第118話 夜を駆ける者たち
「イマジンショーターイム!これで人は来ないよ。」
ここは建川のビル街の裏側。
「ったく、手こずらせやがって。」
"Innocent Vision"はジェム討伐に赴いていた。
今回は僕も一緒だ。
Innocent Visionで事件の発生を確認して現場に向かい被害者が食べられる前にジェムに接触した。
夢ではジェムが被害者を狙っている光景だけだったので割り込むことができたわけだ。
「来る。」
明夜の言葉を合図にしたように低く唸っていたジェムが飛びかかってきた。
垂直にそそり立つビルの壁面を地面と変わらない速さで跳び跳ねて真っ直ぐに僕に襲いかかってきた。
人を喰らって知恵をつけたのかもしれない。
「陸!」
「大丈夫。」
ちゃんと見えてる。
左目が朱色を帯びて熱を持ち視界の向こうに未来が見えた。
僕はその軌跡を回避するように体を捻る。
「ッ!?」
直後弾丸めいた速度で襲いかかってきたジェムは脇を通過して地面に激突した。
さすがに強化されているようでグシャッと潰れることはなかった。
「それが本当のInnocent Visionか。化け物だな。」
「由良さんたちには言われたくないよ。」
軽口を叩きつつ由良さんが僕の前に出る。
蘭さんと明夜は僕の後ろと隣にいて今みたいな奇襲に備えてくれていた。
由良さんが玻璃を無造作にぶら下げながらジェムに近づいていく。
「ウガアアア!」
ジェムは再び三角跳びの要領で壁を交互に跳びながら速度を増していく。
「震えろ。」
由良さんの闘志に呼応して玻璃の振動が大きくなっていく。
「ガアア!」
ビルの3階付近の壁を蹴ったジェムが隕石のように落ちてくる。
それはもはや肉眼ではほとんど姿を見ることすら出来ないほどの速度だった。
その流星は真っ直ぐ僕に…
「させねえよ。」
由良さんの声が聞こえた瞬間
「ギャアアア!」
チュイイイイと甲高い音が戦場を満たしジェムが空中で制止していた。
「超音壁、普通は攻撃性のある障壁なんだが、相手が突っ込んで来たらどうなるだろうな?」
いやらしい笑みを浮かべながら由良さんは上を見上げる。
いかに人外の存在であるジェムとはいえ人型をしている以上空中での行動は不可能だろう。
そうなると運動エネルギーが続く限りジェムは障壁に向かい続けることになるがそれは回転ノコギリの刃を押さえ続けるような無謀な行為。
触れた先から刻まれていき、すでにジェムの腕は中ほどまで消滅している。
断末魔の悲鳴すらも振動に掻き消されてジェムは自らのスピードによって消滅した。
「一件落着、だな。」
ブンと玻璃を振るって仕舞う姿は凛々しくかっこいい。
蘭さんのイマジンショータイムが解かれれば僕たちが立っているのはちょっと暗いだけの路地裏で町の雑踏の音も光も届いている。
「あの子は気付かなかったみたいだね?」
狙われていた少年はいない。
背後から襲いかかったジェムを明夜が路地裏に叩き込んで後は隔離して撃破したから気付かれずに済んだのだろう。
由良さんは難しい顔で見えるはずもない少年の姿を探す。
「子供で男じゃジュエルとは違うよな。」
「他の被害者みたいにジュエルを狙ってるのを隠すためのブラフかな?」
蘭さんの意見は資料を作ってくれた海原も示唆していた。
立て続けにジュエルの女子ばかりが狙われたら僕たちやヴァルキリーだけでなく警察も純乙女会に疑惑の目を向けて取り締まりが強化され、動きづらくなる可能性があるので無関係な人間を狙っているのかもしれないと。
それは確かに理屈にはあっている。
だけど、超常の力を扱う魔女がそんな『人間的な』偽装を施すのかと疑問にも思っていた。
「…。」
明夜は何も言わない。
何か気になることはあるみたいだが確信がないのか別の理由か話してくれない。
ソルシエール・オニキスの件に関しても分かるように明夜は重要な要件ほど徹底した秘密主義なので無理に聞き出しても無駄だろう。
「とにかくもう少し哨戒して何もなければ帰ろう。」
僕の一声でみんなが警戒を緩めて頷いてくれた。
ビルの谷間から表に出ると街灯やイルミネーションの光、車や人の音がまるで別世界に迷い込んだように飛び込んできた。
駅前の時計を見れば時間は夜の8時少し前、学生も会社員も若者も年寄りもまだ活動している時間だ。
その一歩裏側に入った世界で捕食が行われようとしていたことを考えて少し怖くなった。
もしもジェムが見境なく暴れだしたらどうなってしまうのか、考えないわけにはいかなかった。
「この調子で陸のInnocent Visionで見つけて潰していくのはいいんだがもっと簡単に見つけられないのか?効率が悪いぞ。」
以前のような未来地図を作成することも考えたがそれなりに時間がかかってしまうため今は全員で潰しに回っている。
「確かに由良さん1人でどうにかなる相手だからね。言いたいことも分かるけど…ちょっとね。」
僕は左目を押さえる。
今のInnocent Visionは"眼前の事象の未来を見ることができる"力が付加されただけですべての未来が見えている訳じゃない。
八重花の前で使ったInnocent Visionも本質はスタンIVと変わらないので必ず見られるわけではないのだ。
そういう理由で未来地図は保留としている。
「取り敢えず頻度はまだ多くないみたいだしInnocent Vision自体の負担もかなり少なくなったからそのうち作ってみるよ。」
直接現場に出向いたのもジェムの存在を強くイメージ付ける事でInnocent Visionを使って事件の夢を見やすくするためだ。
「ヴァルキリーはどう動くんだろうね?」
いつの間に買ってきたのか蘭さんはドネルケバブにパクつきながら首を捻った。
どうでもいいが蘭さん、明夜という名の野獣に狙われてます。
「事件の原因が魔女だと知ったのが今日だからいきなりは動かないと思う。人員も少ないことだし人海戦術よりはジュエルをマークしつつジェムの出現傾向から首謀者である魔女を見つけ出そうとするだろうね。アプローチは少し違うけどやることは僕たちと変わらないよ。」
だからと言って協力しようというわけではないが。
ヴァルキリーがあくまでもソルシエールという狂気を容認し続ける以上僕たちは抗う、それが"Innocent Vision"の意志だ。
「まあ、ジェムを追ってる間は前みたいな共闘条約もありかもしれないけどね。」
「共闘条約はやはり難しいわね。」
撫子は自室で風呂上がりの髪を葵衣に手入れさせながらポツリと呟いた。
「対策会議の件ですか。現状では厳しいかと思われます。」
2人が話しているのは今日の放課後にヴァルハラで行われた『第二回ジェム対策会議』についてである。
八重花が陸から聞き出した情報によって行方不明事件の犯人がジェムだと知ったソーサリスたちは難しい顔をしていた。
「インヴィのInnocent Visionの恐ろしさを実感させられるわ。」
「そうですね。でも今はジェムについてです。」
美保の意識が陸に向かおうとするのを悠莉がやんわりと軌道修正する。
「ジェムが現れたのなら今夜からでもワタクシたちは出るべきですわ。」
「人喰いジェムを放っておいたら大変なことになるもんね。」
ヘレナと緑里はすでにやる気十分で今にも飛び出していってしまいそうなほどだった。
「でもさ、ジェムがどこに出るのかわかるの?」
しかし良子の疑問に2人はうめいて顔を逸らした。
そのまま全員の目が葵衣へと向かう。
葵衣は会議の内容を記録しつつ顔を上げた。
「出現地点の特定は不可能です。人員不足の現状、完全に対応するのも難しいと思われます。」
「確かに、無差別に狙われると対応できませんね。」
八重花の合いの手に撫子は微笑みを向けて引き継ぐ。
「東條さんも同じ考えのようですね。手が足りない以上以前のような作戦は展開できません。ですが狙われているのはジュエルに属していた者たちです。彼女らをマークしつつ被害者を含めてジェムが狙う相手の特徴を割り出し、その手がかりを元に魔女を直接廃します。」
誰の反論もない。
むしろ明確な目的が見えてやる気を出したようだった。
「でも脱会したジュエルは60人くらいですよ?全員をマークするのは難しくないですか?」
だが美保の質問でまた沈黙が降りる。
結局のところ何をするにしても人手が足らなかった。
それこそ、Innocent Visionのような特殊な探知能力でもない限りは。
「これは…もう一度"Innocent Vision"と共闘条約を…」
「絶対反対です!」
「絶対反対ですわ!」
撫子の提案とも呼べない呟きにヘレナと緑里は声を荒らげて立ち上がった。
「こちらも以前とは違います。敗北を喫した以上次に出会ったら決闘ですわ!」
「負けたまま共闘条約だからって逃げられるのは我慢なりません!」
ギャアギャア騒ぐ2人に困り視線を巡らせるが美保と良子も不満げな顔をしていた。
「前回はこっちが有利だったから共闘条約も結べましたけど今回はいけるんですか?」
「そうだね。それにインヴィが学校に出てくるようになったのはもしかしたら新しい力を手に入れたからかもしれない。」
美保の懸念と良子の疑問はますます共闘を遠ざける。
ヴァルキリーは"Innocent Vision"よりも上にいなければプライドが許さないから。
そんなやり取りの中、八重花は良子の言葉について考えていた。
(確かにりくが学校に出てきたのはかなり予想外だったわ。Innocent Visionの要だと思っていたあの病気もここ数日見ていない。もしかしたら等々力先輩の言う通りりくのInnocent Visionは今までと違うのかもしれない。考えられるのは起きたままInnocent Visionを使えるようになったことくらいだけど、屋上では少し眠っていたわね。)
八重花の考察は本質へと迫るものの元を知らないため真実へは至れない。
こうして会議は「元ジュエルの監視と保護、"Innocent Vision"との共闘条約はなし!」という方向で纏まったのであった。
「そもそも皆様にとってはジェムよりも"Innocent Vision"こそが最優先で倒すべき敵という認識です。その彼らと手を組んでまでいまだ大きな動きを見せていない魔女を打倒する必然性があるのかという疑問もございます。」
葵衣の私見を挟まない正論に撫子は論破できずため息を漏らした。
髪を優しく鋤いてくれる櫛の動きはさっきから淀みない。
「先ほどの皆様に、葵衣は含まれているのかしら?」
ピタリと一瞬櫛が動きを止めた。
あからさまな動揺の仕方に撫子は笑みを溢す。
無言のまま手入れが終わり櫛が止まった。
それでも葵衣は動かない。
「…失礼を承知で申し上げます。」
「構わないわ。」
「お嬢様は、半場様と戦われることを恐れているようにお見受けします。」
葵衣は言って、撫子の返事を待った。
1秒を刻むアンティークな時計の針の進みを永遠のように感じながらただじっと答えを求めた。
「…ふっ。」
無限の時を経て葵衣が聞いたのは撫子の小さな笑い声だった。
撫子はそのまま後ろに体重をかけて葵衣にもたれ掛かった。
前代未聞の行動に葵衣は表情を変えられないくらいに困惑した。
「やっぱり葵衣には分かってしまうのね?それとも皆も気付いているのかしら?」
甘えるようにさらに体重をかけてくる撫子に葵衣は迷い迷ってそっと肩に手を置いた。
「気付いていらっしゃる方もいらっしゃるでしょう。少なくともお嬢様の変化には。」
「…そう。」
葵衣は膝立ちから正座になって太ももに撫子の頭を迎えた。
ここまで甘えられるのは初めてなのでどうしていいか分からず優しく頭を撫でる。
「半場さんは、インヴィは恐ろしいわ。未来を見る瞳はわたくしの心すべてを見透かしているのではないかと思うほどに。」
撫子は葵衣の手を気持ち良さそうに受け入れて安らいだ様子で瞳を閉じた。
「未来を知る相手と戦うのは確かに困難でしょうが逃げ切れない一撃を与えれば儚く散る命に違いはありません。」
葵衣の反論にも撫子は曖昧に頷くだけ。
「葵衣は強いわね。」
「お嬢様は少しお疲れなだけです。今はゆっくりとお休みください。」
頭を撫でながらポン、ポンと優しく肩を叩いてあげるとやがて撫子は静かに寝息を立て始めた。
その寝顔を見ながら葵衣は表情を引き締める。
(共闘条約の件も含めて、一度半場様のお考えをお尋ねする必要があるようですね。)
窓の外に目を向ける。
曇天の空に月は見えなかった。