第124話 未来地図奪取作戦
夕方に合流した陸が落ち込んでいるように見えたがジェムの出現が迫っていたため"Innocent Vision"は応対すべく移動していた。
「同時刻に4ヶ所でジェムの襲撃。これは僕たちへの挑戦だね。」
未来地図を見て陸はどこか危うい笑みを浮かべて呟き、全員で1ヶ所ずつ向かうことを提案してきた。
当然由良や蘭、明夜は反対したが意固地になった陸は聞く耳を持たず向かってしまったため仕方なく分散することにした。
由良は地図に示された現場に向かいながら難しい顔をしていた。
それだけですれ違った通行人は怖がって避けていく。
少し前までは周囲の目などまったく気にしなかった由良だが最近は誰かと一緒に居ることが多いためちょっと気を使うようになっていた。
それでも目付きが怖いのは元からなので避けられることは多くちょっぴり傷ついたこともあったりなかったり。
(陸の奴、荒れてたな。無茶しなきゃいいんだが。)
今は覚醒したInnocent Visionがあるため戦闘でそうそう後れを取ることはないだろうが戦闘能力が低い事実は変わらない。
ジェムの所に向かった以上襲撃は避けられないため由良は心配していた。
(こっちを瞬殺して助けに向かう。)
瞳に強い決意を宿して夜へと移ろいゆく町の裏側へと入る。
「ッ!」
その瞬間、視界には映らないどこからか明確な敵意が叩きつけられた。
ピリピリと肌を刺すような視線に由良の口がつり上がり獰猛な笑みが浮かび上がる。
「出迎えご苦労。今からぶっとばしてやるから待ってろ。」
蘭は壱葉駅前の人混みの中を歩いていた。
会社帰りで駅に入っていく者と駅から出ていく者、遊びに行くために溢れる若者。
人で溢れた世界は小柄な蘭にとっては窮屈で、人を避けながら、歩調を合わせながら前に進まないといけない。
助けてくれる人も歩調を合わせてくれる人もここにはいない。
自由を好む蘭にとって行動を縛る人混みは嫌いだった。
以前ならば従うのが嫌で時には逆行さえしていた自分を思い出して照れ臭そうに笑った。
(ランもすっかりりっくんに染まっちゃった。えへへ。)
その変化をむしろ嬉しく思いながら、ふと蘭の表情が真剣味を帯びる。
(りっくんのInnocent Visionが覚醒してだいたい半月、これまでは特に変わった様子は見られなかったけど今日のりっくんの態度は少しおかしかった。もしかしてInnocent Visionのせいで悪影響を受けてるとかかな?)
今度は不安げに慌て出す。
後ろから見た人には百面相をしているように見えただろう。
少し前なら看病と称して寝かせてムフフといたずらを考えていたというのに今では過保護なくらい心配していた。
(ジェムをやっつけてりっくんの所に帰ろ。)
蘭は自分でも気付いていない。
陸の所が蘭の帰る場所だと認識していることに。
キィン
明夜の放った刃の光の軌跡が横一文字に走りジェムの胴体を二分割にした。
重力に引かれた上体は地面に落ちて腐ったリンゴを落としたように内容物を撒き散らして消滅した。
残った下半身は一矢報いるように槍のようによじった腸をめがけて打ち出した。
明夜は慌てた素振りもなくオニキスを振るって撃ち落とし、一気に距離を詰めて真下から真上に向けて刃を振り抜いた。
股間から縦に斬られたジェムは倒れる間もなく闇に散っていった。
明夜は剣を下ろして小さく息をついた。
狙われていた男性の姿はない。
明夜が割って入ったときに悲鳴をあげながら逃げていったのだから当然だ。
「…うん。」
明夜は気になっていた事を陸に話そうと決めた。
「何が、うん、よ。お仕事が終わって満足って訳?」
「!」
突然の声に緩みかけていた意識が引き締まる。
表からの光を遮るように立つのは神峰美保と下沢悠莉だった。
「ジェムはもういない。」
「知ってるわよ。見させてもらったから。」
フフンと挑発的な笑みを浮かべる美保の後ろで悠莉が頬に手を当てて微笑む。
「後をつけさけていただいていたのですが戦闘開始と同時に見失ってしまいまして、追い付いたと思ったら終わっていました。」
「余計なことは言わなくていいの!」
吠える美保を押し退けて悠莉が前に出る。
明夜はジリと腰を落として警戒を示す。
「…何?」
悠莉は足を止め、にこやかに手を差し出した。
「インヴィが作ったジェムの出現を印した地図を渡してください。」
ジェムを倒した直後、蘭や由良の前にもヴァルキリーが姿を現した。
蘭の前には葵衣を中心に10人のジュエルが展開していた。
「葵衣ちゃんが前線に出てくるなんて珍しいね。」
「こちらも厳しい状況にありますので。」
「それでこそ泥みたいに俺たちの地図を奪うって訳か。ヴァルキリーも落ちぶれたな。」
由良はヘレナと緑里を前にしても一歩も引かず挑発する。
「お黙りなさい!」
「大人しく地図を渡しなよ。」
両者は激昂しソルシエールを突きつけてくる。
各所で"Innocent Vision"対ヴァルキリーの抗争が勃発しそうな状況になっている時、陸はまだジェムとの交戦中だった。
「きしゃー!」
手足が異常に長い人型から外れかけたジェムは手足のバネで建物の壁を跳びながら襲いかかってきた。
「速いけど、当たらない!」
Innocent Visionを発動しつつ自分の読みを駆使してジェムの攻撃をことごとく回避する。
1度2度なら偶然でも3回、4回とかわし続ければ理性を欠いたジェムであっても本能で未知の敵だと認識して警戒する。
僕に注意が向けられたことで襲われかけた女の子は標的から外され、さっき逃げ出していった。
「とりあえずは成功か。あとはジェムをなんとかするだけだ。」
狙っていた相手がいなくなっていることに気付いたジェムが手を振り上げて奇声を上げ怒りを露にする。
いよいよ僕に狙いを絞ったらしく殺意が叩きつけられる。
「さあ、Innocent Vision。未来を見せてくれ。」
左目に集中すると熱を持ったように熱くなり朱色の視界の向こうに世界が見えた。
「あ…」
僕は呆然と上を指差した。
理解できているのか分からないがジェムが首をかしげながら上を見上げ、直後に赤と青の炎の螺旋が頭から飲み込んだ。
「ぎゃーーーー!」
ジェムは悲鳴を上げる喉すらも焼かれていく。
僕は熱風から顔を覆うように身を固めて耐える。
肌を刺す熱気が止んでゆっくりと腕の隙間から前を見るとジェムのいた場所は局所的に焼け焦げて黒い染みが残っているだけだった。
見上げると家屋の屋上に炎の蛇を揺らめかせた八重花とラトナラジュを携えた等々力良子が立っていた。
「なんでここに?」
ヴァルキリーはジェムの出現を察知できる高性能なレーダーを導入したのだろうか?
そうでなければヒーローみたいな今のタイミングで都合よく現れる理由は1つしかない。
「りくへの愛よ。」
八重花はバッと手を払ってきっぱりと言い切った。
炎をバックにした八重花は特撮物っぽくてカッコいい。
「違うよ、インヴィ。勘違いしたらいけない。ジュエルの地道な尾行の成果さ。」
何を必死になって弁解しているのかは分からないが予想通り尾行されていたようだ。
「…チッ。」
「舌打ち!?今八重花舌打ちした!?」
「さあ、なんのことです?」
しかも八重花と等々力、チームワーク最悪のようだ。
八重花の冷たい態度に等々力が食い下がる低次元の喧嘩は見ている分には微笑ましい。
「お取り込み中みたいだし僕はこれで…」
ジェムはいなくなったし面倒になる前に去ろうとしたが
「待てぃ!」
僕の眼前にラトナラジュがコンクリートの地面に突き立った。
頬を叩いた突風に背筋が凍り、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「そう焦らないでよ、インヴィ。」
屋上からタンと僕の前に降り立った等々力はめり込んだラトナラジュを片手で掴むと
「よっと。」
ボゴッとコンクリートを巻き込みながら引き抜いた。
背後でもトンと足音が聞こえて八重花が降りてきたことが分かる。
「ごめんなさい、りく。私はヴァルキリーのソーサリス、命令には従わなければならないの。ヨヨヨ。」
内容とは裏腹に口調は軽いし泣き真似はこれでもかと言うほど嘘くさい。
「今日のあたしたちはインヴィの確保かジェムの出現場所が書いてある地図の奪取なんだ。」
等々力の話は信用していいだろう。
彼女は会話で駆け引きができるタイプの人間じゃない。
「僕の存在は地図と同列か。ちょっと悲しい。」
「安心して。私にとっては何物にも代えがたい宝物だから。」
安心はできないが嬉しくはある。
だけど素直に捕まってあげるほど僕は優しくもない。
(Innocent Vision。)
静かにInnocent Visionを発動。
瞳の奥、頭の中で未来を見る。
「りくにInnocent Visionを使われるとまずいわ。行きなさい、ドルーズ!」
蒼白い炎が僕に迫る。
殺すつもりはないだろうけど炎の塊にぶつかるほどの度胸はないので射線上から横に回避。
「逃がさない!」
だけど八重花が左腕を大きく振るうとドルーズは大きく波打ちながら軌道を修正、まっすぐに僕に向かってきた。
「…ふっ。」
僕は恐怖を圧し殺しながらドルーズの下へと滑り込む。
「だから無駄…」
「ぎゃー!」
八重花がさらに方向を転換させようと腕を振るった瞬間、等々力の悲鳴が響いた。
八重花が驚いた様子で振り向くのを見て僕も悲鳴の出所に目を向ける。
そこには髪の端をプスプス焦がした等々力が毛先に息を吹き掛けていた。
「ひどいじゃないか、八重花!」
「すみません。」
八重花は素直に謝って再び僕に向き直る。
「りく、何が見えたの?」
「等々力先輩の髪がコントみたいにアフロになるところ。」
「いやだー!」
八重花はニヤリと笑みを浮かべると左腕を大きく後ろに引き絞った。
青き炎はつられるように八重花の後ろへと移動し
「っ!」
咄嗟に僕が壁際まで駆け出した瞬間
「ドルーズ!」
炎が膨れ上がり八重花が手を前に振り下ろすのに合わせて巨大な鎌首をもたげてきた。
その威容に驚いたがそれ以上に驚いていたのは等々力だ。
明らかに僕よりも等々力狙いの青き炎の大蛇、その無いはずの目に睨まれて居すくんでいた等々力は
「ル、ルビヌスッ!!」
最悪の結末が頭をよぎったらしくグラマリー・ルビヌスを発動、赤い弾丸と化して全力で大蛇から逃げ出した。
標的を失った八重花はつまらなそうにドルーズを引き戻す。
「…アフロにならなかったわ。」
「いや、あれ冗談だから。」
種明かしをすればアフロはハッタリで周囲に被害が広がって仲間を傷つけることを知らせることで八重花の攻勢を弱めさせるつもりだった。
実際には等々力が怯えて八重花は全力で炎を撃ってくる予想外の展開だったが。
八重花は一瞬キョトンとした後納得したように頷いた。
「…そうよね。ドルーズに炙られたらアフロじゃなくて髪がチリチリになるものね。」
おかしな理解の仕方だがこれで等々力が戻ってくるまで相手は八重花1人、さっきよりも逃げ出すチャンスは多い。
ゴウと八重花のソルシエールが紅蓮の炎を纏って燃え盛る。
「いよいよ本気ってわけだ?」
冷や汗を背中にかきつつ平静を装う。
八重花の赤と青の炎がユラユラとこちらに狙いを定めるように揺らめく。
「等々力先輩がいない今が逃げるチャンスだとりくが思ってるみたいだから。」
ばっちりご明察。
本当に八重花はやりにくい。
「残念だけど僕を捕まえたってヴァルキリーに協力するつもりはないよ。」
「分かってるわ。捕まえた程度で協力してくれるほどりくが弱い人ならもっと早い段階でヴァルキリーに来ていたはずだもの。」
生命と矜恃の天秤はヴァルキリーに対してはいつも矜恃に傾いている、そんなことまで見抜かれていることに背筋が寒くなった。
八重花はニッと笑みを作り一歩踏み出してきた。
「ヴァルキリーはりくの力を、Innocent Visionを必要としている。だけど私はりくを捕らえることに意味があるのよ。りくを人質に"Innocent Vision"のソーサリスを駆逐する。そうしたら私はりくをヴァルキリーから連れ出して遠くへ行くのよ。叶も、誰も追ってこられない場所にりくと2人で行くの。ふふふ、楽しみね。」
八重花の暗い笑みを左目の朱色の光がより一層不気味さを際立たせる。
八重花は本気で今の計画を実行に移すつもりでいる。
「そうなると、ますます捕まってあげられなくなったよ。」
「あら、初めから捕まる気なんて無いくせに。」
八重花は妖艶に微笑み両手を振り上げた。
二条の炎が猛る。
「でも、逃げ切れるかしら?」