第128話 乙女の宣戦布告
魔女の宣戦布告と蘭さんの告白を受けた翌朝、いつも通り学校に行こうと家を出ると
「りっくん、おはよう!」
家の前で蘭さんが待っていた。
昨晩のような表情の翳りはなく、むしろ前よりも生き生きとしていて太陽みたいな笑顔を振り撒いている。
「おはよう。分かってるけど一応聞くよ。こんなところで何してるの?」
「りっくんと一緒に学校に行くからだよ。」
それはそうだろうし昨日のことで心境の変化でもあったのかもしれない。
だが僕は蘭さんの笑顔が大変な事態を引き起こすんじゃないかという予感を抱いていた。
登校中は仕方がないとして、蘭さんは僕の教室にまで腕に抱きついたままついてきた。
恥ずかしいので止めてとお願いしたが聞き入れられず、結局抵抗を諦めた。
「うおー!蘭様と腕組んで登校だと!?羨ましいぞ、半場ァ!」
「あの江戸川先輩の幼妻的なつき方は…まさか!?」
「炉よ、真の炉よ!」
教室に入った瞬間に沸き上がる声も予想通り。
慣れとは恐ろしい。
「なっ!?江戸川蘭!?」
「江戸川先輩と半場君が…」
そしてこういう日に限って八重花と叶さんはいつもより早く教室にいるわけで運命を感じずにはいられなかった。
既に剣呑な視線を蘭さんに送りながら近づいてくる八重花と事情を説明して欲しそうな目で僕を見ながら寄ってくる叶さん。
そんな2人に向けて蘭さんは僕の腕を離して指を突きつけた。
「ランはりっくん争奪戦に正式参戦するよ!」
ピシャーン
意味はそれぞれ違うだろうが誰しも雷に打たれたような衝撃を受けていた。
「よくわからないけど修羅場突入か!」
「3学期はいよいよ決戦だ!」
「おのれ半場!羨ましすぎるぞ!」
「蘭様ぁ!」
周囲は見物人だったり羨んだり妬んだり
「とうとう中から敵が出てきたわね。」
八重花はこれから戦闘でも始めるようなピリピリした雰囲気だし
「江戸川先輩も半場君のことを狙ってるんだと思ってたけど、今までは遊びだったんですね。」
叶さんは最近ちょっとおかしい子だし。
「本気になったランは怖いよ。覚悟してね、りっくん。」
「ほどほどにね。」
ポンポンと頭を撫でると
「あわわわ!」
顔を真っ赤にして慌て、そのまま手から抜けると逃げてしまった。
初々しい反応に僕を含めた一同唖然。
だけどあの態度はますます"本気"を感じさせるもので
「半場ァ!許せーん!」
「わぁ!」
久々に嫉妬狂いのクラスメイトに追い回されることになった。
「はははははは!」
「笑い事じゃないよ。」
結局1時限に戻るのは危険と判断して屋上に退避してきたらこの寒空の下でも由良さんは屋上の入り口の上にいた。
そして成り行き上追われた説明をし、蘭さんの宣戦布告について話した結果がこれである。
お腹を押さえてヒーヒー笑ってる姿は豪快すぎる。
「ひやー、まさかあの蘭が、くく。誇れよ、あの蘭を本気にさせた男だろ?」
確かに蘭さんは心には誰も踏み込ませない人だ。
住んでいる家も家族構成も普通の友人よりも近しいはずなのに知らない。
蘭さんは存在感はあるのに一歩引いたところにいるようなミステリアスな存在だった。
その蘭さんが近づいてくれた。
それはとてもすごいことのような気がしてきた。
「でも付き合い方を変えるつもりはないよ。」
「あー、勿体ねえな。」
僕は魔女やヴァルキリーとの戦いの中で死ぬかもしれない。
たとえ運良く生き残ったとしてもInnocent Visionを宿した僕では普通に戻れるか分からない。
だから僕にこそ特別を作らない事が相応しいと考えている。
「強気で従順な女に気弱な女、それと幼女。他にも無口系にお嬢様までいる。やりたい放題じゃないか。自信無いなら相手してやろうか?」
由良さんは寒いだろうに2つくらいボタンの外してあるシャツの胸元を見せつけてくる。
ゴクリと喉がなる。
だって男の子だから。
「逆セクハラ禁止!」
僕は断腸の思いで理性をフル稼働、由良さんから距離を取った。
息を荒らげながら身を縮こまらせる僕を由良さんは笑う。
「本当に陸はお堅いというかヘタレというか。くく。」
「ほっといてよ。」
「…どうせ自分は"化け物"だから誰も幸せにできないなんて考えて一歩引いてるんだろ?」
「!?」
心の内を見透かすような発言に驚いて振り返ると由良さんはしょうがない弟を見るような優しい目をしていた。
「だけど幸せなんてそいつ次第だ。俺たちはいつ死んでもおかしくないような戦いをしてるけどな。それでも絶対にできると思ってなかった仲間がいる今の生活はわりと幸せだ。少なくとも笑えるんだからな。」
ヘヘッと照れ臭そうに笑う由良さんの達観したともいえる考え方に納得したのと同時に疑問を抱いた。
(笑えることが幸せ。それは、笑うことすらできないような生活を経験した人じゃないと実感できない。)
それがどんな生活かを想像することすらできない。
年齢以上に妙に大人びた印象のある由良さんがどんな過去を持っているのか興味がないわけではない。
でも僕たちは聞かない。
"Innocent Vision"に必要なのは過去に向き合うことではなく未来に進むこと。
だから僕の過去をみんなは知らないし、僕は蘭さん、由良さん、明夜、誰の過去も聞かない。
僕たちはそういう在り方を選んだから。
「ちなみに、俺の過去に興味があるならベッドで聞いてやるぞ?」
「だからそういう発言禁止!」
無理に聞く必要もない。
僕たちは今のままでも十分に強い絆を持っているのだから。
「…。」
今日のヴァルハラは静かだった。
授業が終わって間もないとはいえ居るのは緑里1人。
葵衣は病院で撫子は詳しい情報を聞くためにお見舞いに行った。
ヘレナは進路の関係で登校しておらず良子は部活。
1年生はまだ来ていない。
緑里は静寂に包まれたヴァルハラで紅茶に口をつけた。
もちろん自分で淹れたもので同じ練習をしたはずなのに葵衣の紅茶と比べるのも恥ずかしいくらい味も香りも劣っている。
「…。」
海原の家系は花鳳の従者。
海原の子はすべて花鳳のために生き、花鳳のために死ぬべきだと教えられて育てられる。
本来、撫子の補佐には長姉である緑里がつくはずだった。
だけど葵衣の方が何でもそつなくこなすためにお役目を変えられそうになったとき、撫子と葵衣が庇ってくれて2人で奉公することになった。
だけど現実は葵衣に頼りきり。
(ボクがもっとちゃんとしていれば葵衣は苦しまないですんだかもしれない。)
あの時葵衣ではなく自分がジュエルを率いる方を選んでいれば。
たられば、Ifが頭を回り続ける。
(葵衣はボクを恨んでるよね。情けない姉だって。)
ドツボに嵌まった思考は螺旋を描いて堕ちていく。
それをどうにか食い止めているのは葵衣の敵討ちという思いだった。
ガチャリ
ドアが開いて美保、続いて悠莉が入ってきた。
八重花の姿はない。
「こんにちは。今日は緑里様お1人ですか?」
「そうだよ。」
悠莉はそのままお茶を淹れに向かい、美保は席についた。
頬杖をついていかにも不機嫌そうに窓の外を睨み付けている。
緑里も気にはなったが下手に刺激して余計に拗らせたときフォローできる自信がなかったため声をかけないでいた。
「美保さん、お茶をどうぞ。緑里先輩もいかがですか?」
「ありがとう。」
カップに注がれた紅茶を眺めていると
「今朝の蘭さ…江戸川先輩の話をご存じですか?」
コホンと咳払いをしつつ悠莉が蘭の名前を出した。
緑里はピクッと反応し、それ以上に美保がギリッと奥歯を噛み砕きそうなほど怖い顔をした。
「悠莉、その話はいいでしょ?」
「ですけど他の学年にはあまり広まっていないようですし。」
「江戸川蘭がどうしたって?」
目の前で話す話さないのやり取りをされたら気になる。
しかもそれが蘭に関しての事となれば尚更だった。
「私も聞いた話ですけど、江戸川先輩が東條さんに宣戦布告したそうなんです。」
「は?それじゃあヴァルキリーと"Innocent Vision"の戦争になるんじゃ…」
慌てる緑里に対して悠莉は微笑み、美保は触れたくないらしくツンと顔を逸らしていた。
「それが、半場さんの争奪戦への宣戦布告なんです。つまり乙女の戦いですね。」
緑里は口をパクパクさせて声も出せずにいた。
葵衣をあんな風にした蘭が普通の女の子みたいに恋にうつつを抜かしていることが驚きを怒りに転嫁していく。
「江戸川らーん!」
キレて吠える緑里を見て美保は冷たい目を悠莉に向けた。
「だからやめなって言ったのよ。緑里先輩には戦いに備えて冷静でいて貰わないといけないんだから。」
「あら、そうでした。」
悪びれた様子のない悠莉の態度にため息をついて美保は視線を戻す。
「えーどーがーわー!」
まずはなにより緑里を落ち着かせる方法を考えなければならなかった。
撫子は精神科の隔離病棟に入れられていた。
それは葵衣をあまり人目のつかないところに置くため、そして万が一錯乱していたときに被害を最小限に抑えるためだった。
葵衣が目を開けると見知らぬ天井が見えた。
(ここは…)
「目が覚めた?」
声のする方へ緩慢な動きで首を動かすと撫子が不安げに微笑んでいた。
「お嬢、様。」
なぜと尋ねるより早く記憶が路地裏の惨劇を再生した。
葵衣は腕で目元を覆ってベッドに全身を預ける。
今ならどこまでも沈んでしまいそうなほど体が重い。
「私はあの後…」
「監視していた部下が止めたわ。…すでに手後れだったけれど。」
葵衣は手に残る人の肉を斬った感触を、耳に残る死の間際に上げる悲鳴を、鼻に残る血の臭いを、舐めとった血の味を今なお鮮明に思い出すことができた。
あれは…
「葵衣、一体何があったというの?江戸川さんの使ったグラマリーの影響なのでしょう?」
それは質問であり、撫子の希望だった。
「いいえ。」
その希望を、葵衣自らの言葉で切り捨てた。
驚愕する撫子を葵衣はベッドから起き上がって真正面から見た。
「江戸川様が使われたグラマリーはどうやら本性を発露させる類いの術のようでした。それによりジュエルは互いの不満や憎しみによって仲間と戦いを始めました。」
「でも報告では葵衣は初めは術にかかっている様子はなかったと聞いているわ。」
撫子は必死に平静を保ち葵衣の真意を聞き出そうとした。
「はい。あの場に私の抱く憎しみや怒りはありませんでした。心を穏やかに動じないことを教えられてきましたので。」
「では何故?」
葵衣は一度目を瞑り言葉を選ぶ。
いや、初めから決まっていた言葉を告げる決意をした。
「私の怒りはありませんでした。しかし、ジュエルのあの姿がお嬢様の求める姿かと自問した時、あまりにもかけ離れた光景に、お嬢様の理想とは限りなく遠いジュエルに深い憎しみを抱きました。」
葵衣は自嘲するような笑みを浮かべ
「お嬢様の理想の世界に、彼女たちは必要ないと思ってしまったのです。」
暗く重たい声で呟いた。
後は語られずとも分かる。
背中を押された憎悪は際限なく膨れ上がり仲間だったはずのジュエルを敵として認識させた。
必要ないと思ってしまったことで手加減できず結果として惨劇が引き起こされた。
「ですので今回のことは私の心の弱さが招いたこと、私自身が望んだことです。」
葵衣の痛ましい告白を撫子は顔面蒼白になりながら聞いていた。
「…海原葵衣。貴女の失態の責任はわたくしの補佐役の解雇という形で取らせることが決定しました。」
撫子は顔を伏せ、午前中に花鳳の家で決定された事項を事務的に伝えた。
「了解致しました。」
葵衣はただ静かに事実を受け入れるだけ。
撫子はキュッと唇を引き結んで立ち上がり
「葵衣ッ!」
突然葵衣を抱き締めた。
葵衣は一瞬驚くも優しく抱き返す。
「どうされました、お嬢様?」
「ごめんなさい、わたくしは貴女を守れなかった。」
親族会議では海原の追放まで持ち上がったが撫子の力でどうにか撤回させた。
それでも葵衣の解雇だけは覆せなかった。
「罪人である私がお嬢様とご一緒することはできません。お嬢様、姉さんをお願いします。」
葵衣は穏やかに撫子と緑里を心配するだけで泣かなかった。
撫子は流れ出そうになる涙を必死に押し止めて葵衣から離れる。
「補佐でなくても貴女は必要よ。すぐに戻ってきなさい。」
立ち上がった撫子を見て葵衣は薄く笑う。
「お嬢様が望まれるのなら。」