第137話 不意の遭遇
夜、"Innocent Vision"はジェム及びデーモンの対処のために活動する。
僕の参戦は見送りでとりあえずうちの近くで集合して作戦を伝えようとしたのだが
「遅いな、蘭。」
蘭さんだけが集合時間になっても来なかった。
蘭さんは自由人だが集合時間は守る方だったので由良さんも怒っていると言うよりは心配している風だった。
「ヴァルキリーに襲われた?」
明夜の発言を否定するだけの材料はない。
由良さんも無言で遠くを見つめているだけだった。
探しに行くべきかと思ったときに聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ごめーん!遅刻遅刻ー!」
蘭さんがパタパタと両手を振りながら走ってくるのが見えた。
ピョンと跳ねて着地をした蘭さんは
「ちなみにパンは銜えてないし曲がり角で転校生とぶつかったりもしてないから心配しないでね、りっくん?」
手をヒラヒラ僕に向けて振る。
「そっちの心配はしてないから。蘭さんがヴァルキリーとかジェムに襲われたんじゃないかって話してたところだったんだよ。何かトラブル?」
蘭さんはわずかに言いづらそうに顔を伏せる。
「ええと、女の子の秘密…。」
「それなら俺は聞く権利はあるわけだな。」
「由良ちゃんは女の子っぽくないからダメー!」
割って入ってきた由良さんに向けて蘭さんは暴言を吐きつつ胸の前で大きくバッテンを作る。
なんと勇者な。
由良さんは静かにギラギラと怒っている。
「明夜ちゃんになら教えてあげてもいいけど、聞く?」
「別にいい。」
そして明夜は興味なし。
このまま脱線してると遅くなってしまうので手を叩いて注意を引き付ける。
「いつも通りジェムの退治をお願い。ただ、デーモンは普通の人と同じ姿でいるから気を付けてね。」
じゃれ合っていても本題になればすぐに集中できるのはすごい。
「Innocent Visionでデーモンの出現は見えないのか?」
「うん。元が人と同じだからなのか魔女が邪魔をしてるからなのかわからないけどうまく探せないんだ。だから気を付けて。」
3人は頷くと各々違う方向へと歩いていく。
僕の役目はこれで終わり。
Innocent Visionで新しい情報を得ない限り待つことしかできない。
以前は戦う力のない自分を嘆いたこともある。
だけど今は"視る"ことで皆の助けになれることが出来るだけで十分だと思えるようになっていた。
既に見えなくなった3人の仲間を信じ、彼女らに無用な心配をかけないために僕は家へと向かった。
同時刻、"RGB"も壱葉や倉谷、建川でジェムへの警戒を行っていた。
ヴァルキリーの指令ではない、ましてや力を持たない誰かのためでは決してない。
彼女らが動いているのは敵がいるからだ。
「"Innocent Vision"もジェムも全部敵よ。」
美保は役目ではなくなったためいつも以上に生き生きしていた。
ただ単に枷が外されただけとも言える。
良子と悠莉はむしろ人から変じたジェムを実際に見て証人を増やし、美保の言い分を立証するべく動いていた。
「美保さんが嘘を言っているとは思えませんが、確認しないことには花鳳様を説得することもできません。」
悠莉はあわよくばコランダムでの捕獲を望み、あえて人気の少ない道を歩く。
幹線道路を走る車の絶え間なく続く音を聞きながら正反対に人気のない住宅街を歩く。
明かりのついた家の中からは時折笑い声がする。
外には未知の危険があることも知らない無垢で無知な人たちに優しくも残酷な笑みを向けて悠莉は歩く。
点々とした外灯に照らされた夜道は随所に闇を散りばめていていつ何が飛び出してきてもおかしくない状況だった。
悠莉は微笑みの下に警戒心を潜ませながら次の路地を曲がり
その先で今まさにジェムを両断した明夜と出くわした。
「…。」
明夜はジェムの消滅を確認して血払いするように右のオニキスを振るった。
そのまま納めず視線を上げる。
悠莉は
「目的とは違うものに出会ってしまいましたね。どうしましょう?」
困ったように首をかしげた。
明夜も悠莉に交戦の意思がなければ立ち去るつもりだが口に出しては言わないので自然と膠着状態になってしまう。
ピリピリと張り詰める空気に悠莉もサフェイロスを抜こうとした瞬間
ピリリリリリ
明夜の携帯が鳴り出した。
ソルシエールを握ったまま器用に携帯を取り出して通話ボタンを押す。
『明夜!こっちにデーモンが出やがった。俺が行く予定だったジェムを任せていいか?くっ!』
電話は由良からだったがどうやら戦闘中にかけてきたらしく剣のぶつかり合う音が聞こえた。
「わかった。」
あっさりと答えて電話を切ると振り返り、くるりと首だけ悠莉に向けた。
「構いませんよ。」
「うん。」
悠莉が手を振ると明夜は頷いて屋根伝いに跳んでいった。
それを見送った悠莉は苦笑を表し
「柚木さんは不思議な方ですね。」
大して気にした様子もなく散策を再開するのだった。
良子は壱葉を出歩いていた。
ただ歩くだけじゃなんだからとジョギングをする辺り頭の芯まで体育会系である。
普段もたまに早朝走ったりしているコースを進みながらジェムや不審者がいないか気を配る。
この場合良子が不審者である可能性もあるが当人は気付いていない。
タッタッタと一定のリズムを奏でる足音とハッフッホッと息を吐く良子の声が夜の町に静かに響く。
薄暗い外灯に照らされた地面をしっかりと踏みしめて前方を見る。
うっすらと汗をかき始めた良子は本来の目的を忘れたように少しペースを速めた。
「結構気持ちいいな。今度から日課にしようかな?」
興が乗った良子はいつもとは違うコースに入る。
家が立ち並んでいるだけで特に面白味のない場所だから敬遠していたのだが
「あ。」
そこで良子は陸と出会った。
ちょっとコンビニに寄っていたのがまずかったのだろうか?
家まであと少しというところまで来て僕の進行方向から走ってくる人影が見えたので警戒して立ち止まったら等々力だった。
等々力もすでに僕のことは気付いていて近づいてきていた。
僕は止めていた足を前に踏み出す。
等々力との距離は近づいて
「お疲れさまです。」
僕は軽く会釈をしながらそのまま通りすぎた。
「お疲れー…って、ちがーう!」
等々力の声が聞こえたのは予想より少し遅かった。
そのままやり過ごしたかったがさすがに虫の良すぎる話ではある。
振り返れば息を弾ませた等々力が吠えていた。
「あたしを撒こうなんて姑息だね、インヴィ。だけどそう簡単には行かないよ。」
それはそうだろうが他のソーサリスならすれ違い様にソルシエールを振るってくるだろうからそういう意味では成功したと言える。
「こんなところで何をしてるんですか?」
これはわりと本気の問い。
ヴァルキリーが僕の家の住所を知らないはずがない(実際に神峰が襲撃してきたこともあったし)。
だから"Innocent Vision"がよくこの辺りにいるのも知られているわけで不可侵ではないがあまり近づいてこないと思っていた。
皆が出払ったこの時を狙っていたと言うなら等々力への認識を改めるがそういうわけでもなさそうだ。
「美保がね、ジュエルがジェムになったって言うから探してるんだ。」
「…。」
ジュエルがデーモンになったという事実も驚きだがそれ以上にあっさりとばらす等々力に驚きだ。
確かに隠す必要はないが情報に価値がある以上明かす必然性もない。
(もしかしてこちらの出方を窺ってるのか?)
僕がデーモンについての情報を持っていると確信していてより詳しい話を聞き出そうとしている。
小さな情報を餌により大きな収穫を得ようとしているのかもしれない。
「ジュエルがジェムに…そんなことあるんですか?」
等々力に限って高度な心理戦を仕掛けてくるとは思えないがとりあえず否定して相手の反応を見る。
等々力は少し意外そうな顔をし
「知ってるかと思った。」
薄く笑った。
(やっぱり、知られている?)
戸惑いを押し殺して等々力が持っている情報を推察する。
(黒原君のデーモン化を見てたのか?でもさっきの口ぶりだと神峰が見たから探してる感じだった。)
「知りませんよ。それにジェムは男の人がなるものでしょう?」
今なら何となく分かる。
以前のジェムは人の負の感情を強引に増幅させて力を与えていた。
だから反動が大きくて人としての自我が保てなかった。
だけど今回は違う。
ジェムは人の中に溶け込み負の感情を糧に力をつける。
そしてその感情が爆発したとき宿主と融合して力を振るうようになるのだ。
(誰かから聞いたのか?叶さんはあり得ないし黒原君もない。目撃者がいないなら他の情報源はあり得ない。)
叶さんからは夕方に連絡があったが遅い時間だったため詳しい話は聞かなかった。
「やっぱり君もそう言うんだ。」
悲しげに目を伏せる等々力の反応が理解できない。
「なんのことです?」
「いや、こっちの話。」
含みのある笑みで手を振る仕草は何か隠しているとしか思えない。
知らず体が強ばる僕を見て等々力は逆に表情を和らげた。
「あたしは君とは戦わないよ。」
またもや不可解な発言に今度は驚きを隠しきれなかった。
等々力は背中を向けて去っていく。
しばらく罠かと注意していたが結局等々力は振り返ることもなく闇の向こうに消えていった。
「…等々力良子、何だったんだ?」
理解できなかったことへの恐怖は等々力への認識を改めるには十分だった。
(ただの体育会系ではないのかもしれない。)
その後も実は伏兵がいるんじゃないかと不安になり小走りに家を目指す僕であった。
一方、
良子は陸から大分離れたところでピタリと足を止め
「あー…。」
額に掌を当てるとそのまま近くの塀に背中を預けた。
手首で遮る形となった左目は朱色の輝きを明滅させている。
「目の前に標的がいる時に衝動を抑えるのは辛いね。」
しばらく立ち止まっていたにも拘わらず呼吸は肩で息をするほど荒いし心臓の脈動も早い。
内から沸き出してくる衝動を抑えて平静を装っていた代償である。
本来ならば陸を見つけた瞬間歓喜に声をあげながらラトナラジュを手に襲いかかっていたであろう良子を止めたのは八重花の存在があったからだ。
「もしもインヴィをあたしが殺したら…八重花は絶対に赦してはくれないだろうな。」
八重花の思いが自分に向いていないと分かっていながら、良子は決定的な別離を恐れている。
先の状況はヴァルキリーにとってまたとない好機、完全な不意討ち気味の遭遇からルビヌスを発動した良子が攻めればいかに未来がわかる陸とて体は普通の人間である以上かわしきれず殺せたかもしれない。
「あー…」
だらしなく口を開いたまま情けない声を漏らし、ズルズルと背中を擦って地面に座り込む。
ドクドクと心臓は早鐘を鳴らすように脈打っているのに背筋の芯が凍りついたように寒い。
(八重花は、いつもこんな感覚の中にいるのかい?)
八重花もまた陸を手に入れるためには陸の親しい人たちを殺さなければならない。
いずれ来る時を待っているのだろう、今は動かない。
あくまで日常を共に過ごす八重花の心の内はこんなにも混沌としているのだと知って笑い、心は泣く。
(殺せ、殺せ、八重花を奪うインヴィを殺せ。)
「やめ、ろ…」
頭に響く自分の声を必死に追い払う。
だが自分の中にある感情を完全に消し去ることはできない。
良子の心は圧迫されていく。
「やめろー!」
良子は衝動に流されて今来た道を戻ろうとする足を逆方向に向けて走り出す。
人としての全力で走って走って走った。
「はっ、はあっ、はあ!」
呼吸が苦しくなり酸欠で頭がぼやけてきても走り続ける。
見知らぬ道を走っているのすら気付かず、どこへ向かうとも分からず足は止まらない。
世界に道しか認識できない。
その道の先に何が立っていた。
その何かは徐々に形を変えて、弱々しい敵意の視線が力強いものへと変化した。
だが良子は見ていない。
ただ肌に感じる殺気に口の端をつり上げて笑った。
「ーーーー!」
何を叫んだかはわからない。
声を発したのかもわからない。
ただ、自らの敵の出現に歓喜し、良子は真紅の光を纏いながら自らの衝動の化身たるソルシエール・ラトナラジュを振り上げた。
悲鳴とも咆哮ともつかない叫びを夜の町に響かせ、壮絶なる獣の戦いは終焉を迎えた。
残ったのは、真紅の光を纏う身体を鮮血に染めて笑う良子の姿だけだった。