第136話 ヴァルハラに生まれる亀裂
翌朝、叶が昨日倒れたと聞いて心配していた八重花に掛かってきた電話は悠莉からでヴァルキリー召集の連絡だった。
そしてヴァルハラでは美保に対する査問会議が開かれた。
「昨晩ターゲットと目されるジュエルの1人が行方不明になりました。ご家族によると昨日は一度も帰ってきていないということでした。」
「解散場所が家の近くってだけなんですから帰るかまでは分かりませんよ。」
状況確認をする撫子に対して美保は不満を隠そうともしない。
「そうですね。その後彼女が建川に向かったという情報も得ています。」
遠い部分から外堀を埋めるような話の進み方に美保は苛立ちを募らせる。
「聞きたいことがあるなら言ってください。」
「そうですか。」
撫子の口調は平坦でどんな感情を持っているのか分からない。
「では昨晩、彼女と会いましたか?」
「会いましたよ。」
美保が認めるとヴァルキリーのメンバーに動揺が走った。
「何をしましたか?」
「戦いましたよ、怨み言並べて襲いかかってきたので。」
美保の返答でさらにどよめきが広がる。
撫子は手でそれらを諌め、さらに尋ねる。
「ジュエルはヴァルキリーのためにのみ発動します。ヴァルキリーのソーサリスを傷つけることは出来ません。美保さんは丸腰の相手と戦ったのですか?」
「…つまり花鳳先輩はあたしが無抵抗のジュエルを殺したと思ってるわけですね?」
苛立ちを通り越して怒りを瞳に宿した美保の視線を前にしても撫子は揺らがない。
「わたくしは真実が知りたいだけです。」
「でも、ジュエルがジェムになって襲ってきたから戦ったって話を信じなかったのは花鳳先輩ですよね?」
そう、美保は昨晩の内に緑里経由で撫子に連絡を取っていた。
ありのままを電話越しに話したが結局納得されず今朝に持ち越されたのだ。
「ジェムは男性がなるもの。同じ力を得た時女性ならばソーサリスを授かるはずです。」
確かにそう考えられてきたし実際に1人としてソルシエールを扱う男は現れていないことも証明している。
だが現実で少女がジェムになる姿を見た美保は反論する。
「嘘なんかついてないです。それとも嘘をついてジュエルを殺す理由があるんですか?」
美保にはそれがない。
だから昨日あったことを話していればいずれ信じてもらえると考えていた。
「確かに美保さんと彼女にはなんら接点がありませんでした。」
一晩で調べあげる能力は凄まじいが今は話題にも上らない。
「ですが、美保さんはよく敵対した者に殺すと言いますね。あれがソルシエールによって引き起こされた衝動ではないと言い切れますか?」
予想外の角度からの一撃に美保は唖然としてしまった。
一度疑いを持てば普段の態度、言動、すべてが疑わしく見えてくるのだと知り、
(やっぱり人間なんて信用できない。)
その思いを強くした。
美保は舌打ちして立ち上がる。
「どこへ行くのです?まだ話は終わっていませんよ、」
「花鳳先輩にあたしを信じる気がない以上話すだけ無駄です。」
乱暴にドアを開けて出ていく前に撫子を睨み付ける。
「結局花鳳先輩にとってうちらは仲間じゃなくて疑って糾弾する部下でしかなかったってことですか。」
「!!」
絶句する撫子から目を背けて美保はヴァルハラを出ていく。
「美保さん。」
「美保!」
「…。」
悠莉と良子、そして八重花が美保の後を追ってヴァルハラを飛び出していった。
残されたのは気まずい沈黙。
「…残ってくださるのは半分以下ですか。」
小さすぎる撫子の呟きも音のない世界では聞こえた。
ヘレナは声をかけようと手を伸ばし、隣から伸びてきた手に止められた。
緑里が哀しげな目で首を横に振っていた。
「…ワタクシ、教室に戻りますわ。ごきげんよう。」
ヘレナは気遣わしげな視線で撫子を見て去っていったが撫子本人は気付かなかった。
「撫子様…」
「ごめんなさい、緑里。今は1人にさせて。」
あまりにも弱々しい声に緑里は泣きそうになりながら深々と頭を下げて退室した。
残された撫子は背もたれに身を預けて天井を見上げた。
普段なら行儀が悪いとたしなめられてきた行為だが今は叱ってくれる人はいない。
「葵衣…わたくしは、間違っていたの?」
虚空に手を伸ばしても包んでくれる手はない。
視界が滲んで歪む。
泣き出した撫子の声をドアに背を預けて聞いていた緑里は顔をあげる。
(やっぱりボクじゃ駄目なんだ。葵衣、早く戻ってきて。)
今の緑里には願うことしか出来なかった。
一方、美保は荒れていた。
羽佐間由良ばりの目付きの悪さで周囲を怯えさせ、怯えられるからまた人が嫌になる。
もうすぐ授業が始まるが構わず屋上に向かった。
悠莉たちが追ってきているのは知っていたが今はうっとおしいとしか思えない。
3人が屋上に来たときも美保は屋上のフェンスに寄りかかりながら遠くを見つめていた。
「人殺しのあたしに何の用?」
ふて腐れたような声は完全な拒絶ではない。
悠莉は微笑み、良子は頬を掻き、八重花は冷めた目で背後に立った。
「最近はご無沙汰でしたけど、ソルシエールを手に入れた頃はわりと気に食わない方を片っ端から無き者にしてましたよね?」
ソルシエールの衝動を御しきれなかった頃、殺人衝動にも似た苛立ちのままに町にたむろする不良学生を殺したことがあった。
撫子のフォローがなければ警察のお世話になりかねない状況だった。
「それに美保が嘘を言ってるとは思えないしね。」
良子は理屈よりも友の言葉を優先する。
美保は何も言わなかった。
「東條さんも何か言いたいことがあるんじゃないですか?」
「いいの?」
「ええ、存分に。」
背後で交わされる不穏な会話に身構えた美保の耳に
「人殺し。」
直接的な罵倒が浴びせられた。
カッとなって振り返った目の前で八重花はニヤリと笑う。
振り向かされたのだと気付いてばつが悪そうに顔をそらした。
「別にヴァルキリーの理念なんてどうでもいいけど、ソルシエールの衝動は最終的には殺害に向かうもの。私だっていずれは"Innocent Vision"のソーサリスを殺して人殺しになるわ。成し得たい野望があるなら、その過程の犠牲なんて無視すればいいのよ。」
物事を割りきっていて機械的な、人として酷く歪んだ八重花の理屈に美保は賛同できない。
ただ一点
(成し得たい、野望。)
そこが気にかかった。
自分の中にあるソルシエールの根源を思い出す。
「あたしは1人で生きていける力が欲しかった。気に食わない奴に頭を下げることも、自分より下の奴に馬鹿にされるのも我慢ならなかった。」
グッと拳を握る。
「それならヴァルキリーなんてやめてしまえばいいのよ。花鳳撫子に従属する必要なんてどこにもないわ。」
八重花の言葉は魅惑的に耳に届く。
だが、美保はバチンと両頬を叩いて首を横に振った。
「お断りよ。少なくともインヴィと"Innocent Vision"を殺すまではここにいた方がいいもの。」
意のままに動かない兵はいらない。
気に食わない部下も上司もいらない。
だが気の合う仲間まで捨てたいとは思わない。
(悠莉と良子先輩はいてくれると嬉しい。)
当然ながら八重花は入っていない。
言葉に出さない思いを知ってか知らずか2人は笑っていた。
「"Innocent Vision"は勝手に倒してくれればありがたいけど、りくにまで手を出すなら火傷じゃすまないわよ?」
「邪魔するなら東條から先に殺そうか?」
互いに火花を散らしながらも表情に険しさはない。
「チャイムは鳴ったけど乙女会として欠席は良くないわね。行こう、悠莉、良子先輩。」
「待ってください、美保さん。」
「まったく。」
屋上から飛び出していく美保を追う悠莉。
良子は八重花に気を配るが当人は美保みたいに遠くを見ていて3人のことなど気にしている様子はなかった。
「…。」
悲しげに目を伏せた良子も美保を追っていく。
冷たい風が屋上を吹き抜けていった。
「…盗み聞きなんて趣味が悪いんですね。」
八重花はあからさまな敵意を表しながら屋上の入り口の上を睨み付けた。
「俺が寝てたらそっちが来ただけだろ?」
由良は縁に腰掛けて八重花を見下ろす。
八重花が今にも襲いかかりそうな剣幕なのに対して由良は戦う気がないらしく穏やかだ。
「ヴァルキリーで仲間割れか?」
「敵に有利な情報は極秘事項よ。」
「なるほどな。だがあえて1つ極秘情報を教えといてやる。」
由良は盛大にスカートをはためかせながら床に飛び降りドアに手をかけた。
「陸の話だと魔力の高い人間がジェムになる、陸はデーモンて呼んでたが、それは2件目だ。」
「!!…りくの"Innocent Vision"ね。」
未来視を使われては機密が意味をなさないことを痛感した八重花は意識を切り替える。
「魔力の高い人間って言ったわね。つまりもう1件デーモン化したのはジュエルじゃなかった。魔力の高さが問題なら男でも女でも関係ないってこと。」
由良は感心したように頷いた。
「陸と話してるみたいだな。これで盗み聞きした分はおあいこだ。俺たちは簡単にはやられてやらないぜ。」
背中を向けたまま手を振って去っていく由良を見送った八重花は
「りくに似てるのね。フフ。」
変な所で喜んでいた。
叶さんが目覚めたという連絡がないまま昼休みを迎えた僕は琴さんに話を聞くため2年生のクラスへと向かった。
琴さんのクラスを知らないことに階段を登りながら気付いたが
「あら、陸さん、奇遇ですね。」
踊り場の角で待っていた琴さんのおかげで取り越し苦労となった。
今さら驚くようなことでもないのでさっさと本題に移ることにした。
「叶さんのことで少し話が…」
「ああ、わたくし突然きつねうどんが食べたくなりました。しかし陸さんの話を聞いて差し上げるのが友達としての正しい姿。わたくしはどうしたら良いのでしょうか?」
聞き出そうとしたら三文芝居ではぐらかされた。
しかも流れ的に奢れと言っている。
「…本音を言ってください。」
「寝坊してお弁当とお財布を忘れました。」
意外とあっさり素直に白状した琴さんは悪びれていない。
ドッと疲れを感じつつ足を食堂へと向ける。
「きつねうどんでいいんですね?」
「デラックス天麩羅うどんでも構いませんよ。」
ちなみにデラックス天麩羅うどんとはなんで一介の学生食堂にあるのか不明な本格派天麩羅うどんでお値段なんと1000円。
学生の昼食代にしてはかなり高い。
「…空気かきつねか選ばせてあげましょう。」
「水ですらないのですね。きつねうどんをお願いします。好物です。」
ホクホク顔なので本心なのだろう。
食券を買い(カレーうどんにしようとしたら邪道だと怒られて同じくきつねうどん)、食堂のすみに空いていた席につく。
いまだに話題の一部には上る僕と琴さんが一緒にいるせいか周囲の生徒が敬遠していた。
人払いをする手間が省ける。
「叶さんが倒れました。」
「そのようですね。」
ちゅるちゅると1本ずつ面を啜っている琴さんは別に動じた様子はない。
知っていたと見るべきか。
「ジュルル。もくもく。ソーサリスとは違う力に何か心当たりはあります?」
「ちゅるちゅる。心当たりと言えば日本で霊験、基督教ですと奇蹟と呼ばれる力がありますが、あくまでも伝説上のものですね。」
うどんを啜りながらの会話は相当シュールらしく人の輪が一回り遠退いた。
「叶さんにその力があるとは思いますか?」
琴さんはどんぶりを傾けて汁の一滴すらも残さずに平らげた。
食物への感謝なのか単に食いしん坊なのかは不明だ。
「奇蹟を起こせる方は聖人と呼ばれます。そういった方はおそらく清く正しい心をお持ちでしょう。叶さんにはそうであってほしいとは思いますが、どうでしょう?」
琴さんも知らないのかはぐらかしているのか、あるいは僕に知られたくないのか。
何にせよ琴さんに話す意思がない以上粘っても答えてくれはしないだろう。
僕も琴さんに倣ってどんぶりを空にする。
「陸さんはなかなか見込みがあります。」
「何の見込みですか?」
琴さんはクスクスと笑うだけでトレーを持って立ち上がった。
「叶さんから連絡がありましたらわたくしにもお知らせください。」
「わかりました。」
食堂を出たところで別れる。
結局何1つ明確にされぬままきつねうどんを奢らされただけだったことに気付いたのは教室に戻ってチャイムがなる直前だった。