さんのジュエルは足から直接伸びている。
太ももの中程からすべてが刀身だと言える。
それは人間の死角に近い下からの攻撃を可能にする利点はあるもののそれ以上に上からの攻撃を受けづらい不利点を生じる。
相手が拳なら腕で防ぐこともできるだろうが剣が相手では受けるか避けるかしかない。
左足が刃であるため跳躍はすべて右足を使わなければならず攻撃を受けるためには足を振り上げなければならない。
「どうしたの?もう息が上がってきたの?」
「これでもまだ入院患者だからね。無理な運動は医者に止められてるんだよ。」
ただ構えるだけで攻撃にも防御にも移ることができる手持ちの剣とは何もかもが違っている。
「だったらもう1回病院に送り返してあげるよ!」
それでも芦屋さんはよく戦っている。
鍛練を積んでいるであろうヴァルキリーのジュエルを相手に遠心力を利用した強力な斬撃を浴びせかけ、相手の攻撃は基本受けるのではなく避け、甘い攻撃は攻撃を返して押し返す。
とても再起して初めての実戦だとは思えない戦いぶりだ。
「やあああ!」
だからこそ、惜しい。
芦屋さんの放った蹴撃は桐沢のアルミナによって受け止められた。
刃に手を添えて防いでいるところに芦屋さんの攻撃の威力が窺えるが通らなければ意味がない。
「くぅ、いいね。こうでなきゃ。」
もう少し早く芦屋さんが実戦に参加してジェムとの戦いから義足剣の有効な使い方を学べていればいい勝負になっただろう。
「どんどん行くよ!」
「うっ!」
今の桐沢と芦屋さんは実戦技能において大きな差があった。
間合いの取り方、相手の動きへの注意の仕方、基本となる太刀筋と防ぎ方、基礎の部分のあるなしが両者の明暗を分けていた。
「芦屋さん!」
僕は堪らずInnocent Visionを発動して助言をしようとしたが
「半場、ここはあたしがやるんだ。手出しは無用だよ。」
ボロボロになっているのに芦屋さんは僕の目を拒んだ。
後ろからだが見なくてもわかる。
芦屋さんの目は死んでいない。
「最後までやるよ。」
「これで最期かもしれないけどね。」
桐沢は目元を細めて芦屋さんに斬りかかった。
芦屋さんはそれを振り上げた義足剣で弾き距離を取る。
僕はただそんな戦いを見守ることしかできなかった。
視線をその向こう側に向けると炎が舞い踊っていた。
八重花はジオードとドルーズ、2つの炎を操って悠莉を攻めていた。
だが悠莉の生み出す境界の壁は鉄壁で貫くことが出来ない。
しかも下手に接近してコランダムに放り込まれるのは周囲の感想を聞いただけで是非とも遠慮したいところだった。
よって2つの炎により遠距離から削る作戦を取っていた。
パキン
悠莉の作った壁が炎の熱と圧力で砕け散った。
穴に炎が殺到するが悠莉はすぐに新しい壁を形成して炎の侵入を防ぐ。
(埒があかないわね。)
1対1の戦いで悠莉が防御に専念したときは攻撃するだけ無駄と気付きつつも八重花は炎を消さない。
攻め続けていれば穴が開くかもしれないし、単調な戦いをしていれば隣の様子を見る余裕があるからだ。
八重花の意識は真奈美に向けられていた。
(真奈美がジュエル、全然知らなかった。)
真奈美がジュエルになったのは八重花が知るより前で、その時には力を失っていたのだから知らなくても仕方がない。
(義足のような剣、ジュエルにはあんな力があったのね。)
武器の形態は使用者によって様々で剣だけではない。
さすがに弓や銃のような飛び道具は見たことはないが槍や槌など様々な種類やサイズが存在している。
それはもしかしたら所有者の望んだ形を取るのかもしれない。
真奈美が望んだからこそ、真奈美はここにいる。
「戦闘中によそ見とは、随分と余裕ですね。」
悠莉の声に意識を戻すが戦局は何一つ変化していない。
パキンと壁が壊れて青い破片が飛び散り、再び壁が形成されるのまで焼き回しのようだ。
「文句があるなら現状を打開してからにして。ずっと私のターンじゃつまらないもの。」
そう言いつつも八重花は炎の勢いを弱めるどころか増す。
熱すら遮断する障壁を展開しているのにも関わらず悠莉は額に汗を浮かべて無理しているような笑みを浮かべると壁の維持に注力した。
フンと鼻を鳴らして視線を再び隣の戦いへ。
(真奈美は自分の武器の特性を考えたいい動きをしている。グラマリーを発現する前の茜とならいい勝負…)
茜がグラマリーを手に入れたときのことを思い出した八重花はハッとなって真奈美を見た。
真奈美は苦しい戦いながら自分の持てる力の全てをぶつけるようにジュエルを使って戦っている。
それは多分自分のため、そして陸のため。
だが八重花はその違和感に気付いてしまった。
(あり得ない。だって茜は…)
八重花の炎の出力が動揺に呼応して不安定になる。
だが不安定だからこそ悠莉は攻められず防御に専念した。
(ジュエルは、ヴァルキリーのためにしか戦えないはずなのに…)
茜はヴァルキリーの八重花のために戦うことでジュエルを自由に発現させられるようになった。
だが真奈美にそれは当てはまらない。
だと言うのに真奈美の力はジュエルのソレだった。
(あれは…何?)
八重花の疑念に答える者はなく、戦いは熾烈を極めていく。
芳賀と裕子は叶たちと別れた場所から少し移動して線路の高架下で身を寄せあって座り込んでいた。
さすがに異常事態のため電車は通過せず、町の騒ぎも届かないので世界は静寂に包まれていた。
だが人は騒音を嫌うのと同時に無音を嫌う。
自分の心音しか聞こえない世界では本当に周囲に物体があるのか知覚できなくなるため不安を抱く。
悠莉のコラン-ダムがそれに当たる。
「雅人くん、これが終わったらまたデートしようね。」
無音と恐怖の感情を振り払うため2人は手を握り体を寄せ合い会話をしていた。
声と体温で互いが存在していることを確かめ合う。
「もちろん。どこにだって連れていってやるよ。」
「楽しみだね。」
2人は会話の裏に潜む生きて帰れないかもしれないという不安をひた隠しにして楽しげに会話を続ける。
他愛ない話ばかりだがまるで話が途切れたら相手が消えてしまうのではないかと思ってしまうほどに2人は追い詰められていた。
「それでね、…あ。」
その会話が途切れた。
裕子の驚いた表情に芳賀も振り返って見るとそこには赤い空を背に久美が1人で立っていた。
叶の姿はない。
何でもない日常の一コマなら2人きりの時間を邪魔したことに軽い文句を言うところだが今は1人でもそばにいてくれた方が心強いので2人はすぐに表情を和らげて受け入れた。
「どうした?やっぱり危ないから戻ってきたのか?」
「叶は?」
二人は声を和らげて語りかけるが久美は俯いて立ち尽くしたまま答えない。
「にゃは…」
逆光でよく見えない久美の口が歪み、笑い声が漏れた。
「にゃは、にゃははは。」
その声は次第に大きくなり、久美は体を震わせながら膝をついて蹲る。
「久美!?」
「待て、様子が変だ!」
駆け寄ろうとする裕子の腕を掴んで芳賀は自分の後ろに庇う。
どう考えても久美の様子はおかしい。
だから芳賀の取った態度は正しかった。
だが僅かに顔を上げた久美の目がギョロリと芳賀を見た。
「…やっぱりだ!」
久美はダンと両拳を地面に叩き付ける。
久美らしくない大声と行動、その奇行に2人は怖くなって後退った。
それを見て久美の顔が泣き出しそうなほどに歪む。
「どうして、逃げるの?どうして、置いていこうとするの?どうして、みんな連れていっちゃうの?」
「久美、しっかりして、久美!」
裕子の叫びも耳に届いた様子はなく久美は地面をガリガリ、ガリガリと爪で掻く。
アスファルトの固い地面は久美の指の皮膚を削り、爪を剥がし、肉を挽いて血を吹き出させる。
それでも久美はその行為を止めようとはしない。
そんな異常な光景に芳賀と裕子は血の気が引いて動けなくなってしまった。
「前はみんな一緒だったのに。」
流れた血が手を真っ赤に染め、飛び散った血が目に入り眼球が朱色に染まる。
「なのにまなちぃが居なくなって、やえちんが離れていって、かなっちも他の人と一緒にいることが多くなって…ゆうちんまで、とられちゃった。」
手を止めて顔を上げた久美は、泣いているように笑っていた。
「1人はやだ。1人にしないで。1人に…ひとりに…」
うわ言のように呟いていた久美の瞳から焦点がぶれていく。
芳賀と裕子を見ているようでその目はもっと別のものを見ているようだった。
理解できる言動と理解不能な行動に芳賀と裕子は口を挟むこともできず抱き合いながら久美の行動に警戒していた。
「1人にした、そいつが憎い。りくりくがまなちぃとやえちんとかなっちを奪った。」
怨嗟の声がまるで黒い闇として吐き出されたように久美の周囲に黒色の煙が現れた。
闇に掠れていく久美の姿の中で朱色の瞳だけがギラギラと輝いていた。
「久、美?」
今日1日で赤く染まった世界に異形の化け物と"非日常"を体感してきた裕子は現実を理解することを放棄した。
目の前でグチュグチュと音をたてながら久美じゃないものに変わり行く何かを理性が認めることを拒んだ。
「マヂ、かよ?」
芳賀はグッと歯を食い縛り裕子を抱き締めている現実感と裕子を守るという使命感でどうにか目を逸らさずにいた。
「ゆうちんを…奪った…バカが…憎い。」
「ちっ、成績は同レベルのくせにバカって思ってたのか。」
虚勢で強がってみるが芳賀の膝はずっと震えっぱなしだった。
目の前にいるのはもう久美ではなく
「奪った奴、みんな、消えちゃえ!にゃはははははははは!」
悲しみと怒りの感情に飲み込まれて化け物に成り果てたデーモンがいるだけだった。
芳賀は放心して虚空を見つめたままの裕子をぎゅっと強く抱き締めると壁に寄り掛からせた。
デーモンは芳賀の背中を狙うことはなく待っている。
「絶対に無事で戻ってくるからな。」
芳賀は裕子にキスして立ち上がる。
振り返った先にはいまだに信じられない変容を遂げた友人がいる。
「やっぱ俺が狙いかよ。目を覚ませ、中山。」
芳賀は見よう見まねでボクシングの構えを取る。
もはや言葉が通じない状況にあることくらい、眼前からの突き刺さるような殺気のこもった視線で嫌というほど理解していた。
それでも声をかけずにはいられない。
久美は裕子の親友で、芳賀にとっても友人なのだから。
「憎い…邪魔。邪魔は、殺す…いなくなる。にゃははは!」
だがその思いは届いていない。
どこが口かもわからない顔で狂ったように笑い続けるデーモンを見て芳賀も覚悟を決めた。
「動けなくなるくらいぶん殴って正気に戻してやる。中山は裕子の親友だからな!」
「ゆう、ちん…」
「うおおおお!」
人気のない新たなる戦場で男・芳賀の戦いが幕を開け
バチン
「ぐはっ!」
一発のビンタで壁に叩きつけられて決着がついた。
どんなに意気込んだ所で何の武器も持たない一般人がジェムに勝てる訳がなく、それよりもさらに強いデーモンに太刀打ちできる訳がなかった。
芳賀は生きてこそいるものの背中を強打した衝撃で骨が何本か折れ、肺の空気が空になったことで酸欠になりグロッキー状態だった。
重力に引かれてズルズルと滑り降りると背中が擦った部分の壁に真っ赤な血が塗りたくられた。
ヒューヒューと掠れた呼吸を繰り返しながらぼやける視界で顔をあげる。
デーモンはゆっくりと芳賀に近づいてきた。
「殺す。殺せば、ゆうちんが帰ってきてくれる。りくりくを殺せば、みんな帰ってきてくれる。にゃはははははははは!」
(それは、違うだろ。もしそんなことをしても誰も喜ばないぞ。)
朦朧とする意識の中で久美に伝えたい言葉が思い浮かんだが言葉はおろか指の1本もまともに動きはしない。
(は、はは。結局俺はこの程度のモブってわけか。陸ならなんとか出来んのかな?)
なんとなく陸のことを思い出していた。
不思議な男だった。
決して目立つ方ではないのにいつも女子に囲まれていて、色んな人に恨まれて妬まれて苛められることだってあったのに、それでも自分の芯を揺るがさない強い心の持ち主。
(俺は、陸の強さに憧れてたのかも知れないな。)
「はは…」
芳賀は全身に走る痛みに意識が飛びそうになるのを堪えて立ち上がろうと壁に手をついた。
「中山に殺せるのか?陸は強いぜ、きっと。」
だが力が入らない。
「りくりくは殺す。でもバカを殺してゆうちんをォォォ!」
もはや思考の全てが殺人衝動に染まったデーモンには挑発も意味を成さなかった。
そもそも戦う力なんて残っている訳がない。
呼吸をするだけで死にそうで、意識を保っているのがやっとだ。
(悪いな、裕子。デート、行けないかもしれない。)
目蓋が降りてくる。
その向こうから腕を振り上げたデーモンが近づいてくる。
頭を打ち砕く一撃を見届ける前に芳賀は意識を手放した。
最後に聞いたのはザッと地面を踏み締める足音だった。