第121話 宿り木の誓い
「音震波!」
暴力的な空気の波がジェムの頭を吹き飛ばした。
グシャリと地面に落ちた体はどろどろと闇に消えていった。
他に敵がいないことを確認した由良は舌打ち一つ、携帯を取り出して蘭に連絡を入れる。
「陸がいない日に限って忙しいな、くそ!」
『むー、くそじゃないもん!』
途中で電話がつながったため蘭に当たったように聞こえたらしい。
由良は自分に非があることと時間が惜しいため下手に意地を張らずに下手に出ることにした。
「後で土産買ってってやるから、次は?」
陸がここ数日で作り上げた未来地図は蘭が持っていた。
どういうわけか陸が出掛ける日曜日に重点的に発生が確認できたため陸は出掛けるのを取り止めようとしたが由良たちが行ってくるように促したのだ。
自分達だけで大丈夫だからと。
『駅の裏っ側だよ。』
聞くだけ聞いて電話を切ると目的地に向けて駆け出す。
(ヴァルキリーも動いてるらしいな。会いたいような、ないような。)
会いたいとはもちろんぶちのめしたいの意味だ。
陸の未来地図にはヴァルキリーの出現ポイントも記されているため避けて通ることは可能だった。
「俺たちの相手はヴァルキリーじゃない。とりあえずは放っておくか。」
由良はまだ多く溢れる人混みを走り抜けて次の敵へと向かっていった。
ザン
オニキスの刃が十文字の軌跡を走りジェムを四分割にした。
消滅したジェムの向こう側には恐怖のあまり気を失った被害者の女性の姿があった。
明夜は女性の脇で片膝をついてしゃがみこみ呼吸や脈を確認する。
「…。」
声には出さず、わずかな安堵を滲ませて立ち上がる。
空を見上げた明夜の表情はすでに常の無表情に戻っていた。
その瞳が何を見ているのかはわからない。
「…次。」
明夜は女性をそのまま残して歩き去る。
敵の目的も手段も関係ない。
すべての障害を、人々の生活を脅かす非日常を二刀をもって斬り伏せる、それが明夜の変わらない信念だった。
狙い済ましたかのように壱葉に到着した瞬間届いたメールに嫌な予感がして泣く泣く1人で帰ることを選んだ八重花はメールを開いて深いため息を漏らした。
『ジェム出現。ヴァルキリー召集。』
面倒くさいことこの上ないが放置しておくこともできない。
八重花は気持ちだけ急いで歩きながらヴァルハラを目指した。
(りくが気付いていないはずがないからすでに"Innocent Vision"は動いているのね。)
陸の信頼を受ける"Innocent Vision"のソーサリスによる憎悪で左目が朱色の輝きを放ち身体能力が向上した。
飛ぶように駆けて学校に到着、廊下を抜けてヴァルハラへと飛び込んだ。
「東條さん、お呼び立てしてすみません。」
入室するとパソコン画面を睨み付けていた撫子が振り返って申し訳なさそうな顔をした。
葵衣は画面から目を離さずインカムタイプの無線器でソーサリスと連絡を取っている。
「独断でジュエルを駆り出してしまいましたが…」
「こき使って構いません。それで状況はどうなんですか?」
撫子の言葉を遮って八重花はパソコン画面を覗き込む。
黄色いポインターがリアルタイムで動いているのがソーサリス、赤い×マークが撃破ポイントなのがすぐにわかった。
「この青丸は何です?」
だが地図に点在する青い点は何を意味しているのか、予想はしつつ答えを尋ねる。
「"Innocent Vision"が撃破したことが確認できたポイントになります。」
葵衣はやはり顔をあげることもなく説明した。
口調も表情もほとんど変化はないが赤い印に比べて倍近くある青い点に焦っているようにも見えた。
「私はどこに向かえばいいですか?」
ここでモニターを見ていても仕方がないとすぐに切り替えて飛び出す準備をする。
「学校周辺の監視をお願いします。建川に人員が出払っているため壱葉が手薄になっています。」
「了解。」
八重花はヴァルハラから飛び出し、校門を出たところで立ち止まる。
そのまま校門に背を預けた。
("Innocent Vision"も重点的に建川で動いているところを見るとこっちに来る可能性は低いわね。それに襲われるならさすがにりくも一言くらい教えてくれただろうし。)
りくの愛だか友だかの情を信頼して八重花は微笑む。
事実、この日壱葉にジェムは出現しなかった。
怒濤の日曜日が明けた月曜日、登校すると芳賀君が自分の席で突っ伏しているのが見えた。
死んでるんじゃないかと思うくらいに動かないが周囲は暢気に雑談に興じている。
「りくりく、はよー。」
「おはよう、中山さん。」
今日も元気な中山さんが声をかけてきた。
久住さんと叶さん、八重花がいないので話し相手がいなかったと見える。
「芳賀君、死んだの?」
「…うん。」
冗談で聞いたがいつものにゃははではなく神妙に頷かれてしまった。
「教室に来たときから浮かれてて、皆がうざいって…」
「ああ、うん。わかった。」
その説明だけで状況が理解できた。
昨日の一件でテンション上がりっぱなしだった芳賀君が学校に来てもそのテンションは衰えず、自慢だか感想だかを聞かせたのだろう。
他人ののろけを聞かされたって面白いわけがなく、結局我慢の限界を超えたクラスメイトによって…
「いい夢は見れただろうし安らかに眠ってね。」
「死んでない!」
ガバッと復活した芳賀君は髪を逆立てそうな感じで怒っていた。
「お前らー。寄って集ってやりやがって。妬みなんてカッコ悪いぞ!」
言ってることは正しいが妬ませる言動をする芳賀君も悪い。
「ところで結局どこまで行ったの?」
以前と同じ質問をしてみた。
「昨日は臨海の方に行って映画みたり買い物したりだな。」
プランを立てた僕が知らないわけがないのでいぶかしみながら芳賀君は正しく答えてくれた。
クラスメイトは浮かれるから聞くなよみたいな雰囲気だが気にしても仕方がない。
だけど僕が聞きたかったのはむしろ以前の回答の方。
「AとかBとかCではどれ?」
「ブッ!?」
芳賀君だけでなくクラスメイトの大半が吹き出した。
「な、なな、なにを言っちゃってるから陸くんは!はっはっは!」
芳賀君は焦りすぎて変なテンションになっているし。
「いや、手を繋いだとかにしてははしゃいでるからとうとう…」
「わー!やってないぞ!俺たちは健全なお付き合いを…」
「朝から恥ずかしいこと大声で叫んでるね。」
それが聞こえてるのに堂々と入ってくる勇者久住さん。
火が出そうなほど真っ赤になった芳賀君の前まで歩み寄り
「雅人君、昨日はなかなか良かったわ。」
実に意味深な言葉を挨拶に席に向かった。
「雅人君だと!?」
「良かったって、ナニが!?」
再び暴動のような騒動が発生しいまだ再起動を果たせていない芳賀君が飲み込まれる。
僕はそこから待避しつつ
(昨日はあのあと帰ったのかな?)
そんな印象を受けた。
さすがにもう一段階上をネタとして捧げるほど久住さんが芸人気質だとは思わない。
僕はもみくちゃ質問責めに会っている芳賀君を見て思った。
「大変な人が相手だな、芳賀君は。」
平和な朝の光景の裏側ではヴァルキリーのソーサリスによる対策会議が催されていた。
昨晩のデータを元にジェムへの対抗策を考えようとしていたはずなのだが、テーブルを囲む面々の機嫌はかつてないほどに悪い。
呼吸の音でさえ睨み付けるような緊迫感が空間を支配しているが元来図太い精神の持ち主たちのため対抗心を燃やしこそすれ気圧される者はいなかった。
それがまた機嫌を損ねる原因でもあった。
「昨晩のジェムの発生は確認されただけで15体。にも拘らずヴァルキリーが倒したのはたったの4体とはどういうことですの!?」
「はは、残り11体を"Innocent Vision"が倒したんだよ。」
「分かっていますわよ!脳ミソ筋肉は黙っていなさい!」
ヘレナはヒステリーで辛辣な罵倒を浴びせるが良子は精神的に大人なのか…本当に脳ミソ筋肉なのか怒りはせず肩を竦めるだけだった。
「昨日あれだけ走り回って"Innocent Vision"のやつらの3分の1じゃ、あー、イライラするね。」
美保も落ち着きなくカリカリしている。
「それに"Innocent Vision"の方々と一度も会いませんでしたね。」
「インヴィの力でボクたちの動きまで知ってるんだよ。」
悠莉は波風を立てないようにいつも通り控えめで緑里はふて腐れて頬杖をついていた。
撫子と葵衣はいつも通りだがヘレナを刺激しないように発言を控えていた。
そしてこの中で一番機嫌が悪いのは
「…。」
疲れているのにどうでもいい会議に朝から呼び出された八重花だったりする。
無意識にドルーズが発動して背中から炎の舌がチロチロと揺らめいていた。
「やはり、恐ろしい能力ですね、Innocent Vision。」
「未来が分かる時点でこちらに分が悪いことは揺るぎません。撃破した数はあまり参考にはなりません。」
葵衣の冷静な発言にヘレナは激昂しかけたが冷ややかとさえ見える葵衣の表情にふんと鼻を鳴らして顔を背けた。
「そして未来を知っていたにも拘わらず4体のジェムに対応できなかった点が"Innocent Vision"に付け入る隙ではないかと考えられます。」
葵衣の示した理屈に殺伐としたヴァルキリーのメンバーがわずかに興味を見せた。
「それって単にうちらがいたから任せただけかもしれないですよ?」
「可能性としては高いでしょう。逆に"Innocent Vision"がヴァルキリーを避けているとも言えます。」
いつになく饒舌な葵衣にいつしか皆は真剣に耳を傾けるようになっていた。
「でも"Innocent Vision"があたしらを避ける理由なんてあるのかな?」
「ジュエルの大半を失ったとはいえヴァルキリーの8人のソーサリスは健在です。不用意な接触を避けるのは道理です。そしてそれはヴァルキリーの力を恐れているからこそ成り立つものです。」
八重花は小さくフッと笑う。
葵衣の理屈は穴が多い。
恐れているならなぜ学校に来ているのか、単に両組織の魔女に対する優先順位の違いではないか。
上げて突き詰めればぼろが出そうな話ではあったがヴァルキリーの面々はすでに自信とやる気を取り戻していた。
(単純ね。)
嘲りつつも反論を口にしたりはしない。
ヴァルキリーには邪魔者を倒すまで働いてもらわなければならないから。
「お嬢様。」
「…ええ。数の優位を傘に着るわけではありませんがヴァルキリーに優秀なソルシエールが8人も存在していることも事実です。3本の矢の逸話にもあるように力を合わせて成し得ないことはありません。皆の力で"Innocent Vision"を、魔女を打ち倒し、理想実現への第一歩としましょう。」
ヴァルキリーの長の力強い言葉で完全に気力を取り戻したメンバーは口々に"Innocent Vision"を見返すことを誓いながらヴァルハラを出ていった。
八重花も入り口で一度振り返ったが何も言わずに去り、撫子と葵衣だけが残された。
葵衣は撫子の半歩後ろに立ったまま何も言わない。
撫子は皆が去ると徐々に顔を俯かせていった。
そこに先ほどの威厳に満ちた長の姿はない。
「葵衣、ごめ…」
「それ以上申し上げられる必要はございません。」
撫子の言葉を葵衣は遮った。
ビクリと肩を震わせた撫子を
「失礼します。」
後ろから抱き締める。
「葵衣…。」
「貴女様は強くあらなければならないお方です。今はお辛い時期かも知れませんがお嬢様ならば必ずや再び遥か高みを目指して飛び立てると信じております。ですから、その時までは宿り木である私が貴女様をお守り致します。」
「…ッ。」
撫子は声を押し殺して泣いた。
葵衣はただ撫子の頭を抱き締めて髪を撫で続ける。
チャイムが鳴っても構わなかった。
撫子は回された葵衣の腕にすがり付くように泣き続けた。
「…見苦しい姿を、葵衣には晒してばかりね。」
ようやく泣き止んだ撫子は恥ずかしそうに呟いた。
「身に余る光栄です。」
葵衣としては本気だったが撫子は冗談と受け取ったらしくクスリと笑った。
「葵衣の言うようにわたくしが高みに飛び立ったとして、あなたはどうするの?」
「…。」
葵衣は答えない。
誰もが手の届かない「花鳳撫子」にした後のことは考えていなかった。
「…それならわたくしは葵衣という宿り木の枝を持ったまま高みへと飛んでみせるわ。わたくしには貴女が必要なのよ、葵衣。」
「…。」
葵衣は答えず、スルリと腕を解いた。
そのまま数歩後ろに下がってしゃがむ。
撫子は振り返りその姿を見下ろした。
「お嬢様が望まれるのでしたら私は何処へでもお供致します。」
「ありがとう、葵衣。」
葵衣は撫子が差し出した手を取り、手の甲に口づけをした。