第13話 魔女
僕の発言は数日のうちに学内へと広まってしまい針の筵となっていた。
唯一の救いはこの話題のおかげで予知能力の話が消えたことか。
みんな本当かどうかわからない眉唾物の話よりも現実的かつ切実な問題への関心が高いということだ。
“あの”発言以来、僕は男子にも女子にも避けられているのだが芳賀君は
「席の近いよしみだ。」
と今まで通り接してくれていて、
「なかなか大変なことになったね。」
「にゃはは、四面楚歌。」
「グッジョブね、男度アップよ。」
「あれは若干悪乗りしたうちらにも責任があるね。」
「わ、私は半場君の味方ですからね!」
といつもの面々もいつも通り、
「…なんの話?」
明夜に至っては興味なしだった。
金子先生も
「俺が学生だったら直接間接を問わず苛めに走ってたな。」
と物騒なことを言いながら豪快に笑っていた。
そんなわけで変わったようで何も変わっていない僕の周辺。
ヴァルキリーからのちょっかいもないしInnocent Visionも見ない。
だけど僕の胸には一つの気がかりが渦巻いていた。
(羽佐間由良。)
調べたら一つ上の先輩で俗に言う不良少女だった。
昔はそこまでひどくは無かったらしいけど、最近は特に遅刻・欠席・早退の付かない日はなく成績も下、しかも制服のまま深夜の町を歩いていてよく補導されているという。
そんな人物だから売春だなんだと悪い噂がヒレをつけて出回っていた。
「にゃは、ついに不良少女にまで手を出すんだ。この分だとそのうちどこかの国のお姫様でも狙っちゃう?」
と中山さんに茶化されこの話題は終了した。
確かに噂を聞く限りでは悪い人でInnocent Visionで見たように渋谷のど真ん中で人を倒して無関心だとしても頷ける。
だけど僕には本人と会った時の印象がある。
(確かに怖そうな人だし口も悪かったけど、悪い人には見えなかったな。)
本当に無関心ならあそこで僕を助けてくれはしなかっただろう。
しかし夢を見た以上あれは現実に起こる。
それまでに羽佐間先輩を見つけ出して説得すればもしかしたら未来を変えることが出来て被害を出さずにすむかもしれない。
僕は携帯を手に取った。
(そのためには情報が必要だ。ソルシエールのことを詳しく知らないといけない。)
放課後に近くの公園にきてほしいという旨のメールを送ると明夜からしばらくして返信があった。
『うん』
実に明夜らしい返信だった。
散歩道を想定して作られた水と緑の公園は休日こそそれなりに人が来るものの平日の午後ではお年寄りか子供連れの主婦か人生に疲れたおじさんくらいだ。
そんな公園に高校生の男女2人は目立つのだがそれを見る人が圧倒的に少ないので気にならない。
特に最近はずっと視線に曝されていたのでむしろ清々しい。
明夜は相変わらず何を考えているのか分かりづらい無口無表情でぼんやりと風景を眺めている。
もしかしたら雲の形を見て焼き芋食べたいとか思っているのかもしれない。
「…焼き芋。」
「!?」
エスパーかと思ったら雲を指差していた。
どっちかといえば僕がエスパーだったようだ。
「それで…愛の告白?」
シリアスに話を始めようとした矢先に僕は思わずベンチからずり落ちてしまった。
「違うから。なんで?」
「よっちゃんちゃんが、『人気のない公園に呼び出すなんて告白しかないね。あ、夜だったら違うかもだけど、にしし。』って言ってた。」
そのよっちゃんなる人はきっと久住さんと同じ空気の人なのだろう。
明らかに他人をからかうことに喜びを感じているとしか思えない。
居住まいを正して隣に座りしっかりと明夜の目を見つめる。
「本当に用件はわからない?」
ふるふると明夜は首を横に振る。
「ソルシエールのこと?」
よかった。
明夜がアホの子じゃなくて本当によかった。
「でも、聞かない方がいいかもしれない。」
だけどそれに続く言葉はほとんど表情が変わらない明夜でさえ沈ませるものだったから僕は乗り出しかけた身を引いた。
「それは、危ないってこと?」
「それもある。でも、これを聞くと陸は戦うことを迷う気がする。」
自身の身ではなく戦う心を折りかねないソルシエールの秘密。
怖くないわけがない。
ただでさえすでに2回、実際に命の危機に追い込まれたのだ。
それだけでも手を引く理由には十分なのにさらに心まで折られたらと思うと怖い。
「…聞かせて欲しい。ソルシエールについて明夜が知ってることを。」
だけど胸の奥から沸き出す好奇心と関わった以上逃げ出すことはできないという責任感が僕を突き動かした。
明夜はしばらく僕の目をじっと見ていたがやがて
「うん、わかった。」
頷いてくれた。
「ソルシエール(Sorciere)は魔剣、普通じゃない。」
「何もない空間から剣とか武器を取り出す時点で、確かに普通じゃないな。あれの原理はやっぱり魔法みたいなもの?」
やっと念願だった話が聞けて身を乗り出したらぺしんと額を叩かれた。
「順番。」
「ごめんなさい。」
明夜は僕の謝罪に頷くと先を話し始めた。
「ソルシエールは魔女、女にしか使えない。使える人も少ない。」
「その使える人はどうやって決まるんだ?」
「“選ばれなかった”人。」
それが何を指しているのか分からなかったが明夜が無言の拒絶を示したので聞くことができなかった。
普通に考えればあんな不思議な力を使える人たちこそが選ばれた人だろうに。
「私がヴァルキリーに入らなかったのは意見の食い違い。あの人たちは自分達が選ばれたと言っていた。」
やはりそう考えるのが普通だ。
ただし例外もある。
いい例が僕だ。
僕は予知能力Innocent Visionを昔から持っていたがこれが選ばれた者の力だなんて思ったことはない。
“化け物”がたまたま人の形で生まれたんだとすら思っている。
明夜も辛い過去の経験から自分を“選ばれなかった”と言っているのかもしれない。
「ソルシエールを与えられた人は感情を昂らせることで魔剣を生み出すことができる。左目が赤くなるのは魔界に干渉している証。」
明夜が生み出していると言うからには魔界とは「現実とは異なるもの」と考えていいはず。
それならばInnocent Visionでソルシエールを見たときに感じる痛みはやはり現実的にあり得ない力を認識しようとするときに感じる負荷なのだろう。
「ソルシエールはいったい誰に与えられるものなんだ?」
「魔女。」
明夜は至極簡潔に、あり得ない答えを即答した。
「魔女って、そんなのいるわけないよ。」
「…それは魔女たちがいないと仕向けているから。魔に属するものは秘匿されなければならない。」
「つまり魔女狩りなんかで滅びたと思わせて実はたくさんいるってこと?」
そもそも魔女狩り自体が疑わしきは殺すみたいな反政府思想の人間を虐殺した政策みたいなもので実際に魔女を狩る目的だったのかさえ疑わしい。
それでも明夜は頷いた。
「でもそんなに多くない。世界で10人くらい。」
「その魔女から力を与えられたんだ。」
明夜はこくりと頷いた。
「ヴァルキリーも多分同じ。魔女に力をもらった人たち。」
明夜やヴァルキリー、多分羽佐間先輩もその魔女に見初められた存在なのだろう。
違う制服を着ている明夜が声をかけられるくらいだから魔女には資質のある人間が分かるのかもしれない。
「その魔女は誰でどこにいる?」
「知らない。」
予想通り、明夜も知らないらしい。
その魔女を見つければヴァルキリーからの攻撃に対抗する手段やソルシエールを消す方法が聞けたかもしれないから残念だ。
話が途切れて静かな公園を眺める。
僕たちが非現実の会話をしていることなど知る由もなく平和に生きる人たちが見えた。
でも、ソルシエールという“非現実”は本人の意思によって容易に現実を侵食する。
先日の昏睡事件はおそらく羽佐間先輩のソルシエールの力だろうし、それに…
(新宿ダルマ事件も、もしかしたら…)
隣を盗み見ても明夜は血濡れじゃなくてボーッと空を見上げているだけだった。
今でもまだ、知り合ってしまってからは余計にあれが本当に明夜だったのか分からなくなっていた。
「…明夜。」
「ん?」
明夜は首をかしげて僕に目を向けてきた。
聞こう、聞いて真実を知った方が僕たちにとって益になる。
そう思ったのにいざ尋ねようと思ったら唇が異様に渇き、舌が震えて声が出せない。
「陸?」
わかっている。
僕は恐れているんだ。
これを尋ねてしまった瞬間に明夜が僕を襲うかもしれない。
たとえ違ったとしても疑った僕から離れていってしまうかもしれない。
「…」
結局僕は尋ねることができなかった。
そんな臆病な自分が余計に嫌いになった。
「少しお腹が空いたから何か食べていこうか?」
「うん。」
心なしか嬉しそうな明夜を連れ立って、僕は自分の判断が誤りでないことを願うのだった。
ちなみに明夜はよく食べる普通の女の子だった。
帰りついた僕はパソコンを起動して明夜から聞いた内容をまとめた。
「魔女、ソルシエール、ヴァルキリー、選ばれなかった者。」
さらに重要そうなところを抜き出していく。
明夜の話でソルシエールが何なのかはわかったがそれだけでは自分の身を守るには不十分だ。
それに帰り際に明夜が言った言葉
「ソルシエールを知ったら、魔女に目をつけられる。気を付けて。」
ヴァルキリーだけじゃなく魔女にまで狙われることになってしまったらしい。
そこでふとした疑問が浮かんだ。
「魔女から力を与えられた7人のヴァルキリーは僕をどうするつもりなんだ?」
神峰はどこまで見えるのかに興味を持っていた。
僕が特定の相手の未来を見ることができると考えているのかもしれない。
それを自分たちの未来に使い危険を回避する、特定の相手に起こる不幸を使って脅迫するなど悪用しようと思えばいくらでも思い付く。
「尤も、そんな便利じゃないけどね。」
実際は“気まぐれな夢”、特定の相手を選ぶことは出来ないしどれだけ先のことが見えるのかも不特定なのだから。
「とにかくソルシエールの事はわかった。感情をトリガーにする武器、か。」
明夜は詳しくは言わなかったがその感情が幸福や慈愛であるとは考えづらい。
人は弱い生き物で正の感情を力に変えられるのはほんの一握りの“聖人”みたいな人間だけだ。
大半の人間は嫉妬や反骨心で張り合い、怒りや憎しみを力とする。
負の感情こそが単純にして絶大な力の源だから。
「負の感情。」
等々力は怒り、神峰は懐疑、下沢は嗜虐と見た感じの印象だけでもそれぞれに抱くものが違うようだが明夜は何に当てはまるのかよくわからない。
あと1人、羽佐間先輩は
「憎しみかな?」
ギラギラした目からそんな風に思った。
今週の終わり、Innocent Visionが見せた夢が現実になる。
その犯人はあの現場を見た限り羽佐間先輩で間違いない。
あの惨事を再現させないために、そしてInnocent Visionの予知を覆すために僕は羽佐間先輩を止めようと思う。
「羽佐間先輩の情報を…聞くのかぁ。」
いつもの5人組が思い浮かび、またからかわれるのかと思うと気が重くなる。
「作倉さんも、泣きそうになるのかな?」
なんとなくだが、作倉さんが好意を持ってくれているのはわかる。
だから余計に困ってしまう。
仲良くしたいという甘えと僕と一緒にいることで嫌な思いをするだろう心配と、
“化け物”の僕が人並みに幸せになろうだなんて烏滸がましいという諦念と、
もしも作倉さんの思いが仮に本物なのだとしても受け入れることができない申し訳なさ。
様々な要因が僕を幸せにしてくれない。
「恋愛なんて、僕にとっては空想なんだよ。」
ふと明夜の姿が思い浮かんだ。
彼女も人とは違う力を持っている。
“化け物”の僕に近い異能を持っている。
それなら、“化け物”同士の恋ははたして実るのだろうか?
「…やめやめ。」
結局恋を知らない僕に分かるわけもなく明日、久住さんたちに羽佐間先輩のことを聞こうと思いながら先ほどの雑念を払うためにネットの海に沈んでいくのだった。