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Innocent Vision  作者: MCFL
138/189

第138話 Innocent Visionという証明

翌朝もヴァルハラは厳粛な空気に包まれていた。

「…今朝の新聞でこの地区での行方不明者の増加に触れる記事がありました。今はまだ犯罪組織の暗躍という仮説を述べるだけの小さな記事ですが被害者が増加していけば注目を浴びてしまうことになります。」

ため息こそつかなかったものの疲れたような表情でそう前置きした撫子はキッと目を正面へ向ける。

「その状況下であなたもですか、良子さん?」

本日の容疑者は等々力良子。

昨日の美保と違い恐縮した様子ではあるものの気休め程度にしかならない。

「昨晩ジュエルと戦いましたね?」

今回は率直に尋ねる。

だが良子は首を捻った。

「それが、よく覚えてないんですよ。全力で走って頭がボーッとなってて。」

明らかに糾弾される立場に置かれてしまったため良子は走り出した衝動の理由である陸との遭遇については話していない。

話せばその対処に皆から文句を言われ、何より八重花に心の内を悟られてしまうから。

「あたしの前に敵が出てきたから倒しただけです。」

抑圧された衝動の爆発による戦闘の歓喜は感覚にしか記憶していない。

だが手を見れば震えていた。

恐怖ではなくまたあの快楽を味わいたいと。

良子は拳を強く握り締めてその甘美な感覚を断ち切る。

「ジュエルは武器を持っていましたか?」

「覚えてません。けど服のあちこちに切り傷がついていましたよ?」

「自傷の可能性がありますのでそれだけでは交戦した相手が武装していた理由にはなりません。」

良子の弁明にもにべもなく、重たい沈黙に包まれる。

美保は昨日の事を思い出して不機嫌そうに顔をしかめた。

今日もまた意見の相違から口論に発展するかもしれない、傍観者に近い緑里とヘレナは危惧していた。

だが、その沈黙を破る者がいた。

「ですが、"Innocent Vision"もトラブルに見舞われていたようです。」

悠莉は常と変わらない微笑みを湛えながら一石を投じた。

全員が情報の出所の不明さに目を細めて気を張る中、緑里がその点について尋ねる。

「"Innocent Vision"の誰かに会ったの?」

悠莉は隠す素振りも見せず頷いた。

「はい。柚木明夜さんに。ジェムとの交戦直後に遭遇して戦闘に発展しかけたのですが電話が入りました。電話の内容は聞き取れませんでしたが急いでいたようでしたので不測の事態が起こっていたのではないでしょうか?」

昨晩の出来事を淀みなく話す悠莉の言葉に美保は首をかしげる。

「それがジュエルのジェム化に繋がるのよ?」

悠莉は美保だけでなく全員の顔を見回した。

疑い、信頼、いろいろな感情の隠った視線が集まっている。

八重花の瞳の奥にすら微かな興味が見てとれた。

見られていることに悠莉はえもいわれぬぞくぞくした感覚を受ける。

それを胸の中にしまい話を再開する。

「いいですか?"Innocent Vision"はインヴィの力で未来地図を作っています。完全にすべての未来が記されているとは思えませんから戦いに関する未来を選択的に記していると考えられます。」

その意見に異論はない。

撫子をはじめ皆も同じことを考えていたからこそ"Innocent Vision"から地図を奪おうとしたのだから。

「それで?」

「その地図に従えば未来は確定したも同然です。…では、なぜ不測の事態が発生したのでしょう?」

「!?」

見落としていた、本来ならば当たり前の事実を突き付けられて皆が息を飲んだ。

「それは、ジェムが予想以上に強かったとか。」

「ジェムに"Innocent Vision"のソーサリスを苦戦させる力があるのでしたらすでに投入されているでしょう。」

もはや反論はない。

「悠莉さん、貴女の結論を聞かせていただけますか?」

撫子が答えを促し、悠莉は頷いた。

「つまり不測の事態とはインヴィのInnocent Visionですら感知できない事象であると考えています。それこそ一般人が突然ジェムに変化するような事象が起こらない限りインヴィを出し抜くことなど不可能ですよ。」

悠莉が並べたのは状況証拠に過ぎない。

もしかしたら明夜の電話は家族が倒れたという連絡だと考えることだってできる。

だが既にヴァルキリーの中で答えは決まりつつあった。

美保と良子の遭遇した敵と悠莉の推察した内容から。

「しかしその話だけでは…」

撫子も半ば認めつつも決定打に欠ける証拠に疑念を抱かずにはいられない。

ヴァルキリーの長として誤った情報で同胞を危険に巻き込むわけにはいかない。

(同胞…仲間です。ここにいる皆、そして葵衣はわたくしの部下などではありません。)

「それなら私もカードを開けます。」

そう切り出したのは今まで黙っていた八重花だった。

「昨日の時点で人がジェムになる事象を"Innocent Vision"は2人目だと言っていました。その口ぶりから変化したのはジュエルではなく、これは私の推察ですけどそれは知り合いだったようです。」

またも出てくる"Innocent Vision"からの情報に怪訝な顔になりつつも気になる内容に皆が注目していた。

「ですが男性がジェムに変わるのは以前と同様の傾向です。それでは証明になりませんよ?」

八重花は分かっているとばかりに頷いてみせる。

「それは当然"Innocent Vision"も承知しているはずです。その上で同じではないと断言する何かを掴んだのでしょう。そして驚くこともなくジュエルのジェム化、あちらではデーモンと呼んでいるみたいですが、2人目だと言ったということは…」

ゴクリと誰かの生唾を燕下する音が聞こえた。

「もはやジェムになるのに男も女も関係ないと。そう考えているでしょうね、私たちよりも多くの情報を持っているりくは。」

Innocent Vision、半場陸の思考という他者にとっては信憑性に欠ける前提はヴァルキリーにとっては真実として聞き入れられた。

「昨日はそんな事言ってなかったけど?」

「情報に価値のある現状、ペラペラと全部話してくれるわけがありませんよ。」

良子の呟きを八重花は呆れた様子で一蹴する。

陸には嘘をつかれて、衝動に追い立てられて疑われ、しまいには八重花にも叩かれる。

踏んだり蹴ったりだ。

撫子はとうとう小さくため息を漏らして顔をあげた。

「わかりました。不可解な状況ばかりのこの世界で常識を定義しようとしていたわたくしが愚かでした。今回確認された新種のジェムをインヴィが呼称するデーモンと認め、ヴァルキリーもデーモンの調査を開始します。美保さん、良子さん、疑ってしまいすみませんでした。これからもお2人の力をヴァルキリーの理想のために貸してください。」

頭を下げた撫子に2人は面食らい慌てて止めに入る。

「頭なんて下げないでくださいよ。花鳳先輩の気持ちも一晩経ったら分かるようになりましたから。」

「そうです。あたしらはヴァルキリーって仲間じゃないですか。」

糾弾してしまった2人から仲間と認められたこと嬉しさで涙を流しそうになった撫子は精一杯の我慢で笑顔を浮かべ

「ありがとう。」

そう告げた。

仲間の結束が強まった事を喜ぼうとした良子は同時に両肩に手を置かれた。

気のせいではなく指に力が入っている。

嫌な予感はしていたが振り返らないわけにも行かず、背もたれに仰け反るように頭を後ろへと向けるとヘレナと八重花が片や静かに怒りの形相で、片や絶対零度の無表情で立っていた。

「先ほど、昨日の夜にインヴィと会話をしたようなことを言っていましたわね?」

ギクリと今更ながら自分の発言の失態に気付いたが既に肩を掴まれていて逃げ出せない。

「りくに何か手を出してたら、どうしましょうか?」

触れた肩が焼けるような熱を感じ始める。

「じっくりと聞かせていただきますわよ。」

「ひぃー!」

結局洗いざらい吐かされてソーサリスとしての自覚をヘレナに説教されて良子は泣きっ面に蜂だ。

ただ一点の救いと言えば陸に手を出さなかったことを知った八重花に拒絶されなかったことくらいだった。



「叶、倒れたって聞いたけど平気?辛いなら早めに休んだ方がいいよ?」

「もう大丈夫だよ。」

叶さんが登校してくるとすぐに席の回りに人が集まった。

叶さんの人徳だろう。

僕としてはあの時何が起こったのか聞きたいところだが人が多い場所で話せる内容でもない。

放課後まで待つとしよう。

僕が席について叶さんの周りの人垣を眺めていると振り返った叶さんと目が合った。

少しだけ不安の見える表情から僕が聞こうとしていることは理解してくれているようだ。

僕は気を楽にして卒業とは全く関係ない授業に専念することにした。


話の機会は意外と早く訪れた。

「陸君、付き合ってもらえますか?」

緊張した面持ちでの誘いは普段なら大いに騒ぎが起きようものだが今日は静かだった。

見るとクラスメイトは何かを悟ったような顔をしていた。

「いや、わかってるさ。こんな場所で告白なんてするはずがない。だからこれは買い物に付き合ってとかと同列のことなんだろ?」

今更のように思うがクラスメイトの男子多数が盛大に頷いていた。

「半場が女子と仲がいいのはもう認めて、諦めた。ちょっとイラつくこともあるけどそういうものなんだと思うことにした。」

何であれ騒がれないのはありがたいことなので反論はしない。

「それに半場と仲良くしとけば女の子たちとお近づきになれるかもしれないし。」

それが本音か。

「そういうわけで我々半場陸クラスメイトの会は生暖かく見守ることにした。度を越さない限り俺たちは慌てず騒がない。さあ、作倉さんが待っている。付き合ってあげるといい。」

自分の言葉に感銘を受けているのか涙を流すクラスメイトの会会長(?)。

「うん、ありがとう。それじゃあ叶さん、どこに行く?」

「あの、一昨日のお礼もあってお弁当を作ってきましたから…」


「うおおー!許せんぞ、半場ァ!」


途端に叫び出す半場陸クラスメイトの会。

「手作り弁当なんて友達のすることじゃない!」

「半場は俺たちの思いを踏みにじった!」

「私だってまだりくにお弁当作ってあげてないのに。」

若干別の声が聞こえた気がしたがここにいても仕方がないので叶さんの手を引いて教室を飛び出す。

「逃げたぞ、追えー!」

「弁当は俺のもんだー!」

久々にクラスメイトとのデスマッチ鬼ごっこが始まった。


「はあ、ひぃ、もう、追っかけてきませんか?」

「たぶんね。大丈夫?」

どうにか逃げ切って空き教室に飛び込んだ僕はばててしまった叶さんを休ませてドアの所で警戒していた。

こっそりInnocent Visionを使って逃走経路を組み上げたので逃げ切れたとは思うが用心のためだ。

しばらく待ってみたが追跡者が来る様子は無かった。

「とりあえず大丈夫みたいだね。」

「そうですか。ふう。」

叶さんはホッと胸を撫で下ろすとしっかりと握っていた弁当を机の上に広げた。

「美味しくできたか分かりませんけど、どうぞ。」

促されるままに席について箸を受け取る。

「いただきます。」

僕は手を合わせると改めて弁当箱の中身に目を向けた。

黄色い玉子焼き、冷凍ではないミニハンバーグ、たこウインナー、ほうれん草のおひたし、そして白いご飯。

若干和洋入り乱れてはいるが色合いもよく食欲をそそられる。

叶さんが不安げに見守っているので玉子焼きに箸を伸ばしてそのまま口に放り込む。

甘い玉子焼きは邪道だと言う人もいるようだが僕はむしろ好きな方だ。

「美味しいよ。」

叶さんはにこりと笑い、僕の分より一回り小さい弁当を開いた。

パクパク

「…」

パクパク

「…」

どうも叶さんの表情が暗いような気がする。

もしかしてまだ体調が悪いのかもしれない。

「叶さん、一昨日の…」


「ご、ごめんなさい!」


事でまだ万全じゃないならと言う前になぜか全力で謝られた。

わけがわからず返事ができない僕の前で叶さんが勝手に落ち込んでいく。

「ごめんなさい。陸君たちはみんなを守るために戦ってくれているのに邪魔をしようとしてしまいました。あのあと…黒原君はどうなりました?」

叶さんの疑問に僕が疑問を持った。

(もしかして覚えていないのか?)

「黒原君がどうなったか見てなかった?」

「…はい。陸君を止めた辺りで気を失ったみたいですね。」

「…黒原君はどうにか元に戻して今は病院にいるはずだよ。」

「そうですか、よかった。さすが陸君です。」

(何なんだ、いったい?)

結局それとなく聞いてみても叶さんはあの日のことを思い出すことはなく、わかったことと言えば叶さんの弁当が美味しいことくらいだった。

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