第131話 縁を繋ぐ手
考えをまとめているうちに授業は終わり放課後になってしまった。
「半場君、行きましょう。」
叶さんはすぐに僕のところにやって来た。
クラスメイトがデートと邪推して囃し立てるが当の叶さんはどこか張り詰めたような雰囲気を纏っていた。
「琴さんを待たせるのも悪いし行こうか。」
「はい。」
僕たちは並んで出口へと向かう。
チラリと横目で八重花を見たらすっごい不機嫌な顔をしていた。
(ん?)
それと、黒板の辺りから黒原君が睨んでいるのも見えた。
(まだアプローチしてなかったんだ。)
それはもう僕のせいとかそれ以前に黒原君の問題だ。
僕は視線に気付かないふりをして教室を後にした。
「…。」
「…。」
太宮神社への道のりでも皆が羨んだような会話はなく、むしろ会話自体なく太宮神社に到着した。
鳥居を潜る前に
「叶さん、もしかして何か怒ってる?」
と尋ねたら
「そんなことありませんよ?」
不思議そうな顔をされたので、いつもと雰囲気が違うのは僕が原因ではないようだ。
琴さんのお迎えはなく叶さんに続いて社務所に向かう。
「こんにちは。」
「お邪魔しま…」
「…」
ドアを開けたところで世界が凍った。
社務所の廊下には何故か半脱ぎの制服姿の琴さんが襷だか帯だかを銜えていて、僕たちは普段しっかりしている琴さんの珍しすぎる現場に動けずにいた。
「は、半場君、見ちゃダメです!」
一番初めに動いたのは叶さん。
飛び付くように僕の目に手を当てる。
「し、失礼しました!」
続いて琴さんが恐らくは顔を真っ赤にしながら部屋の中に引っ込み、僕もほぼ同時に体を横に向けた。
叶さんとの身長差でピッタリと密着した体の感触とか暗いからこそ目蓋に焼き付いた琴さんの艶姿とかを意識してしまい
「ど、どうぞ。よくいらっしゃいました。」
冷静を取り繕うとして失敗した琴さんの声がかかるまでドキドキだった。
いつもの部屋に通されてお茶と和菓子が振る舞われたが、琴さんは僕の前にお茶を置いた姿勢のままじっとこちらを睨んでいた。
「…見ましたね?」
「…はい。」
それは見えましたとも。
透き通るような白い肌と綺麗な鎖骨、あと意外に可愛らしい趣味の下着まで。
琴さんの顔が朱に染まっていく。
「後生です。忘れてください。」
がっくりとうなだれてしまう琴さんにどう答えるべきか迷い
「努力します。」
そう答えるに留めた。
そうそう忘れられるものではないし下手に意識を向けていると逆に忘れられなくなるので忘れる努力をする事くらいしか出来ない。
琴さんは真っ赤な顔で僕の目を見て
「…よろしくお願いします。」
頭を下げて腰を下ろした。
そんなやり取りを見ていた叶さんはちょっと不機嫌そうに羊羮を食べていた。
琴さんはそれに気付き、口許を袖で隠して笑う。
「フフフ。ご機嫌斜めですね。」
「そんなことありませんよ。」
そうは言いつつも非難するような目を僕に向けてくるわけでお茶を啜って誤魔化す。
「ではそのように。」
まるで信用していないように微笑んで琴さんもお茶に手を伸ばした。
「むー。」
叶さんは納得していない様子で唸っている。
今日は真面目な話なのだと思って身構えていたが初っぱなから出鼻を挫かれた感じだ。
「お茶が美味しいな。」
たまにはこうして現実逃避…ではなくまったりするのもありかもしれない。
「と、ここで本題に入らせていただきます。」
…その安らぎは一瞬で終わりを告げた。
琴さんは手刀を切るジェスチャーで今までのグダグダな流れを切り替えたいようだった。
「そうですね。関わらないでと言ったのにまた声をかけてきた理由をしっかりと説明して貰いたいですからね。」
敢えて追求するような口調にすると琴さんは目をそらし、叶さんは萎縮して不安げな表情になった。
「…男性ならば懐を広くあるべきです。せっかく女性がお誘いしているのですからその内に何を孕んでいようと笑って受け止める度量を見せては如何ですか?」
かと思えば琴さんは逆ギレ気味に僕の態度に不満をぶつけてきた。
琴さんの理想の男性像は紳士というか昔の殿様みたいな人なのかもしれない。
とはいえ今回はこちらに非はないわけだから理不尽な反論には対抗する。
「ソルシエールは人を殺すんです。衝動が昂れば理不尽な理由で斬りかかってくることだって有り得ます。僕には誰かを守ってあげるような力はない、だから危険が及ぶ前に離れて欲しいんです。どうして分かってくれないんですか?」
喧嘩腰で言われたからつい僕も熱くなってしまった。
どんな反論がくるかとわずかに緊張したまま身構えていたが
「…。」
「…。」
2人からは何もなかった。
ようやく分かってくれたかと安堵し…
「わたくしは少々誤解していたようです。」
かけたところで琴さんの穏やかな声に逆に緊張した。
叶さんもちょっと目をうるうるさせている。
「それって私たちを守るためだったんですね。やっぱり半場君は半場君です。」
面食らった僕が押し黙ると琴さんは僕を見て微笑んだ。
「わたくしは戦いの邪魔になる一般人を遠ざけるために離れるよう言ったものとばかり思っていました。ですので反感を覚えました。」
琴さんはわずかに眉を寄せて怒ったように、でもすぐに微笑む。
「ですが貴方は戦うためではなく、守れないために遠ざけようとされました。思っていたよりも貴方は心根の優しい方なのですね。」
「私は知ってましたよ。半場君が優しいの。」
「…。」
伝えたいことは確かに間違っていないのだが2人の女の人に口々に褒められるのは恥ずかしすぎる。
まともに顔を上げられない。
「と、とにかくそういうわけですから今後は…」
「ですが、それとこれとは話が別です。」
琴さんはピシャリと言い放つ。
「すでにわたくしと叶さんは知識の面ではかなりソルシエールの世界に詳しくなりました。その状態で放り出されても得た知識を頼りに危険へ踏み込んでしまうこともあるとは思いませんか?」
「…。」
無いとは言い切れない。
僕が血生臭くて胡散臭い魔女たちの世界にいると知っても僕に近づくことを選んだ叶さんなら突き放しても追ってこようとするのは予想できた。
そして叶さんが飛び込むなら過保護な琴さんが付いてくるのも自明の理。
「しかし貴方が危険のある場所を教えていただけるのなら普通の方よりもいっそう安全な位置にいられるでしょう?」
そう、下手に動かれるよりはこちらの指示通りに動いてくれた方が被害を受けずに済む確率は高い。
「別に仲間に加えろとは申しません。貴方の考えている通りわたくしや叶さんは力なき者、避けられぬ戦いでは足手まといでしょう。ですから…」
琴さんはわずかに頬を赤らめてしなやかな手を差し出してきた。
「これで、わたくしと貴方は本当に友達です。これならば構いませんよね?」
完敗だ。
琴さんの占いは特定の過程を経なければ叶わないもの。
だから琴さんの話術は人をとある方向へと導く力がある。
近くにいても構わないし戦いの邪魔はしないというポジションは最大限の譲歩で辛うじて認められる位置だ。
だけど琴さんはここに『友達』を持ってきた。
友達だから仲良くする。
友達だから近くにいる。
友達だから言うことを素直に聞く。
近しい間柄にして曖昧な意味を含む『友達』という関係に僕の反撃は止められてしまった。
「…言いくるめられた感はありますけど。」
僕は手を差し出した。
守るためには近くにいてもらう方が得策だと思えたから。
「少なくとも嘘は語っていませんよ。」
クスクスと笑いながら琴さんは僕の手を握り返した。
「わ、私も友達ですよ。」
叶さんがちょっと慌てた様子で手を重ねてきた。
ここに非武装集団『半場陸のお友達』が結成した。
「それでは陸さんと友宜を交わしたことですし、そろそろ名前で呼んでいただきましょうか?」
琴さんは空いた手を叶さんの手の上に重ねた。
その行為は結束を確かめるように強く、同時に逃がさないように捕まえているように思えた。
「でも半場君は私たちのことを名前で呼んでくれてますよ?」
確かに以前友達だと話し合ったときにそれぞれを叶さん、琴さんと呼ぶようになった。
明夜のように呼び捨てを強要するような2人ではない。
叶さんは分からないようで首をかしげていたが僕は理解した。
この瞬間、琴さんが噂話好きな女の子、ひいては色恋沙汰に首を突っ込みたがるオバチャンに見えた。
「確かに陸さんは親しみを込めて名前で呼んでいただいています。ですが残念なことに1人だけ他人行儀な呼び方をしている方がいらっしゃいます。」
「あれ?でも半場陸さんて呼び方も親しい感じじゃないですよ?」
「そうですね。ですので先程からわたくしは陸さんとお呼びしていますよ。」
そう、さりげなすぎて最初気付かなかったほど自然に琴さんは「陸さん」と呼ぶようになっていた。
ようやく琴さんの真意に気付いたらしい叶さんだが上下からホールドした手は外れない。
ちなみに僕の手はすでに離れていたりする。
「それではまとめてみましょうか?」
陸→叶 叶さん
陸→琴 琴さん
琴→叶 叶さん
琴→陸 半場陸さん改め陸さん
叶→琴 琴先輩
叶→陸 半場君
「…。」
「お分かりですね。誰かが、お1人にだけ、名前を呼んで差し上げていないのです。わたくしたちはお友達なのに悲しいことです。」
芝居がかった仕草で悲しむ素振りを見せる琴さん。
叶さんは真っ赤になってうつ向いていた。
助け船を出そうと声をかける。
「別に無理にやらなくて平気だから。」
「大丈夫です。…陸君。」
聞き間違いだろうか。
耳が信じられず呆気に取られていると叶さんはまだ恥ずかしげに上目遣いで
「陸君で、いいですか?」
そう尋ねてきた。
「う、うん。」
ちょっとどぎまぎしてどもってしまい2人して照れ、
「うふふふ。」
琴さんはとても嬉しそうに笑っていた。
「非常に遠回りしましたが本題です。近々壱葉に災厄が訪れ、人々は嘆き、この地が魔道に下るという予言を賜ったのですが何かご存じありませんか?」
そして仕切り直して本題に入ったが
(あれは遠回りじゃないな。)
友達として、2人を守るために危険を知ってもらうという意識が出来てしまったから僕はすんなりと話そうとしている。
来たばかりの状態では危険だからと言わなかっただろう。
偶然か琴さんの導く力が働いたのか、なんであれ知っておいてもらうべきだ。
「近々魔女が本格的に動き出すようです。そうなれば町はジェムで溢れ、ジェムに襲われることで人々は嘆くことになります。魔道が何を示すのかは分かりませんが恐らく魔女が何らかの大規模な術を壱葉に展開すると考えるべきでしょう。」
「魔女の扱う結界のようなものですか。災厄をジェムの大量発生、魔道を結界と解釈すればジェムがなにがしかの活動を行い魔女を呼び込む、あるいは魔道を出現させる準備をすると考えられますね。」
琴さんはすぐに理解して納得してくれた。
叶さんは話について来られず僕と琴さんの間で視線をさ迷わせていたが、まあ、無理にわからない方がいいかもしれない。
「ジェムは魔力の高い人間を襲っているそうです。明夜が言うには叶さんは魔力が全く無いらしいけど、2人とも用心してください。」
「用心てどうすればいいですか?り、陸君。」
名前を呼ぶときに照れられるとこちらも恥ずかしい。
「1人で行動しないとか人通りの少ない道は避けるとか、戦えない以上会わないようにするしかないよ。」
「はぁ、何だか痴漢対策みたいですね。」
「…まあ、そうだね。」
叶さんには危機感が足りない気がするがわざわざソルシエールやジェムの恐ろしさを知ってもらって怖がらせるのも逆に危険な気がする。
要は叶さんが危険な目に会う前に事を終わらせるしかないということだ。
「僕は、僕たち"Innocent Vision"は2人を含め関わりのない一般人を守るために戦っています。だから、興味本意や一時の無謀な勇気でこちら側に飛び込んでくるのはやめてください。裏側の世界の事は僕たちが何とかしますから心配しないで下さい。」
「そうやって『友達』を遠ざけるわけですか。」
「えと…」
「分かっています。守られる以上陸さんには極力従いましょう。」
琴さんが頷いてくれたので叶さんに目を移すとこちらも頷いた。
「はい。でも、心配はしますよ。」
「ありがとう。」
礼を言うと叶さんは笑ってくれた。
(2人は絶対に守るよ。友達だから。)
僕は言葉ではなく心にそう誓った。