第117話 友との語らい
ホームルームが終わると同時に海原は行方不明事件に関する資料を持ってきてくれた。
(いつ作ったんだろう?)
八重花が教室に戻ったのは5時間目の前だからその時に話したとしてホームルームまで1時間くらいしかない。
ちゃんと授業に出たのかちょっと心配になったが海原は普段通り感情に乏しい反応しか見せないので詮索は止めた。
簡単に資料に目を通すと警察の内部情報としか思えないような詳しい個人情報や目撃情報、それと発生予測地点の地図などが入っていた。
「さすが…でもエクセスでもこれくらいは…」
興味深そうに覗き込んだ八重花がなにやら呟いていたがどちらにしろ深入りすると危険な感じがしたので出所などは気にしないことにした。
「それでは失礼致します。」
執事服姿の海原は仰々しくお辞儀をして退室していった。
クラスメイトが海原の姿について感想を言い合っているうちに僕は資料を鞄に詰めて教室を出た。
八重花と叶さんがこちらを見ていたがさすがに連れていくわけにはいかない。
僕は携帯のメールで"Innocent Vision"を呼び出した。
最近"Innocent Vision"の会議と言えばファーストフード店となっていた。
僕の隣に明夜、正面に由良さん、斜め向かいに蘭さんが座っている。
そしてトレーをどけたテーブルの中央には海原からもらった発生地点の地図が広げられている。
(ずいぶん昔にこんな光景を見たことがある。)
仲間で揃っての作戦会議。
出来れば血生臭い話はしたくないが僕たちは立ち向かうと決めた以上目を逸らすわけにはいかない。
由良さんがコーヒー片手に被害者のリストをペラペラと捲る。
格好が格好ならOLみたいだ。
「被害者に共通点はなし。年齢も違うし何より男女構わずか。それでこいつが元ジュエルだったと。」
「これだと偶然なのかジュエルを狙ったのかわからない。けどInnocent Visionで見た未来もジュエルが襲われてた。ただの偶然とは思えないね。」
明夜は期間限定デラバーガーを頬張りながらも話題を気にしているようだった。
蘭さんは珍しく静かに窓の外を見ている。
その瞳に憂いがあるように見えて僕は声をかけることにした。
「蘭さん、どうかしたの?」
「ふぇ?何でもないよ?」
本当に不思議そうに首を傾げられた。
いつものハイテンションがないのが気になったが本人が自覚していないならもう少し様子を見た方がいいかもしれない。
「蘭のテンションが低い時は病気としか思えないからな。」
由良さんはコーヒーを置いて無造作に蘭さんの額に手を当てた。
「熱いぞ?」
「由良ちゃんの手が熱いだけだよ。」
不満げな口調に反して蘭さんは嬉しそうに笑う。
元気を取り戻したように見えた。
明夜はデラバーガーを平らげて地図に目を落とした。
「また、夜の町でジェムを探す。」
「そうだな。」
「うん、やろう。」
明夜の提案に由良さんと蘭さんが賛同して僕に視線を向けてくる。
頼もしい仲間がいて嬉しくなった。
「僕も協力するよ。みんなでジェムを食い止めて魔女を見つけ出そう。」
ヴァルキリーや魔女を倒す。
その思いは今も変わらない。
でも、すべてが終わったときに僕たちがどうなるのか、そんな漠然とした不安を抱いた。
それはInnocent Visionも見せてくれない未来。
(大丈夫だよ、僕たちは…)
だから、そう信じるだけだ。
不確定な未来を。
叶は今日も病院にお見舞いに来ていた。
看護師とは顔見知りであり、叶が頻繁にお見舞いに来るため実は恋人なのではという噂があるとか。
そんな事とは露知らず、今日も親友が寂しがっていないかとやって来た叶は病室ではなくリハビリテーションルームに案内された。
そこは背の低い階段や平行棒、手すりなどがある名前の通りリハビリのための部屋で、真奈美はケンケンするように平行棒を歩いていた。
「すごいわね。久々に運動したにしてはちゃんと動けてるわ。」
「腕の方を鍛えてますから。」
看護師の間でも真奈美の部屋にある筋トレグッズの逸話は有名なので忍び笑いをしながらも納得していた。
「ふふ、それじゃあ彼に感謝しないといけないわね?」
「半場は彼氏とかじゃないですよ。そういうことを言うとあたしが刺されるかもしれません。ほらあそこに…」
そう言って真奈美は叶を指差した。
叶は真奈美と看護師の2人に訳知り顔で見られて赤くなった。
「真奈美ちゃんを刺したりしないもん。」
「あはは、ごめん。冗談だよ。」
真奈美は看護師に車椅子に乗せられながら楽しそうに笑った。
左目の眼帯姿ももう慣れて気にならない。
病室までの移動を引き受けて叶は車椅子をゆっくりと前進させた。
「真奈美ちゃん。私、半場君に話したよ。」
「…そうなんだ。」
それはヴァルキリーのこと、ソルシエールのこと、Innocent Visionのこと。
口外を憚られる非日常の世界を知っているということ。
「半場は、なんだって?」
真奈美から伝えたとはいえそれを打ち明けたことで2人の関係がギクシャクしてしまうのは心苦しい。
だが聞くまでもなく叶の声に悲嘆の色が無いことも分かっていた。
「少しだけ仲良くなれたよ。叶さん…って呼んでくれるようになった。」
叶さん、そう口にしただけで叶が照れる。
(半場が名前を呼ぶ相手はみんな親しい人だけだね。ちょっとは進展したみたい。)
親心や姉のような心境で叶を応援している真奈美は優しく微笑んだ。
「それに琴先輩も紹介したの。」
(あの巫女さんか。)
以前深夜の病室にやってきて1人にだけ真実を明かすように言ってきた人物だと後日叶から聞いた話で知った真奈美は、あれが叶に真実を教えるためにやったことだと思っている。
「叶はさらに半場の周りに女の子を連れてきて敵を増やすわけね。」
「こ、琴先輩はそんなんじゃないよ。…たぶん。」
そんな可能性を考えずただ琴に友達を紹介したかっただけだと分かっていながらからかう真奈美。
「それよりすごいね。真奈美ちゃん、もう歩けるんだ。」
左足の怪我から数ヵ月間ベッドの上だったのだから普通はかなり筋力が衰えていてしっかり歩けるようになるには時間が必要だと思われていた。
それが数回のリハビリで片足だけでの移動ができるようになったのは病院側としても驚愕の事実だった。
真奈美は答えず微笑むだけ。
そうしている間に病室に到着したので叶は真奈美の体を支えながらベッドに腰かけさせた。
車椅子を所定の位置に戻して帰ってくると真奈美がちょいちょいと手招きした。
「なに?」
「実はあたし、反則してるんだ。」
それは懺悔というよりはいたずらを隠しているようなワクワクを孕んでいた。
「え?」
「アルミナ。」
叶が告げられた言葉の意味を理解するより早く真奈美の眼帯の奥が朱色に輝き左足の先に刀身の義足が顕現した。
驚いて距離を取った叶の前でガシャンと音を立てて真奈美は立ち上がり腰を捻ったり軽く屈伸をしたりと柔軟を始めた。
「ジュエルには身体能力を向上させる力があるんだよ。それで毎日気付かれないように歩く練習をしてたんだ。」
「はぁー。」
これで見るのは2回目とはいえ現実とは思えない光景に叶は半ば放心していた。
潰れたはずの左目が朱色の光を放つのも武骨な刃の足も真奈美には似つかわしくない。
それでも表情は嬉しそうだから叶に何も言えなかった。
「真奈美ちゃんはそれを使って何をしたいの?」
陸への復讐と言い出したら止めなければならないと無駄に気を引き締める。
「とりあえずは義足を早く使いこなすための練習だけど、その後は…」
真奈美はんーと唸った後はにかんで
「内緒、かな?」
はぐらかした。
「えー、教えてよ、真奈美ちゃん?」
「ははは。ダメダメ。叶には秘密。」
「なんでー?」
じゃれ合う2人は本当にいつも通りで
(よかった、いつもの叶だ。)
(よかった、いつもの真奈美ちゃんだ。)
2人は同じことを思い笑い合った。
「ただいまー。」
「お邪魔します。」
美保の家に珍しく悠莉が遊びに行きたいと言い出したため2人は一緒に帰ってきた。
標準的な2階建ての一軒家で両親と姉の4人暮らし。
美保は決してお嬢様ではない。
その強すぎる反骨心と向上心、好戦的な性格が魔女に認められて攻撃の意志の権化、弱者を虐げる優れた者の証明たるスマラグドを与えられたのだ。
その力を試すためにつるんでいた女子グループを操り敵対グループとキャットファイトを引き起こし、双方を再起不能に追い込んだ。
美保は高みの見物をしながら高笑いを上げていた。
2人の真の意味での出会いはそんな狂気にかられた美保を悠莉に見られたところから始まったと言える。
自分の仲間と敵対グループを見下ろして笑っているという凄惨な光景に目を見開いた悠莉を見たとき、美保が抱いたのは悠莉を殺そうという黒い感情だった。
だが悠莉はいっそ不気味なほどに綺麗な笑みを浮かべて言った。
「その程度の仕打ちで満足ですか?」
と。
最終的に敵対グループの全員が精神に深い傷を負い、中には今なお精神病院に入院しているものもいる。
悠莉の手にはサフェイロス。
そうして美保は魔女から力を授かったのが自分だけではないことを知り、悠莉がスカウトされたヴァルキリーへの参加を決めた。
それから微妙な関係ながら親友と呼んで差し支えない程度に親密になったつもりだったがここまで毒気のない悠莉を見るのは初めてだった。
(黒くない悠莉なんてただのお嬢様よ。)
陸辺りが聞けばむしろそれでいいと強く主張しただろうが美保としては張り合いがなかった。
部屋に招き入れてお茶を振る舞っても心ここにあらずでぼんやりとしている。
(クリスマスの頃から様子がおかしかったわね。)
記憶を辿ってみるとその辺りから急に口数が少なくなったように思えた。
「美保さん。」
「え?あ、何?」
突然声をかけられて美保は一瞬反応が遅れて応じた。
悠莉は紅茶に口をつけると憂いを帯びたため息を漏らした。
その艶やかさに美保はドキリとさせられた。
「また、負けてしまいました。」
すぐにクリスマスパーティーのことだとわかり美保も表情を暗くした。
ジェムの妨害は最後だけなので実質的には4対100の戦局をひっくり返された。
しかも"RGB"に至っては戦闘の中盤までに全滅してしまった体たらく。
落ち込むのも無理がないと言えた。
「次に勝てばいいのよ!」
美保は自分を奮い立たせる為にグッと拳を握って声をあげたが悠莉は儚く微笑むだけ。
「美保さんは強いですね。私は、何度も耐えられるほど強くないんです。」
悠莉は自分の体を抱き締める。
美保はそんな弱々しい悠莉の姿を見ていられずに目を逸らした。
重たい沈黙の中時計の針の刻む音がいやに大きく聞こえた。
(このままじゃダメよ。)
友達として、仲間として悠莉をこのままにはしておけないと美保は決意した。
意を決して悠莉を説得しようと向き直り
「ハァ、ハァ。これ以上されたら壊れてしまいます。蘭様ぁ。」
言葉を失った。
悠莉は自分の体を抱き締めたまま荒い息を吐き、目もぼんやりと虚ろで頬は上気している。
それはもう色っぽいというよりもエロい姿だった。
「蘭、様?」
そう言えばルチルに取り込んだのって江戸川蘭だったなと思い出した。
悠莉は蘭の名前を聞いただけで身をよじった。
「蘭様には二度も私の心の具現であるルチルを支配され、蹂躙されてしまいました。これ以上されたら本当に壊れてしまいます。」
悠莉のスペリオルグラマリーはコランダムに自らも入り込んで絶対者として責め苦を与える技だ。
それを二度も返されたことも驚きだったが
(この子、どう見ても喜んでるわ。)
悠莉は壊れると嘆いているが表情と声からはむしろ壊されたいと望んでいるように見えた。
(Sの子だと思ってたけど実はMなの?)
もはやここまでくると完全に変人だ。
喜んでるのか嘆いているのか分からないので美保も慰めようがなく、そもそも慰める必要性に疑問を抱いたくらいだ。
「あんた、インヴィを気に入ってたんじゃなかったっけ?」
「半場さんですか?男性としては素敵だと思います。」
(は、って言ったわ!男性としてはって。)
SにしてM気質。
しかもバイセクシャル疑惑。
もう美保に手を差し延べる力はなかった。
「心配したあたしがバカみたいじゃないの!」
「あらあら、美保さんは優しいですね。」
その後、キレ気味に悠莉を真人間に戻すべく説得を続けたが結局成果は見られず、美保はせめて悠莉が道を踏み外さないよう見守る事を決めたのであった。