第115話 ジェムの胎動
八重花が陸への同行を邪魔された腹いせに容赦ない訓練を終えた後、ヴァルキリーから召集がかかった。
ヴァルハラに到着するとすでに良子を除くソーサリスが揃っていた。
「遅くなりました。」
八重花の謝罪にヘレナや緑里、美保の眉がピクリとつり上がった。
普段の八重花は意図して礼儀を疎かにしているのにたまたま今日は謝罪したから…ではない。
他のメンバーが早くから来ている理由は配下のジュエル部隊がほとんどいないからである。
怪我やトラウマで補欠扱いになっている人員を含めて数人、ヘレナの部隊に至っては全滅で1人も残らなかった。
八重花はそれを分かっていて謝罪した。
つまり
「部下がたくさんいて指導が大変だわ。あなたたちは簡単そうでいいわね。あらごめんなさい、人がいないんだったわね、ホホホ。」
と言っているようなものであった。
それを一瞬で悟るのだから賢しいというか穿って見すぎというか。
「やー、ごめん、指導でちょっと遅れちゃったね。ってうわぁ!」
そんなタイミングで駆け込んできた良子が睨まれたのはご愛嬌。
全員が揃ったところで葵衣が改めて紅茶を淹れる。
ヴァルハラに紅茶の香りが広がってギスギスしていた雰囲気を和らげていた。
「ナデシコ、呼び出した理由はなんですの?」
つい先日、ヴァルキリーは戦力の補充と"Innocent Vision"の動向を監視すると言ったばかりだ。
もちろん隙あらば仕掛けてもいいとなっているがクリスマスパーティーで見せつけられた"Innocent Vision"の力に警戒して今のところ手を出した者はいない。
「総力を挙げて"Innocent Vision"を打倒ってわけでもなさそうね。」
真っ先に飛び出していきかねない美保も成長したのか突っ走ることはなかった。
「…。」
悠莉もあれ以来覇気がなくぽーっとしていることが多い。
ヴァルキリーには以前の強い結束が揺らいでいた。
「…まだ確定情報ではありませんが…」
撫子はそう前置きに告げ
「再び行方不明者の数が増えているようです。それも、男性だけでなくジュエルだった方も含めて。」
場の緊張が高まった。
最近は沈静化していた行方不明事件。
その犯人が魔女でありジェムを生み出すために利用していたことは知られている。
"Innocent Vision"との抗争が激化した辺りからぱったりと無くなっていた事件が再発、しかもジュエルにいた女子まで狙われたとなると
「魔女が、動き出した?」
八重花の言葉に目を伏せるメンバー。
"Innocent Vision"の件でも手を出しあぐねているのにさらにジェムに事件を起こされては対応できない。
「まだ確認されている行方不明者は数人ですので警察や報道では取り上げられていないようですがこのまま増加する可能性は高く、混乱を招く危険性が認められます。」
継いだ葵衣の現状説明にそれぞれがどう対応すべきか思案し始めた。
「今までみたいにジェムになりそうな人間を叩きのめして正気に戻すのはどうかな?」
「人海戦術は人員がものをいいますのよ。今のワタクシたちでは壱葉をカバーするのが精々ですわ。」
緑里の提案をヘレナが切る。
「それにジュエルだった子達がジェムになってるとは限らないんじゃない?」
さらに良子も疑問を口にした。
そもそも魔女の関与かどうかも不明な事件なので不確定要素が多すぎる。
ここで語り合う内容の大半が机上の空論であることも否めない。
「せめてこの事件に魔女の関与があるかだけでも知りたいですね。」
悠莉はふぅとため息をついた。
それが分かるだけでも士気は大きく変わってくる。
だが今はその根本の情報すら不明瞭だった。
「…。」
普段なら率先して話を取りまとめる撫子が無言なのも不安を助長させた。
「お嬢様…」
葵衣だけは撫子から別の意図を汲み取ってわずかに揺らいでいる。
「1つ、知る方法があります。」
良策が上がらず沈黙していた場に撫子の一言が響き一斉に皆の視線が集まった。
「そういうことは先に言うものですわ。」
「さすが撫子様です。」
打開策の登場に笑顔を浮かべるメンバーだったが当の撫子の表情は若干固い。
「それで、どんな方法なんですか?」
「簡単なことです。分からないことが多いのは現段階での情報が圧倒的に少ないからです。」
八重花と悠莉が何かに気付いたようにピクリと肩を震わせた。
「それならば、この先の未来に何があるのか、それを知れば事件がどのような状態になるのか分かるでしょう。」
ヘレナや緑里、美保が理解した上で顔をしかめた。
「それで結局何をするんです?」
結局理解できずに尋ねた良子に撫子は沈痛な面持ちで告げた。
「Innocent Vision、その力で確認していただくのはどうでしょう?」
シンと静まり返った室内。
撫子の意見に賛同する声も否定する声も上がらない。
そんな静寂の中、真っ先に口を開いたのは撫子本人だった。
「もちろんもうしばらく様子を見てから行動に移すという選択肢もあるでしょう。しかし事が起きてから動き出して手遅れになるようなことは避けなければなりません。」
「ですけど、よりによってインヴィに助けを求めるのはプライドが。」
それは美保に限らず誰もが抱いた思いだった。
敵である陸に頭を下げてInnocent Visionで未来を見てもらう。
どんな要求を出されるかもわからないし本当のことを教えてくれる保証はない。
"Innocent Vision"の活動さえも不鮮明な今、彼らに頼るのも危険性が高かった。
「インヴィも魔女が何を企んでいるのか知りたいはずですので嘘をつく可能性は低いと思いますが、見返りは求められるでしょうね。」
見返りという言葉に全員が手をワキワキさせながら襲ってくる陸を想像した。
「キャー!」
「無理、ホントに無理!」
「インヴィも結局は男だからねぇ。」
「想像しただけで鳥肌が!触られたら絶対殺す!」
「…平和のためでしたら、わたくしは…」
「お嬢様、ご自愛下さい。」
ヴァルハラ内は想像だけで狂乱した。
(なるほど。)
(そういう手もありますね。)
約2名はほくそ笑んでいたが。
そして騒ぎ疲れて皆がぐったりした頃
「見返りも含めて明日にでもりくに聞いてみます。それではお先に失礼させていただきます。」
八重花は無駄に丁寧なお辞儀をしてヴァルハラを退室した。
・・・・
「そういや、八重花ってインヴィと仲がいいんだっけ。」
最後まで八重花に弄ばれた徒労で皆の憧れる乙女たちは机に突っ伏すのだった。
闇に蠢くものがあった。
ゴリッ
ボリ
グシュ
固いものも柔らかいものも一様に噛み続けているような不快な音が響く。
誰も見ていない。
さっきまでそこに立っていた人も、もういない。
グシャグシャ
生々しい音が闇に響く。
喰らいながらも形が崩れ、飲み込むものに飲み込まれていく。
闇と肉とが混沌となり、やがて1つの形を成した。
それは、人と同じシルエットをしていた。
最近はInnocent Visionという睡眠妨害もなく安らかに眠っていられたが久々に嫌な感じの夢を見た。
「ジェムみたいな化け物が人を飲み込んで噛み砕き、最後は人型になる、ね。うー。」
グロい映像を思い出したせいで気分が悪い。
のそりとベッドから起き上がって頭を振る。
制服に着替えて用意された朝食を取り学校に向かう。
親と話さないのはいつものことだ。
(人からジェムにしていたのがいつの間にか依り代を必要としないジェムオーガになった。そしてまた人から作る?)
僕は頭によぎった光景を見て身震いをした。
(いや、あれはジェムに人を喰わせていた?)
どちらにしても気持ちのいいものじゃない。
見た目も、行為も。
(裏で何か動き始めてるのかもしれない。ちょっと調べてみるかな?)
できればずっと平和な日常を送っていたいけど周囲が、世界がそれを許してはくれない。
ならば世界の平和ではなく自分の平穏のために戦う。
それが僕の戦う理由になったのは平穏をくれたみんなのお陰だ。
だからみんなを守る。
(とりあえず後で"Innocent Vision"のみんなに報告しておこう。)
朝からちょっと裏側モードで歩いていた僕は曲がり角を曲がり
「あっ!」
作倉…叶さんに遭遇した。
「おはよう、叶さん。」
「おひゃ、おはよう、ございました!」
叶さんはボッと顔を真っ赤にしてペコペコお辞儀をすると物凄い勢いで走っていってしまった。
周囲の学生が何事かと見てくるが僕にもよく分からない。
あれは出会った頃の叶さんを彷彿とさせる態度だった。
「昨日のアレが原因、だよね?」
泣きついて恥ずかしいところを見せちゃったし突然名前で呼べば驚くか。
「へー、昨日何をしたのかしら?」
ゾクッと背筋を冷たいものが走る感覚に振り向こうとしたがすでに背中は押さえられた。
今動けば背筋に指を走らせてくすぐられるに違いない。
「おはよう、八重花。いい朝だね。」
「りくを発見してから呟きを聞くまでは最高だったわ。」
「短いね。」
立ち止まっていると変な目で見られたので歩き出すが八重花の指は背中を捉えたままだ。
「それで、叶さんと何があったの?」
どうやら挨拶まで聞かれていたらしい。
琴さんのことを含めて昨日の出来事はいろんな意味で言いたくないことばかりだ。
「黙秘権を行使させてもらいます。」
「そんなことを言ってもいいのかしら?」
八重花の声に悪戯な響きが宿った。
咄嗟に距離をとろうとしたがその前に背中にぴったりと八重花が抱きついてきた。
耳の後ろから八重花の熱い吐息が当たってくすぐったい。
「ここで私が、いや、捨てないでー、って叫ぶなんてどう?」
「…最悪だと思います。」
ただでさえ朝っぱらから背中とはいえ抱き合ってじゃれてるように見える僕たちには主に負の念が隠った視線が向けられている。
しかも八重花は乙女会に入ったことでわりと有名人だ。
そんな彼女を振ったとなれば下手をすれば暴動になりかねない。
「さすがにそんなことしないよ、ね?」
内心ビクビクなのを押し殺して余裕っぽく問う。
だが八重花も頭の回転の早い才女、この程度の虚勢はお見通しのようだ。
「そうね。それよりこのままキスでもした方が悪い虫も付かなくなるかも。」
八重花はさらに体を密着させて伸びをした。
八重花が肩口から顔を出すとさすがに歩いていられなくなり間近にある顔にドキドキしてきた。
ここでキスされても叫ばれるのと大差ない、もしくはそれ以上の被害を受けるのは明白だ。
「八重花、勘弁して。」
「さすがに私もこんなムードのないところで唇は捧げられないわ。」
そうはいいつつも八重花は離れようとしない。
むしろ頬が触れ合いそうなくらいに近い。
「や、八重花、さん?」
「…実は久々にりくとイチャイチャできて天にも昇る気分なのよ。はぁ。」
妙に色っぽいため息が耳に当たって落ち着かなくなる。
でも無理な体勢なのか八重花がプルプル震え出したのでどうにか理性を取り戻した。
「そろそろ離して。それと昨日のことは主に僕の沽券のために話せない。」
こればかりは恥ずかしいので拒否だ。
八重花は不服そうだったが意外とあっさりピョンと飛び降りると腕に抱きついてきた。
「仕方がないわね。りくを悲しませるのは忍びないしそのことは聞かなかったことにしてあげる。」
「ありがと。」
そのこと「は」がとても気になったが突っ込んだら負けかなと思って聞き流した。
八重花は腕を絡めたまま上機嫌で、途中で会った等々力とか八重花のジュエルとかが驚愕しているのを見て肝を冷やしながらどうにか学校に到着した。
「楽しい時間はあっという間ね。」
「…そうだね。」
確かに八重花といると楽しいが周囲からの嫉妬の目が鋭くて胃がキリキリしてきた。
教室に向かうために階段を上る。
隣を歩いていた八重花が立ち止まったので何事かと振り返った僕は、左目を朱に輝かせたまま笑顔を浮かべる八重花を見て、今度こそ恐怖で背筋が震えた。
「八重花…」
「怯えなくていいわ。りくには危害を加える気はないから。」
数段上から見下ろしているのに、僕は八重花を見上げているような、そんな風に感じた。
威圧感や存在感というべきか。
僕の中でスイッチが入り左目に熱を感じた。
八重花はニヤリと笑う。
「おはよう、Innocent Vision。」
八重花は僕をInnocent Visionと呼んだ。
それは僕と区別したということ。
八重花は笑う。
「あなたにお願いがあるのよ。」