第119話 陸と八重花の悪乗りプラン
夢を見た。
視界はボヤけて向こうに何があるのかはっきりしない。
ただ誰かがいるのは感じられた。
包み込まれる温かさに涙が零れた。
瞼が重くなる。
視界が狭まる。
そして、僕は眠りについた。
なんだかよくわからない夢、あれがただの夢なのかInnocent Visionなのかもよくわからないまま登校するとすっかり髪を下ろして黒く染めた姿が標準となった芳賀君に呼ばれた。
どうも周囲が気になるらしくしきりに周りを見回してから耳に近づいてきた。
「モテ大王の陸に聞きたいことがある。」
「前提条件から間違ってる気がするけど、何?」
「実は久住をおデートに誘おうと思うんだがどこがいいか教えてくれ。」
僕の第一印象は青春だねぇ、というおじさんくさい感想だった。
恥ずかしそうにしながらも真剣な様子は好感が持てる。
だがしかし、やっぱり前提条件を間違えている。
「僕だって叶さんと遊園地に行ったくらいで、あとは八重花と買い物に行ったとかだからデートらしいデートなんてほとんどしたことないよ?」
「嘘だ。陸は一度デートをすれば同級生だろうが先輩だろうががお嬢様だろうが誰であろうと仲良くなれる特技があるって聞いたぞ?」
「どんな特技だろ、それ?」
それだと未来視ではなく魅了の魔眼だ。
あいにくそんな力はInnocent Visionには備わっていない。
「そんな胡散臭い噂話は信じないように。」
「でもよぉ。何かいい案考えてくれよぉ。友達だろ?」
しまいには泣きついてきた。
ただ、芦屋さん暴行の嫌疑が掛かっていた(事実だけど)僕を信じて臆面もなく友達だと言ってくれることが嬉しかった。
「…デートコースの予定は?」
「陸ッ!」
ガシッと両手で手を握られて涙を流しながら何度も頭を下げられる。
さすがにクラスメイトも気になるようで視線を感じるしそろそろ久住さんたちもやってくる頃だ。
「話はまた後で。」
「頼りにしてるぞ、親友!」
いつの間にか親友にランクアップしていたが悪い気はしなかった。
昼食、僕と芳賀君を誘いに来た4人に
「男同士の秘密の話がある。」
と芳賀君が説明して断った僕たちは購買でパンを買ったあと人が滅多に近づかない校舎裏に足を運んだ。
「絶対変な誤解されてるよ?」
クラスの一部の女子が瞳を輝かせて反応していたのはBとLのアレを想像していたに違いない。
そうでなくても女子禁制の話となれば古来より色モノと決められていて、八重花は
「私というものがありながら。でもそれとこれは別だと言うし私は寛容な女なのよ。」
と明後日の方向で納得してしまっていた。
なので色々と気が重い。
日陰は寒いので日の当たる場所に腰を下ろしながらパンを頬張る。
「それで、これまでどこに行ったことがあるの?」
「ど、どど、どこまでっていきなりだな!まだ手を繋いだことがあるくらいだ!」
完全に聞き間違いだがそれも聞こうと思っていたからさらりと流す。
思った以上に芳賀君は純朴少年らしい。
「デートにはどこに行った?」
「クリスマスに買い物と、あとは何度かカラオケとかボーリングに。久住、はしゃぐの好きだろ?だから今度もそういうところに連れていこうと考えてるんだ。」
実に恋する男の子だ。
照れる男の子を見ても微笑ましいかは置いておいて、ちゃんと久住さんの趣味嗜好を考えて連れていく先を選んでいる。
話を聞いている限り久住さんも楽しそうなので今まで通りでいいんじゃないかとも思う。
「それなら別に僕に相談する必要ないんじゃない?」
「そうなんだけどさ。もっと喜んでほしいというか、ぶっちゃけもう少し仲を進展させたいというか…」
身悶える姿は視線の外側に外しつつ
「つまりもう少し本格的なデートを組みたいってこと?」
要約してみた。
芳賀君は何度も頷く。
「そういうデートってやっぱりタキシードを着て薔薇の花束を渡すもんなのか?」
一瞬冗談かと笑いそうになったが芳賀君の目はとてもマジだった。
舞い上がってるのかアホの子なのかは追求しないことにする。
「高級レストランとかナイトクルーズでディナーならやってもいいと思うけどそんな予算あるの?」
やれば確かに関係は大きく進展しそうだがそれはもはやプロポーズの域だ。
そこまで考えているなら止めないが
「…先立つものが。」
それ以前に学生にはハードルが高い。
僕はパンをもふもふかじりながら情報を整理する。
(デートね。ショッピング、ボーリング、カラオケ、あとアミューズメント辺りには行ったかな。確かに久住さんの好きそうなところだけど本格的なデートにはちょっと不向きだ。)
芳賀君の理想はダンディーな魅力を見せたいのだろうがそういうのはまだ早い。
学生らしく、それでいて芳賀君の良さをアピール出来ればそれで十分だろう。
付き合っているのなら久住さんだって芳賀君を想っているのだから。
(遊園地辺りも楽しめるだろうけど今回は除外。少し裏を取る必要はあるけどこっちかな。)
「陸、さっきから黙ってるけど何かいい案ないか?」
「ちょっと待ってて。」
不満げな芳賀君を残して僕は一度席を立ち、少し距離を取ってから携帯を取り出した。
『もしもし、そっちは順調かしら?』
八重花はいきなりからかってくるがもう慣れた。
「難航してる。だから助力を頼みたいんだ。」
『やっぱり男や紙の上のより私がいいのね?…それで?』
冗談を織り混ぜつつ八重花は本題を促してきた。
「芳賀君と久住さんのデートプラン作成。」
『…へぇ。』
電話の向こうで八重花が楽しそうに笑う姿が目に浮かんだ。
僕も笑みが浮かぶ。
「助言だけと思ったけど…乗り気だね?」
『よく分かってるわね、りく。この件、噛ませてもらうわ。後でプランを練りましょう。』
「お願いするよ。」
八重花の頭にはすでに計画が組み立てられ始めているのだろう。
返事もそこそこに切られてしまった。
僕は携帯をしまいながら芳賀君のところに戻る。
「どうしたんだ?」
「ちょっとネットで調べ物しようと思ったんだけど携帯だと使いづらくて。プランは練ってみるからちょっと待ってて。」
八重花の助力は説明しない。
情報源は明かすと芳賀君も意識してしまうだろうし彼女の友達に助けを求めるのに抵抗があるのかもしれないから。
現に叶さんや八重花、中山さんではなく僕に相談してきたのがいい証拠だ。
「そっか!悪いな!」
芳賀君は疑う素振りもなく喜んでいる。
「今度の日曜日でいいんだよね?」
「おう、頼むぞ。」
芳賀君は意気揚々と校舎裏をあとにするので僕も続く。
(さて、どうしてくれようか。)
いい意味で悪どく笑う僕は今を楽しんでいた。
「八重花、さっきの電話誰から?」
教室で弁当を広げていた所で八重花が一度電話で席を離れていた。
戻ってくると裕子の質問が入った。
当然ばらすような真似はしない。
「乙女会からよ。今日はそっちで忙しいから。」
「にゃはは、大変だ。」
2人も別段興味があったわけでもなくすぐに別の話題で盛り上がり始めていた。
「…」
ただ1人、叶だけは八重花をじっと見つめていた。
放課後
「あー、乙女会忙しいわ。」
八重花はわざとらしく声に出して教室を出ていった。
メールで集合場所は指定してあるので僕はゆっくりと立ち上がる。
「陸、頼むな。」
小声で懇願してくる芳賀君に頷いて僕も教室を後にした。
向かう先は壱葉駅前のネットカフェ。
中に入ると八重花はすでにルーズリーフにメモを取りながらネット検索を始めていた。
「自分のデートを他人のプランに委ねるモブに興味はないけどりくの頼みなら協力するわ。」
と言っているがどちらかといえば久住さんのためにしているように見える。
「確かに裕子は騒ぐの好きだけどそれだけしか見てないなんてあのモブは…」
カリカリとペンを走らせつつ八重花は愚痴る。
そこにはやっぱり久住さんに楽しんでほしいという思いが込められてる気がした。
「りくの挙げてくれたプランはいい感じね。誰を誘うのかしら?」
「これは芳賀君たちのだよ。」
こんなやり取りを繰り返しながらプランを組み上げていって最終的に出来上がったのは3時間後だった。
ちょっと悪のりしすぎた感はあるがいい出来だと思う。
八重花は汗を拭ってため息をつく。
「やれるだけのことはやったわ。あとは本人がどれだけ自分で考えたように振る舞えるかだけよ。」
それを言ってしまうのは酷だと思ったがその通りでもあるのでノーコメント。
そして
「私たちの作り上げたプランの完成度を見るために当日は私たちもついていくわよ。」
八重花がこう提案してくることも、Innocent Visionなんか使わなくても分かりきっていた。
何だかんだで押しきられて尾行デート(デート尾行)をすることになった。
一応最近のジェムの事件を警戒して送っていくと申し出たのだが
「送り狼はまたの機会にお願いするわ。」
と変な感じにあしらわれてしまった。
1人で家に帰り
「お待ちしておりました。」
なんの予兆もなく海原葵衣がうちの前で待っていた。
「粗茶ですが。」
「お気遣い感謝します。」
リビングには僕と海原だけだ。
両親は花鳳の使用人の登場にびびって寝室に引っ込んでしまった。
僕が正面に座ると海原は一口お茶を飲んで湯飲みを置いた。
「本日アポイントメントも取らずお邪魔してすみませんでした。」
「それは別に構いませんけど、花鳳先輩のお使いですか?」
前に一度僕のクラスに来たときは花鳳の使いとしてやって来た。
今回もそれかと思ったが
「いえ、本日は私の意思です。」
きっぱりと断言されて首を傾げずにはいられなかった。
何せ僕と海原に直接的な接点はほとんどない。
他のソーサリスとは戦場で対峙したことがあるが海原葵衣だけはいまだどんなソルシエールでグラマリーを持っているのかもわからないのだ。
「単刀直入にお伺いします。」
「…はい。」
海原は一呼吸置き
「お嬢様をどう思われますか?」
いきなり意味深な質問をされてしまった。
「は?えと、女性として、ですか?」
面には極力出さないようにしつつ内心パニック。
海原も少しだけ目を丸くして硬直した。
「…言葉が足らず申し訳ございません。そのような意図ではなく、ヴァルキリーの長として敵である貴方にはどのように写っているのでしょうか?」
僕は無駄にひきつった全身の筋肉を弛緩させた。
残念ではない。
むしろ本気で訊かれた方が困っていた。
「僕はヴァルキリーの理念を理解できません。殺すことを正当化する世界を作らせるわけにはいきませんから。」
ヴァルキリーを真っ向から否定しても海原は眉一つ動かさなかった。
「でも、組織のトップとして見ればすごく優秀だと思います。理想を実現するために持てる力の全てをかけて挑んでいく姿は立派ですよ。特にジュエリアの全国展開は予想してませんでしたから。」
そう、僕は花鳳撫子という人物にそれほど悪感情を抱いてはいない。
彼女はたどり着くための手段を間違えてはいると思うが高尚な理想を抱き、それを夢物語で終わらせようとせず実行できる人だから。
さすがに心の声まで発露するつもりはないが海原は僕の心のうちまで読み取るようにじっと僕の瞳を見ていた。
「…お嬢様が固執し、怖れる理由が理解できた気が致します。貴方は怖い人ですね。」
海原がわずかに笑ったように見えた。
「お嬢様は貴方に理想を目指すための翼を剥ぎ取られて篭から外へと飛び出すことを怖れる小鳥になられました。」
「素敵な表現ですね。」
素直な感想だったがちょっとムッとされた。
「理想を汚しながらもお嬢様を認める貴方の懐の広さは必ずやお嬢様を堕落させてしまいます。」
海原の左目が朱色を帯びて左手にソルシエールが現出する。
「従って私も"Innocent Vision"との共闘条約に反対させていただきます。」
「共闘条約?」
どうやらまたその話を出すつもりだったのか。
こちらとしては有り難かったがどうやら交渉は決裂したらしい。
「もしも半場様がお嬢様のためを思われるのでしたら、お嬢様からお話を持ちかけられたとしても断っていただきたく思います。」
「それが"Innocent Vision"にとって大きな損害になるとしても?」
"Innocent Vision"の皆は別に何とも思わないだろう。
だが確認しておかなければならない。
これがこちらの戦力を削ぐための作戦なのか、海原葵衣という人物の主に対するまっすぐな忠義心なのかを。
海原は右腕に刀身を添えた。
切れ味が良すぎる刃は服を断ち肌にめり込む。
執事服の内側のシャツが瞬く間に鮮血に色づいていく。
「私の腕を代価に…」
「わー!ストップ!」
ソルシエールを叩き落として
「…ふう。無茶しますね。」
呆れた目を向けると海原はソルシエールをしまいながら強い意思のこもった瞳を向けてきた。
「すべてはお嬢様のためです。」
「わかりました。僕の負けです。共闘条約に関しては断ることを誓います。」
海原はわずかに口の端に笑みを浮かべて恭しくお辞儀をした。
治療をすると言ったが丁重に断られ、最後に忘れていたと言って高級洋菓子店のケーキを残して帰っていった。
間違いなく断ったことへのお礼だと思うが
「律儀なことで。」
僕はそのまっすぐさに苦笑を浮かべて去っていく海原を見送った。