第123話 歪な友情に生まれる傷
放課後、芦屋さんのお見舞いに行こうかと思っていたら廊下がざわめいてドアから巫女装束…ではなく学校指定の制服を着た琴さんが顔を覗かせた。
「半場陸さんと叶さんはいらっしゃいますか?」
慣れない制服姿のためか恥ずかしそうに縮こまっていて普段の凛とした雰囲気とのギャップで可愛らしく見えた。
騒いでる男子の多くは由良さんと並んで有名らしい太宮院琴さんだとは気付いていないようだ。
晒し者にしておくのは可哀想なので鞄を持って近づいていく。
途中で叶さんも一緒になって琴さんの前に立つと
「し、失礼します!」
琴さんは僕たちの手を取るや否や駆け出した。
「きゃっ!」
「うわっ!」
つんのめりそうになるのをどうにか堪えつつ僕たちは琴さんの後に続いた。
「恥ずかしすぎて死ぬかと思いました。」
太宮神社へ向かう人通りの少ない道にまで来てようやく足を止めた琴さんは落ち着いてからそう言った。
「何かの罰ゲームですか?」
素直な疑問を口に出したら睨まれた。
「違うと思いますよ、半場君。きっと服を全部間違って洗濯しちゃって仕方なく制服で来たんですよ。」
ねっと邪気のない顔を向けた叶さんに琴さんは頭に手を当てて呻いていた。
「どちらも違います。…その…先日叶さんが言ったではありませんか。」
『友達がほしいのに巫女服で登校したり…』
そう言えば僕と琴さんが揉めたときに叶さんがそんな事を言っていたような気がする。
ただあれは別に制服を着てこいという意味ではなかったように思うが。
「わたくしが叶さんの友人でいるためには輪に溶け込む努力も必要だと考えたのです。巫女装束のわたくしと歩いているだけで叶さんまでおかしな目で見られるのは耐えられません。」
一応ちゃんと考えていたようだ。
それにしても琴さんの考え方は叶さんを中心にしたものだ。
それほどまでに友達であることにこだわる理由が分からないが叶さんが大切なのは伝わってきた。
「…?」
叶さんは覚えていないようだったが。
「それでコスプレ…正しい制服姿で登校してきたわけですか。」
「そうです。これがわたくしの覚悟の証です。」
息巻いているが神社へ向かう足は速く、一刻も早く帰りたいと言っているようなものだった。
「急いでるみたいですけど今日は何かあるんですか?」
叶さんは意外と空気読まない子で琴さんはウッと呻いて速度を緩めた。
「お、美味しいお茶菓子を戴いたのでご一緒にどうかと思いまして。」
苦し紛れにしか聞こえない弁解に笑ってしまいそうになる。
「わぁ、琴先輩の出してくれるお菓子は美味しいから大好きです。」
だけどここに信じている子がいた。
少女のように(今も少女と言えるが)甘いものに瞳をキラキラさせる叶さんと喜んでもらえたことを喜ぶ琴さんは僕を置いてきぼりにして先に行ってしまった。
ポリポリと頭を掻きながら思う。
(意外と相性がいいのかな、あの2人。)
どちらも純粋だからありのままでいられるのかもしれない。
その場に半場陸という闇は不純物でしかない。
このまま帰ってしまおうかと思ったが
(琴さんはともかく叶さんが泣くよね。)
そして勝手にいなくなった僕ではなく置いていってしまった自分を責めるに決まっている。
もう一度頭をポリポリ。
足は神社に向いていた。
太宮神社の鳥居で2人と合流した僕は前回入った本殿ではなく社務所の裏口に通された。
「いつもはここにお邪魔してるんです。」
「確かに、こっちの方が生活感があるね。」
裏側に当たる部分だからだろうけど小物やらいろんなものが雑多に置いてある。
先日の本殿が人の住まう場所では無いことがよくわかった。
「お待たせしました。くずきりです。」
ちゃっかり巫女装束に着替えた琴さんがお盆に乗せて持ってきたのはくずきりと緑鮮やかな緑茶、格好もマッチして実に純和風である。
「…」
叶さんはすでに期待値最大で声も出さない。
ワクワクが止まらない感じだ。
微笑ましい叶さんを見ながら僕の前にもお茶が置かれ琴さんが腰を下ろした。
「どうぞお召し上がりください。」
容器にさえ風情が感じられるので恐る恐るくずきりに蜜をかけて口に運んだ。
「あ、…」
「美味しいです!」
僕の感想を飲み込んで叶さんは感動の声を上げていた。
面食らっている僕をよそに
「気に入っていただけたならよかったです。」
琴さんは微笑み返していた。
感動を叫ぶようなタイプとは思っていなかったので驚いてしまったが琴さんの前ではその姿を見せていたのか。
(本当の姿を晒せるんだからやっぱりこの2人、相性がいいみたいだ。)
ますます自分が邪魔者だと思えてきて自然とくずきりに伸びる箸が早くなる。
お茶をご馳走になったしあとは若い2人に任せて僕は退散するとしよう。
「男の方は食べるのが早いですね。お茶のお代わりはいかがですか?」
僕が急いで食べているのに気付いた琴さんが丁寧に声をかけてくれたが邪魔すんなと目が言っているようだった。
「ごちそうさまです。僕はそろそろ帰ります。」
「まだ来たばかりですよ、半場君?」
「でも用事もあるし。」
そもそも琴さんに無理やり連れ出されたのだからこの言い訳は通用するはずだ。
叶さんは残念そうにしながらも納得してくれた。
「もうしばらく大丈夫ですよね?お茶だけ飲んで帰ろうなんて卑しいことは考えていませんよね?」
だが予想外に琴さんからストップを受けた。
醸し出す雰囲気に真剣味を感じ取って上げかけた腰を下ろす。
「いくら友人と認めたとはいえ用向きもないままあなたをお呼びするわけがありません。」
「それは…そうですね。」
叶さんとの友情とは大きな溝が存在するが気にはしない。
僕らの関係は叶さんによって繋がれているだけなのだから。
叶さんも僕たちの会話がただの世間話にはならないことを悟って居住まいを正した。
「ご馳走になったお茶の分は話に付き合いますよ。」
僕の冗談に琴さんは少しだけ表情を和らげ、
「あなたの率いる組織、"Innocent Vision"は何をなさるつもりなのですか?」
瞬間、氷のようで苛烈な視線が僕を射抜いた。
やはり琴さんは僕を疑っている。
叶さんの友達だからと普段は妥協してくれているようだがInnocent Visionに関してはいまだ強い警戒心を抱いている。
僕は横目で叶さんを見る。
「…。」
本来は聞かせてはいけない一般人の叶さんは緊張した面持ちでくずきりにも手をつけずに聞く体勢を取っていた。
「叶さん。」
「嫌です。」
説得する前からきっぱり断られた。
「私はもう、知らないところで半場君が傷ついたり、また私の前から突然居なくなってしまうのが嫌なんです。だから、私はここから動きません。」
地に根を張るようにどっしりと構える叶さんの想いの力強さに心が震えた。
「…それじゃあ琴さん。そこの廊下の先で密談でも。」
「それも良いかも知れませんね。」
「ダメです!」
照れ臭くてギャグに走った僕に琴さんは乗ってくれたが叶さんに止められてしまった。
ここまで固い意思があるならもう止めることはできない。
「最後にもう一度だけ言っておくよ。これから聞く話は叶さんのこれまでの日常を壊すものだ。だから今の生活が、友達が大切なら、これ以上踏み込んできたらダメだ。」
ヴァルキリーに関わる話になれば八重花の存在を隠し通すことはできない。
彼女らの友情の輪を絶ってしまうかも知れないのだ。
いろんな覚悟はしたつもりだけどさすがにそれは耐えられない。
だから、退いてほしい。
「私は…」
叶さんはまっすぐに僕の目を見た。
澄んだ瞳、いつから彼女はこんなに強い目をするようになったのだろう。
分かってしまった答えを叶さんは言葉によってつむぐ。
「聞きます。そして何も壊しません。」
それは無知ゆえに気高い宣言。
僕は一瞬、ほんの刹那だけ
この純白をどす黒く染めてみたくなった。
内から湧き出した衝動に苦笑して額を手で押さえ込む。
(僕にも随分と俗な欲望が眠っていたものだ。)
左目の奥が勝手に疼く。
朱の光の向こうに未来が見えた。
それは僕とは関係のない、ただの悲劇。
「ふぅー。」
天を見上げて深呼吸。
鬱な光景を見せられたお陰で少し冷静さを取り戻すことが出来た。
「もう止めないよ。」
「はい。」
しっかりと頷く叶さんの姿が悲しくて目をそらすように琴さんを見た。
一言も口を挟まなかったところを見ると叶さんの自主性に任せて見守るつもりらしい。
放任というか無責任というか。
「"Innocent Vision"は平和のために戦う所存であります。」
「はいはい。冗談はそのくらいで構いませんから。」
軽く冗談で流された。
「冗談ではありませんよ。僕たちはアプローチは違いますし最終目標もヴァルキリーほど壮大じゃないですけど人々の平和のために戦うつもりですよ。」
それは事実。
僕たち"Innocent Vision"はソルシエールという"非日常"、"化け物"の力を使って"日常"に生きる"人"を守るために戦っている。
「詳しくは存じ上げませんがヴァルキリーは違う理念をもって活動していると?」
「そうです。彼女らは世界の恒久的な平和を実現するために動いています。」
これだけ聞くといかにも素晴らしい組織のように思えるだろう。
だが琴さんの表情は固い。
「彼女らのあげる平和はソルシエールが根底にあり、憎しみの対象を力によって排除することを認めるものです。」
邪魔者を消して賛同する者たちだけの世界を作り上げる。
それは確かに平和かもしれない。
だがそれは誰かの主義を反映した箱庭だ。
迎合する者だけを集めた集団に発展はない。
平和はいずれ腐敗していくと思っている。
「それはまた、極論と言いますか、理解しがたい考えです。」
「力を持つ者の業でしょう。優位に立ちたがるのはある種の本能ですから。」
琴さんは神妙な顔つきで思案していた。
"Innocent Vision"とヴァルキリーのあり方に考えを巡らせているのだろう。
「…"Innocent Vision"がその立場に取って変わることはないと証明できるのですか?」
導き出したのはソルシエールを疑う者としての到達点。
どちらの組織も関係なく、力を持つ者を警戒する当たり前の思考。
僕はなぜか笑うことを止められなかった。
「さあ、どうでしょうね?ソルシエールの力は負の感情を糧にしていますから、もしかしたらうちのソーサリスの誰かが全てを憎んで暴走するかもしれません。そうなったらヴァルキリー以上に危険な存在ですね。」
そんな世界の危機を笑いながら説明するなんて不誠実極まりない。
琴さんはあからさまに心象を悪くして不審げな目で僕を見ている。
どうも今日の僕はおかしいみたいだ。
だって、こんななんの力も持たない人たちに話すことなんて何一つなかったはずなのに。
「そう遠くない未来に決着がつきますよ。ヴァルキリーとも、魔女とも。どこが勝つかはInnocent Visionでも何も見えませんけど、琴さんや叶さんに出来ることは何もありません。首を突っ込むのは勝手ですが命の保証はしてあげられませんよ?」
僕は立ち上がって出口へと向かう。
語るべきことはもうない。
2人に背を向けながら僕は分かってしまった。
(ああ、僕は苛立っていたんだ。)
触れれば斬れる刃、科学では説明できない超常の力。
その恐怖がどれほどのものかも知らず、何の保身もないまま闇の世界へと足を踏み入れようとする2人に対して。
僕には2人を守る力なんてない。
自分を守るだけで精一杯のちっぽけな化け物だから。
「だから…」
(だからもう…)
「ソルシエールに、僕たちに関わらないで下さい。」
(これ以上こっちに来ないで。)
「場合によっては"Innocent Vision"は力を行使することも辞さないつもりです。」
もはや自分でもはったりかどうかわからない脅しを最後に僕は社務所を後にした。
僕を責めるように吹き付けてきた寒風に体が震える。
見上げる空はどんよりと重い雲に覆われていてさながら僕の心を表しているようだった。
「…友達、か。」
結局僕みたいな"化け物"には過ぎた望みだということか。
せっかく友達だと言ってくれた人たちを僕は自らの手で突き放したのだから自業自得だ。
「仲間が居てくれる。それだけでも十分だよ。」
それでも人は望みを捨てられない浅ましい生き物でそれは、そんな所ばかり"人"な僕は足取りも重く帰路に着いた。