第127話 悪魔の告白
魔女からのラストゲームを宣告された後、携帯を確認すると全員からの返信が来ていた。
全員無事だったことが記されていてホッとしたが最後に開いた蘭さんからの内容は他の2人とは少し違った。
『話したいことがあるから、今から会いたい。』
送られてきたのはほんの少し前だったのですぐに返信してどこに向かうか尋ねた。
蘭さんからの返事は簡潔で、ある意味予想外の場所だった。
僕は足音を殺してゆっくりと階段を登り、約束の場所へと続く扉の前に立った。
ここを開けば蘭さんが待っている。
だけどドアは僕が来ることを拒むように閉ざされている。
開けるべきか一瞬迷った。
だけど僕はノブを掴みゆっくりと回した。
重たいドアを開けた隙間から冷たい空気が吹き込んできてその向こうには星と夜景の瞬く世界が広がっていた。
蘭さんは空を見上げて僕に背を向けていた。
僕はドアを閉めてゆっくりと近付いていく。
「ふははは、よくきたな。」
どこぞの大魔王みたいな台詞に僕は足を止めた。
もちろん発信源は蘭さんだ。
「来たよ。蘭さんからのデートのお誘いだからね。」
ピクリと蘭さんの肩が震えたように見えた。
蘭さんは半身を振り返り、照れたような笑みを浮かべた。
「もぅ、りっくんはジゴロさんだね。」
蘭さんはピョンと跳ねてこちらを向いた。
犬の尻尾みたいなミニツインテールがふわりと揺れる。
「今日はね。りっくんに聞いて欲しいことがあるの。」
「いいよ。座る?」
フルフル、尻尾が揺れる。
「まずはInnocent Visionについて。りっくんはその力がどんなものか知ってる?」
「夢で未来を見る力で、最近は眠らなくても近い未来に起こることが見える。結局は未来視の力だよね。」
実際にInnocent Visionで多くの未来を見てきた以上その大前提が揺らぐことはあり得ない。
だけどそれを確認するということは違う何かがあるのか?
「それでいいと思う。だけどね、りっくん。無限に分岐する可能性のある未来を正確に見極めることが出来ると思う?」
それは琴さんも言っていた。
太宮神社の"太宮様"は数多ある未来の中から起こりやすい可能性を書き出す占いなのだという。
だから見るものが"過程"であるため、どこかで想定していたものと違う行動を取れば別の未来に向かってしまうと。
だけどInnocent Visionは"結果"を見る。
それは占いではない。
それは事象の決定に他ならないと。
「実際に出来てるから信じるしかないよ。それとも僕は違う物を見てるって言うの?」
「うん。」
あっさり認められてしまった。
僕が見ていたのが未来ではないのなら一体何だというのだろうか。
「そこでりっくんに質問。ランと初めて会ったときにとある外国人の名前を出しました。誰だったでしょう?」
蘭さんはニコニコとコッチ、コッチと制限時間のタイマー役をやっていた。
(蘭さんとのファーストコンタクト?確かイタイ子が僕の席で待っていて、江戸川先輩って呼ぼうとしたら蘭か蘭様じゃないと嫌だと言って、でも抵抗して…)
ポーン
思い出した。
確かにその時外国人の名前が出てきた。
それにどういうことをした人かも。
だけどそれでいいのか。
つまりは僕と出会った時点で蘭さんは僕以上にInnocent Visionのことを知っていたことになる。
出会った頃に抱いて最近は気にしていなかった問いが頭に浮かんだ。
(この人、何者だ?)
「はい、時間だよ。りっくん、答えをどうぞ。」
「エドガー・ケイシー。アカシック・レコードの人。」
蘭さんは楽しそうに手を叩いた。
「正解!りっくんの記憶力はすごいね。」
褒められても今はあまり反応できない。
蘭さんの謎についてもそうだし何よりアカシック・レコードと来た。
「アカシック・レコードって、確か運命が書かれたレコードのことだよね?」
「うん。りっくん物知り。つまりInnocent Visionは未来なんて曖昧なものじゃなくてもっと大きな流れである運命を見てるんだよ。」
運命を、見る。
未来視ですら人の手に余ってるというのに運命を見ていると言われても壮大すぎてピンと来ない。
「…結局、結果が見える未来視ってこと?」
僕なりの解釈で答えを出すと蘭さんは困ったように眉を下げた。
「ガブリと噛み砕いたらそうかも。」
蘭さんがガジガジと噛み砕くジェスチャーで肯定した。
Innocent Visionは運命視。
だから見えた光景は必ず実現する。
それが運命だから。
運命として定められたことだから。
以前の僕はInnocent Visionで見た未来を変えるために動こうとしていた。
だけどヴァルキリーに狙われてInnocent Visionの力が有効だと気付き、いつしか抗うことを止めていた。
だけどそれで正しかった。
抗うことができない未来、それが運命なのだから抗うだけ無駄だったのだ。
「運命か。僕はまたとんでもないものを見てたんだ。」
「そうだよ。りっくんの予言は絶対だもん。半場陸の絶対に当たる占いを始めれば大儲けだね。」
「由良さんにも宝くじの当選番号を見れば億万長者だって言われたね。あんまり興味ないけど。」
「残念。」
蘭さんは言うほど残念そうではなかった。
むしろ嬉しそうに見えたのは月明かりのせいだろうか。
冷たい夜風が肌を刺す。
いつまでもここにいたらさすがに凍えてしまいそうだった。
だから
「それで、蘭さんの本題に入ろうよ。」
僕は先を促した。
Innocent Visionという繋ぎの話題ではなく、蘭さんが聞いて欲しいと言った話をするために。
「りっくん…」
蘭さんはきょとんとした表情で僕を見たあと俯いてしまった。
「りっくんはせっかちだね。女に嫌われるよ?」
顔を上げた蘭さんは夜気にも負けないほどに冷たい目をしていた。
久々に見た天真爛漫な姿の裏に潜む冷酷な姿。
「それじゃあ、本題に入るよ。」
僕が頷くと蘭さんは目を閉じて語り出した。
「今日、地図を奪いにヴァルキリーが来たよね?」
「うん。僕の場合は地図じゃなくて僕自身が狙いだったみたいだけど。」
気高いヴァルキリーらしくない襲撃だったのでよほど切羽詰まった状態にあるのかもしれない。
八重花と等々力が来たということは他の皆は別のソーサリスに狙われたことになる。
「ランの所にはジュエルを連れた葵衣ちゃんが来てね。地図を渡せって。」
「うん。」
蘭さんはまたクルリと身を翻して背中を向けた。
「だから蘭は使ったの。ゲシュタルト。りっくんは覚えてるよね?」
「それはもう。」
危うく精神崩壊を起こしかけたくらいだから強烈に覚えている。
フェンスの方にゆっくりと歩き出した蘭さんは何故だか僕から逃げようとしているように見えた。
「あれの応用で自分の本性をさらけ出させるゲシュタルト・サイコを使ったの。簡単だったよ。もともと仲間意識なんてないジュエルだもん。ちょっと本性を呼び起こせば罵り合いながら武器を振り回して髪を掴んで顔を重点的に傷つけて。りっくんが女の子に幻滅するくらい醜い戦いを始めたよ。」
フェンスにたどり着いた蘭さんはそのまま体を預ける。
遠くを見ているようだがどんな表情をしているかは分からない。
「その中でも葵衣ちゃんだけは正気を保っててね。必死に皆を止めようとしてた。ランはその姿を見て笑っていたの。滑稽だって。」
クックッと小さく笑い声が聞こえた。
僕はゆっくりと近付いていく。
「でも葵衣ちゃんは本当に真っ直ぐで誰も傷つけることなくランのところまでたどり着いた。だからそこで悪夢はおしまい。地図だって別に渡しちゃっても平気だと思ってたからよく頑張ったねってあげようと…思ってたんだよ?」
蘭さんの言葉が詰まった。
つまり現実は今の言葉通りではなかったと言うことだ。
「…だけどランの中の誰かが背中を押したの。葵衣ちゃんの弱点は撫子ちゃんだ、そこを突けばあの真っ直ぐな葵衣ちゃんを折ることができるって。…ランは、まるで自分じゃないみたいに葵衣ちゃんを追い詰めて、暗示をかけた。下にいるジュエルは撫子ちゃんの敵だって。葵衣ちゃんはそのあと、ジュエルを鏖にしたよ。」
「…。」
言葉がなかった。
どう判断していい話なのか聞いた直後の今では決められない。
蘭さんはフフと笑った。
「ランの中にはね、そんな悪魔みたいなのがいるんだよ。ランはその時何も感じなかった。壊れた葵衣ちゃんにも殺されていくジュエルにも、何も思わなかったの。ランはきっとりっくん以上の"化け物"なんだよ。」
この声は笑っていて、泣いているようでもあった。
蘭さんが空を見上げる。
空気が澄んでいて星が綺麗なのに蘭さんの背中は悲しげだった。
「そろそろ魔女が動き出すでしょ?」
「うん。たぶんね。」
鋭いことこの上ないが相手が蘭さんなので諦めている。
「そうしたら戦いは激しくなって命をかけなきゃいけないようなことになるかもしれない。その時、ランの中の悪魔が顔を出したら、ランは明夜ちゃんや由良ちゃん、りっくんも…きっと…」
顔を伏せた蘭さんは小さく肩を震わせていた。
これから告げられる内容はInnocent Visionなど使わなくても分かる。
「それで、用件は何ですか?」
だから僕は、あえて無遠慮に踏み込んでいく。
「!?…それは…」
心の準備ができていなかったから話を引き延ばそうとしていたのだろう。
それを無理やり引きずり出したため蘭さんはあからさまに動揺した。
「…うん。」
それから数秒、蘭さんは何かを決意したように頷き、しっかりした表情で振り返った。
「ランは…江戸川蘭は、"Innocent Vision"を辞めようと思うの。」
悲痛な決意を宿した蘭さんの告白。
自分のためじゃなく仲間のために身を引こうとしているのが伝わってくる。
引き延ばすのは酷だ。
僕は"Innocent Vision"の長として答える。
「却下。」
「ふぇ!?」
あっさり否決したら蘭さんは素頓狂な声を出して顔を上げた。
真ん丸になった目を見ながら微笑みかける。
「却下だよ。蘭さんは僕たちに必要なんだから。」
「でもでも、ランの中には悪魔が…」
蘭さんは慌てているが先ほどまでの悲しみはない。
「僕にゲシュタルトをかけた頃の蘭さんなら僕が死んでも笑っていたと思う。正直に言えばあの頃の蘭さんは本当に悪魔みたいだったよ。」
蘭さんの前に立って頬に手を伸ばす。
不思議そうな顔がよりいっそう幼い少女のようで可愛らしかった。
「でも今の蘭さんはその悪魔が誰かを傷つけることを怖がってる。それは蘭さんの優しさだよ。それは、ソルシエールを使えるくらいなんだから心に悪魔くらい巣くっていても不思議じゃないよ。でもその優しさがあればきっと蘭さんの力は仲間を傷つけるためじゃなくて守るために使うことができる。」
「りっ、くん…」
「蘭さんがその優しさを持っている限り、僕も"Innocent Vision"の仲間たちも蘭さんを迎えるよ。だから、無理に離れなくてもいいんだ。」
「ふえぇ!りっくん!」
瞳から大粒の涙を溢した蘭さんは僕の胸に飛び込んできてわんわん子供のように泣いた。
僕はちょっとだけ抵抗があったけど蘭さんを抱き締めて泣き止むまで頭を撫で続けた。
「うう、ふぇーん!」
「よしよし、辛かったよね。大丈夫だよ。」
まんま子供のあやし方だが蘭さんにはこれでいいと思う。
本当の蘭さんは子供みたいに天真爛漫で純粋な女の子だと思うから。
「ひん、ひっく、ぐす。」
しゃくり上げながらようやく顔を上げた蘭さんは涙でぐしゃぐしゃだったけど晴れやかな表情をしていた。
「りっくん、怖くない?」
「由良さんの方が全然怖い。」
「あはは。」
蘭さんは笑いながら額をグリグリと胸に押し付けてくる。
「りっくーん。」
「くすぐったいよ。」
甘える小動物みたいに精一杯抱きついてくる蘭さん。
「はふぅ。ラン、もうりっくんにメロメロだよ。」
照れているらしく蘭さんは耳まで赤くして顔を上げてくれない。
かくいう僕もだんだん恥ずかしくなってきたわけだがだっこちゃんと化した蘭さんは離れてくれない。
「ラン、"Innocent Vision"に、りっくんの側にいていいんだよね?」
不安を宿した問い。
潤んだ瞳から流れた一筋の涙を拭ってあげる。
「もちろん。」
笑顔で答えると蘭さんはボッと顔を瞬間的に赤くしてワタワタと離れた。
「か、帰ろっか。」
「そうだね。」
横を通りすぎる時に蘭さんは手を握ってきた。
小さくて冷えてしまった手を握り返す。
「…こうやってりっくんは女の子たちを手込めにしてくんだね。」
「人聞き悪いよ。」
僕は苦笑を浮かべるもののその手は放さなかった。